まどろむ日常

 目の前が暗い。

 俺は一人、深海のように黒くおぼつかない場所をさまよっていた。

 目の前にあるのはレーヴだけだ。緑色の機体が暗闇の中で浮いて見える。

 ――ああ、俺の……俺のレーヴだ。

 早く操縦うごかしたい。ずっと夢見たことを、現実に。

 機体に近づくと、レーヴは俺に向かってひざまずいた。胸部に触れると、装甲が開いた。心臓の辺りから、真っ赤な輝きが放たれる。核だ。

 割れ物を触るように、そっと触れる。生暖かい。脈を打っているような、息をしているような……。

 つまりは、生きているみたいだった。俺の心臓ではない。俺を生かすものではない。全く別の生命体。けれどなんとなく、俺はこれを知っている気がした。

 触れた所から核にヒビが入っていく。薄く細い線を描いて。それすらも美しい。ひび割れた中から、核以上に鮮やかな液体が流れて出た。

 あ、割れる――

「は……ッ!」

 大きく息を吸う。荒い自分の息が耳に響いた。

 シーツの上で寝返りを打つ。もう朝が来たみたいだ。

 丸山が死んでから、二日が経った。

 なんて早いことだろう。仲間が死んだのに、世界の時間の進み方は何一つ変わらない。

「あー……いま何時……?」

 俺は体を起こし、時間を確認する。

 オルダー襲来の余韻で、昨日は完全に遅刻した。そのせいで、貴重な康弘との会話時間も失ってしまったのだ。

 今日は遅れたくない。遅れたくなかった。

 それなのに、神様は酷いひとだ。

 普段に比べて二十分の遅刻。昨日よりもぜんっぜん遅い。

 終わった。俺は髪を掻きむしりながら、情けない声を上げる。

「ああぁ、もうっ!」

「ミサトー!」

 母さんが俺を呼ぶ。まるっきり、昨日と同じ展開だ。

 憂鬱ゆううつな気分で下に降りると、家の中に昨日と違う存在が紛れ込んでいた。

 俺は思わず、あんぐりと口を開ける。

「よっ、実里。寝ぼけてんじゃねえぞー」

 康弘が右手を上げて、俺に笑いかけた。

「な、なんでここに?」

「どーせ今日も寝坊するだろうと思ってさ。急で悪いけどな」

「いや、全然。むしろ俺も嬉しいし」

「はやく飯食えよ。遅刻すんぞー」

「あ、うん」

 俺は机に座って、用意された朝ご飯を勢いよく食べた。これも昨日と同じ。喉に詰まって咳き込むまでがワンセットだ。

 母さんが力なく笑う。

「もう、汚いわよ。ごめんねえ、康弘君。ウチの息子が、急にこんな不抜けちゃって」

「全然いーっすよ」

 そう言いながら、ちゃっかりと康弘もリンゴをかじっている。

 すごく変な感じがするのは、康弘が家に来るのが小学生以来だからかもしれない。

「でも、ねえ。最近は不登校も多いって聞くし、ロボットも動き出すし……なんだか怖いわあ」

「そっすねえ」

「ねえ実里。本当に学校まで送らなくて大丈夫? 車出せるわよ?」

「いいよ、大丈夫だから」

 母さんの心配は過剰だ。そう思ってしまうのは、俺がロボットの操縦士で、いつ動き出すのか知っているからだろう。

 俺は残りのご飯を全部口に詰め込んで、慌ただしく飲み込んだ。

「ご馳走様!」

「はあい」

 俺は洗面台に走る。ばしゃばしゃと顔を洗い、歯を磨く。

 ゆっくりと着いてきた康弘が、呆れ顔で苦言を呈した。「おーい、それ洗えてんのか? ゆっくり丁寧にやれって」

「だ、大丈夫。帰ったらやる」

「帰ったらじゃ遅いわ」

 笑い混じりに叱られる。まるで第二の父親だ。

「ほら、行くぞ」

「ああ!」

 康弘からカバンを受け取り家を出る。高校に向かって、俺たちは全速力で走った。

 俺の家は学校からそれほど遠くない。徒歩十七分。まあまあ近い方だと思う。

