後編 国境で酔っぱらう男~蔵で笑う炎達
国境付近で酔っぱらう男
あの村の洞窟から月日が経ち、今はクアニル国とエイルランド国の間の国境付近にあるネゴと言う名の少し大きな商業都市にいる、ここは二国間で取引が頻繁に行われるので商人が多く、荷馬車が頻繁に通り過ぎる。そして、いろんな方面から来てるせいか街行く人々も多種多様であり、建物の質が他の街に比べても大きくてしっかりした物が多く、道も石畳なので、今までの舗装されていない道の集落とは違い、むしろ王都に近い近代的な街並みとなっている。この街の人の服装は値が張りそうな洋服を多く見掛けるので、他の街と比べて生活水準が高いのだろう。
とりあえず街に着いたので、私とレイチェルは宿を探し、ケントは酒場を探すと言う、いつもの定番の行動を始めた。俺とレイチェルは話しながら歩いた。
「さっきの街の人に聞いたら、ここの宿はたくさんあるらしい」
「ここは二国間の商人同士が取引をしてる街だからな、さっきから荷馬車も多いし」
「だとしたら商団『ソルト』の人達も来てるのかな」
「多分、ここの常連だろうね」
アルが、前に居る人に声を掛けた。
「あのう、この街の宿はどこがお薦めですか」
通りすがりの男は気の良さそうな人なのですぐに答えてくれた。
「この街に来たのはどんな用だい?宿にもいろいろ特徴があって、商人がよく使う荷馬車の停留所近くの宿もあれば、長旅で女に飢えた男相手のサービスに力を入れた宿もある、あんた達はこの街に何の目的で来たのかい」
「俺達はつい半年前に結婚した夫婦で、いろんな場所を回って、どこか二人で住むのに良い所は無いかと、あちこちを旅しています」
「ほほう、新婚旅行かね、いいね、初々しくて、そしたらそんなサービスのある宿なんか紹介できないね、静かな所がいいなら少し値が張るが、その北に真っ直ぐ行った所にある旅館がいい、近くには国兵の宿舎もあって、悪質な輩はそこに近づこうとしないから、扱う客の質も上品で観光目的が多い、それ以外で泊まる時はね、安い宿だけは止めときなよ、ここの治安は、悪いとも言えないがキャンブル場も幾つかあって、商人が利用するので掛ける金額がかなり高くて利用客も多い、中でも本来なら商品の買い取り目的で来たのに有り金を全部磨っちまう奴やら、借金してる奴が安い宿をよく使うから、盗難や金絡みの騒動に巻き込まれやすいよ、面倒が嫌なら、私の紹介した旅館が無難だね」
なるほど、金が動く所にギャンブル有りと誰かが言っていたが、ここでも盛んなのか、
「わかった、親切に有難う、ついでに聞くが酒が飲める場所はどこかな」
「それならギャンブル場もある逆の南だ、さっきも言ったけど金が欲しい連中は山程いるから、財布を掏られないように気をつけろよ、酔い潰して金だけ奪う奴もいるからな」
その男は去って行った。ケントは酒場が好きなので、間違いなく南に行っただろう。
レイチェルは俺に尋ねた。
「おい、アル、お前はどうする?旅館は俺が行くからケントを探しに行くか?」
「とりあえず泊まる旅館を見てからケントの所に行ってみるよ」
二人はとりあえず北の旅館を目指した、道を歩いて行くと宿の看板を掲げている建物があった。かなり上品な白い建物の旅館なので恐らくここだろう、窓から見える限り悪質な連中がいるような感じではない。
「ここだろうな、さっきの野郎が言ってた感じの旅館だから」
「じゃ、今日はここで泊まろうか、部屋は私が取るから、アルはケントを探しに酒場に行って来なよ」
「わかったよ、何か欲しい物あるか」
「ないよ、私は部屋で休むから酒でも飲んで来な、じゃあね」
レイチェルは旅館に入って行った。私は酒場があると言う南の方へ向かった。
南の街並みは助言した男の言う通りで、酔っ払っている野郎や大穴当てて金を見せびらかしている野郎、喧嘩をしている連中やら、酒の匂いのした賑やかな通りになっている。流石に二国間の物品を取り扱う大きな街だけあって、通りはあらゆる飲み屋や見世物小屋、怪しいサービスもやってそうな休憩所から、豪華な劇場まで揃って、エイルランド王都とは違った賑わいで、ごった返した、あらゆるジャンルの娯楽が集中したネオン街になっている。
歩いていると、化粧した白い顔のお姉さんが頻繁に声を掛けて来て、ケントはここで平常心を保つことができるのかと心配してきた。ここでケントを探すのはかなり骨を折りそうだ。とりあえず、ケントは酒が好きだから片っ端から、酒の飲めそうな場所を見て回る事にした。
暫く歩いていると、ケントらしい声が、店の前から聞えてきたので、中に入って声のする方に向かった。カウンターの前まで行くと、女の人と喋っているご機嫌のケントが居た。
「お姉らん、おらけすきなんだね、さっきからるっといっしょに、よこでのんれるからね、お姉らん、べっぴんさんなのによくのむね、かわいいのぴっぷりらよ」
ケントはかなり酔っているようだ。この酒場は少し大きく、しかも賑わっているので、二席程離れたカウンター席に座って、お酒を注文して聞き耳を立てた。
「お兄さんもお酒強いよね、しかも豪快な飲みっぷりでさ、あたし、お兄さんみたいに粋な酒を飲む男に弱いのよ、今日は一緒にずっと飲もう、眠くなったら私が泊まる宿に来ればいいから、飲もう、飲もう」
「れも、おかねはみんあ、だしてくれるってホントか」
「私はお前さんをとても気に入ったの、こんなに楽しく酒を飲めたことなんて五年くらいなかったよ、私ってさ、昔、商売に失敗してさ、いろいろとさ、人には言えない仕事をやってきてさ、金のために嫌な男と仕方なく付き合いで飲まされてさ、そのおかげか、仕事以外では独りで飲むようになってさ、いつも間にか、陽気にはしゃぎながら酒を飲むことを忘れっちまったんだよ、それでさ、今日、あんたと飲んでさ、こんな陽気になりながらねほろ酔い気分になってさ、酒を飲むのが幸せなんだなって感じてさ、もっとあんたとここでお酒を飲んで居たいのよ、お金は私が持ってるから気にしなくていいよ、私に任せな、今日は好きなだけ飲みな」
「わかった、きょうはねえらんのためにさわいで、どんどんおさけのむろー」
なんか、ケントは出来上がっているようだ、こういう女の人と楽しく盛り上がっているときは後から入るのが気不味く感じる、もし後から入って場が静かになると、二人の仲に水を差したような感じになって、放っておくのが優しさとも思える、しかし、ケントは出来上がってべろんべろんに酔っているので、彼が酔い潰れたときには、私が近くに居なければとも考え、今座っている席で暫く、ケントの様子を見る事にした。
相変わらず、ケントと女の人との会話は盛り上がっていて、彼はとても上機嫌だった、すると女の人は隙を見て、離れたテーブルに座っている男にウィンクをした、相手の男は席を立ち、出口の方に歩いて行った。もしかして、女の色目を使って旅行者を酔わせて、身包み剥がすコソ泥かもと怪しく思い、俺も店を出てその男について行った。すると、店から少し歩いた所に別の二人が立っていて、その男は二人に話しかけた。
「あいつが目的の男だ、間違いない」
「やっと見つかったよ、これで俺達の仕事も終わるな」
「ああ、今は気持ちよく酒を飲んでるから、もう少し時間が経ったら人通りが無くなり、暗闇で見通しも悪くなるから、奴を連れ出せる」
「なら、この昏睡薬を使え、相手に薬や病気の知識があったら、いくら酒に酔っても、匂いやいつもと違う味で気付くかもしれん、だがな、これは上級の薬師でないと手に入らない味も匂いも薄く、飲んだ後も気分悪くならない、希少な昏睡薬だからこれを使え」
相手の男は紙を小さく折った物の固まりを酒場から出た彼に渡した。
「解った、これを中の女に渡すよ」
酒場から来た男はその言葉を言った後、また酒場に戻って行ったので、私もその男の後について行った。
すると、その男が店に入ったとき、ひらひらと小さな紙が落ちるのが見えたので、そこを見ると、さっき男の人が渡した、小さく折り畳まれた紙が落ちていた。拾って中を開けると粉末が入っていた。多分、さっきの会話で出て来た、上級薬師からしか手に入らない貴重な薬を落としたのだろう、私はそれを持って少し考えた。彼らはケントを連行したいらしいが人目が気になるらしく、通りの人が少なくなってから実行しそうなので、まだ時間の猶予がある、ここはとりあえずレイチェルに相談しようと決めた。その薬もどんな物なのかはレイチェルに見せるのが手っ取り早い、私はレイチェルと泊まる予定だった旅館に急いで向かった。
俺は旅館に着き、レイチェルを探した。彼女は取った部屋で休んでいた。俺はレイチェルに、酒を飲んでいるケントと一緒に飲んでいる女が怪しい事と、その女の仲間がこの特別な昏睡薬を使って、ケントを眠らせようとしているのを説明した。
「レイチェルはこの薬をどう思う」
「これは・・・確かに簡単に手に入らない物だ、わかった、様子を見に行こう」
レイチェルは服を着替え、俺と一緒にそのケントが飲んでいる酒場へ向かった。
ネオン街を歩くと、さっきのケントが酔いつぶれてる酒場と怪しい男二人がまだ居た。
「あそこがケントの居る酒場で、あそこに二人居るのが、ケントと一緒に飲んでる女の仲間らしい二人だ」
「そうか、だとしたら、酒場の中にいる仲間とあいつら二人が話した場所が、今そこに居る二人の場所でいいのか」
「ああ」
「そうか、そして酒場の中に入ろうとしたら薬が落ちて、お前が拾って、旅館に居る私まで届けた、そうなんだな」
「ああ、言った通りだ」
二人はこちらを意識している様子はなく、その場で楽しそうに会話をしている。
「じゃ、店に入ろうか、ケントが何処に座ってるか知ってるなら、案内を頼む」
「分かった」
レイチェルはアルの後をついて行ったが、外にいる仲間が気になってたみたいだ、その二人はこちらを全く警戒してはいなかった。
店の中に入り、アルは小声でレイチェルに、ケントと一緒に飲んでいる怪しい女を教えた。二人は少し距離を置いてテーブルに付き、アルはカウンターで注文した後、飲み物を持ってきた。ケントは相変わらず上機嫌で女の人と酒を飲んでいた、少し時間が経つとケントの様子が変わった。
「お、おれ、ちょと、ねむくなっ、きらぁ・・・」
「だんな、舟を漕ぎだしたね、いろいろ長旅で疲れてるんでしょ、わかったよ、私がとった宿で休もうよ」
「いや、おれ、まだ、あんたと・・・あ、・・・ごめん、あ、」
「無理しちゃダメ、なんなら明日もここで付き合ってあげるからさ、今日は休もう」
「じゃ、さけ、もって、・・・いかな、」
「わかったよ、私の部屋で飲みな、ボトルも持って帰るからね」
「じゃ、いこぅぐっ、・・・いこぅ、・・・いぞー」
ケントはフラフラしながら立ち上がり、お姉さんに持たれながら店を出て行った。俺とレイチェルは距離を空けて二人を尾行した。
ケントはうとうとしながら一緒に飲んでいた女に持たれて歩き、その女は、とある馬小屋までケントを連れて行き、馬の居ない藁の敷き詰めた小部屋にケントを寝かせた。その後、女は声を上げた。
「後を付けてるのはもうバレてるよ、あんたら二人はこの男の仲間だろ、ここは私有の馬小屋で、人は居ないから出てきなよ、安心しな」
レイチェルは入り口から姿を現し、相手の女性に尋ねた。
「その男をどうする気だ、姉さん」
「此奴はかなり昔から怪しまれていてね、危険人物に認定されて連行するように命令されてるんだよ」
レイチェルは言い返した。
「私は特級薬師で、そいつの身柄は私が預かってる、私に黙って持ち去る気かい」
「つまり、あんたがこの男を、危険人物とみなして連行してるって言いたいのかい、あんた達も一緒に観察してたけど、みんな楽しく旅してる様にしか見えなかったけどね、三人仲良く洞窟でお化け退治をしてたのも耳に入ってるよ」
「私達のことも監視してたら、私が特級なのも既に知ってる筈だよね」
「知ってるよ、だから急いで連れて行かずに、ここに呼んだのさ」
「なるほどね、知っててやってるのね、で、私に了解を得ずに連れ去るのかい?」
「あんたの立場上、此奴を連れ去ったほうが、あんたにとっても都合が良いだろ、此奴の正体が協会や国家にバレたら、あんたも協会から処罰を受けるよ、解ってるよね」
「ああ」
「それにあんたがこんな不祥事起こしたら、あんたの師の名誉も傷付くんだよ、むしろ、そっちのがあんたにとって、協会で辛い状況になるだろうね、恩師の名前を汚したあんたを根に持つ連中が、あんたを許さないよ、あたいが何故、あんたの目の前で此奴を連れ去るのか、もう、解ってるよね」
レイチェルは少し下を向いて喋った。
「・・・この男は俺達にとって数少ない協力者だ、しかも海外の人間だから、捕まっても俺達には何の問題もない、足がつかない、私に協力して貰える仲間は、アルとこの男しか居ない、クアニル国での任務は二人だけでは難しいので、出来ればこの男の協力が欲しい、見逃して貰えないでしょうか、姐さん」
「ここにきて、汐らしくなったね、最初からそう言えばいいのにさ、つまりクアニルで任務を遂行させるまでは、この男を連行するのを待って欲しいってことで良いのかい」
「・・・はい、それで良いです、クアニル王都で私と別れた後なら、貴方達の好きなようにしても構いません」
「分かったわ、暫くは見逃してあげる、あたし達はここで失礼するよ、けどね、言っとくけどね、薬師協会と師の汚名を着せるような失敗は許さないよ、あんたでも私は容赦しないよ、解ってるね」
「・・・分かりました」
「失敗した後の無念は心配しなくていいよ、私が協会を無視して引き受けるからね、でも、命は大事にしなよ、無理はしなくていいからね、あんた達が背負ってっる役目を引き受ける人は幾らでもいるからね、あんただけじゃないよ、その荷物を背負ってる人はね」
「いいえ、これは私の使命です、命に代えてでも果たします、これを全うしないでクアニルから出て行く気は有りません、私の全てをこれに懸けてます」
「バカ、あんたじゃなくても他に居るって言ってるでしょ、もういいわ、えとね、クアニルに着いたらね『虎の皮に師の好きな物を渡せ』、この言葉を思い出しなさい、あんただけじゃないからね、自身の人生の全てを費やして、自分を消して、これを探ってる人がクアニルの王都に幾らか潜んでいるの、あんたの使命はあんただけの物じゃないの、あんたの使命を果たしたい人達は沢山いるけど、みんな協会から止められているのよ、だから、あんたの使命はその人達全ての使命だからね、その人達がここまで積み重ねてきたものがあるからね、その人達の気持ちも背負って欲しいの、あんたにね」
「・・・わかりました、必ず成し遂げます、姐さんの協力に感謝します」
「じゃあね」
女の人は馬小屋から出て行った。レイチェルも馬小屋から出ようとした。俺はレイチェルに尋ねた。
「あの女は一体、さっきの会話は一体・・・」
「今は気にしなくていいよ、全てが終わったら、お前に話すから、絶対、今はクアニルの王都に私達の協力者が居るって事だけを、私達に伝えに来ただけだから、姉さんは」
レイチェルの目が真っ赤になっていた。俺はもう口を閉じることにした。
俺とレイチェルが馬小屋から出て行った。すると、あの女と同行していたと思われる男が、声を掛けてきた。
「ホント、頼みます、あんたらが失敗すると、姐さんは協会を無視して無念を晴らすでしょうね」
レイチェルは答えた。
「心配しなくていい、何が何でもやり遂げる、それより、姉さんが余計な事しないように引き留めてくれないか」
「・・・俺達の言う事を聞くような女に見えるか、勿論、全力を尽くすさ、でも、期待しないでくれ、そんな素直な人だったら心配したりしないから」
「そりゃ、そうだな」
レイチェルはそう言ってその場を離れた、アルはついて行った。
少し離れて、レイチェルとアルは旅館へ向かった。
「ケント、あのまま馬小屋に置いて来てしまってもいいのか」
「姉さんが言っただろ、私有の馬小屋だから人は来ないって、大丈夫さ」
「ケントは、クアニルで用が済んだら連行されるのか」
「用が済んだ後の事なんて、俺達が生き延びるかも解らないから気にしなくて良い、それより、もうクアニルの王都トロスは目と鼻の先だ、俺達は何のために王都に行くのか、王都で何をするのかだけを考えてくれ、それが何よりも先決だ、ケントの事なんて考える必要ない、ホント、お前も呑気だな」
「あの姐さんは、本気でケントを誘拐する気だったのか」
「なぜ、お前を呑気って言うのかわかるか?ケントと一緒に酒を飲んでたのは、俺達を待ってたんだよ」
「どう言う事だ」
「ケントと飲んでる時は俺達が現れるのを待ってたんだ、そして、お前がやって来た。だから、酒場に居る一人の仲間に合図して酒場を出て、仲間の所まで行った。お前に尾行されるためにな」
「ホントか」
「それでお前の目の前で外の仲間がお前に薬を渡したんだ、そして故意に落とした。そして、仲間はお前が薬を見つけたのを確認して、俺を連れてくるのを待った、よく考えろ、なぜ、お前を尾行しないのだ?外の仲間は二人いるのに、そして、俺と二人で酒場に戻ったのに、外の仲間は酒場の仲間に伝える行動も取らない、俺達を監視してる動きもなく、二人で話し会ってる、しかも、酒場の中に入ってケントと飲んでる女や仲間に、合流しようとしない、それを変だと気付かないお前は呑気だと自分で思わないのか、連中は俺達も仲間だと知ってるのだぞ、こんな間抜けな誘拐があるか?本当に何も不思議がらなかったんだな」
俺は何も言えなかった、あの女は確かにレイチェルに言った、俺達のことも観察していたと、だとしたら、あの女と仲間が酒場で俺を全く無視していたのが全て演技と、今気付いた。
「お前、もうすぐクアニルの王都に着くが覚悟しろよ、解ってるよな、命の保証も無い、俺達のやろうとしてることが困難で無謀な行為なのを、もう少し警戒したらどうだ、あれが敵の手練れだったら、今頃、俺達はどうなってたかを、せめて、後を付けられてないかの確認はしろよ、気を引き締めろよ」
