壊れてしまった日常

 後日、俺はGRI本部の二階で目が覚めた。時刻は五時。あまり寝付けなかった。早すぎる目覚めにため息をついて、支度をする。

 一人だと普段よりも早く終わった。何も気にする必要のない、悲しい一日の始まりに嫌気がさす。

 一度、部屋を見渡してみる。元は神崎さんと芦屋さんが泊まり込みで仕事をする時に使われていた部屋らしい。生活するのに必要な最低限の家具が揃っている。

 準備万端で一階に降りると、神崎さんが椅子に座って膨大な数の資料を見ていた。

「なんですか、これ」

「昨晩の被害状況の報告書だ。死傷者は四百人超え。被害を受けたのが、住宅の密接した地域だったのが凶となったな」

「せめて田畑の多い場所ならよかったのに」

「違いない」

 そう言って、彼は自分の髪の毛をかいていた。普段はきっちりとしているオールバックが乱れ、目の下には黒いクマができている。昨日は寝れなかったらしい。いや、本当はもっと前からかもしれない。

 どちらにせよ、そうされると本当にくたびれた大人に見える。

「……朝からこんな話して悪いな。行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 もう本部から学校までの道のりは覚えた。ここからなら、俺が道中で康弘を拾って行ける。

 インターホンを押して、彼を待つ。康弘は思いの外早く出てきた。

「おはよ」

「おはよう」

「ちょっと待ってろ」

 康弘はドアの前から姿を消した。数秒経ってから通学カバンを手に現れた。

「行こう」



 本当にいつも通りだった。当たり前のように藍也津道を通り、高校の前にやってくる。 

 だが、直ぐに日常に違和感が芽生えた。 

 周りの人々の視線がおかしい。

 犯罪者を見るような、忌み嫌うような表情。俺たちにスマートフォンを向けている人もいた。

 一体何が。

「実里、あれ」

「え?」

 視線の先にあったのは、校内掲示板だ。夏休みまで残り〇日というカレンダーの横に、一枚の紙が貼り付けられていた。人混みでよくわからないが、文字が書いてある。あれは、名前?

 俺たちは掲示板に近づく。周りの人々が、俺たちを次々と避けていく。

 今朝から続く違和感の理由は、その紙に書いてあった。

 

『巨大機兵の操縦士は以下の四人

 リーダー ダンビュライト 二年三組卯乃涼香

 ジェイド 二年六組久米川実里

 ルビー 二年六組永井康弘

 今回の操縦士 スフェーン 二年二組浜田黄壱

 次回の操縦士 アズライト 二年五組小林瑠璃

 彼らが町を壊した張本人』


 ――バタンッ

 肩にかけていたカバンが、ずるりと落ちて地面にぶつかった。



 廊下を歩く時も、教室に入る時も、全ての瞬間が息苦しかった。

 誰もが俺たちのことを悪魔のような瞳で見る。見ては、後悔するように視線を逸らし、周りの人々と囁きあう。

 まるで異国の地に紛れ込んでしまったかのような気分だ。康弘がいなければどうなっていたことか。

「実里。弱々しくなったら、つけ込まれるぞ」

「……だね」 

 これまでは非日常の枠の中で収まっていたレーヴが、一気に現実を侵食してきた。そう形容するしかない。

 重い気分で一日を過ごし、やっとの思いで帰りのホームルームを終えた。やはり誰も俺たちに話しかけなかった。康弘も僅かに暗かったし、俺は窓の向こうのレーヴを見られなかった。

