わだつみに抱かれて
馬渕まり
第一章
第1話 隔離部屋の五人
「華族様でも大部屋で雑魚寝」
それが海軍兵学校の不文律だと、誰もが言った。
でも、現実は違った。僕が入れられたのは校舎の奥にある『五人だけの特別な一室』だった。……昼でも薄暗く、僕たち以外の生徒は近寄らない場所。
優秀者の選抜部屋とも、問題児の隔離部屋とも囁かれたが、真相は誰にもわからなかった。そこに住む僕にすらも。
僕、
僕がそれを打ち明けたとき、海軍びいきの父は大いに喜んだ。だが、線の細い母は、椅子の背に手をかけたまま、青ざめた顔でしばらく何も言わなかった。
そのせいか、父は教育参考館の建設に、多額の寄付をした。やがて、それがどこからか漏れ、僕は陰で「不正入学」を囁かれた。
ついたあだ名は「一万円様」。教育参考館に寄付されたという『柱一本分』の金額、一万円。その皮肉だった。
部屋には僕を含めて五人が暮らしている。
二人は間違いなく、異才。
一人は、ちょっと変わった経歴の持ち主。
残り二人、つまり僕ともう一人は、目立たない。問題があるわけでもないけど、特別でもない。
──僕は、なぜここにいるんだろう?選ばれたのか、はじかれたのか……
自習室を出て廊下を歩きながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
僕にあるのは「ユキ」という女みたいな名前のコンプレックスくらいだ。あとは伯爵家の生まれというただの運。
部屋に戻ると、
下は異才。ライフル射撃のオリンピック候補。もともとは駐在所の巡査補助で、射撃の腕を見込まれて兵学校受験を勧められたらしい。
熊のような体躯に、職人の執念。いまも英語の教科書を熱心にめくっていた。
一方の馬場は、僕と同じ『平凡』枠……のはずだけど、そう割り切れない部分もある。
彼は地元、呉の老舗料亭の息子で「モテたいから海軍に入った」と公言する男。
その見た目は華やかで、まるで舞台俳優のようだ。それに誰とでもすぐに仲良くなる。「人付き合い」って競技があれば、金メダルは間違いなく馬場だろう。
そんな馬場は、英語の教本を広げながら、ニヤニヤしていた。
中身は、どう見ても大衆小説。ベッドで笑い転げて、ついに落ちた。
「いてて……あー、点呼まであと十五分か。カメと
下が一瞬、顔を上げ、あきれたように馬場を見る。
「カメは、たぶん泳いでる。見林さんは、今日も資料室だな」
カメこと亀嶋は元中学水泳王者。下と同じくオリンピック候補。
泳ぎの腕は亀ではなく、まさに魚——いや、カジキみたいな速さだ。でも、座学は潜水艇並みに浮かんでこない。
授業が終わると、いつもプールか補講室に向かう。眠たげな顔をしてるけど、水に入ると一変する、不思議な奴だった。
「カメが溺れることは万が一にも無いからな」
馬場が大きなあくびをした。下も「間違いない」と相槌をうつ。
そんなふうに僕らが談笑していると、部屋の扉が開いた。初夏の夜風がふっと舞い込んでくる。
「カメ、待たせる男はもてないぜ?」
馬場がベッドから顔を出した。が、入ってきたのはカメではなく、資料を抱えた見林さんだ。
僕たちが「さん」付けで呼ぶのには理由がある。
見林さんは元軍医科の中尉。軍医学校を出て、三年ほど海軍病院にいた。「学生として実地訓練がしたい」と特例的に階級を下げて、僕らと同じ訓練を受けている。
僕より十歳上で、落ち着いた雰囲気に眼鏡がよく似合う。まさに「お医者様」という風貌。
風呂の長さを除けば、見林さんは完璧な大人だった。規則にも清掃にも、誰より厳格で、誰より寛容だった。
最初こそ、その雰囲気に気圧された僕たちだったが——馬場は三日で慣れ、僕も三月で慣れた。その中身は、僕らと変わらない、間違いなく『同期』だった。
「ああ、あと五分で点呼が来ちまう」
馬場は勢いよく立ち上がり、亀嶋のベッドに近づくと、手際よく枕に布団を掛け始めた。予備のシーツも使い、中に人が居るような膨らみを作る。あっという間に、『寝ている亀嶋』が完成した。
「芸術的な完成度だ。作品名は疲れたカメ」
馬場が悪戯っぽく僕らを見回す。下と見林さんは小さくため息をつき、僕はつい吹き出した。これが僕たち隔離部屋の五人組だ。
これからの点呼を馬場がどう誤魔化すか、僕は少し楽しみにしていた。
——でもそれが、すべての始まりだった。
僕たちが、部屋でふざけ合っていた、まさにそのとき……カメは黒い水底に、ひとり冷たく沈んでいた。
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