モース硬度

 静まり返ったコックピット。

 静かに涙を流し、操縦席でうずくまる柴田。

 恐怖に顔を歪ませる浜田。

 なにか閃いたように口を開いては、言いづらそうに閉じる小林。

 何も出来ずにただ呆然と立っている俺と康弘。

 それら全てを、冷静に見つめている卯乃涼香。

 誰も動かない。全てが止まった状態で、時だけが流れていた。

 その空気を破って、小林が控えめに手を挙げた。

 全員の視線が彼女に集まった。それに少し怖気付きながらも、小林はぎこちなく口を開く。

「あのさ、私、気がついたんだけど……この、宝石名の隣にある数字って」

 彼女の唇が、核心に近い言葉を放った。

「モース硬度のことじゃないの?」

 モースコウド。初めて聞く言葉だ。

 小林は右手で大きな図鑑を持っていた。宝石図鑑――先程図書室で読んでいたのは、これかもしれない。

「モース硬度? って、宝石の硬さのことやんな」

 浜田の質問に、小林は頷く。

「そうだね」

 彼女の視線が上――コックピットの天井を向く。

「多分このロボットは、操縦士が持つ宝石に合わせて姿を変えるんだよ。ここに記された宝石は、全部実在するし色も硬度も一致した」

 彼女は目線を下げ、操縦席に刻まれた文字を見た。俺もそれを見つめる。ジェイド6。これが俺の宝石ということか。 

「私たちに与えられた宝石の名前の隣には、わざわざモース硬度が記されている。それは何でか。考えられる中で最も有力な仮説が一つ」

 小林は、不安そうな顔で言った。

「これが高いほど装甲の硬度――つまり、レーヴの耐久力も上がるということ。レーヴには、操縦士によって個体差がある。違う?」

 卯乃は嬉しそうに笑みを浮かべ、首を振った。

「いえ、その思考は全て正しい」

 彼女の一言で、俺の心に「カチリ」と時計の針が一つ進んだかのような感覚が渦巻いた。

 個体差があるということは、人によって死にやすさも変わるということだ。

 硬度が低ければ低いほど、装甲も脆くなる。機体の中に隠し持つ核を守りきる難易度も変わってしまう。

 頭の中で、胴を裂かれまさぐられたレーヴの姿が映し出される。

 俺は小さくつぶやいた。

「つまり、一番脆いのは」

「アズライトの4。私だね」

 俺は密かに、自分の硬度と彼女の硬度を見比べる。

 ――4なんて、高確率で死んでしまうじゃないか。

 気がつくと、途端に怖くなった。微かに手足が震え始める。

 俺はまだ死にたくない。痛いのなんて嫌だ。

 それなのに、そのはずなのに。

 レーヴはより一層、俺の心を掴んでくる。

 ――なんて……美しいんだろう。

 このロボットの蠱惑こわく的な姿は、まさに宝石だ。操縦士によって色を変え、脆く傷つく。甘く耽美な死の香り。

 体は恐怖に叫びたがっているのに。

 心が、自分がこのロボットの中身として、共に朽ち果てられることに歓喜していた。

 小林が再び口を開いた。

「次の操縦士……モース硬度が高い人がいいよね」

 その意見に、康弘が賛同する。

「確かに。一回目の時みたいに、確実に勝てばなんとかなるしな」

「アズライトはあんま戦わへん方がええよな。ほぼ確実に死にそうやし、宝石の知識もあるからいて欲しいわ。てか……」

 浜田の視線が、操縦士たちへと流れていく。

「一番高いのって誰や?」

 その瞬間、全員が康弘ことルビーを見た。彼は震え声で告げる。

「……俺だ。モース硬度9」

「ルビーなら、ダイアモンドとかが来ない限りは、硬さで負けることはないと思う」と小林。

 そこで、ようやく柴田が呟いた。

「次の操縦士、本当にルビーでいいのかな」

 皆が呆気に取られた。

「どうして?」

「だって、次はどんな敵が来るかもわかんないし。死なれたら不安だよ」

 涼香の反応から見るに、これは誰かが連続で戦う事も可能だ。ルビーで無双するのも無理な話ではない。

 けれど、自分のモース硬度を超える宝石のロボットが現れた時、きっと手も足も出なくなってしまう。

 次に来る敵がもしもダイアモンドだったら、と不安に思わずにはいられなかった。

「たしかに、それもそうだね」

 振り出しに戻る。誰もが黙り込んだ。また長い時が過ぎていく。

 そんな重苦しい空気を読み取らずに、涼香がため息をついた。

「それで、次は誰がやるの?」

 コックピット内に響き渡る、恐ろしい言葉。

 どうする?