 号令し、康弘と廊下にでると見覚えのある女がいた。卯乃だ。後ろには浜田もいる。

「久米川君、永井君」

「二人とも」

「ちょうど良かったわ。声をかけようと思っていたのよ。一緒に帰りましょう」

 しん、と辺りが静まる。間違いなく聞き耳を立てられている。白々しい人たちだ。

「何を止まっているの? 早く行きましょう」

 卯乃は歩きだす。追いかけながら、俺は問いかけた。

「小林は?」

「いなかった。だから、今から迎えに行く」

「場所の検討はついてんの?」

 康弘の質問に、卯乃は自信げに頷いた。「勿論よ」

 俺たちの進む道にいる人が、次々と横にはけていく。ここまでくると、一周まわっていい気味だった。

 その時、遠くの方で甲高い声が聞こえた。

「次はあんたなんでしょ、小林瑠璃!」

 声の元に走ると、そこにはバケツいっぱいの水をかけられ、壁に追い詰められていた小林の姿が見えた。三人の女子生徒に囲まれて、糾弾の声を浴びせられている。

「またあたしたちを傷つける気なら、ただじゃおかないわよ!」

「そうよ!」

 水をかけられた小林は、無表情に彼女たちを見ていた。暗い瞳を動かさず、薄く唇を開いた状態で動きを止めてそこにいた。 

「黙ってないでなんか言えよ!」

 真ん中の女が拳を振り上げる。小林は両手で頭を庇った。「きゃッ……!」

 浜田が大きな怒号を飛ばす。

「やめい!」

 俺たちは急いで小林に駆け寄り庇った。

 女子生徒は、そこでようやく俺たちの存在に気がついたようだった。

「うわ」

 軽蔑の色がさらに濃く深くなる。眉間にシワが生まれた。

「何よ、その顔……あの巨大機兵で、今度は私の家を壊すつもり?」

「この人殺し! どの面さげてここに来てんのよ」

 声が、視線が、俺たちの心を引き裂いた。

 なんて酷い言葉だろう。俺たちは壊したくて壊したわけじゃない。むしろ、護るために戦っていたのに。

 俺たちはたまたまレーヴに選ばれただけ。選ばれたのが俺たちじゃなくても、同じ悲劇は起きていた。相手があの紫色のオルダーである限りは。

 どうしろって言うんだ。どうすればよかったって言うんだ。たかが十六歳の子供に!

