第5話 テラスでの回想

 手すりにグラスを置き、月あかりの下で見える伯爵邸の庭をジャンは見ていた。

 誕生会に遅れたのは劇場に行って昼の部の後、そこに出ていたユリアの楽屋に顔を出したからだった。

 まだ主役とまではいかないが、その日の役はヒロインの恋敵の令嬢役で、深紅のドレスが似合っていた。演技はまあまあと言ったところだったが、怒りのシーンではシーンを圧倒していたし、観客の注目を一身にしていた。


「あそこは素晴らしかったよ、ユリア」

 ジャンは褒めたが、ユリアは悲しそうな顔をしていた。

「この役は好きではありません。やるたびに苦しくなります」

 そう言うユリアの手を取るとジャンは微笑んで言った。

「ああいう役はいずれヒロインになる女優が必ずやるんだ。どうしてかわかるかい」

 そう言われてユリアは愁眉を開いてジャンを見た。

「それはどういうことでしょうか、ロラン様」

「うん、あれはね、ヒロインとの息を合わせないとうまく行かない役なんだ。恋敵役が攻めてヒロインはそれを受け止める役になる。物語上では対立していても、演じる役者同志には阿吽の呼吸が必要なんだ」

 ユリアはそれを聞くと、小さく声を漏らした。


「ヒロインのアンリエッタは君の魅力をうまく引き出している。そうでないと、自分も映えないからね。ヒロインは敵役が良くないと輝かないものさ。その点、ユリアはうまくやっている。観客だった私がそう言うんだ。間違いない」

 そうジャンが言うと、ユリアは思わずジャンに抱き着いて、涙をこぼした。

 ジャンは軽く抱きしめてから体を離すと、チーフを取り出してユリアの涙をぬぐった。


「美しい人の涙はぬぐうのは悪い気分じゃないけれど、夜の舞台もある。あの役に泣き顔は似合わないよ。それにああいうご婦人は僕は好きだ。恋のためには破滅も厭わないなんて情熱的だろう」

 ユリアはその言葉にハッとしたように表情を変えた。

「そんな風に考えたことはございませんでした。そうですね、自分の気持ちに偽らず思いをぶつける姿にはひかれますし、セリフにも気持ちが入ります」

「ああ、だから魅力的なんだ。ヒロインのアンリエッタは耐え忍ぶ美しさがあるが、それとは違う魅力が君の役にはある」

 ジャンのその言葉を聞くと、ユリアは笑顔を浮かべた。


「ようやく笑顔を見せてくれたね。この公演が終わったら食事にでも行こう。ご褒美に良いところをとっておくから、頑張るんだよ」

 ありがとうございます、というユリアの頬に軽くキスをすると、ジャンは楽屋を後にした。


 手すりに置いたグラスに残ったシャンパンを飲み干すと、ジャンは一つ深呼吸をして、広間の方を見た。

 明るい広間に集う若い男女をぼんやり眺めていると、傍らから誰かがやってくるのに気が付いた。

 「ロラン様、こんなところで何をしておられるのですか」

 その声はジャンに聞き覚えのあるものだった。

「久しぶりだね、クラウディア。いつ帰って来たんだい」

 振り返ったジャンは声の主にそう語り掛けた。

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