第2章
11.幻の中で見えたもの
朝靄が薄く晴れ、村の上空に柔らかな陽が差し始める。
今日も天気は良さそうだ。
「……じゃ、行ってくる」
「はい。お気をつけて、歩夢さん」
ミナに見送られながら、歩夢はギルドに向けて歩き出した。昨日のクエストの疲れも、仲間との絆の手応えも、まだ身体に残っている。
だが心の奥では、別のことが引っかかっていた。
――魔法が、いまいちしっくりこない。
炎も氷も風も使えるようになった。魔力の総量も多いと自覚している。けれど、命中率や威力の制御が甘いのだ。昨日の戦闘でも、リアやミナに頼りきりだった場面が何度かあった。
(俺、もっと正確に魔法を扱えるようにならないと……)
そんな思いを胸に、歩夢は森の外れへと足を向ける。訓練場ではなく、静かに魔力を練り直すための場所。ふと、かつてそこで出会った人物のことを思い出した。
――エル・ネーヴァ。
幻術を使う、皮肉屋の魔法使い。どこか飄々としていて、だが何かを見透かすような鋭さを持つ少女。
あのとき、彼女は言っていた。
『この目で確かめさせてもらう。あなたの強さをね』
「まさか、また……」
言いかけて、歩夢は気配を感じた。ほんの一瞬、足元の影が揺れる。
目を向けたその先に、すでに彼女は立っていた。
「やあ。また会ったわね、歩夢」
「……やっぱり、お前か」
濃紺のローブに包まれた細身の体。瞳は紫がかったグレーで、微笑を浮かべている。風もないのに彼女の髪だけがふわりと揺れた。
「まるで、待ってたみたいだな」
「待ってたのよ。あなたが悩み始めるのをね」
その言葉に、歩夢の背筋がぞくりとした。まるで心の中を見透かされたような感覚。
「……何が目的だ?」
「さあ、何だと思う?」
エルはふわりと笑った。そのまま草原の中央へと歩いていくと、手の中に魔力の糸が集まり始めた。
「ちょっとした模擬戦よ。こっちも、あなたを確かめたくて仕方がなかったの」
「は……?」
「本気で来なさい。さもないと、飲み込まれるわよ」
その瞬間、景色が揺らいだ。
歩夢の視界にあった草原が、淡い光と共に変貌する。霧が立ち込め、複数の幻影が現れる。
「幻術か……!」
「見破ってごらんなさい。現実と虚構の境界を、あなたの魔力で」
歩夢は拳を握りしめると、風の魔法を編み始めた。
「行くぞ、エル!」
「ようやく、その目になったわね――」
二人の戦いが始まった。
歩夢の放った風刃が、目の前の幻影を切り裂いた。けれど、その向こうに待ち構えていたもう一体が、すぐさま襲いかかってくる。
(動きが速い……! でも、手応えがない。やっぱりこれも――)
背後に気配。咄嗟に地を蹴り、左へ飛ぶ。振り返ると、そこにもエルの姿があった。
「見極めなさい。あなたの目と、心で」
どこからともなく響く声。それすらも幻か、本物か――。
(くそっ、これじゃ集中が保てない)
歩夢は深く息を吸い込んだ。霧の中、視界は狭く、魔力の感知もかき乱されている。だが、それでも。
(感じるんだ。風の流れを……)
彼は再び両手を広げ、風の魔力を練り直す。今度は攻撃ではない。霧を払う風。自身の感覚を研ぎ澄ますための一陣。
「――《ウィンド・サークル》!」
彼の足元から渦巻く風が立ち上がる。霧が裂け、幻影の輪郭が不安定に揺らいだ。
「ほう……面白い手を使うじゃない」
エルの声が、今度は一か所から聞こえた。風が霧を裂いたことで、ようやく歩夢は気づく。幻影のうち、たった一体だけが、風を切って身を引いた。
「あれが……本物!」
歩夢は即座に魔力を集中させる。右手に炎、左手に氷。異なる属性を、同時に練り上げる。
「――《ツイン・ブラスト》!」
火と氷の奔流が交錯しながら放たれ、エルに向かって一直線に飛ぶ。
だがその直前、彼女の姿はふっと霧に溶けた。
直撃はしなかった。けれど、霧の向こうでかすかに呻く声がした。
「……見事。今のは、少しだけ痛かったわ」
やがて、霧が完全に晴れる。そこに立っていたのは、少し服を焦がしながらも、相変わらず微笑を浮かべるエルだった。
「驚いた。まさかここまでやるとは」
「……俺も、驚いてる。こんな魔法、初めてだったから」
「でも、ちゃんと“視えた”のでしょう?」
「……ああ」
「なら、合格よ」
彼女は軽く杖を回し、霧の残滓を一掃する。
「どういう意味だ?」
「あなたがちゃんと、自分の力で一歩を踏み出せるか。確かめたかったのよ」
「俺のために……?」
「興味があったのよ。あの時のあなたの目を見て、ね」
エルの目は鋭いが、どこか優しさを含んでいた。
「――いいわ。ついていってあげる」
「……は?」
「あなたがどこまで行けるのか、私も知りたいの。だから、“仲間”に入れて」
彼女の差し出した手に、歩夢はわずかに目を見開く。
そして、迷いなく手を伸ばした。
「こちらこそ、頼りにしてる」
新たな仲間の誕生に、風がやさしく吹いた。
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