言葉のブレス~書くことに疲れたら~

阿羅田しい

文章の息継ぎ

 リズムは小気味良い、表現も巧い、選ぶ言葉はどれも美しい。なのになぜか読んでいて息苦しくなる文章ってありませんか? 自他問わず。

 初回はそんな話をしてみたいと思います。創作論ほど高尚なものではなく、あくまでも私見ですのでお気楽にご覧くださいませ。




 中高生の頃、フルートを習っていました。無論、木管楽器ですから息を吹き込まなければ音は出ません。しかし自分には致命的な悩みがありました。それは、肺活量が壊滅的に少ない、ということです。

 そこで必要になってくるのが、今回のタイトルにもある「息継ぎ」。

 本来なら最低でも2~3小節くらいは息継ぎなしで吹けるとよいのですが、いかんせん肺活量が壊滅的に弱小。舞台で緊張などしようものなら心臓バクバク、息が上がって1小節もたせるのがやっとという惨状です。

 

 曲中において「息継ぎ」というのはなにも小節と小節の間である必要はありません。キリが良ければ小節の途中でも構わないのです。大切なのはタイミング。明らかに、え、そこで切る?ってところじゃなければ楽譜通りにしなくてもいいんです。

 しかし、やはりできるだけ数小節は息継ぎなしで聴かせたい、でも息継ぎしなかったら〇んじゃうし、という悩みは大人になっても変わらず。そこで知人に打ち明けることにしました。かれこれ十余年も前のことです。


 その方はプロの声楽家でピアノの講師もされていました。ひょんなことからボランティア活動を通じて親しくなり、彼女の主催するファミリーコンサートに演奏者として毎年呼んでいただけるようにもなりました。

 あるときリハーサルの最中、何気なく先述の悩みを打ち明けたんですね。


阿羅田「先生、自分は息が続かなくてまいっちゃいますよ、ははは」

先生「声楽も息継ぎしなくちゃいけないからわかるわぁ、ふふふ」

阿羅田「その点、ピアノやヴァイオリンはいいですね。息継ぎしなくていいから羨ましいです、へへへ」


 でもね、と先生はおっしゃいました。


先生「ピアノも弦楽器も息継ぎが必要だって知ってた?」

阿羅田「へ?」


 師曰く、どんな楽器でも「息継ぎ」をしないと聴いている側が苦しくなってしまうのだと。

 つまり、聴く側も演奏者・音楽と一緒に「息継ぎ」をしているのだそうです。「息継ぎ」のない音楽は聴いている側も呼吸するタイミングを失い苦しくなる、というのは目から鱗でした。


 このとき、ふと思ったのです。文章にも息継ぎが必要なのではないか、と。

 文章において「息継ぎ」にあたるのは句読点。これを読み手の呼吸に合わせることができたら格段に読みやすくなるのではないだろうか。

 文章にはリズムが大事——というのはもはや創作界隈では常識。長いセンテンスが続くのも避けている。かといって短いセンテンスばかり列記されているのも稚拙に見える。要はバランス、なんてことも言うに及ばず。


 けれども「息継ぎ」なんて考えもしなかった。


 「息もつかせぬ展開」なら長めのセンテンスで読点少なめか単文或いは述語のみの列記でそれこそわざと息継ぎさせないとか?

 「ゆったりとした抒情的な場面」なら句読点多め。もしくは短めのセンテンスを並べる、改行を増やす、など?


 いやいやいや、たとえわかっていたとしても、書き手の呼吸と読み手の呼吸が都合よくシンクロするとは限りません。

 とはいえ、たしかに自分にとって読みやすい文章は息継ぎのタイミングが一緒かもしれない。


 では、と自らの文章を振り返ってみます。自分の癖は主にセンテンスが短くなりがち、句読点入れがち。……息継ぎ多すぎですわ。

 え、もしやこれって肺活量が足りないという悩みと同じなのでは? 文章でも息が続かないとはね。

 書いていて息苦しくなるのも困りものだけど、これはこれでどうなのだろう。

 やっぱりもう少し肺活量増やしたい。


【むすび】

 あなたの文章のファンは一緒のタイミングで息継ぎしてくれる人。おそらく。

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