・・・俺は何も言えなかった、後を付けているかなんて考えもしなかった、俺はこのクアニル国のすり替わっている偽王子にとって、存在してはいけない本物のアルム・タイラルだった事をすっかり忘れてしまっている、そして、俺は行方不明になっている父やクアニル国王の娘である母は生きているのか、死んでしまったのかの真相を明かすために、クアニル王都を目指す旅をして、もうすぐ、その終点、クアニル王都トロスに辿り着く、俺の幼い頃に父と母と暮らしていた、クアニルの王都に行くのだ。もう引き返す道はもう無い。
俺はレイチェルと予約した旅館の部屋に入って服を着替えようとした時にレイチェルは話し掛けた。
「さっきの出来事なんだけど、アルにも説明しないと解らないよね、だから私達がなぜクアニルで親と離れてエイルランドに来たのか、そしてあの人達の事を、私の知ってる限りで、アルに説明するべきだと思ってね、アル、聞きたい?」
「ケントを誘拐した奴らは一体何者なんだ?レイチェルの仲間なのか、お前は一体何者なんだ?あいつらは何者だ」
「あいつらも私と同じ薬師だよ、あの集団の男達は姉さんの弟子か部下だと思う、えとね、クアニル国で起こった失踪事件で、行方不明の扱いを受けているのはね、アルの両親の他に、当時クアニルにいた高名な薬師のオトキオ・ヴィアゴル氏が居てね、そのオトキオ氏は、薬師協会の創設者の家柄であるヴィアゴル家の家系で、当時、兄弟の中でも秀でた才能があって、研究に熱心でね、将来は薬師協会の指揮をとる会長にもなると言われてた存在の人なの」
「あ、それは昔、聞いたことがあるし、小さい頃にオトキオと言う人とお茶を飲んだり、山で草や花を取りながら遊んだ事がある」
「お前、あのオトキオ師と直に会い、一緒に過ごした思い出があるのか、そうか、確か、お前の父はクアニルの王女と結婚して、クアニル王都に移り住む時に、オトキオ師が同行したのだったね」
「そうだよ、俺も病になって、診て貰った思い出があるし、家族や王宮に居る人の病気を診ていた記憶がある、そして、父とお茶を飲む時に一緒に話をしたよ、懐かしい」
「その高名な薬師は、現在行方不明となっているが、お前の父と同様に世間では死んだと言う噂もあって、とにかく消えたのは、薬師協会の中心人物であるヴィアゴル家の薬師だったのさ、クアニル国は、薬師の数が他国と違って不足してるので、当時のクアニル国王が、エイルランドの次男のお前の父と娘を結婚させて友好を深め、二国の王が直々に薬師協会本部に出向いて、将来有望なオトキオ師をクアニル国の王都に務めて貰うように懇願したのだ。そこまでの誠意が無ければ、協会の会長候補で有望なオトキオ師をクアニル国に派遣させるなんて、薬師協会も簡単には返事できない要望だった」
昔よくお茶を飲んでいるおじさんは、そんな偉い薬師だったのかと深く感心した。
「そんな、協会にとって重要なオトキオ師が失踪して、協会側が黙ってる筈がない、協会は水面下でね、かなり大がかりな潜入捜査をしててね、俺とお前がクアニル王都から荷馬車で避難して来たのも調べ上げて、何度も商団を訪ねて、ソフィアに事情や当時のクアニルの状況を聴きに行っていたんだよ、実はね、その時にね、身寄りのない私を引き取ってくれないかって、協会にソフィアが頼んで、私は薬師協会に預けられて育てられたんだよ」
「だから、まだ十九歳なのに特級薬師に成れたのか」
「そうなんだ、お前と商団ソルトから離れてから、すぐに薬草や読み書きの教育を受けて、そして薬師になった、それは置いといてね、私はね、クアニル王都に着く迄に、この失踪事件の捜査してる協会の関係者が、絶対に接触してくると思ってたよ、その関係者がケントを酔わして、それを餌にして私達をおびき寄せたのさ」
「そうだったのか、レイチェルはこの接触を予想してたのか」
「実際に会った感想だけど、俺、ホントは怖かったよ、クアニル王都には絶対入るなとか、失踪事件に手を出すなとか警告されると思ったからね、予想に反して、私達に協力してくれる言葉を掛けられて驚いたよ、怒ってるより心配されてるのを感じて目を潤ませてしまってね」
「そうなのか、レイチェルって、あの女の人と喋ってる時は、ホントは怖がってたんだね」
「そりゃ怖いよ、相手は長い間、重要任務を任せられてる薬師だぞ、いくら私でも逆らえないよ、それで話は戻るけどね、クアニル王都内で失踪の捜査をしてる人達はね、失踪当時から、クアニル国家に潜入捜査してるので、その人達の協力を得るにしても、決して、迷惑を掛けないようにしないと駄目なんだよ、その人達が今まで捜査してた苦労が全て水の泡になるんだよ、その事をアルに理解して欲しかったんだ、この事件は私達だけでなく、協会も遺恨を残していて、私達の失敗は下手すると、協会にも迷惑が掛かるのをね」
私は初めて知った、小さい頃にクアニルで、家族と離れ離れになった出来事が、薬師協会にとっても不慮で不幸な事件だった事に、それでレイチェルが特級薬師になったのも納得ができた。
「そうか、納得するよ、俺も父と母の存在を知りたい、あの騒動を知りたい、知らないままで、俺の人生を前に進めることが出来ない、エイルランドの国王にもそう言って、貴族になる道を諦めたよ」
「それはソフィアから聞いてる、だから俺はお前について行って、クアニルで事件の真相を暴くまで、お前と絶対に離れないと誓い、お前と昼も夜も傍にいる決心をしたんだ。クアニルで俺達の家族との日々を奪った奴を許せないのは、俺も同じだ」
俺はレイチェルを抱きしめ、気持ちが同じなのを伝えた。
クアニル王都へようこそ
今日の朝は、いつもの目覚めの悪い朝と違って、何かが待ち遠しくてすぐに起き上がれた、今日でクアニル王都に辿り着く予定となっている、旅の終点であり家族と生き別れた場所でもある故郷に帰ってきた懐かしさもあれば、どんな目に会うのか見当もつかない不安と恐怖も感じる、ベッドから起き上がると化粧台の前に座って髪をといている、いつもの女性が居た。今日のレイチェルもなんかいつもと違って見える、その姿が嬉しさで胸がおどっているのか、兜の緒を締めているのか、俺にはどっちにも見えた。
「レイチェルはここに来て、懐かしいと思ってるか」
「思わないな、私はね、幼い頃はいろんな家を転々として、最後に辿り着いたのがクアニル王都で、そこに居たのが長くなかったから、そんなに良い思い出は無いよ、ただ、俺達の家族を奪った場所なので、ここに来れば、私の全く知らない幼い頃の私の事も、アルの親の消息も、全ての失った過去を知る何かが、この王都の何処かに残ってる筈だから、やっと過去のしがらみをほどく事が出来ると思うとね」
確かに、小さい頃に両親と生き別れをして、身内のいない現状で、遠い父や母を心配しながら生活してきた毎日と、今日から向き合える。その父と母の行方を捜し出し、それらを奪った出来事の真相となっている場所に今日、到着して、この国が隠した物を探す、下手すると二人共、命が無くなることも考えられる筈なのに、なぜか怖くない、伯父のエイルランド国王の前で言った通りで、家族と引き離された理由が解らないまま放置して、老いる事のない思い出に居る両親を心のどこかで求めながら、人から与えられた環境で過去を無かった事にしようと、その消せない記憶を誰にも言えず、誰も見ていない場所で首を振る、そんな毎日を生き続けるくらいなら、例え死んでも、富を失うとしても、父母の痕跡を追い求めている今が、お金に変えられない何かで心が満ちている、今日、両親と生き別れしてから止まったままの時計の針が動き出す。
「俺は今日を悔いるなんてしない、今までずっと、今日の日を待っていたから、レイチェル、ありがとう、俺は絶対に両親をここで見つける、生きてる限り捜す」
レイチェルは少し笑ってから服を着替えた。
「エイルランドでソフィアからお前がクアニルに一人で向かうのを聞いて、一緒について行く決心をしたのは間違ってなかった、特級薬師よりも大切な物が何かを、お前と一緒にクアニル国に来て解ったよ、俺も同じ気持ちだ、ここで孤独にされた記憶が胸の中でずっと引っ掛かっていたんだなって、一緒に朝ご飯食べに行こうか」
二人は朝食の後、宿を出て、途中でケントと合流した、ケントは足が付かないように野宿で頑張っているみたいだ、宿の人に聞いたら、昼を超えた頃には王都には着くだろうと言われた、かなりの時間を歩くと、左右に建物が並び始め、その長い通りの先には、自分の身長の数倍はありそうな高い壁に嵌め込まれたデカい城門が見えた。俺達はその城門に向かった。そこは番兵が門の出入りを厳重に取り締まっていた。
「お前達はこのクアニル国王都『トロス』は初めてか、そうなら、君達を証明する何かがあれば見せて欲しい、それが無ければ、滞在手続きが面倒になり時間が掛かるが」
番兵が話し掛けたので、レイチェルは特級薬師の身分証を見せて言った。
「私は特級薬師のレイチェルです、私達はもうすぐ結婚するので彼と一緒に落ち着いて生活できる場所を見つけるため、大陸を転々と旅をしています」
「え、特級薬師ですか、珍しい、この王都は他国の首都と違い薬師の数が少なくて、他国なら当たり前のように王宮や軍事、政府など各部署に専属薬師がいるのですが、この王都は兼用で・・・いや、すみません、余計な事を申し上げて、そんな事情で特級薬師なんかかなり高い地位の人でしか・・・なので、今日、お会いした事を嬉しく思います、こんな美しくて若い高名な薬師なんて居るのですね、さっ、どうぞ、もうお相手の方の身分証はいりません、あ、ここに私の代わりを寄越すので、門を過ぎた辺りまで私が同行します。そうすれば、全ては立ち止らずに都に入ることが出来ますので」
私達は番兵の後を付いて門を歩いた、周りを見る限り、持ち物検査や尋問を行っている人もいる。王都に入るのはかなり大変なようだ。街が大きければ大きい程、特級薬師のレイチェルの扱いが良くなるが、ここまで賓客扱いになるのは初めてだ。
「この王都にいると大陸中のあらゆる物が手に入り、大陸中のあらゆる民族を見かける事はあっても、薬師の数が不足してるおかげで、流行り病や大きな事故に見舞われると治療が間に合わなくなって、誰にも診て貰えない患者が増える一方なので、国王や高官、そして私共兵士は毎年冬に頭を抱えています。それさえなければ、どの国の首都よりも繁栄している大陸一の都と胸を張って言えるのですが、この問題が解消する日が来るのは昔からの都民の願いです」
「そうなんですか、ですが、私は薬師としての活動を行いながら、修行も兼ねての旅で、ここに立ち寄っただけなので、この王都に配属されるのかどうかは、私もわかりません、特級と言えども、協会の指令を無視して勝手な行動は出来ず、残念ながら私は、協会に口出し出来る権限を持っていません、この王都に滞在する間、お役に立てる事があれば力を尽くしますが」
「いえいえ、上からの命令が無ければ、目の前の困ってる人に手を差し伸べることが出来ないのは私共、国に仕える兵も同じです。あなたのその気持ちだけで充分です。この国の医療が厳しい状況であるのを心に留めて貰うだけでも、嬉しく思います」
話している内に門を通り過ぎると、果ての無い巨大な街並みが目の前に現れた、エイルランドの王都も大きいがここも負けるに劣らず、無限の建物の森が広がっている。
「ようこそ、クアニル王国の中心『トロス』の都へ、私は生まれも育ちもここですが、ここより住み心地の良い所なんて無いと思ってますよ、もし、美味しいレストランや楽しい場所が知りたいなら非番の時に案内しますよ、この街を遊び尽くすと、この城壁から外に出るのが嫌になりますよ、では、このトロスを楽しいんで下さいね、また、お会いしましょう」
城門の出口に着き、番兵はお辞儀をして元の門の入り口へと去っていった。
番兵と別れてから三人は、周りの街並みを観光気分で眺めながら歩いていた。
しばらく経ってから、アルはレイチェルに話し掛けた。
「さっきの番兵、親切でいい感じの人だよな、俺達はこの国の失態を暴くために来たのを知ったら、どう思うだろね」
「どうも思わないよ、私達のすることで協会とこの国が和解して、多くの薬師が配属されるようになれば、逆に感謝されるよ」
ケントはすれ違う女を目で追いながら喋った。
「えへへ、そんな暗い話するなよ、番兵の言う通り、この街を楽しまなきゃね、酒にギャンブルに女に酒にと、これは今まで寄った街とはスケールの違うお楽しみがありそうだ、胸元を開けた女が何人もここを擦れ違ってる、ここの酒場はさぞかし、いい女がいるんだろうな」
この前の事を全く反省もしていないようだ、女しか見ていない。
「あんたは俺達と違ってここに何も用が無いからって、妖しげな楽園を梯子にして夜の街を楽しむのも文句は言わないけど、役に立たなかったら国兵にお前を差し出すからな、俺達の手伝いはしっかりやってくれよ」
「へいへい、ここにはたくさんの禁断の図書が眠ってそうだから、勿論、あんたらの悪巧みにも係わらせて貰いますよ、それで、王宮や王城の眠っている禁断の書物を荒らせると思うと、この国であんた達がやる悪事も楽しそうで待ち切れないや、えへへ、そっちでもしっかり楽しみますよ、姐さん」
「あんたにとってはどこに行っても楽しみしかない、正にハーレムな場所なんだね」
「えへへ、急ぎましょうぜ、魅惑の王城へ」
俺達、下手すると全員処刑されることも有るのに、これだけ陽気でいられるとはね、
「レイチェル、これからどうする」
「とりあえず、街をうろついてみようか、ここに入ったばかりだから、何から始めて良いやら皆目がつかない。街を観ながら考えるよ。それからケント、今回ばかりは余りにも街が大き過ぎるから単独の行動は暫くの間控えて、俺達と一緒に行動頼むね、今回は少し長くここに居るから、お前の落ち着ける場所もみんなで考えないとね」
「へいへい、今までのように毎晩、馬小屋とかで野宿なんて、ここでは難しいからね」
三人はとにかくこの都を練り歩くことにした。
王都はとにかく広い、人の通りも川のように流れ、かなり歩いた筈なのに、この街並みの端がどこにあるのかも検討付かない、常に街の真ん中にいるみたいに、どこも人がごった返している。今は、両通りに店が立ち並んでいるので繁華街なのだろう、レイチェルは花屋で立ち止って、花を見回した。
「これにしようかな、やっぱ、薔薇が無難だろうな」
レイチェルは薔薇を指さして店員に声を掛けた。
「これを十本ほど下さい」
紫の薔薇の花束を持って店を出て行った。俺はレイチェルに尋ねた。
「その薔薇、どうするんだ」
「この花を見ると懐かしく思うよ、昔、花の世話を当番でさせられてね」
レイチェルは少し笑って歩き出して、また店を見回しながら通りを歩き出した。
更に数時間経ち、空が赤くなり始めた、レイチェルは振り返り、俺達に話し掛けた。
「一つ気に掛かる店があったから、そこに行ってみるね」
そう言って、また歩き出した。俺達は首を傾げながらついて行った。
しばらくすると、ドレスが飾ってある店の前に立ち止まった。
「この飾ってある、ドレスの下に引いてる虎の皮の敷物が気になってね」
レイチェルは店を入って行った。
「いらっしゃい、貴方、この街の人じゃないよね、服はどちらかと言うと男っぽい服装してて、この街の女性のようにドレスを着ていない、旅の者かね」
「やっぱり、この街の人じゃないってわかりますか、確かに遠くから来た者で、暫く、ここに滞在しようかなと思っていますが、この服だとなんか周りと比べて、浮いてる感じなので、この街の女性の流行りの服が欲しくて店に入りました。とりあえず、この花はいかがですか?この店に似合いそうな花かなと思って」
「貴方はなかなか、勘のいい女性ですな、確かに、私は紫の花をよく好みます、有難く頂きます、丁度、入り口の花瓶の花が萎れていたので、交換を考えていたんですよ、その花を貸して下さい」
店員はレイチェルから花を受け取り、その花を入り口の花瓶の花と取り替えた。その時、ドアの前に札を掛け、ドアの鍵を閉めた。
「なかなか、綺麗な花だ、そう言えば貴方は、この街で人気の服が欲しいのですね、奥に取って置きの物がありますので、こちらに来てみてください」
店員は奥に入り、更に階段を降りて行ったので、その後を付いて行った。階段を降りた先は地下室になっていて、箱がたくさんあるが、それらは商品を並べているようには見えない、どちらかと言うと倉庫に置いている荷物に見える、部屋の一番奥にテーブルとキッチンが置いてある。
「とりあえず、そこに座って下さい、お茶を入れますので」
店員はそう言ってお湯を沸かし、振り返って、みんなが座ったのを見て話を続けた。
「君が噂のレイチェルか、カダル・ゴエル師は花が大好きで、弟子は花の世話を必ずさせられる、特に紫の花が大好きで服も紫を好む、君がその弟子だよね、宜しく」
「一応確認しますが、貴方は協会の人ですね」
「そうなんだが、この私もこの街に潜伏してる身だから、すまんが正体を明かせない、しかしながら、この王都内に限り、私の店は協会支部と同じと思ってくれて構わん、君達が欲しい薬草はほぼ全てここで調達できて、協会と連絡を取りたい場合も俺に言ってくれ、この街に来た君達の目的も既に耳に入っているから、もし、王宮に潜入する機会が欲しいと、君達が望んでいると思って、こちらで既に計画を練っている。君がこの街で何かを起こしたい場合は私に相談するのが安全で、確実なのは間違いない」
「つまり、私達のために事前にいろんな準備をしているのですか」
「そうだ、君達がここで騒ぎを起こせば、私達の正体がバレることは無くても、その後の王国政府が協会を警戒して、私達の潜伏活動に大きく支障が出るので、私達は君達の行動を黙って見過ごす訳にはいかないのだ。君達の余計な行動で、私達の潜伏活動の全てを白紙にされても困るからね、されど、君達が失踪騒動を探るために、宮中に潜入して私達の代わりに危ない橋を渡ってくれると事前に聞いたので、それならと、君達が王宮に潜伏出来る手段をこちらで幾つか用意したから、それらの用意した手段で王宮入りするのが、君達にとって安全で迅速に潜入できる方法になる。君達は俺達が用意した手段を行うか、君達自身で王宮に潜入する方法を考えるか、どうするかね、出来れば、泥棒みたいな真似で警備が厳重な王宮に侵入するなんて言わないでくれよ、心臓に悪いからね」