 しばらくして、海沿いの道まで来た。ここからは歩いていく。疲れたのもあるが、単純にあと五分で着く。余裕でセーフだ。

 俺はずっと昔からこの道が好きだった。

 道路の脇にあって、海側には防護柵が伸びている。少し身を乗り出して海を覗くと、波がぶつかってきているのがわかる。この飛沫を見届けるのが、俺の毎日の習慣だ。

 この道は、町の人から親しみを込めて藍也津道あおやづどうと呼ばれている。

 康弘が大きく伸びをしながら俺に話しかけてきた。

「なー、聞いたか。俺たち、卯乃の変な言葉のせいで『地球の救世使きゅうせいし』『救世団』って呼ばれてるんだとよ」

じゃなくて?」

「そう。使者の使。なんじゃそりゃって感じよな」

 ここは噂がすぐに広まる、古臭い田舎の港町だ。バカみたいに大きな山も海もある。だが、モールなどの娯楽的な施設はほぼない、子供には不向きな町。

 横の道路を見ると、おびただしい量の車が列をなしていた。康弘が首を傾げる。

「にしても、今日車多くね? これ全部うちの生徒かよー」

「みんな怖いんだよ。いつ動き出すかわからないから。あんなの、巻き込まれたら大変だ」

「その点俺らは優雅だな」

「なんだよそれ」

 笑いながら、バス停を通り過ぎる。志麓しろく高等学校前。丁度バスが停まった。知り合いが誰か乗ってるかもしれない。レーヴに関連する誰かが。

 予想通り、中から卯乃が現れた。彼女は俺を一瞥したあと、何もなかったように通り過ぎた。

「えー……感じ悪ぅ」康弘が苦笑いで言う。声をかけようとしたのか、行き場を失った彼の右手が宙をさまよっていた。

 俺たちはその後も、ちらほら会話を交わして歩いた。信号の前に来る。青から点滅して赤色になった。

 それを見て、頭がボーッとしてしまう。

 チカチカと点滅する光。

 それはまるで、レーヴの中で見た脈のように刻まれた光の線のようで――

「実里、行かねえの?」

「え?」

 康弘に声をかけられて、初めて俺は信号が青に変わっていることに気がついた。

「あ、ああ。ごめん、青か。間違えて、止まらないとって思っちゃったよ」

「おいおい、交通ルール基本のき! 緑は進む、赤は止まるだろ?」

「緑っていうか、青だろ」

「いーだろ。あんなの緑だよ緑」

 笑いながら、信号を渡る。

 驚いた。まさか、レーヴが現実にまで侵食してくるとは。

 あの時、信号機の点滅する光がコックピットの光の脈と重なった。命の終わりを知らせる光。信号機とは、全然違う存在なのに。

 赤と緑。まるで康弘と俺みたいだ。

 いつか、俺たちもああなってしまうのだろうか。

 その時、俺はようやく気がついた。康弘の顔色が悪い。健康的な肌には、うっすらとくまが出来ている。

 平気なフリをして、本当は怖いんだ。いつ死ぬのかわからない。それが、俺も怖い。

 多分もう自分は、普通じゃない。

 みんなそうだ。康弘も、柴田も、浜田も、小林も、卯乃だって。もう普通には戻れない。

 死ぬまで、この戦いから解放されない。

 実感してしまった。俺は遠くにあるレーヴの機体を見つめる。

 今度こそ、素直に怖かった。

 あれは世界を救うために与えられた神様の秘密兵器なのか。

 もしくは俺の夢を叶える代償に命を奪っていく悪魔なのか。

 俺はまだ大切な何かに気がつけていないのか?

 いくら考えても、この時は、まだ何もわからなかった。



 二度目のオルダー襲来

 丸山橙李――圧死

 操縦士残数――六

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