第2話 心霊現象
まさか見間違いだろうか。目を擦って確かめる。
しかし確かにそこには薄っすらとだが、少女が立っていた。そして彼女は工場の中へと入っていった。そして屋上にいた僕が、その一部始終を目撃した。だが月明かりすら差し込まない、この暗い夜に、少女が廃工場にやってくるという状況は、あまりにも非現実的で、信じがたい。危ないし、ここに少女がわざわざ来る理由が思いつかない。それに、こんなに暗いのに、立っていたのが少女だと見えたのも怪しく感じる。死の間際で、僕の深層心理が自殺を忌避して、幻覚でも見せたのだろうかとも思えてきた。
さっきよりも心臓は大きく跳ねている。
これは恐怖からくるものなのか、それとも別の感情からくるものなのか。今の自分には分からなかった。
***
ひとまず、フェンスを乗り越えて、廃工場の中へと戻った。
少女の正体を知るためだ。少女が実在するにしても、しないにしても、ただその存在の有無が知りたいと思った。無意識に死から逃れようとしているのか、それとも本当に興味だけで少女を追っているのか、自分でも分からなかったが、とにかく少女に興味を惹かれたのだ。死ぬ前に、珍しくやりたいと思ったことを、やろうと思ったのだ。
屋上へ向かう階段を下り、工場内部を一望できるキャットウォークから中の様子を伺う。
相変わらず、人の気配のしない寂れた工場だ。錆びた鉄の匂いがする。だが、やはり月明かりすら差し込まない今夜では、下の様子を見るには暗すぎた。どうにか下に降りたいところだが、この暗闇の中で、道を進むのは至難の業だろう。
そういえば、スマートフォンを持っているな。
思い出して、ズボンのポケットの中を漁る。出てきたのは、画面がバキバキに割れた自分のスマホだ。十年ほど前の古い機種で、ホームボタンが付いている。画面がバキバキなのは、僕がよく上の空でいるせいで、ふとした時に手元から落としてしまうからだ。何度も気を付けなくてはと思ったが、どうしても改善できなかった。ここ最近では、もう気を付けることすらやめた。気を付けても気を付けなくても、大して変わりなかったから、ならば気分が落ち込まない選択をしようと思ったのだ。
スマホのライトを起動し、錆びたキャットウォークの上を、一歩一歩確かめるようにゆっくりと歩みを進めた。一歩進めるたびに、ギィという嫌な音が周囲に響きわたる。それで思い出したのは、歩いているなら足音がするはずということだ。この工場はそんなに広くない。わざと差し足忍び足で歩いていなければ、中にいる限り足音は聞こえるはずだ。少女の足音が聞こえないということは、やはり少女は幻覚だったのだろうか。
***
キャットウォークを渡り切り、地上に降り立った。まず周囲をライトで照らして、誰かいないか探してみる。だがやはり、いつもと同じ様子だった。コンクリートの床のひび割れの間からは雑草が生え伸びていて、最後にいつ動いたかも分からない機械には苔やツタが絡みついている。至る所に空っぽの潰れたカンや割れたビンの破片が散らばっている。
「……誰か、いるのか!」
少し声を張り上げてみる。
自分の声は工場全体に響きわたり、次第に窓や扉を抜けて外へと消え、その音の揺れが収まっていくのを感じた。すぐにその場は、再びの静寂に包まれた。
……
……
……
……返事はない。
やはり、少女は幻覚だったのだろうか。
その時、奥の部屋から音が響き渡った。
カラカラ、ガラガラ、カラカラ、ガラガラ。
何かが動いて、擦れあい、一定のリズムで何かがぶつかり合っている音だ。
足音を立てぬようゆっくりと奥の部屋に忍び寄り、わずかに開いた扉の隙間から中を覗き込む。
「……」
中には、誰もいない。部屋の真ん中に机が一つ置かれ、その上に小さな木箱があるのが見える。音がしているのはその木箱からのようだった。
もう一度、中に誰もいないかを確認してから、ゆっくりと中に入り、その木箱を手に取る。
その木箱は、オルゴールのようなものだった。
しかし、未完成なのか、曲が流れるわけではなく、
***
あれからしばらく、木箱のあった部屋の中を漁ってみたり、工場の中を散策したりもしたが、何の手がかりも掴むことは出来なかった。そして、太陽が昇る頃には、少女は幻覚だったんだと自分の中で結論付けた。唯一、気がかりなのは、このオルゴールだが……
カラカラ、ガラガラ、カラカラ、ガラガラ────
僕は屋上で日の出を眺めながら、手元の木箱の歯車が回る音に耳を傾けていた。歯車が止まる度に、
結局、何だったのだろう。
あの少女もそうだが、勝手に動き出したこのオルゴールもだ。
このオルゴールに関しては幻聴ではないだろう。僕が触れる前から、確かに歯車は回っていた。心霊現象、ポルターガイストってやつだろうか。
やはり死後は幽霊になって、成仏するまで現世を彷徨う羽目になるのだろうか。
死ぬことを恐れていたのか、本当に少女に興味を惹かれていたのか、それともその両方だったのか。さっきの自分の心の在り様は、自分でも理解し難いものだったけれど、少なくとも、死んだあとが虚無なんてことが無さそうだと分かり、どこか安堵している自分がいることは確かだった。
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