「今さっき会ったばかりの店の人を信じろと言われても、強引で無理がありますが、この王都を何も知らない私達は、貴方に頼るしかないので、事前に何かを用意されてるなら、試すしかないでしょうね。お互いに長い時間交流して、信頼関係を築く時間の余裕も、今はもう無い、私は特級薬師を名乗ってしまったので、この王都で目立たない行動はもう無理だ。ゆっくり腰を据えるなんて出来無い、分かりました、私は貴方を信じますが、一応、仲間と相談します。これは私にとっても仲間にとっても失敗は許されない事ですから」
「その通りだ、失敗は許されない、私達が長い間潜伏してきた物が全て無駄になるからね、それと、この案は君の仲間も同じく王宮に潜入させるつもりなので、仲間と相談して決めた方が良いだろ」
店の主人は、テーブルにコップを並べ、皆にお茶を配った。
「私はしばらく、上の店に戻るから、皆でゆっくり相談してくれ」
店の主人が階段を上がろうとすると、アルは声を出した。
「店員さん、上に上がらなくていいです、既に答えは決まっています、私はその話に乗ります、私達が王宮に侵入したくても、今日来たばかりの私達じゃ、その王宮の場所も知らない、この国の仕組みも知らない、何も知らない三人なので、貴方からこの王都の事を詳しく教えて貰うしかない、他に宛がないからね、どっちにしても遅かれ早かれ、王宮の内部を調べるのに貴方の協力は必要不可欠だ、なら、早い方が良い、それに、そこまで自信を持って言うなら、固い確実な作戦でしょう、わかりました、私もその案に乗ります」
ケントは二人をキョロキョロ見ながら喋った。
「俺には選択の余地は無いよ、反対したら二人から離れる事になる、そうなったら、今の俺じゃこの王都から出て行く事すら困難になる、俺は二人について行くしかない」
店の主人はケントに話し掛けた。
「君は海を渡ってここに来たのも、ここに来た目的も、この大陸での立場も、全て報告の内容で知ってるよ、良い事教えてやるが、この作戦に乗れば、君はそのコソ泥みたいに身を隠してる状況から解放される特典がついてるよ、つまり、この作戦が終われば、君はどこでも胸を張って歩くことが出来て、野宿はせずに宿にも堂々と泊まれる様になる」
ケントは目を丸くした。
「なんだって、驚いたな、なんかよくわからんが、つまり、俺が協力する見返りに俺が、この大陸の住人として扱われる褒美を貰えるって事でいいんだな」
「それでいいよ、その方が協会側にとっても都合が良いんだよ、協会は君を監視する役目があるが、一人の客人の監視を続けるなんて、小さい事に労力を使いたくないのが本音でね、海外へ追放するか抹殺するかが手っ取り早いが、ここまで来ると、そうも行かないから、この大陸で活動できる権利を、協会がお膳立てする方向になったんだよ。但し、レイチェルと協会の目的に協力して成功して、君が生きていたらの話だがね、実際は簡単にできる生易しい物ではないんだよ、王宮に潜伏した後の行動のが大事で困難な内容だからね、決して大袈裟じゃなく、失敗すると君の命にも関わる危険な任務だからね」
「それはレイチェルやアルからも聞いてるよ、危ない橋を渡るって、それを怖がるなら海を渡って兵に追われて、この大陸で毎日を過ごすなんて出来ないよ」
「わかった、それなら話を進めたいが、みんな、腹は減ってないか?知り合いの店から料理を持ってきて貰うから、テーブルに食べ物が並んでからゆっくり作戦を話すよ、それまで、ここで休憩してくれ、食べた後は君達が泊まる場所も案内するよ」
店の主人の作戦
俺達は、薬師協会の関係者らしい店の主人が注文した料理を御馳走になった。
ケントは久々に食べる、本格的な料理を味わって感嘆して言葉を放った。
「いやぁ、毎日野宿暮らしでお金も余り無いからまともに物を食べて無くてね、ちゃんとした食事ができたのは今年で初めてかもね」
アルが申し訳なさそうに話し掛けた。
「なぜ、一緒に泊まろうと何度も誘ったのに、そこまで野宿にこだわるんだよ」
レイチェルも話に参加した。
「お前はこの国の魔術に対する取り締まりを知らないのか、この大陸で魔術に関わることを誰かに知られて、それが国と薬師協会の耳に入ると、徹底的にそいつを調べ回る。それで宿に泊まった記録を辿られて身元がバレると、海外の故郷の国まで通達されて地元でもお尋ね者になってしまう。そのため、もし、ケントが魔術を調べるためにこの大陸に来たのが祖国にまで知れたら、ケントが修行を行った魔法団体や身内まで刑罰が掛かることも充分に有り得る、ケント一人の問題では済まなくなるんだ。捕まるにしても、せめて足取りを消さないとね」
「そうなんだ、たとえ捕まっても俺の出身まで知れると俺の両親にまで迷惑を掛けてしまう、この大陸には船で乗ってきたが、複数の港を経由して全部身元を偽って足が出ないようにしてる。無論、魔法修行してたなんて知られたら、どの港でもこの大陸行の船には乗せて貰えない、この大陸が魔法に厳しいのは海外でも広く知られている」
なるほど、この大陸に魔術目的で来るのはここまでの覚悟が無いといけないのか、
店の主人が咳払いをした。
「ゴホンッ、余り協会関係者の前で変な話題を話さないほうがいいぞ」
「あ、いけね、さっきのは聞かなかったことで」
「・・・私は聞かなかった事にするが余りに油断が過ぎると本当に死刑になるぞ、そうなったら、協会は君の味方になった訳では無いから、明るみに出ると容赦しないぞ、魔術に対する取締りは協会内部の身内にも厳しく一部の人しか魔術に係わる事が許されないからな、気を付けろよ」
「わかったよ、すまん、すまん」
「では、本題に入ろうか、君達はこの後、婦人学校に行くが、アルとケントはここに用意した協会からの身分証を持って、これからは、この身分証に書かれてある、レイチェル特級薬師の下で修行してる薬師見習いと名乗って貰う」
アルは目玉を広げた。
「ええ、俺が薬師見習い」
「そうだ、でもね協会が認可した薬師では無く、これは、薬師の本人が協会に登録した助手としての証明でしかない、本来なら、こんな物に価値はなく、登録の必要は無いが、派遣されて任務を行う場合、免状を持ってない修行中の弟子が、現地の人達に不審者と見なされないように、協会側が薬師に請求されて発行したり、任務前に協会が助手に渡したりする身分証だ。これがあれば、二人が協会の関係者である事を保証した事になる。君達がここに来る前に私が協会に申し出て用意したよ、これは紛れもなく協会が発行した本物の身分証だ」
ケントとアルは唸った、レイチェルは答えた。
「本来なら、私自身が協会に発行を要求して貰える物なのに、しかも、任務が発生する場合にしか発行を要求できないから、俺が今頼んでも貰えない筈だが」
「それはね、君さえ良ければ、クアニル王都内の潜入捜査官として、王宮と政府に薬師として表上仕事をして、裏では昔の失踪を究明するための諜報活動をする任務に、君がいつでも就けるという意味なんだ、そして、この二人に与えた身分証は、私が協会に出した提案を受け入れるなら、直ぐに二人の身分証と依頼書を送って欲しいと、私が協会に要求したんだ。それでこの身分証と君への依頼書が送られたという事は、私の一任で提案したこの任務を君に与える事が出来るという証明になるんだ」
レイチェルは呆気にとられた。
「私の知らない所で勝手な真似をよくするね」
「その気持ちも解るが、君が協会に要望を出しても、相手にされない事くらいは解るよね、現在、この国と協会は断絶してるが、その間に度々、クアニルで疫病が流行り、沢山の人が病で消え去ってる惨事もあって、協会側もこのクアニルとの関係に対して頭を抱えているんだ。私は、この王都に来る君に、私の潜入捜査を手伝って欲しいと、協会に要望して君にこの国でどう活動して貰うかの提案を出して、協会は私の提案を受け入れて君への依頼書と仲間の身分証をここに送ってくれたんだ。君がここで活動するのにケントの身の上が怪しいと困るだろ、この国に長い間潜入してる私達の信頼があって、これらを用意出来たと理解して欲しい。君と仲間の名を無断で使い、私が勝手な真似をして怒る気持ちも解るが、それが気に要らないなら、断って独自で行動しても良いけど、私達の協力がないとかなりの日数も掛かるし、君達がここで面倒を起こすと最悪の場合、私達が君達を処分しないといけなくなるが、それでも構わないなら、断っても良いよ」
レイチェルは口をつぐんだ後、しばらく考え、返答した。
「わかりました、全て貴方の言う通りです、幾ら私が協会に要求しても、そんな任務を貰う事なんて出来ない、その上、身元がはっきりしない二人の身分証の要求なんて、図々しいにも程がある、なのに、この任務と身分証を用意出来るなんて、どれだけ貴方が協会からの信頼を受けているかも分かります、私は貴方の用意したこの任務も受けます、そして、アルとケントが私の助手であることも承知します、後はこの二人が受け入れるかどうかですが」
店の主人はケントに説明した。
「なぜこの身分証を本人に断りも無く、無断で用意したかわかるかね?ケント君の身元が定かでないままこの王都で動かれると、協会も困るからこの身分証を発行したのだよ、この身分証でレイチェルの近くに居るだけで自由に、誰の目も気にせず行動がとれる。普通なら部外者にここまでの事を協会はしないのだがね、今回の件が成功すれば、ケントがこの大陸でコソコソ、泥棒のような真似をしなくて良いように、協会が配慮すると信じて貰えると思ってね、早く用意したんだよ、アルもケントも私達に協力してくれると助かるのだが」
ケントは言った。
「こんな身分証まで用意してくれて、断る理由なんてありませんよ、ましてや、この件が終ってからこの大陸で自由に出来るなら願ってもない、今日から私はレイチェルを師匠を崇めますよ、レイチェル師匠、何時でも部下である私に命じて下さい、こんな美人の師のためなら何でもします」
レイチェルは少し困った顔をした。その後、アルは答えた。
「俺もレイチェルの部下でも構いませんが、薬草とか薬の知識は全く知りませんよ、それでも特級薬師の助手は務まるのですか?」
店の主人は答えた。
「良い所に気付いたね、特級の助手なのに薬の知識を全く知らないなんて、薬師不足のこの国でも通用しない、それに二人の経歴も不明で王宮からの信用が貰えないので、二人には一週間後、婦人学校で素人相手に薬草や看護の先生を、王都に滞在してる間やって貰う。しかしながら、二人は薬草や医療の知識が最低でも、二級薬師並に欲しいので、これから一週間、私がみっちり授業をして、君達を特訓してやるから、有難く思えよ」
ケントは口を開いた。
「おいおい、それは聞いてないぞ、それに俺達の師はレイチェルだろ、なんで、あんたが特訓するんだよ」
「国からの信頼が無いのは君達だけで無くレイチェルも同じだ。特級になって間もないので実績がほとんど無く、今の段階で王宮に紹介するのは無理があるから、特級薬師に相応しい王都内の仕事をレイチェルに請負ってもらって、この国で薬師として活躍して王宮や政府の耳に入るようにして、王宮からの信頼を得てから、王宮や政府御用達の特級薬師に推薦する手順を組む、つまり、政府や王宮に潜伏してる同士に動いて貰って、王宮で噂を拡散してから、王室や国家が都内で活躍してるレイチェルを招き入れるように仕向ける計画だ、王宮や国家の方から要望を受けて出向くなら、怪しまれずに済むだろ」
なるほど、ここに潜伏してる人達の活動によって、相手から招いて貰う作戦なのか、
「当たり前の事だがこれらは絶対に他の人には洩らさないようにな、もし、喋ったら、お前達の命の保証は出来ない、俺が許しても、この国に潜伏してる仲間から恨まれて命を狙われても仕方が無いと思ってくれ、そのかわり、これが成功すれば、今までの遺恨が無くなり、君達の目的も成就するし、俺達の目的も達成しやすくなる、更にケント、これに協力して、成功すれば、協会からの報酬もあり、その身分証も恐らく、そのまま使用できるようになる、つまり、その身分証は、君が公認薬師になれる資格があるのを協会が認めてる証明になる。君が薬師になるなら、その時は私も君の薬師と認める推薦者としてサインをするよ、この件が達成すればね」
「え、てことは、俺が薬師の資格を貰えるという事ですね」
「その通りだ、君は賢そうだから、一週間もあれば二級薬師の知識は習得できるだろ、海外で魔法学校に通ってたなら薬の調合も既に習ってるだろ」
「えへへ、その通り、魔法学校では薬草の授業もあってちゃんと受けてるよ、私は少なくとも、一級薬師くらいの知識は持ってると思ってる」
「そうか、薬師も人手不足だから丁度良かった、でもな、魔術の研究をここでしたいなら特級を目指した方がいいぞ、魔術に関わる任務を一級以下が受けた話なんて、聞いた事がないからね、そんな人はほとんど、高名な師に就いた実績があるからね、横に居る君の師匠みたいにね」
「俺が特級薬師になる頃には、今の美人師匠も高名になってるでしょう、いや、私がこれからもレイチェルの助手として御供して、功績を上げる手助けをすれば一石二鳥でレイチェルも俺も、両方の名が売れて、俺は晴ればれ特級薬師に昇進出来るよな」
「ははは、その手があるか、レイチェル、君は良い弟子を持ったな、でもケント、お前の気持ちもわからなくもないぞ、俺の妹弟子はな、とても美人でな、そいつが居たから、厳しい鬼師匠に長い間我慢して弟子を続けることが出来たからな、師匠がここまで綺麗な女だとやる気がメラメラ沸いてくるよな」
レイチェルは呆れて言った。
「今回の件が終った後も、お前を弟子として続ける保証は無いぞ、なんなら意気投合してる、そこのスケベ野郎の弟子に変わってもいいぞ、これから彼に特訓されるのなら丁度良い、そのままその男の弟子にして貰えばいいだろ」
「いや、あんた、今、助手が居ないなら、あんたの弟子を続けるよ、誰が同じ師で修行してる後輩の女を、スケベな目で見る男に弟子入りをしないといけないんだ、いい女が居たら取り合いになって喧嘩するだろ」
店の主人は笑いながら言い返した。
「そりゃそうだ、俺の弟子の時に、俺が羨ましくなるような女とデキたら、即、破門だ」
ケントもアルも笑っていた。
王都に来てから何日か過ぎて、王宮に潜入する日はまだ決まっていないが、その準備のために、薬師見習いとしてレイチェルの部下に就くことになった。王宮へはレイチェルの助手として紹介されるので、俺とケントは毎晩、主婦が手に職を付けるために様々な、婦人向けの授業が行われている婦人学校の地下の教室で、店の主人が先生となって、薬や医療、看護についての基礎的な授業を受けていた。あと数日くらいで俺達二人はこの婦人学校で女相手に薬草や健康を教える先生として務める事になるので、毎晩、朝まで薬師の勉強をさせられている。
俺達はレイチェルの部下なのに、なぜ、教わっているのは別の人かと言うと、レイチェルはレイチェルでこの王都の貴族、富豪や高官の診察や治療に励み、特級薬師としてこの王都での知名度を上げるために毎日励んでいる様だ。
この王都は他の都市と比べて薬師の数が少ないので、かなり腕の立つ新たな薬師を派遣して貰うように、何度も薬師協会にお伺いを立てているが、協会はこのクアニル王都に滞在し、十年程前にハリム王太子と共に行方不明となった、薬師協会創設者のヴィアゴル家の血筋であるオトキオ・ヴィアゴルがどうなったのか、協会が納得できる説明が返ってくる迄は、安心してクアニル王都に貴重な特級薬師を送り出すことが出来ないと、オトキオ氏の捜索結果の催促をして、派遣を先延ばしにされている苦しい事態となっている。
そんな状態が十年以上続いているので、この王都は流行り病に頭を抱えており、薬師不足の議論は、毎年のように国民集会や議会で行われている。話を戻すが、レイチェルはこの王都の内部事情を利用して、貴族や富豪相手に治療を施して、その噂が王室や高官の耳に入って、この国から声が掛かるのを狙っているため、特級薬師としての活動に専念している毎日らしい。
教室の教壇の前で店の主人であるロバートが二人に話し掛けた。
「もしお前達が活動する時、婦人教室での授業は毎日交代でやって貰う、そして、授業をしない方は、レイチェルの付き人として行動して貰う、それでなんとか、薬師の仕事を覚えて、みんなにバレないように薬師の助手として振る舞ってくれよ、短い期間だが、何とか薬師の仕事を覚えてくれ、ケントは覚えが早いが、アルはもっと頑張らないとな」
アルは頭を抱えながら唸った。
「きついすっよ、俺、本は余り読まないし、勉強もした事なくて、最近は文字だらけの紙に囲まれ、追い詰められる悪夢を見るくらい本にはうんざりしてるよ」
ケントはニヤけながら話した。
「王宮に入りたかったらもっと勉強しな、確かにこの作戦は、考えうる限りで一番確実に、危険を冒す事無く潜入できる優れた作戦だ、それとも何か、国軍によって厳重に警備されてる王宮に、夜中にコソ泥になって壁をよじ登って侵入する気か?お前が本気で王宮に潜入したかったら、目が真っ赤になるまで本を読んで薬草を暗記しろ、朝も昼も勉強しろ」
「こんな事になるなら、もっと前からレイチェルに薬草を教わっていれば良かった」
「ところで、あんたの名前は何でしたっけ?」
ケントは教壇にいる店の主人に名前を尋ねた。
「ロバートだ、前にも言っただろ、でもな、本格的に薬草の授業やレイチェルの助手をする様になったら、俺の事は余り話すなよ、俺はこの王都の中では、只の婦人服を扱う小さい店の主人だ、レイチェルがこの街で着る服が欲しいから店に入り、俺と相談するようになって君達と仲良くなったのが前提だからな、だから、協会での立場などは一切、君達には話して無い、余計な事を話して、口を滑らされると困るからな」
ケントはまた、ロバートに質問した。
「わかったよ、それで、王宮に入れるのはいつ頃だ」
「まだまだ先だ、とにかく、国王や重臣の耳に入ってレイチェルに興味を持ち出してから、宮中で潜伏してる仲間が王宮に招き入れる様に謀る手筈だ、レイチェルが仕事でヘマをしない限りは、長くても半年以内には使いの者がやって来るだろう」
「半年ならいいか、逆に早過ぎても、アルが薬師の仕事を覚え切れてないから、少しは間が空いた方が良いよな」
「その通りだ、チャンスは一度だけで偽装がバレたら、俺達も君達も終わりだ、慎重にやって貰わないと困る、あ、それから忘れてたが、仲間から情報によれば、俺の妹弟子には既に会ってるみたいだな」
