第27話「玄野影徒、最大の危機」

 波乱の課外学習から数日。周りが普段の生活に戻る中、俺は思い沈んでいた。

 自室のベッドの上に横たえ、胸にやすりを掛ける想いを抱えきれずにいた。


 果たして俺はこの世界に来るべきだったのだろうか、と。


 あの日、俺は学園に帰るなり、その足で学長室に向かった。


 夕星ゆうづつ太白たいはく。アズスゥはあいつがこの世界にいることを知っていたのか? どうしても確かめずにはいられなかった。


 この世界など知らんと思っていた俺の心変わりの件もある。アズスゥはどうにもきな臭い。太白が居ることも承知していたんじゃないか。

 重たい扉を開け放ち、椅子に掛けるアズスゥへ詰め寄る。


『アズスゥ! お前の言っていた危険ってのは、あの悪神達のことなのか!?』


 俺の掴みかからんばかりの剣幕を受けて、アズスゥは鷹揚おうように頷く。


『えぇ、。ルナとかいう女の子が来てる時点で──もっと言うなら、旧世界のクロノさんが来た瞬間にこの世界は歪んでしまってますし』


 言外に『お前が来た時点で始まっていた』と言い返され、俺の威勢は削がれてしまった。


 太白の転生にアズスゥは関与していない?

 単に俺が来たから、太白という災厄を呼び込んでしまったのか?

 世界を救おうと得意顔でやって来たが、その実、危険を呼び込んでしまったとでも言うのか。

 火事場にガソリンを担いだ馬鹿がやって来たような物だ。そんなの、とんだ疫病神ではないか。

 俺なんて来ない方がマシだ。

 フラム達は強い。この世界の脅威とやらにも、きっと打ち勝っていただろう。

 俺が来なければ、彼女達があの悪神を相手取ることもない。

 もし仮に、あいつらが太白に殺されでもしたら俺は俺を許せるのか──


『そう気落ちする物でもありませんよ。元より決定したのはわたくしです。惜しまず助力はさせて頂きます。一緒に、彼女らを育てましょう』


 アズスゥはそう俺をなだすかす。

 人を育てる。世界を救うことと並び、アズスゥが当初から掲げていた目標の一つだ。

 ……その為のテラメーリタ学園か。


『ただ、乱入者には気をつけてください。わたくしは大転使だいてんしですが、絶対者ではありません。匂いを辿たどってくる獣の排除なんてできません』


 ではお疲れでしょうし、しばらくお休みください。アズスゥは今後の指針について、そう締めくくった。


──結局、丸め込まれてしまったな。


 ベッドに横になったまま、天井を見つめる。

 元よりやる気の失せた俺は、アズスゥに言われるまでもなくダラけ切っていた。

 アズスゥと対面して言葉を交わすと、なぜか思考にモヤがかかったように鈍くなる。言われた言葉をそのまま、疑いなく受け入れてしまう。

 こうして離れた今、アズスゥに抱いていた不信感はますます大きくなっていた。それがヤツに気取られているかはわからない。


 俺を含め全員が強くなるしかないのか。あの口車に乗っていいものか。そもそも多少強くなったところで、旧世界の悪神共に勝てるのか。そのどれも不明瞭で、はっきりと断言できない。

 わかっていることと言えば、その悪神共からもたらされた《七曜セプティマーナ》がどうやら学園を狙っているという情報くらいだ。


 結局、強くなって襲い来る敵に備えるしかないってことか。

 先の見えない不安に嫌気がさし、目を閉じて寝返りを打つ。


「──あんっ」


 おやおや。


 まったく、俺も疲れてんのかな。

 引越しの時から女の声が聞こえる気はしていたが、こんな艶かしい声まで聞こえてくるとか。

 ……欲求不満なんだろうか。いや、確かに女の子しかいない環境にいるし、取り分け周りは美少女が多い。そんな中で何もというのは堪える。

 案外、あの時の幽霊の声も人恋しさから聞こえた幻聴なのかもしれない。しかし、だからと言って、こんな声を聞くほどのスケベ男だっただろうか。この世界に転生してから成長してしまったとでも言うんだろうか?

 いや、おかしい。仮に。百歩譲って俺が『幽霊の声を脳内で女子の嬌声きょうせいに変換する男』だったとして──


 幽霊は


 鼻先に感じている、沈みこみつつも押し返してくる

 まるで桃のような、甘い匂いまでするぞ。

 目を閉じたまま、顔の前にある"ナニカ"に手を伸ばす。それは手のひらに収まるくらいの膨らみで、すべすべとした触り心地だった。


「んっ、あっ……。もう、ダメですよ? そう乱暴にしては」


 不意の声に飛び起きると、掛け布団コンフォーターが捲れ上がって、声の主が現れる。


 すらりと伸びた手足。その肢体は慎ましいながらも少女の蠱惑的な魅力を備え、ガラス細工のような美しさがあった。

 病的なまでに白い肌。白蠟はくろうを思わせる生白なまじろさは、見た者に作られた存在であるような錯覚を抱かせる。

 そして寝腐ねくたれ髪でやや崩れた紫の長髪。

 見覚えのある──ありすぎる相手だった。


「お、お前っ! どうしてここにいる!?」


 この世界に居るはずがない人物。

 俺が"やり直したい"と決意するに至った元凶。


「えぇ、えぇ。あおいはずっと探しておりました。愛する貴方を……」


 そう言って少女──葵は俺の首へと腕を回す。

 その結果、否応なく体が押し付けられ、紫苑の裸体が衣服一枚隔てて俺に密着して……


 って、まさか。ずっと部屋の中で聞こえていた『どこに……どこに……』って声は、幽霊ではなく葵だったのか!?