 手を挙げてしまおうか。

 ロボットを操縦する権利を持てるのだから。素晴らしいことじゃないか。

 僅かに上がろうとする俺の手を、恐怖が制止する。

 もしも相手が6を超える硬度を持っていたなら、と恐れずにはいられない。

 卯乃は想定通り、といった無表情になる。

「次は五日後の金曜日ね。直前まで渋ったって構わないから、しっかり考えて」

 発言を終えた卯乃は、静かに口を閉じる。

 それでも、帰るそぶりは見せなかった。席から立ち上がることもなく、何かを待っているようにモニターを見つめている。 

「一つ聞きたいことがあるんだ」

 俺は、前々から疑問に思っていたことを口にした。

「もしも核が全て壊れたら、どうなるの?」

 はっと目を見開き、卯乃は薄く唇を開く。

「それは――」

『動くな!!』

 彼女が答えるのと同時に、知らない男の声がした。外からだ。

 俺たちは一斉にモニターを見る。

 目の前で飛行機が飛んでいた。

『我々は自衛隊だ。中に誰かいるのか?』

 ――自衛隊だって……!?

 どきり、と思わず心臓が早く脈打った。

 別に悪いことをしたわけじゃないのに、冷や汗が止まらない。

 卯乃は人差し指を口元に添えて、しっと合図した。

「レーヴ モード ダンビュライト」

 卯乃がレーヴと繋がった。

 突然姿を変えたロボットに、自衛隊はたじろいだ。

 危険な攻撃がくると勘違いしたのか、彼らはキビキビと攻撃の準備を始める。俺たちはそのおぞましい装備に悲鳴をあげた。

 普通の高校生には名前すらわからない兵器の塊が、モニター越しにじっとこちらを覗いている。

 塊が放たれる直前、卯乃が口を開いた。

「います」

 その毅然きぜんとした声は、外に届いているらしい。すぐに『誰だ!?』と返ってきた。

 卯乃は目を伏せる。妙に厳かな姿だった。まるでレーヴのように。 

「私はダンビュライト。このグループのリーダーです」 

『お前の他には、何人いる』

「生きているのは五人。たった今、一人死んだところ」

『つまり、合計七人か』

「その通り」

 彼女の視線が、メンバーを順々に巡る。

「サードニクス、ペツォッタイト、スフェーン、アズライト、ルビー、ジェイド――そしてこの私、ダンビュライト。我々は創世神より運命さだめを受けた神の使者」

 なんて厨二くさい台詞。俺は少しわくわくした。

『目的は?』

「この躰に秘められた核を」

 レーヴの腕が、倒れたオルダーに向く。

「その敵から守ること」

『何故だ?』

 卯乃は俺を見て「丁度いいわ」と笑った。

 次に彼女が放った言葉は、耳を疑うものだった。 

「我々は七つの核を保有している。それら全てが破壊された日には、この世界が終焉しゅうえんを迎えるのです」

 卯乃の唇が、重々しく言葉を紡いでいく。 

「敵の真の目的は、世界の破壊にあります」

 エスの子音がやけに耳に残った。

 一瞬の揺らぎもない静寂のあと、自衛隊の人々が大きく息を飲んだ。

「な……っ!?」 

 ざわめいたのは自衛隊だけではない。

 俺たちも同じだった。

 だって、そんなこと何も聞かされていない。

「なんやて、知らんでそんなこと!」

 浜田が卯乃の胸ぐらを掴んで抗議したが、彼女は無視して続けた。

「我々は、世界を終わらせないために、迫り来る敵を倒す義務がある。事情はおわかり頂けましたか」

 ――これは、牽制けんせいだ。

 俺は悟った。

 彼女が待っていたのは自衛隊なのだ。

 自分たちの行為の正当性を主張し、邪魔を受けないための牽制をしている。俺は卯乃の行動に、激しい軽蔑と尊敬を覚えた。

 無意識のうちに右腕が上がり、心臓辺りのシャツを握りしめた。呼吸がままならない。体温が上昇しているのがハッキリとわかった。

 誰かに対してこんなにも痺れるような感情を抱いたのは、生まれて初めてだ。

 そんな事、普通は考えない。

 俺はもしかすると、頭がおかしいのかもしれない。

 憧れたり、軽蔑したり。

 喜んだり、怒ったり。

 望んだり、怖がったり。

 俺は今、こんなにも感情の振れ幅が大きい。

 感情が一瞬にして色を変えて、何度も何度も揺れ動いていく。

 ハイになっている。レーヴに初めて乗った時以上の高揚感があった。この感覚は、いつまで続くのか。

 感情のコントロールが上手くいかない俺の傍で、深刻そうに康弘が言った。

「この戦いに、終わりは来るのか……?」

 卯乃は一言、「……わからない。やってみるしか、道はないのよ」とだけ伝え、肩をすくめた。

 その姿には、虚勢ともとれる哀愁が漂っていた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る