「え?何を言ってるんですか」
「国境にあるネゴの街の酒場で一緒に飲んだ女が俺の妹弟子だ、綺麗だったろ、昔から美人でな、薬師としても有能だがあまり堅苦しいのが嫌いなのか、医者のような本来の仕事が好きじゃなくて、禁じられた薬草が出回った時の潜入調査などが多くて、飲み屋の定員とか夜を徘徊する女を演じたりして、裏組織で危ない薬のルートを調べたりしてるんだよ、でもな、今の任務内容は俺とほぼ同じで、王都の潜入をずっとやってて長い間、王宮に仕えてるから、もし、宮中で見かけても知ってる素振りはするなよ、まして、声なんて絶対掛けるなよ、騙す腕なら妹弟子のほうが優秀なので、必要なら相手の方から切っ掛けを作って、連絡手段を取ることを考えるから、お前達からは何もしなくて良い、一度でも妹弟子の顔を見たなら注意して欲しいって言われてな、気を付けろよ」
「ええ、あのケントを酔い潰して馬小屋まで誘った、あの女が妹弟子なのか」
「そうだよ、多分、実際に自分の目で確かめて、お前達が王都に来てからの事を考えたかったんだろうな、逆に言えば、そのせいで、今回の作戦に踏み切って、この国と協会との関係に終止符を打とうと俺達は腹を決めたんだよ、お前達には荷が重いがこんなチャンスはもう二度とやって来ないのも現実で、俺達も死ぬまでこの国で身分を偽って燻ってる訳にもいかない、十年もここで調査した成果を生かすのは今しか無いと覚悟したよ、アル、焦らなくて良いから、助手として活動しても、周りから不自然に見えないようにするために励んでくれ、これで俺は再び、妹弟子と所帯を持つという夢のために、酒場で妹を口説く日々を取り戻すことが出来るのだ、お前達が羨ましいぞ、あんな綺麗な女の薬師に弟子入りしてて、つい最近、あの可愛い妹弟子と酒場で飲んで楽しんでいたなんて、俺なんて五年以上会ってなくてさ、この王都に来る前でも年に二、三度くらいしか、一緒に飲んでくれないのにさ、しかも二人で所帯を持つ話を持ち出すと先に帰ってしまう。次はいつ、妹弟子と酒を飲みに行けるのか」
ケントが少し、頭を抱えながら言った。
「あんた、何考えてるんだよ、と言うか、妹弟子と年に三度しか飲み行けないって、あんたが妹から敬遠されてるだけだろ」
「おまえ、酷い事を言うよな、薄々は感じているが一緒に修行してた頃は仲が良くてな、その頃を思い出すとどうしても諦められない、また、妹と一緒に酒が飲みたい」
「あんた、妹弟子の話になると変になるよな」
忙しい王都での毎日と王子との謁見
なんとか頑張って薬草や看護、応急処置の基礎を習い、今では危なし気はあるが主婦相手にそれらを教えている立場にいる。教えている時は教本を見ながら教えているので何とかなるが、裏ではその教本を読みながら必死に俺が勉強している、教室は一日交代で違う日は薬師の実践の特訓も兼ねて、レイチェルの助手になって治療や診察で一日中付き添っての大忙しの毎日だ。
この王都に来て始めは、婦人学校にある外来の先生用の宿泊施設に泊まっていたが、レイチェルが貴族や富豪相手に診察しているので、多額の診察料が手に入り、今は富裕層の空いている屋敷を借りてみんなで生活している。その屋敷も元々は、レイチェルに診察して貰った富豪が彼女のことを気に入ったらしく、この街に居就いて貰って、いつでも体を診て欲しいと考えたのか、仮住まいで個室の狭い宿泊施設に寝泊りしてるとレイチェルから聞いて、彼が所有している空家の屋敷を格安の家賃でレイチェルに提供したようだ、家政婦も付けるつもりだったみたいだが、こちらも裏があるので断ったそうだ。住処の家が豪華になったせいか、貴族の気分を味わえている。しかしながら、特級薬師でありながら服屋の主人で潜伏してるロバートが言うには、特級薬師はどの国でも貴族扱いで、貴族地域の屋敷に住んでいるのは当たり前みたいだ。以前にも言ったが、特級薬師は診察する相手が金持ちばかりで、診察料で大金が手に入るので、普通に仕事をするだけで自然と貴族の扱いを受けるらしい。
今日も婦人教室の授業を終え、ケントとレイチェルと合流してレストランで食事をして屋敷に帰ると、兵士を二人従え、格調高い服を着た人が屋敷の前で待っていた。
レイチェルはその男に尋ねた。
「ここは私の家ですが、何か用ですか」
「あなたが、女性の特級薬師のレイチェル先生ですか」
「そうですが、薬師としての診察の要望ですか」
「いえいえ、しかし、噂通りの綺麗な女性ですね、しかも賢明と評判で、あなたが処方した薬が評判良くて、病を長い間わずらわせた人が先生の薬で軽くなったとか、いろいろな噂がこの国の王子の耳にまで入りまして、私に様子を見に行くように申されて、もし私が気に入るような女性であれば、王宮に来て貰うように命じられまして、ここにやって来た限りで」
「それで、私は貴方のお眼鏡に適う女性なのですか」
「それはもう、先生程の女性はこの王都を一年間探索させても、巡り合うかどうかも難しい容姿の女性です、しかも、この王都で右に出る者は居ない程の腕利きの薬師と、いろいろな人から聞いております、この女性を王子や高官が気に要らないなんて、私は考えられません、お金の方も用意致しますので、是非、王宮にお越し頂いて王子や国王、政府に努めている高官に貴方を紹介したいのですが、ここは薬師不足なため、患者の診察に忙しいと聞いており、こちらの急な要望ですが、何とか一日、時間を作って貰えないでしょうか」
「私もここに滞在してる次いでで、患者を診ているので日を空ける事はできますが、王宮に顔を見せるだけでよろしいのですか?」
「貴方も既にご存じかも知れませんが、この王都は都市の規模が大きいのにも関わらず、薬師の数が足りなく、現在では一人の特級薬師しか滞在されていない状態で、他国の都市では数名の特級薬師が常駐されている事に比べても、この都市では、特級薬師がいないおかげで、医療や薬の管理などに困難な状況でありまして、ここ最近、高官や貴族から貴方の噂を耳にして、王子や政府は、是非ともこの王都に末永く務めて貰うのを願っており、王宮にお越しになる日を言って頂ければ、貴方とお連れの人を賓客として王宮は扱い、宴会を用意致しますので、王宮に遊びに来て欲しい所で御座います。王子も政府の高官共も、この国や王都の医療応対や設備、疫病に対する備えなど、評判の高い貴方様のご意見と助言を望んでおります上、御予定を一日空けて王宮で過ごして貰いたいと願っております」
「いつまでここに滞在するかはまだ決めていませんが、王宮には伺いますので、いつ伺うかは、診察の予定を調整して、明日までに決めて返事を出すという事でよろしいですか」
「佐用ですか、わかりました、なら明日の夕時に使いの者を立てますので、その者に予定の日をお伝え願いますか」
「わかりました、では、明日、使いの者に手紙を渡します、それでよろしいですか?」
「はい、畏まりました。では、これにて失礼します」
王宮から来たこの者は一礼をした後、従えた兵と共に去って行きました。
三人は屋敷に入り、アルが口を開いた。
「旅の目的だった王宮に入る日がとうとうやって来たな、長かったな」
レイチェルは返事をした。
「いや、これが目的ではないぞ、これは目的を成し遂げるための始まりだぞ、ここからが目的の本番だ、とにかく、十年前のエイルランドから来た王太子と特級薬師が行方不明になった真相を暴かないと、俺もアルもロバート含めたこの国に潜入してる協会の関係者も、全ての結果が俺達の成果に左右されるんだ、失敗は許されない、重要人物を失った協会の面目や行方不明の人達のためにも、何が何でも成功させるしかないんだ」
今回は事件が起こった日からこの国を調査している協会の協力があったおかげで早くチャンスに巡り会えたが、ロバートを含めた調査に務めていた協会の関係者がそれだけ、俺達に期待しているという意思表示でもあるので、絶対に失敗は許されない、俺も薬師の偽物に疑われないように薬草の教本を読んで、ハーブの知識とレイチェルの助手としての付き添いの仕事を覚えないと後がない、自分で思うのも何だが、この三人の中では俺が一番不安だ。今になって、この大役が務まるのか自信が無くなってきた。よく考えると、もし、レイチェルが居なくて、俺一人でこの王宮に潜入するとなったら、エイルランド国王が俺と絶縁した事や、事件からお世話になった商団ソルトのソフィアが俺を暗殺しようと考えたのも今になって当然な考えだよなと改めて思った。
数日後、王宮の使者が馬車と一緒に屋敷まで迎えてくれたので、いつもの三人は王族か異国からの賓客だけに乗るのが許される、この都市で一番豪華な馬車に乗って王宮に向かっていた。
「街の人がみんなこっちを見てるな」
「そりゃそうだろ、この街の人は王室が使う馬車をみんな知ってるからな」
「なんか、行き成り、俺達がこの国で偉い人物になったみたいだよな」
使者はニコッと笑って話した。
「レイチェル女史は、国王や政府にとって、とても大事な賓客です、その女史の弟子として従事してるお二人も勿論、大事なお客様です、王宮が相手に日程を合わせるなんて、他国の王の訪問でもない限り、そのような真似は致しません、レイチェル女史は我が国にとって、一国の王と同等の価値があり、この交渉は国同士の外交並みの重き交渉と考えています」
「レイチェルもすごいよな、王扱いだってさ」
「この国の医療の充実、つまり、薬師の増強は長年、国民から強く要望されていまして、王も政府も一番頭を抱えている問題です。薬師協会には要望を出してますが、長い間、協会からの薬師の派遣は音沙汰が無い状態で困り果ててるのが、我が国の台所事情です、そのため、ここ近年、この国に配属された薬師は全て、この国の出身の者で、協会にこの王都への配属を志願した者のみでありまして、レイチェル女史もこの王都に勤務する願いを協会に要望すれば、念願の王宮及び政府機関御用達の特級薬師が誕生するのではないかと、国王及び高官共も強い期待をしている訳で、今、この王宮に特級薬師が就いた矢先には、手厚い報酬と国軍兵の護衛付き屋敷の提供、及びこの国での待遇が、王族以外に高い身分は存在しない最上階級の貴族として扱われる様になるのは間違い無いので、是非ともレイチェル女史には、この国の重要機関直属の特級薬師としてこの国に居て欲しく、王も高官も願っております」
「そうなんですね、なるほど、レイチェルさえ、この国の特級薬師として活動することを協会に望めば、協会はそれを拒む事まではしないと考えてるのですね」
「いかにも、協会が良い返事をしなかった場合でも、表上はこの王都に滞在する形をとり、この国から出なければ、配属された場合の時と同等に国を上げて、レイチェル女史をもてなすつもりであります、用は末永く、この王都に居て頂く事がこの国の願いです」
馬車は静かに止まった、王宮の門前に着いたようだ、鉄の柵が左右に広がり兵士が左右の門柱に立っている。兵士が門の中にいる兵士に合図を送り、門は静かに開いた。
「これが、我が国の王が滞在している王宮の敷地です、宮殿に着くまで、まだ時間が掛かりますが、レイチェル女史が王宮に薬師として滞在する事になった暁には、みなさんもここに頻繁に出入りされるかと思いますので、王宮までの庭園風景を観ては如何ですか」
馬車は王宮の敷地にある赤レンガの道をゆっくり進み、花壇と芝生の美しい庭が左右に広がっていた。
「今更、言うまでもありませんが、この敷地に入れる者は王族以外とこの王宮に仕えてる従者以外では、最上級の貴族と高官でも大臣クラスくらいで、事前の予約なしに入れる者は王と王子は勿論のこと、王の兄弟と宰相、そしてこの王宮に使える数人の使用人くらいです、もし、レイチェル女史が、国直属の薬師に就いて貰えれば、最高位を与えられ、間違いなく、予約なしにここを出入りできるかと思います、レイチェル女史は国の重要機関だけなく、王都や王都の外での医療政策にも関心を持って欲しいと願われていますので、この国に特級薬師が多く配備された後には、この宮中だけの活動範囲、または望むなら席に座るだけの重役高官として仕える待遇も望みのままだと思われます」
そこまでレイチェルに期待しているという事は、ロバート含めた協会からの潜入している人達が内外で長い間活動して信頼を得ているため、ここまで謀ることが出来るのだなと感じた。
「女史に診て貰った貴族や使用人は皆、王子に強くお薦めしていましたよ、王子は絶対に女史を気に入る、彼女を見れば間違いなく、自分の近くに置きたくなる程の美しい女性薬師だと、それを聞き入ってた王子も是非ともレイチェル女史を見てみたい。もし女史が噂通りの絶世の美女なら、今、寝室で伏せている国王を掛り付けで診て貰い、長い間、この王宮に居て貰おうと大変楽しみにしていますよ。あまり他言は出来ませぬが、王子は大変の色好みですからね」
そうか、レイチェルへの下心ありきで、そこまでの優遇があるのか、今日は国王や王子に謁見するので、ロバートが仕立てた高価なドレスを着ている。そのせいで見違えるような高貴な貴婦人に様変わりして、その美しさから溢れるオーラは、明らかに常人の女性では出すことの出来ない、他国の王女と言っても誰も疑わない程の気品高い輝いたオーラを出している。王子がこのドレスを着たレイチェルを見たら、夢中になり目を離せなくなるだろう、本当に特級薬師という優れた女史か疑うこともあるかもしれないが、王子が女好きなら間違いなく気に入るという見解は使者だけでなく、俺も同じ考えだ。
馬車は静かに止まった。
「さっ、着きました。私が先に降りますので、みなさん、ゆっくり降りて下さい」
使者が降りた後、レイチェルがスカートを手で押さえながら降りていき、私は最後に降りた。
目の前には左右に広がった白い階段があって、その前に兵士が並び、代表の兵が私達と案内を任されている使者に話し掛けた。
「ご苦労様でした。ここから先は私達、護衛の者が追従します、他の者に無礼が無き用、見張るように王子から命じられたので、暑苦しいですが御了承下さい、王子は、王の間で玉座に座り、待っています」
「わかりました、では、皆さん、私に付いて来て下さい、王の間へは私が案内を務めますので」
使者はこう言って階段を上り始めたので、皆は使者について行った。
二人の王子の対面と二人の女史
階段を上り切った先は広場みたいな平地になっていて、更にその先には、白い宮殿が左右に山のように連なっていた。その広場を歩いた後、また、横に広い階段があり、その上に宮殿の入り口があった。
宮殿に入ると赤い絨毯が真ん中に真っ直ぐ敷かれ、左右は大理石の白黒の床で敷き詰められた広間を絨毯に沿って歩いて行き、その先にある階段を歩いて行くと、左右に廊下がクロスされた十字路が有り、そこを真っ直ぐ行くと、また階段があり、その先の扉は左右に硬い顔の番兵が真っすぐ立ち、その扉の前まで歩くと使者が声を掛けた。
「ここが、王の間です。この部屋の玉座に王子が座っています、ここでは、王子が尋ねた場合だけに限り、迅速に返答をし、それ以外では私語を慎む様お願いします。王子や周りの人の顔色が変われば、レイチェル女史の弟子だとしても問題が起こるので、静かにお願いします」
アルは応えた。
「はい、分かりました」
すると、後ろの護衛の兵が喋り出した。
「できれば、この宮殿内での私語はご遠慮願います。周りに目を付けられたくなければ、了解の返事も頷くだけにした方が良いと助言させて頂きます」
アルは焦って、頭を深く下げて頷いた。
「堅苦しいですが、王の謁見の間では我慢してくださいね、今日は貴方達を拝見したい人達が集まり、別の広間で料理や楽団を用意して、皆で踊る宴会の催しが御座いますので、今日は楽しんで下さい、私共は長い間、特級薬師を待ち望んでいました。レイチェル女史は必ずや今日の日を気に入って貰える筈です」
使者はそう言って、ニッコリした。
「この王都でたくさんの患者を診て貰い、救ってくれたこの国の恩人である特級薬師のレイチェル女史が来客されたとお伝えて下さい」
番兵はお辞儀をした後、扉を開けて中の者に伝えた。
「只今、特級薬師のレイチェル女史がやって参りました」
「了解した、中に入られよ」
使者は扉の中へと進んだので、皆も使者について行った。
先程の広間と同じく、白黒の大理石の床に赤い絨毯が真っ直ぐ伸び、その先に三段程の段が有って、その上には真ん中の背もたれの高い椅子を囲むように左右に人が並び、その高き椅子に腰を下ろしている王子らしき人がいた。
そして、玉座の横に立つ側近が声を上げた。
「皆の者前へ出られよ」
使者は、一礼をした後、小声で「後を付いて来て下さい」と囁き、ゆっくり前に出た。
俺達はレイチェルを筆頭にして使者の後をついて行った。ある程度、玉座の前に近づくと使者は止まり、俺達の横に付いた。
すると、先程の側近が玉座に座る王子を紹介しだした。
「ここに座っております陛下は、我がクアニル国のグリル王の代理人であり、王の一人娘であるアセル王女と、エイルランドの先代の王であったラベック王のご子息であるハリム王子との間で生まれた、国王の孫に当たるアルム・タイラル王子であり、このクアニル国王の後継者でもあります」
アルはいきなり、本来の自分の本名と両親の名が出てきてドキッとした、そうだ、今、目の前に居るのが俺の名を語り、この国の国王後継者に甘んじている偽者であることをすっかり忘れていて、思い出した。
横に付いた使者が口を開いた。
「陛下、只今、戻りました」
王子は口を開いた。
「はて、今日は貴人が来客する予定は無かった筈じゃ、その高貴なご息女はどこの国の王女ですかな、もし、婚約の御予定が無ければ、二人の今後について貴方の父の所に是非、挨拶に伺い貴方との縁談を申し出て、寝室で伏せてる王に貴方を私の婚約相手として紹介できたら、我が王はどれだけ喜びなされるか、私は今まで世話になった王が元気な内に、貴方を王妃として紹介して孝行したい限りじゃ」
「陛下、こちらは王女では御座いません、陛下が前から会いたがってた、最近、この王都でたくさんの患者を看取って活躍してると、もっぱらの噂の特級薬師のレイチェル女史であります」