 もはや羨ましいとすら思える。操縦士おれたちの気も知らないで、安全圏から見下すだけの彼女らが。

 女子生徒の言葉が激しさを増していく。まるで言葉で人を殺そうとしているみたいだ。

 とっとと死ね、ゴミクズ、犯罪者。そんな過激な言葉に怖気付いたのか、壁際にたまっていた人の中から、何人かが前に出てきた。

「や、やめろよお前ら。そんなことして、本当に俺たちの家も壊されたら――」

 しかし、女子生徒の苛立ちは制止の声が増えるごとに増していく。噴火した火山のように、罵詈雑言が溢れていく。口をごちゃごちゃと動かして、必死に喚いていた。

「知るかよ! てか何被害者ヅラしてんの? 嫌ならやめろよ。こっちは何人も人が死んでるのに、テメーら加害者が可哀想でしょアピールしてんじゃねえよ!」

 女子生徒が拳を振り上げる。不幸なことに、そのターゲットは俺だった。突然のことで避けられず、とにかく体をかばおうと両腕を前に出す。

「っ!!」

 ぎゅっと目を閉じるが、何も痛くない。

 不思議に思って目を開くと、卯乃が女の腕を掴んでいた。

「触んな!」

 その手が強引に振り払われる。

「なによ……復讐のつもり? 意味わかんない、ほんとに気持ち悪いんですけど!」 

 復讐? 場違いな言葉に俺たち操縦士は顔を見合わせる。

「大体、この病原菌女がリーダーなら、怖がる必要ないし!」

 そう言って、下品な笑い声をあげる女。自分の身の安全を信じきっている女に、耐え難い不快さを感じた。気持ちが悪い、心底。

 卯乃が一瞬、俺を見た。目が合うと、彼女はふっと微笑んだ。

「卯乃?」

 次の瞬間、パアンッと軽快な音が廊下に鳴り響いた。卯乃が躊躇いもなく、彼女の頬をぶっ叩いた音だった。

「……は」

 女が叩かれた頬を触る。状況が理解できず、間の抜けた声を漏らしていた。

「あなた、いつのことを話しているの?」

 卯乃の横顔は微笑んでいるものの、目が真っ黒だった。静かな怒りが滲んでいる。

「あなたはあの時から何も変わらない。私は変わったのにね」

 華麗に背を向けて、「帰りましょう」と俺たちに笑いかける。今度は目も笑っていた。



 足早に校門を抜ける卯乃を追いかけて、俺たちも外に出る。

 しばらくは皆無言だった。藍也津道を通っているからかもしれない。オルダーを沈め、悲しい勝利を手にした海の傍を。

 卯乃が足の速度を緩めたと同時に、康弘が口を開いた。

「おかしいよな」

 メンバーの皆が足を止めて、最後尾の彼を見る。 

「なんで俺たちの正体がバレたんだ?」

「やっぱり変だよね、どこかから情報が漏れたのかな」

 濡れっぱなしの髪を放置して、小林が同意する。

 どこかから。そう聞いて思いつくのは、やはり過去の俺の行動だった。

 ――久米川君。他のメンバーは?

 まさか、あんなに優しい人が。

 俺は彼のことを信じている。けれど、たったの八日で構築された信頼は、砂の城のように儚い。信じきるのは難しい状況だった。

 卯乃が減速して俺と歩幅を合わせる。卯乃が右手で屈めとジェスチャーをしてきた。素直に身をかがめると、一段と小さな声で言った。

「神崎さんは違うわよ。あの人は政府の犬であっても、飼い慣らされた犬じゃない。むしろ手に負えない狂犬よ」

 その比喩に、俺は少し吹き出した。

「あの人が狂犬って、なんだかおかしな表現だ」

「扱いづらいからあの立場にされているんでしょう」

「それも君が知ってる運命の一つ?」

「そうね」

 額から汗がこぼれおちた。夏なのに、なんだか肌寒い気がする。体にまとわりつくように、生ぬるい風が吹いた。大きくて分厚い入道雲が上空を進む。もうすぐ雨が降るのだろう。

 世界は普通なのに、俺たちは異質のまま、この町の青さに混ざりきれない。

 ――俺はもう、普通には戻れないのだろうか。

 その時、一つの足音が耳に入った。音の鳴るほうを見ると、遠くから黒いフードを被った人が走って来ていた。背丈はそれほど高くなく、ほっそりしている。肌の露出は極めて少なかった。

 なんか、怖いな。

 俺は人ごとのように、ぼんやりと思っていた。他のみんなも同じだったに違いない――相手が手に持つ物の存在に気づくまで。

 名も知らぬ人が持っている物が、太陽にきらめいた。それは包丁だった。

「……え?」

 走る速度を早めて、あっという間に先頭の浜田の傍までやって来た。

 鋭くとがった先端が、浜田の腹に突き刺さる。その人の姿が、黒い機体のレーヴと重なった。直後、血の匂いが鼻をつく。

 真っ青な海と空に挟まれたコンクリートの上に、鮮やかな血液が飛び散る。黒と赤のコントラストに、目が痛くなった。

 包丁がぐっと上に引き上げられる。肉が裂けた。刃が引き抜かれ、傷口から血液が溢れ出る。

 黒い人がそのまま逃亡する。俺たちは凍ったように動けずにいた。

 波の砕ける音と仲間の呻き声が、うるさい心臓の音に埋もれる。視界がなければ、きっと浜田が倒れたことにも気づけなかっただろう。

 目の前が暗くなったり、真っ白になったり、もうおかしくなりそうだ。

「はま、だ……?」かすれた小さな声が喉から捻り出される。

 普通というものは、あまりにも突然に、呆気なく壊れてしまうのだと、俺は嫌でも理解わからされてしまった。

 


 四度目のオルダー襲来

 浜田黄壱――??

 操縦士残数――??

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