赤点のプロポーズ
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
「…………?」
クラス中の視線が、彼に注がれていた。赤髪の男の子が、突然現れたのも理由だったけど、それ以上に、彼は注目するに値し過ぎる要素しか持っていなかったから。
真っ赤な髪に、真っ赤な瞳。若干幼さの残る顔立ちには、しかし滝行の直後みたいに大汗を掻いていて、ぽたぽたと床まで垂れている有様。学ランは着崩してるし、ワイシャツの代わりに真っ赤なシャツを着ているし、靴もローファーじゃなくてスニーカー。……いきなりこんな特徴だらけの人物が出現して、意識を向けるなという方が無理だと思う。
でも、当の本人は40人分、80にも及ぶ視線なんて意に介していなくって。
…………多分、気の所為ではないと思うのだけど。
あの人……あたしを、見てる……?
「随、分……探したんだ、ぞ……はぁ、はぁ、は、ぁー……ふぅーっ――――まずは、礼を、言わせてほしいんだぞ。そこの……青髪の君」
「……っ、…………ぇ、……えっ?」
一瞬、ぐるりと教室を見回してみた。和ちゃんの紫、褒ちゃんの銀色、硝くんのどどめ色と、頭髪はみんな割とカラフルだけど…………青色、は、あたししかいない。そんな分かり切った確認が終わって、余計に、困惑が頭を埋め尽くしていく。
礼? あたしに? っていうかそもそも。
この人、誰?
そりゃあ、あたしは成績的にはバカの部類だけど、人の顔と名前まで忘れるくらいにお粗末じゃない。ましてやこんな特徴だらけの人、一度会ったら忘れるはずなんてないのに。
「……ありがとう。アンタのお陰で、オレは、生きていく方法を見つけられたのだ。それが、分かったから……生きていても、いいんだって、オレ、思えるようになったんだぞ。だから……本当に、ありがとうなんだぞ。青髪の君」
赤髪の、誰だか分からないその人は。
身に覚えのないことで朗々とお礼を言ってきて――――混乱に焦りが混じり、本日2度目の冷や汗が噴き出したのが分かった。生まれたての仔鹿みたいに震える脚で、ゆっくり近づいてくる彼のことが……本当に、本当に本当に本当に、誰だか分からない。
「昨日……オレに教えてくれた、オレを救ってくれたアンタが――――オレは、いい。アンタ以外、考えられないんだぞ。……だから――」
「き、のう…………っ、――――っ!?」
っ……前、言、撤回……あたし、バカだ、お粗末だ、頭がイっちゃってる!
昨日、そう、昨日、正確には昨夜!
あたしの目の前に現れた、あの吸血鬼も。
髪が、目の前のこの人みたいに、真っ赤だった――――!
「――これを、受け取ってほしいんだぞ。青髪の君」
遅過ぎる、今更な気付きと驚愕で、フリーズしたあたしに斟酌すること一切なく。
赤髪の男の子は、あたしのすぐ横で跪いて――――小さな箱を、開けてきた。
中には、深い深い赤色を湛えた宝石が嵌め込まれた、指環が、入っていて。
…………え? あ、の……これ、って……。
まるで……ぷ、プロ、ポー、ズ……!?
「オレは
「――――」
静海、と名乗ったその男の子は、台詞を最後まで言い切る前に。
あたしの視界から消えてしまった――――正確に言うと、退場させられた。
一瞬、ちらっと見えただけだけど……自分の、1.2の動体視力を信じるのなら。
……和ちゃんが、凄まじい勢いでドロップキック喰らわせてなかった?
――――答え合わせは、0.2秒後。後ろの、つまり教室最後尾のロッカーが、メキメキと破砕音を立てたのが解答だった。
「っ――――な、和ちゃんっ!? そ、それに……え、えっと……静海、くん……?」
「あら、随分優しいのね、リル。この救いようのないバカを、最初から名前呼びだなんて。硝が『真桑くん』から卒業するには3日もかかったのにねぇ」
振り返りもせず、上擦った声で皮肉めいたことを言ってくる和ちゃん。
……2週間弱の付き合いでも分かる。今、和ちゃんすっごく、機嫌が悪い。
いや、そもそもそんな前提条件がなくたって――――足で静海くんをロッカーに押しつけて、指環を取り上げている時点で相当ご機嫌斜めだろう。
「はぁ……リルの話を聴いた時から、十中八九、とは思っていたけれど…………まさか、こんな突拍子もない行動に出るとはね。同居人が度を越したバカで私は悲しいわよ、静海」
「う、ぐぅ……ちょ、退きっ、か、顔踏んでくるんじゃないんだぞナゴぉっ!! あと指環返せぇっ!! それカグヤのところからくすねるの、結構苦労したんだぞぉっ!!」
「そりゃそうでしょう。こんな特A級の呪いの遺物、雑に放置してたら呪力がどんな影響を及ぼすか、分かったものじゃないわ」
そう言って、和ちゃんは箱から指環を取り出すと。
――――ひょい、と、口の中へと放り込んだ。
……数十分ぶりに、我が目を疑った。宝石と金属でできているはずの指環を、和ちゃんはぼりぼりと、スナック菓子でも食べているような音を立てて噛み砕いたのだ。
…………え? ……え?