「な、なんと、こんな若い娘が薬師の中でも最上級の特級薬師だと申すのか、確かに才色兼備でこの王都でも滅多に見られない美しい女性とは聞いていたが、まさか私より年下の娘とは聞いていなかったぞ、特級の薬師とやらは、このような若い者でも慣れるのか、非常に困難だと聞いていたが」
「陛下、とりあえず、自己紹介をして頂いては如何ですか」
「おお、そうだ、其方、我が王都での活躍はよく聞いておるぞ、其方は一体、何者なのか、私に教えてくれないか」
レイチェルは一礼をし、口を開いた。
「私、幼少の頃からエイルランドにある薬師協会本部の学校に通い、幾人かの師につき修行に明け暮れ、最後にカタル・ゴエル師の元で活動をし、その師に推薦され特級薬師に任命されましたが、生まれてからエイルランドの地しか知らず、それでは特級薬師として活動をするのは難しいと思い、協会の許可を経て、師から託された後ろに居る弟子と共に見解を広げるための修行の旅に出て、寄る街で薬師の活動をしながら、方々を巡る毎日を繰り返し、今は、この王都で多くの患者と出会い、この地で修行し、学ばせて貰っております、特級薬師のレイチェル・カトネーと申します」
「ほほう、幼少から学校で学んでそんな若い年で特級薬師になったと申すのか、この国は薬師の数が少なく、数を増やすために、国内にある薬師の学校の中で優秀な者をこちらで金を支援して、其方が通った協会本部にある学校に留学させておるが、過去に一級になった人は幾つか出て来たが、特級になった者は未だに一人も居ない」
王子は傍にいる側近に睨みつけて言葉を放った。
「おい、お前、こんな若い女性でも特級薬師に慣れるのに、何故、この国から留学した者から出て来た薬師は特級どころか、数える程の一級薬師しか輩出されないのだ、只でさえ、流行り病が広がる度に、都に住む民は広場で『王は病人がどれだけこの都に居るのか知っているのか、いつになったら、誰でも何時でもすぐに診て貰うことの出来る診療所がこの街に出来るのだ、病人と病死は増えるばかりだ』と叫びながら札を掲げて行進されて、私や王が何もしていないように言われてるのをお前達は存じておろう、お前達はそれを見てどう思っておるのじゃ」
側近が困り果てて、苦し紛れに話した。
「その事に関しましては・・・エレサ先生に聞いてみるのが最善かと、あ、ついでにレイチェル女史にエレサ先生を紹介してみては如何ですか」
「あ、そうか、よし、ここにエレサ先生を呼べ」
側近は急いで、玉座の間から出て行った。
「レイチェル女史、少し、お待ちを、ここではエレサ先生と呼ばれている、私の教育係がいてな、今では、他国で知りたい物があれば、エレサ先生に聞けば何でも答えてくれると、私だけなく側近から使用人から大臣から、エレサ先生に物を訪ねる人が多いので自然と先生と呼ばれておるのじゃ、お、さっそう、着よったわい」
後ろの扉が開き、側近の後にロングスカートのワンピースを着た女性が後を付いて来た、それは、紛れもなく、ネゴの商業都市でケントを誘って酔い潰して、馬小屋に連れて行った女性が入ってきた、ネゴの酒場で見た時とは雰囲気が全く違い、手には帳面を持ち背筋を伸ばし気品溢れる容姿で現れた。そして、その女性が声を出した。
「アルム王子、何の御用で御座いますか」
「おお、先生よく来た、こちらが前から先生の会いたがってた、特級薬師のレイチェル女史です、先生も美人ですが、こちらのレイチェル女史も負けずに劣らずの女性ですぞ」
エレサ女史は静かに口を開いた。
「貴方が、最近話題の、この街でたくさんの病人を診て治療を施しておる、正にこの王都の救世主となってるレイチェル特級薬師ですね」
「そうじゃ、診て貰った患者のほとんどは体の調子を取り戻し、レイチェル女史に大変感謝しておる、しかし、その噂のレイチェル女史を今日、初めてお会いしたんじゃが、なんと二十歳の娘とは聞いて無かったので、私は大変驚いておる、特級薬師はこんな若い人でも慣れる物なのじゃろうか、もし、この国の薬師育成の教育を見直せば、レイチェル女史のような若い優れた薬師をこの国でも輩出する事が出来るのか聞きたいのじゃ」
エレサ先生は少し咳をして静かに話し出した。
「それで、私を呼ばれたのですか、では、王子の問いに答えさせて貰いますが、学問に王道など御座いません、レイチェル薬師は既に、私が独自で調べさせてもらいましたが、エイルランドの協会本部の学校で学び、カタル・ゴエル大師の元で修行し、そして、去年、特級に任命されたと薬師協会の関係者からお聞きしました」
「流石は先生、レイチェル女史をもう調べておいてですね、このエレサ先生はなんと、マムート教会を首席で出たエリートで、あらゆる界隈の人物と接しており、ここに来た客人は全て、知人を通して調べて知り尽くして何でも的確に答えてくれる、とてもお偉い先生だ、宰相からの紹介で以前の王子からの教育係に就いていて、引き続き私の教育係として側に就いて貰っておっての、困った事があったら何でも先生に聞いて助けて貰っておる、では先生、この国の薬師の教育を強化しようと思えば、幼い頃からエイルランドの本部学校に留学させれば、我が国出身の優秀な薬師を増やすことが出来ると、私は考えておるが、先生の意見を是非、聞きたい」
「王子、もう一度言いますが、学問に王道はありません、私の居た、マムート教会でも落ちこぼれはたくさんいて、途中で去っていく人は大勢いました、教会出身で活躍できる人は極少数です、それは薬師協会本部の学校でもそうです、学校に通った人全てが薬師に成れる訳ではございません、二級薬師にも慣れずに、弟子入りも出来ずに去って、違う道を選ぶ人の方が圧倒的に多いと聞きます、優秀な薬師に慣れるのは、教育の良し悪しではなく、本人の意気込みと努力次第です、優秀な人はどこで学んでも優秀です」
王子は感心した。
「なるほどなぁ」
「それと、レイチェル女史の話に戻しますが、レイチェルの師は先程申したカタル・ゴエル大師ですが、この大師は著名で、薬師協会の先代の会長の弟子であり、現会長とは兄弟弟子の関係で、この薬師協会には総括委員長という会長直下の重役が御座いますが、会長も含めて皆、創設者のヴィアゴル家の血筋の者しか就いていません、しかし、カタル・ゴエル大師は次に就く総括委員長の最有力候補であり、ヴィアゴル家の血筋以外で就任する初めての人とも言われてる秀でた人物で、ここ十年以上も弟子を取っていないのにも関わらず、今回、特例でこのレイチェル女史がカタル・ゴエル大師に弟子入りした経緯があるとの情報が入っています。つまり、レイチェル女史は特例にされる程の秀でた才の持ち主で、そのような優れた人物は大陸中見回しても滅多には出てこないと、協会と関係する者は言っておりました」
「ほほう」
「それから、レイチェル女史に付き添った、わが国の一級薬師にレイチェル女史のことを聞いた所、薬草がどの地方でどこに、どの季節に生えるか、どの国のどの街にどの薬草が売っているかを当然のように知っていて、その一級薬師が同行した時には既に、国中の薬屋に売っている薬草を暗記しており、その一級薬師がどうやって手に入れるか皆目付かない薬草も瞬時に入手手段を説明する、一級薬師の遥か上の存在で、到底敵わない存在だと舌を巻いておりました、一級薬師が十人居ても、このレイチェル女史一人の活動の穴埋めも出来ない、この国が医療に弱い理由が、レイチェル女史を見てると辛い程理解できると言ってました」
「なるほど、このレイチェル女史は他に類を見ない鬼才の女性だと言いたいのじゃな」
「その通りです、下手すると将来、ヴィアゴル家の血筋以外で最初の女性総括委員長になるかも知れないという、鬼才の持ち主であります」
レイチェルは苦笑いでほんの少し、顔を横に振った。
「そうじゃの、ここで活動してる唯一の特級薬師でも匙を投げてる重病患者も看取って薬を処方し、その患者は順調に回復してるとも聞いておる。それを聞いておるから、もっと年を持った女性を想像しておったのだ、それが、このような珠のような娘とはの、治療してる姿も是非見てみたい物じゃ」
王子が感心している所に、横に居る一人の側近が助言した。
「陛下、後ろにいる、レイチェル女史の弟子の二人は現在、女史の助手及び、婦人学校で薬草や病気予防、看護の講師をしており、この国のために励んでいます。レイチェル女史、及び、弟子の二人がこの国の元に就いて貰って、集会で我が都の民に紹介できれば、陛下は民から一目置かれると私は考えますがどうでしょうか」
「そんな事、お前に言われなくても考えておるわい、のう、レイチェル女史、この国は医療に弱く、流行り病に侵される度に多くの民が、多くの子供が命を奪われておる、病が流行る度に私の胸が張り裂けそうな思いじゃ、もし、暫くここに滞在して、患者の治療に貢献して貰えるなら、患者からの報酬だけでなく、私や国王からも恩賞を考えておる、それから、この国の医療に対する議会をこの機会に近々開こうと考えておるので、出席しては貰えないだろうか、その議会で皆の出した提案に対して、貴方の貴重な意見を聞きたい、それからのう、これから毎日、其方の屋敷に使者を寄越すので、この都で活動する上で何か欲しい物があれば、使者に伝えて欲しい、この国は其方の活動に全面的にバックアップする事を約束する、今住んでいる屋敷でも他の邸宅でも、其方が望むなら、其方の物にしても良いぞ、今は借家で家賃を払っていると聞いたので、私が家主と話し合えば、すぐにでも其方の持ち家になるだろう、もっと良い邸宅が欲しいなら遠慮無しに申すが良い、何か望みや意見があれば聞きたいが、何かあるか」
レイチェルは言葉を返した。
「今はまだ思い尽きませんが、私も薬師の立場上、流行り病で沢山の命が失われるという事情を聞いたからには、そのまま無視も出来ません、ですが、私の将来も大きく変化してしまう程の内容であり、今まで世話になった協会や師と話を通してから決めるべき内容とも思われますので、よくよく家で考えから結論を出そうと思っています。今はこのような返事しか出来ません」
「わかった、わかった、とにかく、今日は今から、固い事はもう抜きにして、其方との出会いを祝って、皆と一緒に酒を飲もうではないか、今日は其方がここに来ると聞いて、たくさんの者に紹介状を送って、食べ物も酒も演奏も用意して、其方を祝おうと準備しておるのだ、渦中の人である其方の才と美しさを一目見ようと、沢山の客がもうすぐここにやって来るから、酒の席の準備ができるまで弟子と一緒に、ここで休んでくれ」
王子は側近に指さした。
「おい、お前、女史と弟子を客室に案内して席が整うまで客人に付いておれ」
「わかりました、みなさん、ついて来て足を休めて下さい、宴会はもうすぐですので」
これで、アルの名を語る偽王子との対面は無事済んだ。本来なら、アルの父であるハリム王太子、又は、アル自身が目の前の王子のように玉座に座り振る舞うはずが、自分の名を語る全く面識の無い王子に女性の御供として謁見するという、不思議な対面となった。
寝床の王と食卓の偽王子
王宮に呼ばれた日から三日に一度は王宮やら議会にレイチェルが呼ばれるようになり、まだ、クアニル国王都に居就いて活動する話の返事はしていない筈なのに、すっかり、この国の医療機関の官職にでも就いた扱いを受け、薬草の確保や入手のルート拡大、過去の流行り病の事態を元にした医療の改善などの助言やら、患者を診る以外の仕事も増えて来た。
今日は、体が弱り気味の国王の容態を診るために、レイチェルと二人で王宮に向かう事になった。王宮に行く予定の時は、いつも自宅の前に馬車が到着していて、それに乗って全てフリーパスで王宮に入場している。
レイチェルは案内役の護衛の兵に尋ねた。
「今日は王の診察に来ましたが、私一人で王の寝室に行く様に言われてるので、弟子のアルは他の部屋で待機させたいのですが、よろしいでしょうか、途中で弟子を呼ぶかも知れませんので、王の寝室の近くで待機させたいのですが」
「わかりました、誰か人を呼びますので、皆さんはここで待機して下さい」
しばらく待つと使用人が現れ、私は別の部屋に案内された、レイチェルは護衛の兵の案内で王の寝室に向かった。
そして、王の寝室に辿り着き、案内を任せられた護衛が、扉の前に居る護衛に伝えた。
「ここにおられる女史は、レイチェル特級薬師です、今日は王の容態を診るために参りました、予定は伝えている筈ですので、入っても宜しいでしょうか」
「わかりました、レイチェル女史ですね、お通り下さい」
レイチェルは寝室に入る前に護衛の兵に告げた。
「前以って、注意されましたが、王の体の具合は国を左右する程の重大さで、内容によっては街の者や他国に洩れてはいけないので、中の声が誰にも聞かれないように、護衛も部屋の入り口から少し遠ざかるように指示して欲しいと、重臣から言われております」
「作用ですか、それなら、私達、護衛は入り口から少し離れましょう」
レイチェルは部屋に入り、護衛は入り口から遠ざかった。
レイチェルは衝立の前で挨拶をした。
「陛下、私はエイルランドからやって参りました、特級薬師のレイチェルと申します。陛下には既に伝わっているかと思いますが、今日は陛下の具合を診るように命じられましたので、中に入っても宜しいでしょうか」
衝立の向こうからかすれた声がした。
「聞いておるぞ、中に入れ」
レイチェルは中に入った、少し行くと大きなベッドがあり、そこにガウンを着た老人が、枕に持たれて上体だけ少し上に傾いて横になっていた。
「其方が、近頃噂の腕の立つ薬師か、この国の病人を沢山診てるようじゃの」
「まだ修行中の身で若輩者ですが、特級薬師に推薦され任命されたからには患者を見過ごす訳にはいかず、微力ながら、沢山の人達の健康のために力を尽くしております」
「そうか、そうか、早速、儂も診て貰おうかな」
「はい、陛下の体を拝見させて頂きます」
レイチェルは国王にいろいろ聞きながら体を診まわした。
「そんなに若いのによくも、難関中の難関と言われる特級になったのう、しかも女性とは、其方の噂は沢山聞いておるぞ、おかげで持病の憂いで政府や王宮に何度も訴えた、うるさい貴族共が静かになった、其方はこの国の救世主じゃ」
「私のような未熟者では、この国の民の病気への不安は簡単に消えるとは思えません、この王都の人口を考えると、あと三人位は特級薬師とその弟子達が常駐しないと、流行り病に対して万全な備えに至らないと思われます」
国王は、相手の何かを探るように返答した。
「そんな事は昔から知っておる、それでな、儂は、娘の結婚のためエイルランドの次男坊に婿入りを懇願して、同時に協会に頼んで特級薬師を派遣して貰ったのじゃ」
レイチェルは国王のガウンを元に戻してから手を止め、尋ねた。
「では、どうして、この国に特級薬師は一人しか居ないのですか」
「・・・お主は知らないのか、いや、知っておろう、派遣して貰った薬師が行方不明になった事は」
「・・・はい、知らない振りをしたのは国王の気持ちを診たかったからです、国王の体の具合は寧ろ、気持ちの問題のような気がしたので、この国は不運にも度々薬師のトラブルに見舞われていると聞いた事があります」
「・・・知っておるのはそれだけか、儂の何を診たいのじゃ」
「この国のために苦労しておられるのに、思う様に事が運ばない陛下の胸中を察して、思う所があるのですが、陛下は、何か昔の出来事で秘密にしている物があるのではと思い、今日はその事での陛下の憂いを聞きたくて、他に聞かれては不味いと考え、護衛や使用人を部屋から遠ざかるように言い渡しました」
国王はレイチェルを凝視した。
「其方、元々、その事を聞きに来たのか、実はのう、儂の部下から聞いた話ではの、其方はこの国の過去の薬師に起こった事件を、調査しに潜入したのではないかと推測してる者も居てな、王子は女の癖が悪いから、協会が若い美人の薬師をこの王都に寄越したのではないかと、其方を疑ってる噂も儂の耳に入っておる」
「その噂が本当なら陛下はどうされますか、私に洗いざらい全てを話してくれますか」
レイチェルはジッと、国王を見つめながらその言葉を告げた。
国王は前方を見つめ、冷たい言葉を放った。
「儂の体を診たのなら、もう下がられよ、もう其方に今後、用は無い、儂はもう、国王の仕事は全て王子に託して隠居するつもりじゃ、だから、儂はもう、いつ、この世から去っても良いように準備しておる、儂は其方にもう用はない、ご苦労であった」
レイチェルは間髪入れずに強く国王に訴えた。
「陛下、本当にあの、怪しい王子に全てを託したいと願ってるのですか、確か、陛下は十年以上も娘が生んだ本当の王子と一度も話をしていない筈です、もし陛下が望むなら、私がここに、今は亡き国王の愛娘が生んだ息子を連れてきて、話ができる機会を作りますが」
国王はドキッとした。
「其方、何を言っているのだ、事と次第では特級薬師と言えども、容赦はせんぞ」
「陛下はまた特級薬師を手打ちにするつもりですか?陛下、私は陛下の味方です。陛下は今、玉座に座っている偽の王子に後を継いで欲しいのですか、それとも、娘が生んだ正真正銘の孫に継いで欲しいのですか、どっちですか?私は十年前にこの王都で陛下の娘と婿と子、そして本来なら国王の後継者になる筈であった、国王の年の離れた末の息子が消えていった過去の呪縛を、陛下から取り除きにやって来ました。国王が知らない真実を言いますと、陛下の娘が生んだ息子は、十年前の事件で死んではおらず、娘婿である王太子の機転で当時、この王都にいた協会の関係者に預けられて、エイルランドに避難してましたが、この王都の事件を起こした首謀者に見つかると命が危ないので、秘密裏にして、今日まで別の名前を名乗り、協会が保護していました」
国王は顔を真っ赤にして咳払いした。そしてレイチェルは続けて王に訴えた。
