怪盗を追え

第10話 化粧

「ラーリ!」


 バンッ!


 大家は戸を開け放って、借家に踏み込んだ。

「今日という今日は、家賃を払ってもらうからね!」

 今朝の大家は本気だ。

 指の関節を鳴らして仁王立ちしている。


 あれから三日が経った。

 りの小娘に、堪忍袋も限界と言わんばかりの表情。


 大家は鋭い視線で部屋を見回す。

 コポコポと鍋が煮え、周囲には薬草や鉱石が転がっていた。室内は水を打ったように静まり返っている。

「かくれんぼかい。金を払わないなら、出て行ってもらうまでだよ」

 彼女の唇から、遠慮なく本音が漏れ出る。


 ごとっ。


 部屋の奥から物音がした。


「いけませんねえ」

 人差し指を左右に振ったのは癖毛の少女。組合で働く染料師。

 ラーリは余裕ぶって、でもちょっと焦ったような表情で大家の前にやって来た。

「大家さん、いつわたしが家賃を払わないと言いましたか? 決めつけはよくありませんよ。ええ、よくありません」


 ラーリは不敵な笑みを浮かべながら、部屋をぐるりと一周すると、

「銀貨三枚を差し上げましょう」

 指の間にコインを挟んで、決めポーズをしてみせる。


「……」

 大家は絶句した。


「なんですか? 驚きすぎて声も出ませんか? 仕方ありませんねえ。大家さんのろうをねぎらって、追加で二枚し上げます。合計五枚! ほんの感謝のしるしです」

 ラーリは得意げにポケットから銀貨を添える。


 空気が固まった。


 窓に小鳥がやってきて、ぴちぴちと可愛げな声を立て、

 ──にゃあ。

 ラーリの黒猫が、気まずい雰囲気の中を、軽いステップを踏みながら通り抜け、主人の肩に飛び乗った。猫は首をかしげる。


 大家は拳をわなわなと震わせた。

「ラーリ! 家賃は銀貨十枚だよ! 誰が勝手に値切っていいといったんだい! さっさと仕事をして、残りの五枚を稼いできな!」


 ラーリは蹴られるように表に出された。


「やはり五枚ではダメでしたか」

 昨日宝石を衝動買いしなければよかったと、彼女は舌を出して工房に出向くのだった。



 ♢ ♢ ♢



 ラーリの通う染料工房は、街の西側、ギルド会館と自宅の丁度真ん中あたりにある。ナイル川沿いに建つ小屋。イチゴジャムを煮詰めた色の屋根に、控え目で洒落じゃれた看板が飾られている。