「バカで愚かでどうしようもない静海に、私から3つ、ありがたいお言葉を授けてあげるわ。まずひとつ――――『血の伯爵夫人』の遺品なんて、『結び』を願う相手に渡そうとしないでよ。乳製品アレルギーの人間にショートケーキ食べさせるような蛮行だわ」
「ぅぐっ……あ、あれって……そんな、ヤバい代物、だったのか……?」
「ヤバ過ぎて学園の結界にも使えないレベルね。で、ふたつめだけど、いきなり余所の教室に侵入して公開プロポーズとか、常識もデリカシーもマイナス過ぎ。私なら確実に断る」
「お、オマエはそういうの、全然関係ないんだから――」
「3つめ。――――暗い夜中、暴走して恐ろしい形相になったあなたに、突然襲われたリルの気持ちを、少しは考えてから行動しなさい」
「っ!」
懸命に、額に押しつけられた和ちゃんの足を退かそうと藻掻いていた静海くんの動きが、ピタリと止まる。
っ……やっぱり、そうなんだ。この人が、鬼久手静海くんが。
昨日の夜、あたしの前に現れた……吸血鬼。
「っ……そっ、か……オレ……」
「……我慢し切れずに暴走していたのを、気付けなかった件については謝るわ。けど……こんなに観ていて飽きない面白いおもち…………、友達、を、眠れないほど怖がらせて傷つけるだなんて、言語道断なのよね。ねぇ、静海。どう、落とし前をつける気かしら?」
「……………………」
「――――な、和ちゃん!」
椅子からは、立ち上がれなかった。
どうしても、脚の震えを止めることができなかった。昨日のあの、悍ましい吸血鬼が目の前にいると思うと、どれだけ理性が言い訳を並べても、本能が勝手に恐怖を想起させる。
けど、それでも振り向いて、和ちゃんの細い肩に縋りつく。
……踏みつけられている吸血鬼が――――静海くん、が。
痛がるような、苦しむような……見ていて、胸が締めつけられる顔で、俯いてるから。
「……リル」
「や、やり過ぎ、だよ……。たっ、確かに、恐い思いはしたよ? けど……今、静海くんが後悔して、反省しているのは、見れば分かるよ。これ以上は――」
「優しさはあなたの美点よ、リル。ただ、甘さと混同してはいけないわ」
わずかに振り返ったと思った和ちゃんは、再び静海くんの方へと視線を移して、ゆっくり、伸ばした脚を下げていった。
「加害には罰を、被害には償いを。……吸血鬼と人間は、あくまで対等な関係。一方が被害を呑み込んだまま、なあなあで済ませてしまうのはいけないわ。筋が通らないもの」
ねぇ、そうは思わないかしら?
静海。
――――厳かなその声は、大声なんかじゃないのに、不思議と教室中に響き渡った。
刺さるような緊張感が、慣れたはずの教室に満ち満ちる。膝を折り曲げてしまった静海くんの顔色は、もうあたしからは窺い知れなくて。
「…………リル、さん……。その……すまなかった、んだぞ……ごめんなさい……」
ぺたぺた、床に手をついて這うように動いた静海くんは。
そのまま身体を折り畳んで、所謂、土下座の姿勢を取って、陰った声で言ってきた。
「……確かに、そうなんだぞ。オレ……舞い上がってたのだ……。浮かれて、それで、肝心なことを、忘れていたんだぞ。……恐かった、よな。眠れなくなるくらいに、恐がらせて……それなのに、オレは――」
「や、やめてよそんなっ、ど、土下座なんて……! い、いいよそんな、だって、別に実害が出た訳じゃないし――――も、もうっ和ちゃん! 和ちゃんが責め過ぎるから――」
「いや、ナゴの言う通りなんだぞ。クロカミナゴは間違えない。オレは……よく、知ってるんだぞ。……悪かったんだぞ、リルさん。『結び』のことも、忘れてほしいのだ」
ずっと頭を下げたまま、静海くんは言う。やめてと言っても、聞いてくれない。
それに……忘れろって言われても。
そもそも『結び』って……なにか、蹴られる直前に言っていた気もするけれど、なにがなにやら全然――
「……こんなオレを、許してくれるような優しいリルさんに、オレは、酷いことをしてしまったんだぞ……『結び』を交わしてくれだなんて、頼む資格もないんだぞ……」
「……あの、その『結び』って――」
「でもっ!! っ……でも、でもせめて、この感謝だけは、受け取ってほしいんだぞ!」
ようやく顔を上げて、そのまま立ち上がった静海くんは。
ぐらりと、身体を頼りなく揺らして……多分、立ち眩みを起こしていた。……よく見たら、この人は異様に線が細い。手首も細いし、首も骨や血管が丸見えなくらい痩せている。
栄養失調? 吸血鬼が?