「私を咎めたければ、どうか、私の話を聞いた後で罰して下さい。この話を聞いて貰えれば、いかなる罰を受けても後悔致しません。その協会によって保護された陛下の孫は、決して豊かな日々を今日まで送ってきたのでは御座いません、もし、十年前の事件がなければ、王子として何不自由の無い人生を送れた筈なのに、故郷のこの地では自分の名を語る偽物の王子が居て、本当の孫は商人の使い走りとして、幼少から扱われ、剣術の訓練をしたおかげで荷馬車の積荷の出し入れをやらされながらの護衛役として、時には盗賊や荒くれ者と剣を交え、身を犠牲にして働かされる毎日を送っていました。そして現在、父の兄がエイルランドの国王に任命され、その孫とエイルランド国王との関係は伯父に当たりますが、その伯父からは、クアニルとの国交のために弟の子である事は絶対に公言するな、本当の名を絶対に名乗るな、歯向かえば反逆罪で打ち首にすると言われて、エイルランドを追われて、私と共に、この国にやって来ました、目的は、この国で行方不明になった両親を探すためにです。陛下、この二つのネックレスはご存じですか」
レイチェルは荷物からネックレスとペンダントを出した。
「ふむ、・・・ふむ、・・・あ、一つは思い出したぞ、私が兄弟の嫁にプレゼントしたネックレスじゃ、よくもこんな物を持っておるな、随分昔の事じゃが、儂が自分で選んで与えた女性のアクセサリーは少ししかないので、記憶にあったぞ、兄弟の嫁の何かの祝いにやったネックレスじゃ、懐かしいのう、そうじゃ!もう一つも思い出したぞ、それはエイルランドの紋章が宝石の裏に掘られたペンダントじゃ、確か、娘婿のハリム王子が持っていて、娘がそれを気に入っていて、よくそれを付けて居たわい、よく見ると他国の紋章がついて気不味かったが綺麗な装飾のペンダントでな、儂も見逃してたわい」
「このペンダントは、ハリム王子が使用人に頼んで息子を避難させる時に、このペンダントを持っていたら、ハリムの息子である証明となり、故郷のエイルランド国でも受け入れられるからと、息子に肌身離さず持たす様に使用人に言い付けて渡した物です」
「嘘だ・・・そんな事あろう筈が無い・・・こんな事が」
レイチェルは尚も詰め寄った。
「もう一度、聞きます、陛下は自分の本当に血を受け継いだ孫がいるなら、その孫に対してどう思っていますか、その同じ血の通った孫はこの国にとって、エイルランドの国王同様、災いの種として扱い、反逆罪の罪を着せてこの国から追放する気ですか、それで陛下の気は晴れるのですか、それなら、私にも罪を被せて罰してください。私は陛下の孫に約束しました。私と一緒にこの国に潜入して調べて、父と母の行方を突き止める約束をして、エイルランドからこの王都まで旅を共に続け、今日まで同行して貰いました。その孫を罪人に仕立て上げるなら、私もこの国の王の血を継いだ正統の孫と共に無実の罪を被せられて、非業の罰を受けますが、最後に聞きたい事があります。今、玉座に座ってる、次期国王の後継者となってる王子は、本当に陛下の娘が生んだ息子なのですか、真実を教えて下さい」
国王は頭を垂れ横に何回か振り、天を仰いだ。
「儂は、何を信じれば良いのじゃ、何を信じて生きて行けば良いのじゃ」
国王は咳を激しく行い、また、頭を垂れた、そして、静かになった。
「陛下、行き成りの出来事で混乱していますが、どんな順序で話せば良いのか、周りクドイ話し方をしても同じと思い、率直に話しました。ですが陛下、私は陛下がこの国に薬師が不足してるのを憂いでると聞きましたので、陛下の知らないこの真実を打ち明けました。十年程前に陛下の娘、その婿の王太子、そして特級薬師が消えた事件が未開のままでは、この王都に派遣した薬師の身の安全の保障が出来ないという協会側の意向で、協会はこの国への薬師の派遣を拒んでいる現状が続いています。ですが、協会が私をここに潜入させ、問題に取り組んでいる今こそ、十年前の事件を清算して解決する機会と考えるのが良いかと思われます。協会は、陛下の孫を内密に保護していたので、協会からの解決策はありましたが、どうやって問題を大きくしないで、陛下の孫が生存してるのを陛下以外に誰にも悟られずに密かに教えるかを考え、私が陛下の孫と同行してこの国に潜入して、国王と直に会う機会を設け、今も生きている本当の孫の真実を話そうと策を練りました。そして、その孫の名を語る偽の王子や国王の身の回りの人に知られずに、国王に伝えないといけない任務の敢行を考えるなら、今日が千載一遇のチャンスと思い、国王に対して、初対面で厚かましい振る舞いとは解って居ながらも今日、陛下に真実を伝える決心をしました。本当の孫は死んだと思い込んでる陛下が相手ですので、厚かましくするしか無いと私は腹を括って、本当の孫を連れて来たのを伝えにやって参りました。これから私が行う任務は、陛下の御気持ち次第で変わりますので、陛下の思いを御聞かせ願いたく思います」
国王は少し落ち着きを見せた。
「まだ、頭が混乱しておるが、儂は其方とは初対面であり、面識の無い者を簡単に信じる訳には」
「そのために、私の言った事が真実である証拠の首飾りを王に見せました、それでも怪しむなら、全てを順序立てて話します、その上で、もし、私を信じて貰えるなら、薬師協会との因果を消し去るために、国王が私と協会の者で考えた一案に協力して貰えないでしょうか、この案なら、十年前の事件が公に成らずに国の汚点を避けて、薬師協会との因果関係を取り払う事が必ずや出来ます」
「・・・私も協会と和解をして、薬師を派遣して貰うのは長年の願いじゃが、うむ、それは本当にこの国の恥にはならないのか、本当に十年前の不祥事を穏便に解決できて、しかも、本当の血の繋がった、我が娘が生んだ子に会えるのも魅力的じゃが、事があまりにも大き過ぎる」
「確かに王の言い分も一理あります、それならば、孫が逃げ延びた真相を全てお話しします。それを国王が聞けば、二十歳の小娘の私がここに派遣された理由や、孫が私に同行して協力してるのかの理由も、国王が納得出来ると思います、どうか、私と孫の話と、私達が考えた事件を解決するための提案を、聞いて下さい。陛下は必ずや納得出来ると自負しています」
「うむ、わかった、其方の話を聞こう、確かにその首飾りは其方の真実を裏付ける証拠になる、それで、孫が救出された話と其方の事件を解決する案を聞けば、其方に協力するのを考えても良い、孫にも会いたいしのう、良し、話せ」
こうして、レイチェルは事件があった夜から孫であるアルと一緒に馬車に乗ってこの王都を脱出した過去から、ここにやって来るまでの全てを国王に話そうとした。
場所は変わって、こちらはアルム王子が、エレサ先生とジルド宰相を呼びつけ、王宮の食卓で昼食を取っている。
「おい、ジルド、ちと、聞きたい事があってな、私は其方を昼食に呼んだんだ」
「さて、どんな用件ですが」
「このエレサ先生にな、あの、今、噂の女特級薬師と二人になる機会を作って貰って、なんとか、彼女と交わる事が出来ないか相談したのじゃ」
「ほほう、陛下はあの女薬師を気に入りましたか、そりゃ、そうでしょうな、私も宰相の身であるので、その女薬師を拝見しましたが、普通の女では出せない魅力を持った美人でしたな、エレサ先生も一門の美貌を持った女性ではありますが」
「それでな、このエレサ先生はな、あの薬師には絶対近づくなとキツく言われてな、それで相談したのじゃ」
「ほほう、その理由はあるのですか?」
「エレサ先生が言うのはな、あの女は、協会がこの国を調べるために寄越した刺客で、宮中に潜り込み、王子にハニートラップを仕掛けて、昔の事を調べるためにここに来たと言うのじゃ」
「え、では、あの若い女薬師はこの国の内部調査のために、ここに刺客として潜入して王子に色目を使って近づき、何かを探ろうとしてると、先生はお考えなのですか」
エレサ先生はここで口を挟んだ。
「前にも言いましたが、彼女の師はカタル・ゴエル大師ですが、この大師は弟子を取らなくなってから、かなりの年月が経っています、それなのにいきなり彼女が弟子入り出来るのは不自然過ぎます」
「其方、彼女と対面した場面では、彼女が秀でた才能の持ち主だから大師の弟子になる事が出来たと申したではないか」
「王子、彼女の目の前で、師がカタル・ゴエル大師なのは怪しいなんて言えますか、彼女の事を不自然に思っていますが、彼女のしっぽを掴むまでは彼女に怪しまれる様な事は言えません、彼女から警戒されると、彼女の真の目的を探る事が出来ないので、とりあえず、泳がしていたいのです。第一、あの難関の特級薬師にあの若さで任命されるのも怪しく思えます、今のところは彼女に警戒するべきです」
ジルド宰相が発言をした。
「うむ、薬師協会は昔、薬師が失踪したために今迄、この王都に一度も薬師を派遣しなかったのに、あの女性特級薬師の行動は、目立つ様に病人の治療をし、王都に住んでいる有力な貴族や富豪、高官に目付けられる振る舞いをするなど、特級薬師ならこの国と協会との因果関係を知らない筈はないのに、やたら目立つ行動をしている。自身の協会での立場にまで影響しかけない行動だ。エレサ先生の考えも一理ある」
「ですから今回は、私や宰相が彼女の様子を伺い、彼女の動向を知った上で、王子は彼女に近づいて自分の物にしてはどうですかと忠告した迄です。確かに彼女が王子の物になれば、年増の私に王子が優しくすることは二度と無いと承知してます。私が今まで王子のために、私の学んだ知識と人脈をこの国と王子の役に立って貰おうと貢献してきたのに、あんな小娘に王子を取られて、確かに彼女が憎いのもあります、最近、私に冷たくなった様にも見受けますし」
王子は苦い笑いをしながら、なだめようとした。
「そんな事はない、其方はとても美しい、この王都でも、其方より綺麗な女性は何処を見ても見当たらない、其方を私が粗末に扱った事など一度も無いではないか」
「彼女の事を耳にしてから、私を粗末に扱ってます!王子は彼女の事ばかり考えてます」
ジルド宰相も彼女をなだめようとした。
「まぁまぁ、この国にとって有能な薬師は貴重なので、王子は巷の噂となってる特級薬師の彼女の事を考えておられるのだよ、王子、確かに、若い綺麗な女子の特級薬師がこの王都にやって来たのは、不自然と考える方が道理だ、この先、国を上げて彼女を重宝すれば、彼女はここから離れる事はないので、しばらくは彼女に色目を抱いて近づくのは止めたほうが良いと、私も思います」
「そうか、解った、そしたら、エレサ先生、今日の夜は私の寝室に来て、朝まで教育をお願いします。先生は私の永遠の天使です」
「わかりました、貴方が悪い女に惑わされないように、私がご指導致します。今夜は王子に他の女の事など、考える暇なんて与えませぬ」
ジルド宰相はその事に口を挟んだ。
「エレサ先生どの、私も美しい美人薬師の虜にされそうです。私の邸宅にも来られて夜通しの天使のご指導をされて貰わぬか」
「私の一存では返事は出来ません、王子の許しが無いと私からは何も言えません」
王子はニヤけた顔で話した。
「確かに私だけでなく、宰相も彼女の魅惑の虜になるやも知れん、良いぞよ、今週内に出向いてやれ、先生」
「わかりました、三日後の夜に宰相の邸宅に伺います」
「有難き幸せ、先生と王子の優しき配慮、身に沁みます」
王子と宰相の昼食は口の緩んだ食事となった。
所変わり、寝室で行われている国王とレイチェルとの密談で、彼女は国王が知らない、十年前の失踪事件の夜に、彼女自身も孫と同じ馬車に乗り、逃げ延びた事実も含めて、過去の出来事を全て話した上で彼女は、国の尊厳を失わないままで失踪事件の闇を晴らして、協会と和解する策に国王の協力を得る目的で、その策の全貌と国王にして貰う内容を、丁寧に説明していた。
それを全て聞いた国王は深く感心した。
「なんと、それは、其方一人が考えたのか、なるほど、面白い、其方が説明した策は鋭い所を突いた驚きの案じゃ、其方の策の通りに事が運べば、この悪しき事件を外部に漏れる心配も無く、協会も納得して貰えると充分考えられる。まさか、この王宮に代々伝わり、大昔から不思議な力によって守られてる『英雄の蔵』を利用するとはな、其方、よくこの王宮にある『英雄の蔵』を知っていたな、これは、門外不出とまでは行かないが他には余り知られてはいない、数十年に一度しか使う事の無い、滅多に使われない代物だから儂自身もすっかり忘れていたが、其方に言われて今思い出した、よく其方が知っていたのう」
「この『英雄の蔵』は協会の人から教えて貰いました。それから協会にある図書でクアニル国に関する資料を探して調べ上げて、これを逆手にとり、失踪事件の主犯を罠に掛けるのに利用出来ないかと頭の片隅に置いていました」
「なるほどな、クアニルの国王だけが扉を開けることの出来る『英雄の蔵』を利用するとはのう、分かった、其方と協会が考えたその提案に協力してやる。儂が其方の今言った通りに人を集めてから、指示通りに動けば良いのじゃな、しかし、事と次第によれば、若いおなごの其方が命を落とし掛けないのは気掛かりじゃが、失敗はするな、其方の命だけではなく、このクアニル国の命運も掛かっておる」
王は今までとは違い、彼女を信用して積極的に彼女の謀り事に協力する意欲を見せた。
「王が私の話に乗ってくれて助かりました、この国の暗い未来と王の憂いを断ち、王を心身共に元気になって貰うように、力を尽くします。必ず、この策を成功させて見せます。では、王のお体の健診の続きをしますので、もう一度、羽織ってる服を広げて、胸を見せて下さい。王の容態を調べさせて貰います」
「わかった、儂の体を調べてくれ、其方は噂通りの腕の良い薬師じゃ」
「では、診察させて貰いますが、陛下のお体を動かすのに私一人では難しいので、助手として私の弟子を呼んで宜しいですか」
「構わんよ、女性が男の体を持つのは確かに厳しいじゃろ」
レイチェルはアルを呼び寄せた。一応、陛下と孫の御対面になるが、敢えてそれを言わずに意識させない方がこれからの行動がやり易いので、何も告げすに孫になるアルを手伝わせた。
王の号令と二つの騒がしい夜会
アルは、今日も薬師の見習いとして、婦人相手に先生となって指導をしたり、時にはレイチェルの後を追い、患者を診るレイチェルの手助けに明け暮れた日々を送っていた。
いつものように三人は一緒に外で食事を取り、家に帰った。
すると、最近、顔を見る、王宮の使者が家の前で待っていた。
「レイチェル女史、今日も一日、ご苦労様です。珍しく国王が明日、王の間で皆に言いたい事があるので王子や貴族、高官を玉座の間に集めるように命じられました。レイチェルとお連れの者も賛同するように言われていますので、明日、馬車をここに待機させます、尚、今回は国王の命令なので、レイチェル女史が明日診られる患者に尽きましては、私共が今から断りの返事を伝えますので、レイチェル女史は安心して王宮にお越し下さい」
使者はレイチェルと明日の予定変更で話し始めた。最近、王宮に呼ばれる事も多いのでいつもの事だと私達は気にも留めず、いつもの様に先に家に入った。
次の日の玉座の間にて、一同が玉座の前で王が出て来るのを待っている。
ここで待ち侘びてる貴族の一人が声を漏らした。
「何年振りかのう、国王陛下が玉座の間に私達を呼び寄せるのは」
この国の位の高い貴族と高官がここに集まっている、その中には、王子と宰相も見られた。久しぶりの国王の招聘に集まって来た人達は何事か、王もいよいよ王子に王の座を譲る決心を付けたかと、あちこちでざわついている。レイチェルとアル、ケントの三人もこの中に居た。
「只今から、王が現れますので、みなさん、静粛にお願いします」
一同は静まり返り、玉座にみんな目を向けた。
すると、王冠を被った国王が裾から現れ、玉座の前に立ち目の前の人達に言葉を放った。
「一同の者、よくぞ来られた、今日は皆の者に言いたい事があって、ここに呼び寄せた」
ジルド宰相が王に尋ねた。
「陛下、それは王位継承の話ですが」
「ジルドよ、そう急ぐでない、王位にも少しは関係するかも知れんが、今日は違う」
国王は一同を右から左へ見回した後、再び口を開いた。
「儂が最近、皆に顔を見せないせいで長くは無いと思われてるせいか、ほとんどの者は王位の事かと勘違いしてるようだが、儂が皆の前で声を張り上げる事ができる内にしなければいけない用は沢山ある。その内の一つを清算したくて、それを皆に伝えようと思ってな」
集まった人達は静かに王の話を聞き入った。
「皆も知っておろうが最近、この国に腕の立つ若い女性薬師がこの国の沢山の患者を診ておってな、儂も先日、その女薬師に体の具合を診て貰ったのじゃ」
一同のほとんどは、レイチェルの方に視線を向けた。レイチェルはもう、この国では有名人みたいだ。
「その時に私は言ったのじゃ、待遇は出来る限りの事をするから、この王都に腰を据えて欲しい、できれば、協会からもっと薬師を寄越して欲しい。この王都は特に病を治療する者が余りにも少ないので冬の日は厳しいと説明したのじゃ」
国王は、また辺りを見回して、話を続けた。
「そしたらな、こう言われた。レイチェル先生のこのクアニル国での活動に加え、クアニル国の王子や高官、貴族が彼女に長期間の滞在を要望していると、彼女が協会に報告したら、協会の返事はこう帰って来たそうだ。昔、その王都で、協会創設者の直系の血筋の薬師が行方不明になった問題はまだ解決されていない、優れた薬師が原因不明で失踪されたままでは、協会が派遣する薬師の安全を保障するのは難しい。もし、クアニル国が本気で優れた薬師を派遣して欲しいと願うなら、これを国王に伝えろ。まず、行方不明の薬師の行方を明らかにしろ、もしそれが、出来ないなら、協会が王宮や政府からも誰にも邪魔する事無く、徹底的に協会独自で調査させて欲しい。そして、その王がその意志を示す証明として、王以外開けることが出来ない、失われた魔術により守られた扉の付いた『英雄の蔵』を王自身が開けて、レイチェル特級薬師が中に入る事を許し、彼女にその蔵の中を調べさせて欲しいと協会は要望してるようじゃ。昔の失踪事件は薬師だけでなく、娘である王女に王太子、それらに仕えた使用人や弟子まで、数多くの人が失踪している。それらの遺体の隠し場所の一つに、この王宮にある王しか開くことの出来ない『英雄の蔵』の中にあると協会は考えているらしい。もし、クアニル国と協会との友好を陛下が望みなら、その条件を飲んで、協会側への誠意を見せて欲しい。この条件を飲むなら上級薬師をクアニル国に増援する事を約束すると、協会からの報告書の返事の内容には書かれている。と彼女に説明された」
一同はざわついた、そして一人の貴族が言葉を放った。
