第3話 10年前に言えなかったこと


午後のカフェ。

原宿の裏通りにある、小さな喫茶店。

店内は木のぬくもりがあって、空気がやさしい。


窓際の席に座ったエミリーとサトシ。

リリーはソファ席で静かに塗り絵をしている。


サトシ「……本当に、びっくりしたよ。こんな再会、あるんだな」


エミリー「うん……なんか、映画みたい」


ふたりの間に、あの頃とは違う空気が流れていた。

だけど、不思議と、懐かしさが心をゆるませていた。


「サトシくん、いま何してるの?」


「大学卒業して、研究職に就いたよ。今も都内の研究所で働いてる。地味な仕事だけど、性に合ってるかな」


「……やっぱり、理系なんだね。昔から、静かで、でも芯が強かった」


「エミリーは? ロンドンに戻って、就職して……」


「結婚して、子どもができて、でも、去年離婚したの」


サトシは一瞬、言葉に詰まり、ゆっくりコーヒーを口に運ぶ。


「そっか……」


その声は、優しくて、痛みを含んでいた。


エミリー「……サトシくん。あのとき、わたし、言えなかったことがあるの」


サトシ「……あのとき?」


エミリー「ロンドンに帰る前の日、駅の改札で……

本当は、行きたくなかった。日本に、もっといたかった」


サトシは目を見開き、少しだけ笑った。


「……俺も。送ったあの日、言おうと思ってた。

“行かないで”って……でも、言えなかった」


ふたりの視線が交差した。


「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」


「うん」


「今日、ほんとに偶然だったの? 駅で、わたしを見かけたのは」


サトシは、少し黙ってから、

視線を窓の外へ逸らした。


「……偶然、かもしれないし」

「偶然じゃない、かもしれない」


「……え?」


サトシは照れたように笑う。


「昨日、大学の同級生からメッセージが来てさ。“エミリーが日本に来てるらしいよ”って。原宿近くにいたら偶然会えるかもって、冗談半分で言ってたんだ」


エミリーの目が丸くなる。


「……それって……偶然じゃ、ないじゃん」


「……うん。でも、会えるとは思ってなかった。

ほんとに、ほんとに、偶然だと思ってた。最後の最後まで」


ふたりは、しばらく笑った。


まるで、10年の時間が少しずつ、

溶けていくみたいに。


「……ねえ、サトシくん」

「もう少しだけ、一緒にいてもいい?」


「……もちろん」


💌次回予告:

第4話「もう一度、始めてもいい?」

散歩する三人。リリーがふと漏らした一言が、サトシの心を揺らす。

エミリーの胸にも、ずっとしまっていた“本当の理由”が浮かびあがる──。


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