……そういえば最初、この人、なにか言っていたような――
「っ……オレ、は……ずっと、不安だったのだ。……誰も、傷つけないで生きていく方法が、分からなくって…………だから、生きていていいのかどうかが、分からなかったのだ。ナゴやカグヤ、ミヤコがなにを言ってくれても、上手く理解できなくって……――――でも! リルさんは、教えてくれたのだ! オレが、生きていてもいいって、そう思いながら生きていく方法っ!! ……あんなの、誰も思いつかなかったんだぞ。あのアイディアに触れて、オレがどれだけ希望を抱けたか――――本当に、本当に感謝しているのだ! ありがとうっ!!」
「……? なに言って――、――――――――っ!?」
寂しそうな笑顔で、ひたすらにお礼を言ってくる静海くんが、一体なにに感謝しているのか――――最初は、本当に分からなかった。あたしは昨日、静海くんと遭遇した時、感謝されることも感激されることもした覚えはなかったから。
けど、分かった。分かってしまった。
だから、すぐにでも彼の口を塞ぐために、椅子から転げ落ちるように立ち上がった。
言った。言った、言った、確かに言った!
誰も思いつかないだろうアイディアを、あたしは確かに、言ってしまった!
なんで、なんであんな咄嗟の赤っ恥で退散してくれたのか、こんなにも希望を抱いているのか、さっぱり理解できないけど、でもこれだけは分かる!
このまま勢いに任せて、静海くんを喋らせ続けたらダメだ――――
「『原料は血なんだし、母乳でもいいじゃんか!』だなんて――――思いもよらなかったんだぞっ! そうだよな、吸血鬼だからって血しか飲んじゃいけない訳ないんだぞっ!!」
「っ――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!」
言わ、れた。
言われた。言われた。言われた言われた言われた言われた!!
間に合わなかった。中途半端に伸ばした手が虚空を引っ掻き、背後で湧き起こるどよめきがマシンガンみたいに背中へ刺さる。
そうだ。あたしは言ってしまったんだ。汗でも唾液でも涙でもよかったはずなのに。
よりによって、『母乳』なんて言葉を、言ってしまった。使ってしまった。
必死になってぼかして隠したのに――――
「あ、う、い、あ、あ――」
「……オレ、色々あって食事自た――」「褒っ!! 窓を開けなさいっ!!」
「ひゃっ、ひゃいぃっ!! ――――ふ、ふぇ? なんで――」
――――静海くんは、まだなにか言おうとしていたけれど。
燃えるように顔を熱くしているあたしの前から、教室の扉まで一気に跳んだ和ちゃんは。
「――ぐっ、おぉっ!?」
「私の友達に、恥を掻かせた分――――血でも肉でも、欠かせてきなさい!」
「ちょ、ぉぃ――――……」
再びドロップキックを繰り出して――――窓の外へ、静海くんを蹴り飛ばしてしまった。
「え……」
「……あぁ、そういえば言ってなかったわね」
静海くんの、遠退いていく悲鳴、耳を劈く墜落音。
そっちへ意識を向けなきゃいけないのに……目は、どうしても和ちゃんを見てしまう。
昨夜の静海くんと同様に、蝙蝠の翼と悪魔の尻尾を生やし。
加えて紫の髪の毛を、生き物のようにうねらせて――――優雅に宙に浮く、黒狼和を。
「とはいえ、察してくれてもよかったとは思うけど……見ての通り、私も吸血鬼よ。ついでに言うなら、硝も吸血鬼。……知らなさそうだし、ダメ押しに言っておくけど」
和ちゃんは、肩を竦めて前置きして。
意識も思考も常識も、全部塗り潰すようなことを、淡々と口にした。
「この藍堂学園自体、人間と吸血鬼の融和のために造られた学校でね。教職員の8割、全校生徒の約半分が吸血鬼なのよ。……入学案内に書いてあるはずだけどねぇ」
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