「そんなふざけた要望、協会は少し横暴ではありませんか、そんな横暴を許しては陛下とこの国の立場はどうなるのですか、あまりに協会が厚かまし過ぎる」
他の者も声を上げた。
「陛下、そんな脅迫に応えてはいけませぬ、一度、議会を立てて話し合いましょう」
それらの発言に異を唱える者も出てきた。
「いいや、ここで失踪した薬師は薬師協会の次期会長候補の有能な薬師と聞いてます。そのような位の高い薬師がここで失踪した事実こそ、この国の失態であり、協会にとっての、この国に対する不信感のせいで、多くの民が病で死に至っています。それで身の潔白を晴らせて、協会が納得し、過去を忘れて薬師を派遣して貰えるなら、国の利益と民への信頼のために、要求を呑むのも善策かと思います」
「その通りです、今まで長い年月、我が国を相手にしなかった協会が、今回、協会の方から仲直りの条件を提示したのです。この機会を逃すと、この国は協会と友好を結ぶチャンスはいつ来るかわかりません。しかも、こちらから断れば、この国は協会との和解の持ち掛けを拒否した事になり、協会からの疑いを余計に掛けられるだけでなく、世間からの印象も悪くなり、他国との国交にも影響がでます。ここは、協会に身の潔白をするために応じた方が良いと考えます」
一同は賛否両論で皆が皆、隣同士の言い合いで激しくなり、あちこちで怒号が飛び交った。
「皆さん、静粛にして下さい。陛下の話はまだ終わっていませんぞ」
王の側近の護衛は鐘を鳴らしながら叫んだ。王も声を大きくした。
「皆の者、静かにせよ、聞きたい事があるのじゃ」
一同は静かになった。再び、王は話を始めた。
「おい、ジルド宰相、昔の失踪事件について、わが国が調査した成果を聞きたいのじゃが、儂に説明してくれんかのう」
宰相は少し慌てた。
「そんな事を言われましても、突然の話で準備はしておりません。前以って言って頂ければ、調査した者をここに呼ぶのですが」
「そんな者を呼ぶ必要はない。失踪する事件は、儂が噛んでるのか?当時、失ったのは薬師だけではなく、腰元の間で生れ、儂の跡を継ぐ正当な王位継承者であった幼き息子も毒殺され、エイルランドから婿入りしたハリム王太子も、そして、王太子と結婚した我が娘も全て失ったのじゃ、それらの痕跡を消したいがために儂が、その悪事に手を貸して、『英雄の蔵』を開け、儂がそこに我が娘や娘婿の遺体や証拠を隠したのかと聞いておるのだ。あの蔵の扉は遥か昔の失われた魔術によって、王である儂以外は開ける事は出来ない筈だ。宰相よ、もう一度聞く、昔の失踪事件の証拠を隠すために、身内を沢山失った王である儂が隠匿した首謀者であり、事件の黒幕なのかと聞くが、其方はどう思う?」
宰相は困った顔で返答した。
「陛下はあの時、朝まで泣いていたのは、当時、陛下に状況を報告し、ずっと傍に居た私は存じております。陛下はこの事件に何の関与もしておりません。私が生き証人です」
「うむ、分かった。その言葉を聞いて腹に決めた。もう迷う事はない。皆の者、明日もう一度集まって貰う。そして、明日、儂が『英雄の蔵』を開けて、レイチェル女史に中を調べて貰う事にするよ。一部の者は知っていようが、『英雄の蔵』の扉はこの王宮の地下の広間の垂れ幕の裏にある、いつもは垂れ幕で隠してあるが、明日は垂れ幕をはずして、皆の前で開ける事にする。本来は門外不出で王室と重臣以外の者に見せてはいけなかったが、今回は、協会に対するこの国と王である儂の誠意として、ここに集まった者にも公開する。協会との信頼を取り戻して、国民への病の不安を取り除けるなら、今回の異例は仕方がない、元はと言えば、この国と王である儂の失態であるのは間違い無いのじゃからのう」
国王は話を続けた。
「それから、協会のこの国に対する扱いじゃが、この『英雄の蔵』の調査をすれば、どんな結果になっても、このクアニル国への対応は他国と同等に扱うとの事、つまり、『英雄の蔵』の中に失踪した証拠があって、儂が黒じゃったとしても、クアニル国との交友は復活する約束になってる。しかし、その場合は儂が犯人と確定される。又は、犯人に手助けした証拠となるので、その場合は孫のアルム王子に王の座を譲って隠居して、エイルランドの薬師協会の本部に単身でおもむき、協会に罰せられて罪を償う予定じゃ、でも按ずるなよ。儂は決して、手を貸しておらん。増してや、この儂が、余の幼き息子と娘と結婚した婿を殺した犯人である筈が無い、この調査で薬師協会との遺恨は全て無くなる。そして、この調査の後も、失踪事件の犯人を捜し出すための薬師協会からの捜査に、この国は全面で協力して、王宮や政府、貴族や高官への捜査の許可も勿論出す予定じゃ、犯人を成敗するのは儂の長年の夢でもあるからな」
一同は静まり返った。
「それからな、もし、昔の失踪事件の主犯や主犯の協力者が王宮で仕えてる者や高官に居るとしたら、今日、明日、儂の命を狙う奴、儂を誘拐しようとする奴が現れるかも知れん。そうすれば、明日、儂が行方不明になって、儂しか開ける事の出来ない『英雄の蔵』の扉を開ける事が出来なくなる事態も考えられるので、この手紙を、この王都に来客し、多くの病人を診た功労者であり、薬師協会からの使者として、儂に会いに来たレイチェル特級薬師に預かって貰う。この手紙は、儂が『英雄の蔵』を開ける事が出来なくなった場合に、どうするかの指示が書かれてある。だから、儂が不在の時は、レイチェル師が手紙の封を開け、中を読み、その指示に従う事とする。身内は信用できないので、外部の人間であるレイチェル師に手紙を持たせるのが一番だと考えた。協会もこれで納得できるだろ、皆の者、この手紙をよく見ろ、儂のサインと王家の紋章の印で封を閉じてある」
王は手紙を取り出し、皆に見えるように左右に振ってからレイチェルを呼び出し、手紙を渡した。レイチェルはその手紙を両手で受け止め、礼をして元に戻った。
「さて、皆に言いたかった事はもう済んだよ、もう終わりじゃ、皆の者、また同じ時間に地下の広間に来られよ、明日は二度と無い一大イベントじゃ、来て損はしないぞ」
そう言って、王は去って行った。
王の話が済んだ後、俺達は周りの視線を浴びながら馬車に乗り、三人は街に寄って、買い物や食事など、用を済ましてから屋敷に帰る事にした。
もう、辺りは暗くなり、屋敷の前に着いてから、ケントは話し出した。
「おい、レイチェル、話が違うぞ、王宮や政府に怪しまれずに、内部を調べるのではなかったのか」
「静かにしろ、もう、いろんな奴から怪しまれているんだぞ、どこに潜んでいるか解らないから、軽々しく喋るな。とにかく屋敷に入ってから、落ち着いて話し合おう」
レイチェルは屋敷の中に入り、二人も後を付いていった。
おや、薄暗くて始めは気が付かなかったが、食卓の方がぼんやり明るい、蝋燭の火が付いてるみたいだ、静かに警戒しながら近づくと、食卓に居る誰かが小声で話し掛けた。
「すまん、勝手にお邪魔している、今、堂々とここに来ると俺が怪しまれるから、誰にも見られる事無くここまで来た。仲間を外に見張らせて、無断で家にお邪魔してる。仲間からの合図が無いので周りには誰も居ないから安心しろ、私も明日のことについて君達と話し合って、お互いの行動を確認しないとな、じゃ、奥の暖炉のある居間は窓が無いから外に漏れない、そこで話そうか」
聞きなれた声だ、婦人服の店主、ロバートだ。
ロバートは暗がりの中、居間の方に向かい、中に入って行った。俺達も後を付いて行く。
ロバートはランプに火を付け、ソファに座った。
「明日の事は既に承知で、今日来る事はレイチェルには言ってある。明日は俺達が長い間この王都に潜伏してきた成果を試される時だ。そして、事件が一部の者に明るみとなり、協会とこの国による本格的な捜査が始まる要因になる。逆に言えば、失踪事件の主犯達に挑戦状を叩き付けた事になり、その黒幕からお前達や国王が狙われる事にもなる。暫くの間、私はここに店の主人としてはもう来れない、私が疑われると面倒だからな。今日は忍んでこの屋敷に入った。では、明日の事を話そうか、それから、ケント、俺達の内部の話は絶対家の外でしては駄目だ、さっき、聞こえたぞ」
ケントは言い返した。
「けれどさぁ、話が違うじゃないか、レイチェルは誰にも怪しまれずに、宮中を調査する予定だったんじゃないのか」
ロバートは静かに話し始めた。
「レイチェル以外には、予定を話さないようにしてるだけだ。お前達に話して他に漏れたらどうする。それなら、話さないのが賢明だ。お前達はこの王都に来て、まだ一年も経たないが俺達はもう、十年近くはここで潜入調査を行っている。しかも、失踪事件から十年以上経っている。今のまま進展もせず、無駄に月日が経つと、協会側からもこの国に詰め寄る機会が無くなり、なんとかこの状況を打開しないと事件は風化してしまう、だから、レイチェルと俺達で練った作戦を伝えるために、俺の仲間が協会本部に急いで出向いて、了解が取れたので、今回の作戦を決行した。これは協会まで巻き込むから、話が漏れて失敗するなんて許されない。だから、お前達には秘密にした」
ケントは左に目を動かして考え込んだ。
「わかったよ、もういいよ、それで、俺は、何をすればいいんだ」
「お前達もレイチェルと一緒に『英雄の蔵』の中に入り、レイチェルの指示に従って調査をする、それだけで良い」
「それだったら、今までと同じだろ、まだ、何か隠してるのか」
「言わないという事は、言う必要がないという事だ。今日はお前達の事で来たんじゃない、俺達が明日、どう動くかを伝えに来ただけだ」
アルはここで口を開いた。
「俺もレイチェルの指示に従えば良いんですか?」
「ああ、それで良い。あっ、それから、ケント、お前、魔法が使えるなら、明日はいつでも使えるように準備してくれ、道具も隠し持ってても良いぞ、但し、あくまでも最終手段で誰かの身が危なくなった時の切り札だ。簡単に使うなよ、出来る限り多くの人が居る中では避けてくれ」
ケントはニヤッとした。
「えへへ、とうとう俺が暴れる時が来たか、解った、それなら喜んで引き受けるよ」
ロバートは話を続けた。
「レイチェル、ここを出たらすぐに、俺は王宮に隠密で侵入する。心配するな、手筈通りだ、明日は、予定通り進んでいたら、お前も予定通り行動しろよ、予定外でも提案したプラン通りに動け、いいな、レイチェル、俺に何か言う事はあるか」
レイチェルは返答をした。
「もう無い、俺も明日は予定通りやるだけだ、予定通りに事が運べばね、あんた達がヘマしない限り危険は無いよ、失敗しないでくれよ」
ロバートはニヤけて喋った。
「誰に言っている、それを釈迦に説法って言うんだ。レイチェル、死ぬなよ」
レイチェルは笑いを浮かべて頷いた。アルは心配して言った。
「死ぬなよって、どういう事だ、何が起こるんだ」
ロバートは返答した。
「失踪事件の犯人は今、必死になってる。もし、部が悪くなったら、レイチェルを消そうと考えるだろうな、俺ならそうする。それが必然だろ」
確かに、この事件が表に出て本格的な捜査が始まって困るのは犯人だ。レイチェルもタダじゃ済まないのは目に見えてる。
「さぁて、お前達は明日のためにぐっすり寝たら良いが、俺は今から王宮に侵入するので後は任せたぞ、主犯はレイチェルか王の命を狙うかも知れないから、ここに伏せている仲間はこのまま屋敷の護衛をする。お前達は安心して眠ってくれ、明日は命を懸けて働いて貰うからな、では、もう行くぞ」
ロバートは居間を出て屋敷から出て行った。
「ロバートの言う通りだ、俺達は明日に備えて休んだ方が良い。俺は風呂に入る」
レイチェルは、そう言い残し、居間を出て、浴室に行った。
「明日はやっと俺が活躍する時だな、杖を磨くとするか」
ケントは目をギラつかせて、そう言って出て行った。明日は大変な一日になるな、今日は休もうか。
所変わり、王宮の王子の一室に緊急で集まった、王子、宰相、エレサ先生の三人は慌てふためいていた。宰相は眉間にしわを寄せて言った。
「まさか、こんな事になるとは、いきなり過ぎてのう、王は何を考えておるのだ、なぜ、自ら、あのような真似を」
王子は、顔を青くして喋った。
「俺は聞いた事あるぞ、お前があの事件で闇に消えた遺体を隠すのに王を説得して、あの『英雄の蔵』に隠した事実を」
宰相は睨みつけた。
「王子、今はエレサ先生が居るのだぞ、口を慎め」
「もう遅い、俺が頼りにしてるのは、エレサしかおらん、お前もいつ、俺を殺すか解らんからな、こんな事態になって、エレサにしか相談できる奴はおらぬではないか」
エレサ先生も会話に参加した。
「私はもう、王子から聞いています。王子は、ハリム王太子の屋敷で使われてた家政婦の息子であると、そして、宰相が十年前の事件を闇に葬るために、王を説得してその家政婦の子を王子に仕立て上げるようにした事も」
宰相は顔に手を当て、テーブルに肘を置いた。
「そんなの、王子の行動を見てたら、すぐに勘づくわい、その事を知られて困るんだったら、お前を王子には近づけさせんわい」
エレサ先生は宰相に聞いた。
「私が王子や宰相と夜を共にしてるのは、王宮の者や高官共には、既に承知で噂になってますからね。宰相が危うくなれば、私は間違いなくこの王宮から追い出されるでしょうね。私は王子や宰相から離れるのが正解かしら」
「俺達から離れて、お前はこの国内でどうやって生きるのだ?今まで、俺と王子によって美味しい思いしてきたのに、俺達の事がバレると、お前も間違いなく牢獄行きになるぞ、何か打開策はないのか」
エレサ先生は顔を上げて返事を返した。
「王を暗殺する事は考えないのですか」
宰相は首を横に振った。
「今はもう無理だ、王の寝室はもう厳重な警備になっている、あの警備を抜けて王を殺すなんて無理だ」
「では、王に毒を盛るのはどうでしょうか」
「毒!どうやって、あの警備を縫って王の口のする物に、毒を仕込ませるのが出来るのじゃ、話にならんわい」
「これを使ったらどうでしょう」
エレサ先生は診断書を見せた。
「これはあの、レイチェル女史が書いた診断書ではないか」
「これを偽造して、王の偽診断書を作って、その診断書を護衛に見せて、王に薬を処方すると偽って毒を飲ませるのです」
宰相は手を叩いた。
「なるほど、その手があったか!さすがは先生じゃ、すごい事を思いつく、さっそう、診断書を偽造するか」
エレサ先生は笑って話を続けた。
「これをよく見て下さい、私がレイチェルの直筆の診断書を入手して、既に王を診断した結果の偽診断書を作りました」
「先生、流石は行動が早い、既に偽の診断書を作っておったとは」
エレサ先生は鼻に懸けながら話を続けた。
「それを持って、明日は私がお薬を届けます、それで宰相も王子も私も一安心です。後は王が息絶えて、蔵を開ける話が中止になり、王子が王になって、私は宰相の下に就いて、この国の高官になり、行く行くは副宰相になって、ジルド宰相の下で働けば、ここに居る者は全て安泰する」
「ははは、そなたも悪いのう、女副宰相か、副宰相の部屋は私の寝床となるだろうな」
「ほほほ、枕を机の中に隠さねばならないか」
宰相はエレサ先生に目を向けて言葉を放った。
「しかしの、エレサ先生がいつ迄、私達の傍にいるか、先生がいつ裏切るかも解らん、薬を届ける者は他に任せる。レイチェル女史の診断書を見せたら、王が自ら毒を飲むだろう、毒を届けるのはエレサ先生で無くても良いからな」
エレサ先生は顔をしかめて話した。
「宰相殿は私を信じられぬと言うのですか、それは心外ですぞ、これは私が副宰相になるチャンスでもあるんです。私にお任せを」
「私も綺麗な其方を副宰相に置いて、いつまでも楽しみたいのだ。其方に汚い仕事をさせたくは無い、心配するな、薬は他の者が持って行く、良いな」
三人の話は夜中過ぎまで続いた。
開かない扉
次の日が来た。昨日、玉座の間に招かれた者達が再び、『英雄の蔵』の扉のある地下の広間に集まった、この広間は壁の一方に『英雄の蔵』の扉を隠すために垂れ幕が覆っている。ここに集まった者はみんな、その垂れ幕の前で蔵が開くのは今か、今かと待っている。無論、ここにもレイチェルとアル、ケントの三人や王子と宰相も出席している。あとは国王が来るのを待つだけだ。
「これで、解決すると言ってるが、よく考えると、蔵に異常が無かったとして、その後、レイチェルはどうなるんだ」
アルは待ちくたびれて小さい声で喋った。それにケントは小声で答えた。
「どっちにしても薬師協会は過去を忘れ、この王都に薬師を派遣する事を約束している。それで国王も協会も納得している。大事を前にそんな話を口にするな、気持ちが緩んでるぞ」
アルは静かになった。
「それにしても遅い、昨日が昨日だけに王が心配になる」
レイチェルは王を心配していた。
すると、急ぎ足で使いの者がやって来た。
「みなさん、申し訳ございません。只今、陛下を捜していますが、どこに居るのか現在、解りません、この宮中を隈なく捜していますが、見当たりません」
皆が騒めいた。王子はその者に尋ねた。
「それは、どう言う事だ、今日、王を見た者はいるのか、いつから居なくなったのだ」
使いの者は困り果てた。
「王子、すみません、宮中の者に聞き込みをした者が申すには、朝から陛下を見た者は居ないとの事です」
王子は顔色が変わった。
「何だと、朝から見なかったのに、何故、今まで気が付かなかったのだ」
「陛下は長い間、寝室から出てくる事はあまり無かったので皆、あまり不振に思わなかったそうでありまして・・・申し訳ございません」
王子は怒鳴った。
「謝って済む問題では無いぞ、只でさえ昔、王女や王太子が失踪する事件があってこの国の汚点となってる上に、王まで消えたとなれば、この国の警備や使用人の管理が疑われる。其方達、宮中で仕えてる者と宮中の兵は全員、最悪の場合は打ち首を覚悟せよ!」
「申し訳ございません、只今、宮中に居る者全員、手を止めて王を捜しています」
「そんなの当たり前だ。もし、見つからなかったら、其方、どうなるか覚えておけ」
ここに集まった群衆が騒がしくなり、隣同士で目を合わせた。皆が皆、周りを疑い始めているのだろう。
「宰相、この事態、どうすればいいのだ」
宰相は口を開いた。