 俺の居場所におおよそのをつけていて、ルナや太白と同じように旧世界の匂いを嗅ぎつけて顕現した……? やめてくれ、そんな伏線回収はいらん!


「まぁ。そんなこといいじゃありませんか。そんなことより、またこうして貴方と逢えるだなんて……」

「待て待て待て! 会えたのは俺も嬉しい! けどな、お前服はどうした!? なんでそんな、そんな裸なんだよ!」


 ひっ付いてくる紫苑を押し退けようとするが、ガッチリと組みついて離れない。この不健康そうな細腕のどこにそんな力があるのか、少しも間が空かない。


「あぁお見苦しい物をすみません……。でも、喜んでいるみたいで安心致しましたっ!」

「どこを確認して言ってやがる!? 乙女がこんなことしちゃダメだろ……!」


 ぴったりと体を密接させてしまっているせいか、俺のに気づいているらしい。生理現象だこんなもん!


 ヤバい。これは刃物くらい出さないと、このまま力づくで最後までされて慰み者にされる。

 十拳剣とつかのけんを呼んでも対抗できるか怪しいが、とにかく行動しなければ詰む!

 俺が石剣を召喚しようとした刹那、予想だにしていなかったことが起こる。


「エイトー? 今いいかしら!」

「よくねぇよっ!?」


 ノックもなしに部屋に入ろうとする無礼者に枕を投げつける。

 まったく良くねぇ。本当にあぶねぇ。やってられねぇ。扉が開きかけた。


 なんだ。なんでこのタイミングでフラムが訪問してくる!? そりゃ最近少し沈みがちで、塞ぎ込んでるようにも見えただろうけど、よりによって今来るのかよ!


 どうする《逆流》で一旦戻して、いや、戻したところで来るのは変わらない。それに問題の大元である紫苑をどうにもできない。《緩流かんりゅう》、《急流》もこんな場面では役に立たない。手詰まりか? もうどうしようもないのか?


「ちょっと、なによっ! アタシ達が慰めに来たんじゃない! いいから開けなさいよー」


 扉の向こうから喧しく、フラムの抗議めいた声があがった。


 ……アタシ"達"? まさか、フラムだけでなく、シアンにエクレールにヴェルデ──他の奴らもいるのか!?


 マズい。これはマズい。マズいマズいマズい!

 シアンとエクレールはもちろんとして、こんな状況ヴェルデすら白い目で見るぞ。

 フラムにバレでもしたら、三日三晩は火の海となり焼き尽くされる!


 そのの恐ろしさに震えながらも、脳裏に一つの妙案が思い浮かぶ。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ! 今ちょっと──そう! 裸! 裸なんだよ!」


 側から見れば苦し紛れの言い訳。だが、これで多少の余裕はできるはずだ。何せ、四人は揃いも揃って問題児である前に女子だ。清らかな乙女であり、さる名家のお嬢様だから無理に入ってくることもしないだろう。

 正確に言えば、今現在裸なのは俺ではないんだが、決して嘘ではない。


「あら? 裸だと言うなら、これを脱がないといけませんね?」

「やめろ! 俺の、服を、脱がすなっ!」


 分かりきっていたが、俺の力では学生服のボタンに手を掛ける葵を引き剥がせない。ただしわにしてしまっただけだ。

 大きく胸元が晒され、肌と肌が触れ合う。俺がエキサイトしすぎているせいか、葵の体がひんやりと冷たい。

 あぁ、クソ。こんなことしてる場合じゃない!

 時間を稼いでいる今の内に、この隙になんとか葵を隠さなければ──!


「待て、裸だと! それは本当か!?」

「何でそれ聞いて開けんだよ!?」


 静止する間もなく、暴走するムッツリシアンが扉を大きく開いた。


 乱れたベッドシーツ。

 一糸纏わぬ姿の少女。

 それと抱き合うようにして密着する俺。

 加えて言うと、葵に脱がされてしまって上はいる。


 まとめると、乱れたベッドの上、あられもない姿で抱き合う男女。さらに女の方は幼なげ。


 以上、部屋に踏み込んだ四人が見た光景。


「なっ──! 何してんのよっ!?」

「き、貴様ァ! 不埒者め! 何をしていたのか、洗いざらい吐いてもらおうか!?」

「はぁ……頭痛い」

「うお、まーじか」


 そりゃ、そうなるよな。こんな少女をひん剥いて抱き合ってるとか、男の俺ですら人としてどうかと思う。


「アタシ達が心配して、少しでも元気づけようって思ってたのに……」


 ゆらりと倒れるような足取りでフラムが揺らめく。……あ、違う。これは陽炎かげろうだ。


 陽炎。大地や空気が、空気密度が入り混じった結果、光が不規則に屈折して起こる現象。


「待て、きっと誤解してると思うんだ……! そう、話せばわかる! まずは話し合おうぜ!?」


 あぁオレにはわかる。何度も見た。アニメなんかでよくある展開だ。


 デジャブのように、もしくはよく訓練された深夜アニメ視聴者石鹸愛好家のようにこの先が読める。


 きっと『なに女の子連れ込んでるのよ! ヘンタイ!』と叫ばれながら、極大の炎で消し炭にされるんだ。


「なに女の子連れ込んでるのよ! ヘンタイ!」


 憑彩衣ストラに早変わりしたフラムは、弊悪なる倒戈枝レーヴァテインを抜き放つ。


「こいつは──俺の妹だああああ!」


 必死の叫びも虚しく、俺は爆炎に呑まれる。


 名は、藤宮ふじみやあおい

 それは俺が死なせてしまったはずの妹だった。

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