 備え付けの水車は、川の流れを受けてのんびりと回転し、ナイルの冷たい水を工房に流し込んでいた。


「おはようございます」

 ラーリは木戸に手をかけて中に入った。気圧の差で、チュニックの端が膝下で舞って、ラーリの短い黒髪が遊んで、元に戻った。


「ラーリ、聞いたぞ。また東の工房と喧嘩したんだって?」

 日焼けの肌に、筋肉の浮いた男。鉢巻はちまきをまいてかまに薪をくべているのは、工房の親方ボス

「……」

 ラーリは言葉を返さない。何が悪いのかといった様子で憤然と進み、肩掛けのポーチと、腰に付けた染料の小瓶を外して、自分のテーブルに置いた。


 親方の男は続ける。

「お前は有能だし、染料技術を競いたい気持ちはわかる。が、あまりにおてんだと、俺の肝まで冷えるのよ。

 こっちは街で一番小さい工房なんだぞ。カミラ様と張り合ってもいいことはないだろう。なあ、アミにファリ」


「ユースフさん、その子たちは誰です?」

 男の両腕を掴んで、キャッキャと戯れる幼げな男女。親方は二人の頭を撫でて、

「もう五歳なんだもんな。成長したよな。なあ?」

 良く言えば父親らしく、悪く言えば親バカな瞳で二人に語り掛けた。


「ラーリちゃん、ユースフさんってば、ここを託児所かなにかと勘違いしてるみたい」

 同僚の女性が耳打ちしてきた。

「子どもは八人だもの。奥さんだけじゃ、面倒見切れないのよ」

 なるほど、親方の子どもだったのかと、ラーリは工房の中を走り回る二人を目で追って、溜息を洩らした。





 ラーリはよっこらせと昨日の作業を始めた。

 ギルド会館から請け負ったのは貴族の化粧。報酬は銀貨四枚。


えるアイシャドーが欲しいわ〟

 依頼書にはそうある。


「まったく近頃の乙女ときたら──」

 ラーリは慣れた手つきで棚からにゅうばちを取り出した。

「〝映え〟だの〝エモい〟だの、自分にばかり注目して。そーんなに彼氏が欲しいんですか。あー、いいですねえ。せいぜい仲良く爆発してなさい」

 彼氏のことは何も書いていないのに、勝手に妄想を広げ、彼女は一人でひがむ。


 蒼い宝石を砕くところまでは終わった。今日は別の宝石と混ぜて焼き上げるところまで進めるぞと、ラーリは腕をまくる。


 重いいしうすに石英をセットして、ぐるぐると回転させる。白くて美しい粉が紡ぎ出された。

 ラーリは肩をほぐすように揉んでから、石英の粉を乳鉢に足し、乳棒を使ってしっかりと混ぜた。


「ねえ、センリョウシって、何をするお仕事なの?」

 テーブルで顔を隠しながら、見るものすべてに興味を示す男の子が、瞳を輝かせて質問してきた。

「そうですねえ」

 ラーリは姉になった気分で、鼻を高くし説明する。

「簡単に言うと色のエキスパートです。絵具を作ってと言われれば絵具を作り、お化粧を作ってと言われればお化粧を作り、服を染めてと言われれば服を染める」


「化粧師や衣装師と何が違うの?」


 ほお、難しい言葉を知っているじゃないかと、ラーリは顔を向ける。

 今度は棚からふるいと平台を取り出し、砕いた粉を均一にしていく。

 ラーリは篩を持ち、片手で叩きながら粉をより分けた。

「化粧師は化粧を作る人、衣装師は衣装を作る人。染料師は言ってみれば、色に関する何でも屋さんです。ピラミッドも造れるし、スフィンクスも造れる。ファロス島の灯台だってお手の物。そんな感じですよ」

「へー、かっこいい!」

 ふるいから降り注ぐ宝石の粉は、雪のように小麦粉のように細やかだった。


 褒められたラーリは、気分がよくなり、鼻歌混じりに作業を進めた。





 粉が均一になったら、水を足し、宝石の団子を作っていく。


 ラーリは手でこねる。ナツメヤシの実より少し大きなったら、団子を乾燥台に並べた。次に中庭に出て、すでに乾燥させていた平台と交換し、しょうせい用のつちがまを開けた。


「焼くのはどうして?」

「色が固定されます。手触りもよりパウダーになって、肌に優しい使いやすいお化粧品になるんですよ」


 ラーリは平台を小ぶりのかめの中に入れ、甕ごと大炉の内側に据え付ける。


「じゃあどうしてお姉ちゃんは化粧をしないの? 服もダサいし」


 ──グサッ!

 子どもは言葉をつくろわない。

 庭まで駆けてきた男の子は、純粋そうな、実に純粋そうな眼でラーリに問う。

 紺のケープくらいしかさいがない。染料師のわりに色っ気のない女だと言いたいのか。

 ラーリはにっこりとしたまま、内側で怒りを燃やした。

(色が判んないから、おざなりになるんでしょうが!)


「だめだろ! お姉ちゃんを困らせちゃ!」

 親方が自分の子を叱って、こっちに来るよう手で招く。


 ラーリは自分の服をつまんで、

「やっぱりダサいですか……」

 しょんぼりとしゃがみ、炉の火を見つめるのだった。





「きゃあ!」

 そんな何気ない日に、事件は起きた。

 昼休憩を終え、午後の作業を始めようとしたとき、同僚の女性が工房全体に響く声で叫んだのだ。

「ない! 宝石がない! 昨日までここにあったのに……」


あるのはパピルスの書き置き。

〝宝石は頂いた! 怪盗ネフティス〟

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