「とりあえず、皆さん落ち着きましょう、落ち着いて、まだ王が死んだ訳ではありません、王が見当たらなくなっただけです。体の弱った御老体だ、そう遠くへは行けない。それに加え、人目を考えたら王を簡単に王都から出せない。おい、そこの兵、城に居る兵士長に連絡、して、王宮周辺の捜索と王都の門を検問、そして、王宮を兵で囲んで封鎖を命じろ、本当に攫われたのかどうか不確かなので、民衆に気を付かれずに静かに行え、良いな」
命令された兵は急ぎ足でこの地下の広間を出て行った。
その後、レイチェルが垂れ幕の前に出て、皆に聞こえるように、宰相に話した。
「王がどこに消えてしまったのかは、私も心配しています。ですが、王の念願である協会との和解のために、昔の失踪事件の潔白を証明することも今は大事です。王は事件の首謀者に命が狙われ、ここに来れなくなった事態を考え、私にこの手紙を託しました。その王の気持ちに応えるのが、王とこの国への忠誠にもなります。今、この蔵の捜査を中止すると、失踪事件の犯人の思う壺です、主犯の者共は、この捜査の中止を望んでおり、集まった人達の中にも居るかも知れない主犯やそれを手助けした者は、この捜査を中止にしようと目論んでいます」
宰相は、頭を抱え、心の中でこう思った。
(これで中止を唱えたら、まるで私が犯人を匿っている様に見えるではないか、此奴め、どうしても中止にしたくは無い様だな、仕方あるまい、どっちにしても王が居ない以上、この蔵は絶対に開かない大昔の失われた魔法で、王以外は開ける事は出来ない扉だ、いいだろ)
宰相は意を決して答えた。
「佐用ですな、この失踪事件の犯人はこれを中止にする事を望んでおり、王もこの事態を考えて捜査する貴方に手紙を託しておる。ここまで王が準備されておるのに、それを無下にしてはそれこそ、王への不忠となる、一刻も早く王を見つけ出したいのも山々だが、今は、王が貴方に託された手紙を見てから考えましょう。皆の者、うろたえるな、これは王とこの国の汚名を返上出来るかが掛かっており、協会の宝であった薬師と王の後継者や娘を失踪させた事件の、身の潔白を証明するための王の意志でもあるぞ。今は、レイチェル特級薬師が預かっておる王の手紙を見て、それに書かれた王の指示に従う事を最優先にする。この王の英断に不服な者はこの中におるか。居れば、今、申されよ」
誰も、声を出さなかった。
「異論が無ければ、これを最優先とする、さっレイチェル師よ、その王が宛てた手紙の封を切り、内容を読むが良い」
レイチェルは垂れ幕の真ん中に立ち、懐から手紙を出して、皆に見えるように左右に振った。
「これが昨日、王から預かった手紙である、サインも封の紋章も王の者である。では、この手紙の封を開け、内容を読み上げ、その内容に今から従います」
レイチェルは手紙の封を切り、中から便箋を取り出し、それを両手で前に出し、内容を読み上げた。
「この手紙を皆の者に読まれたと言う事は、儂は姿を消した事だと思うが、これを行うからには、儂の命を狙われるのは十分覚悟の上でこれを行う決意をした。だが、問題は儂が消える事ではなく、この国の身の潔白と、協会がこの国に抱いておる警戒を解くのが、この王都に住む者の願いで、儂の命を引き換えにしてでも、この信頼を取り戻して貰わなければ死んでも死に切れん、皆の者は儂が居ないと『英雄の蔵』の扉を開ける事が出来ず、この潔白を行うのは不可能と思っておるが、実は、この蔵を開ける手段は、他にも存在しており、この国に昔仕えていたご隠居もその事を知っておる。その扉は代々、王しか開ける事の出来ない扉じゃが、その扉を開ける人物と同じ血が通っている人物にも、扉は反応して開くのじゃ、つまり、王と血の繋がってる息子や孫は、その扉を開ける権利を持っておる。しかし、一度、扉を開けると、その扉の鍵は開けた者になり、開けた本人とその血を受け継いだ息子や孫しか開けられなくなり、以前に開ける事の出来た者は、扉を二度と開ける事が出来なくなる。つまり、その扉を開ける鍵となった人物の息子や娘は開ける事が出来ても、親や兄弟は開ける事が出来ない、だから代々、王が継承された時に、新しい王が扉に手を当て、その扉を開ける事で、古い王はその扉を開ける事が出来なくなり、新しい王が誕生するじゃ。だからもし、儂がそこに行けなくなった場合は、例外中の例外で、王が継承された時しか許可されない筈の、儂の孫のアルム王子が、その扉に手を宛てて開いて、レイチェル師にその蔵の中を調査して貰え。国の継承行事よりもこの国の信頼を取り戻し、国民を安心させるのが今は最優先で、儂が二度と、その扉を開ける事が出来ないのは覚悟の上である。アルム王子、今回は王子が扉を開いて、この国の身の潔白を見事、証明してみせよ」
レイチェルは便箋を畳んで顔を上げた。
「以上がこの手紙の内容です」
すると、前の方にいる老人は声を上げた。
「儂は、昔、王の継承の儀式に参加した者じゃが、確かに、ここで、垂れ幕の後ろの扉を王自身が手を宛てる事によって、扉が開くのを見たわい、その儀式はそんなからくりがあったのか、今知ったわい」
先代の王との継承の儀式に参加した老人も、ここに呼ばれたみたいだ。
「では、この手紙の指示に従って、アルム王子が手を宛て、蔵の扉を開く事にしましょうか。では、使いの者、この垂れ幕を上げて、『英雄の蔵』の扉を皆に見せよ」
垂れ幕は上がり、奥には大きな鉄でできた、奇怪な文字が刻まれた扉が現れた。
「そこの丸い部分に王が手を宛てたら、扉は開いたぞ」
「では、アルム王子、扉の前へ」
皆が王子を注目した、しかし、王子の顔は蒼褪めて、目が泳いでいた。
レイチェルは王子に尋ねた。
「王子、前に出られよ。それとも王子、何かあったのですか?顔色は少し悪そうに見えますが」
王子は慌てて声をあらわにした。
「こ、これは王位を継承する時にしか、し、してはいけない筈、こ、のような大事を易々と行っても、い、いいのか、も、も少し考えても、よ、良いのでは」
レイチェルは頭を傾げて尋ねた。
「はて?王子、何を躊躇されるのですか?この手紙はこの国の事を思って、王が書いた手紙になります。王子は、父のような存在でもある王の託したこの手紙の思いを、どう考えておられるのですか?確かに王子がこの扉を開けるのは、王を継承する時の一大儀式ではありますが、王のこの思いを報いる事も大事かと、私は思いますが、王子はどう思いますか?」
王子は宰相を見てこう言った。
「これは国の一大事、わ、私の一存ではむ、難しいかと、さ、宰相はどうおもう?」
宰相は答えた。
「王子、レイチェル女史も心配して居ましたが、王子、顔色が少し変ですぞ、何かあったのですか、も、もしや、毒を盛られたのでは御座いませんか、もしや、昔の失踪事件に係わった者が、王子の食べ物に毒を盛ったのでは」
レイチェルは王子に寄って、王子の顔を左右から眺め、瞳の瞳孔を確認、体温や脈拍など軽く診て言った。
「王子、確かに様子が変ですが、食べ物に当たっては無いと思われます、しかしながら、王が消え去り、気が重くなったのかも知れません、少し休んでいてはどうですか」
王子は返事をした。
「すまぬ、少し気分が悪い、座りたいのだが」
レイチェルは答えた。
「分かりました、しかし、この蔵の扉の丸い部分に手を宛ててから椅子に座って貰えませんか、王子の容態は良いと断言できませんが、扉に手を宛てる事くらいは出来そうです。ここに足を運ばれた客人のためにも、扉に手を宛ててから休んだ方が宜しいかと、私は思います。歩くのも大変なら私達も手を貸しますので、扉の前にどうぞ、おい、ケント、反対側に回って、王子を支えて差し上げろ。両方から肩を抱えながら歩けば、扉まで行けるでしょう」
ケントはすぐに王子の横で肩を組み、レイチェルと挟むようにして王子を担ぎ、扉の前まで移動させた。
「さぁ、王子、その手を扉に宛てて下さい、そうすれば、椅子に休む事が出来ます。扉は目の前です」
王子は困った顔をして、自ら動こうとはしなかった。
レイチェルは更に王子に言った。
「王子、どうされたのですか、手を宛てただけで椅子に座れるのですよ、力が入らないのですか、なら、私が手首を持ちますので、王子は頑張って力を出して下さい」
レイチェルは王子の手首を持ち上げて、強引に王子の手を扉に付けた。
「さ、これで扉は開く筈です、開き次第、中に入りましょう、王子は椅子に座って休んで下さい」
王子の顔がまた、蒼褪めた。
レイチェルは王子を抱えたまま、扉が開くのを待っていたが、扉はうんとも寸とも動かない。
「・・・はて、扉は動きません、じゃ、もう一度、手を添えましょうか」
レイチェルはもう一度、王子の手を持って扉に宛てたまま、しばらく待った。しかし、扉は何も反応しない、レイチェルが片手で扉を開けようとしても動かない。
「・・・なぜです?王子は王の娘を母に持つ、王の孫ですよね」
王子は下を向いたまま黙っていた。すると、宰相が声を上げた。
「もしかしたら、扉の鍵となる王の血の通った息子や娘だけが、開ける事が出来て、孫は血が薄くて反応しないのかも知れんな」
レイチェルは王子を抱えながら喋った。
「確かに、それも十分考えられる、王の子以外は開けられない可能性も十分あります」
王子は少しホッとした様子で、宰相は続けて話し出した。
「とにかく、その扉は、今は開ける事が出来ないと解ったので、とりあえず、王子を休ませて、今は王を手分けして捜すのに、全力を尽くすのが良いかと思うが」
レイチェルとケントは王子を椅子まで運んだ。
宰相は扉の傍まで歩いて皆の前に立ち、レイチェルに問い掛けた。
「それでは、今回は、皆、この場を解散する事で宜しいですかな、レイチェル女史」
レイチェルは王子を椅子に座らせてから答えた。
「皆さん、私の話を聞いて下さい、実は王からの手紙の中に便箋は二つ入ってましたが、私はその内の一つしか読んでいません」
レイチェルは、また手紙を取り出し、中の便箋が二枚あることをアピールした。
「でも、先程、一枚目の便箋の内容しか読まなかったのは、二枚目の内容が、アルム王子が開けられなかった後の指示だったからです」
宰相は驚いて尋ねた。
「なぜ、王は、王子が扉を開けられなかった時の事まで考えておられたのだ」
レイチェルは返答した。
「それは、王がこの『英雄の蔵』を開ける決心をしたのは、協会が保護した王の隠し子を、私がここに連れて行くと、王に話したからである」
広間が騒ぎ始めた、宰相とアルム王子は共に驚いた。
レイチェルは弟子を呼んだ。
「弟子のアルよ、こっちに来て扉に手を宛てよ」
アルは、レイチェルの傍にある扉に近づいて、扉に手を宛てた。すると、扉はいきなり、後方にずれて、勝手に横に動き始めた。
「これが、動かぬ証拠です。私の弟子として紹介したこのアルは、陛下の隠し子でありますが、失踪事件の件もあり、命の危険も考えうるので、秘密裏で薬師協会が保護していました。しかし、今まで隠し子である確証が存在せず、少し疑いもありましたが、王と王子が攫われて失踪したときの切り札として、この寸前まで黙っていました。あくまでも、扉を開ける事が出来る人がどこにも居なくなった時の、最終手段として使う予定でした」
宰相は目を丸くした。
「となると、その弟子は王の血を受け継いだこの国王の一族となるのか、国王亡き後の跡継ぎに支障がでるな、しかも、アルム王子は扉を開くことが出来なかったなら、尚更」
レイチェルは咳払いをして話を続けた。
「跡継ぎの話は、国王の安否を確認してからでも遅くはありません。今は扉が開いてしまった以上、この『英雄の蔵』の中を調べて、失踪事件の遺恨が無いかの、この国の潔白が最優先ではなかろうか、このまま、扉を開けて放置した状態で、陛下を捜す訳にはいかない。次は扉を開けた王の隠し子が失踪するかもしれん、今のうちにこの蔵を調べた方が良いと私は思うが、宰相はどう考えですか」
宰相は顎を触りながら言葉を発した。
「では、レイチェル女史、其方、どうやって中を調べるのだ?この扉の奥の通路は、ここに居る全員が入るのは少し無理がある、かと言って、レイチェル女史一人が中に入っても信用が出来ない、レイチェル女史は協会側の人で、持参した嘘の証拠で、でっち上げる事も有るかもしれん、皆が納得行く方法があるか?レイチェル女史」
「それも陛下の手紙に書いているので読みます。昔、儂自身がこの中に入ったが、中は狭く、また、原則では王室以外立入禁止なので、中に入るのはレイチェル薬師含む数人とする。中に入る者はこの広間に呼んでおり、ここに名前を書いて指名する。その名は儂の指定した優秀な護衛兵二人に使用人一人、宰相と高官一人、そして、レイチェル薬師の弟子二人だけ、中に入る事を許可する、つまり、儂が指定された者共だけで蔵を調査せよ。と書かれています」
レイチェルは便箋をジルド宰相に見せた。
「確かにそう書いておる、了解した、国王の指示に従って、手紙に書いてある者だけを連れて、今から蔵の中に入ろうか。それから、レイチェル女史、蔵の中も大事じゃが、国王が見つからないままでは、それこそ国家の失態であり、私の失態でもある。蔵の中の調査は手短にやって貰えぬか」
「わかりました、出来るだけ手早く行います、では参りましょうか」
私とレイチェル、ケントに宰相、そして監視と証人役として国王に書かれたこの国に仕えてる人達と共にそれぞれランタンを持って、扉の奥を進んだ。
蔵で笑う炎達
昔の失踪事件の痕跡が残っていないかの調査をするために、一団は蔵の中に入り、石で囲まれた階段を暗がりの中、降りて行った。宰相はレイチェルに尋ねた。
「おい、レイチェル女史、なぜ、其方は、アルム王子に扉が開かなかった事実を追求しないのだ。アルム王子は失踪事件の時の希少な生存者の一人であり、王の血の繋がった孫、本来なら開けられる筈の扉が反応しなかった事実を追求すれば、失踪事件の黒幕が判明するかも知れないのだぞ、この蔵の調査より重要ではないのか」
レイチェルは答えた。
「一つは、その黒幕が広間に集まった人達に危害を与えないか心配なので、あの広間で王子を追求する様な行為はせず、黒幕を追い込まないように配慮してます」
宰相は答えた。
「ほぉ、なるほど、他にもあるのか?」
「もう一つは、国王に約束しました。他国に知れ渡らない様に薬師協会とクアニル国との間で穏便に解決する。それと薬師協会との和解を条件に、国王にこの失踪事件解決への協力をお願いしたら、国王は快く承諾しました。広間で黒幕を追求すると大勢に知れ渡り、大事になるのを避けました」
「なるほど、それで、扉が開かない王子を相手にせず、皆の目が届かない蔵の中を急いだのか」
レイチェルは少し笑みを浮かべて、宰相に話し掛けた。
「では宰相に聞きますが、この蔵に痕跡があるならば、国王は失踪事件の真相もそれを隠そうとしてた人間も知ってる筈、それなのに、何故、慌てないのですか」
宰相も笑みを浮かべてして答えた。
「もう少し、其方の考えを見てみたい、それに人目が無いこの場所は私も好む、気が合いますな」
レイチェルは、笑みを続けて言葉を返した。
「なるほど、宰相の期待に応えるために、気合を入れてこの捜査に励まないと」
宰相はまた、笑みを浮かべて話した。
「ほほう、それは楽しみですな」
暗い石の階段を降りると鉄の扉があった、宰相は言った。
「この扉は誰でも開けられるぞ、衛兵、扉を開けよ」
衛兵は前に出て、扉を開けた。
アルは思った。なぜ、宰相がこの扉の事を知っているのだろうか、この蔵は長い間、誰も入って居ない筈だが、
レイチェルは先に中に入り、皆は後を付いて行った。
最後に宰相が入り扉を閉め、レイチェルに左を指差して言った。
「お前が見たいのは、その左にある奴だろう」
この部屋に入った全員が、左をランタンで照らした。
「こ、これは、なんだ、この死骸の山は」
左に死骸が積み重なった山があった。死骸は服を着たままで、乾燥されてミイラ状態になっていた。
「これは、何ですか」
使用人は宰相に答えた。
「昔、この王宮や王太子の屋敷にいた者の死体じゃ、お前達の探してた薬師の死体もこの中にある」
使用人は恐れながら尋ねた。
「なぜ、宰相が、それを御存じで」
宰相は話を続けた。
「儂が国王に頼んで蔵の扉を開けて貰い、当時の死者をここに隠すように頼んだ。ここに隠せば誰にも見つからず、死んだ人は行方不明にして迷宮入りすれば良いとね。エイルランド国王の御子息であるハリム王太子や、薬師協会創設者の血統であり、協会で地位の高い薬師が死んだとあっては、この国の存亡に関わるので、ここに遺体を隠して失踪した事にすれば、このクアニル国は救われると脅迫に近い助言をしてね、国王は涙を流し、苦い顔をして承諾したよ」
一同は目を丸くした。使用人は背筋が寒くなり、辺りを見回して叫んだ。
「え、衛兵はどこだ、衛兵は」
宰相は答えた。
「二人とも永遠の眠りについた、さっき閉めた扉の外で寝ている」
使用人は腰を抜かして、床に尻もちをつけた。
慌ててレイチェルが言葉を発した。
「不注意であった、お前がここに入るからには何か、覚悟があって大人しく同行したと思っていたから、先程は尋ねたが、まさか、衛兵を簡単に殺すとはな」
宰相はまた、笑みを浮かべて話した。
「お前は解っていただろう、俺と偽の王子の事を国王から全て聞いている筈じゃが」
レイチェルは睨んで言葉を返した。
「ああ、国王から聞いたよ、娘が死んでいながら、国の存亡のために、当時死んだ者を全て、この蔵の中に運んで闇に葬ったと、涙を流しながらね」
宰相は笑いながら喋った。
「国王は辛いね、娘や息子の死より、国の立場が悪くなるのを恐れて、殺人を企てた者に協力して、証拠隠滅の手伝いをさせられてね、確かに涙が出そうだ」
レイチェルは更に宰相に語り掛けた。
「で、私がどこまで知ってるか、協会がどこまで調べ上げたか、知りたくはないか」
宰相はレイチェルを見て答えた。
「話したいなら、聞いてやるぞ、教えてくれるなら、多少は興味ある」
レイチェルは、アルを見つめた。
「おい、アル、いや、アルム王子、お前の父がなぜ、此奴に殺されたか教えてやろう」
周りの者はアルに注目した。そして、宰相も驚きながら言った。
「お前は、アルム王子なのか、だからこの扉を開ける事が出来たのか、王子はこの死体の山の何処かに一緒になってると思ったよ。当時は時間が無くて、王女の息子の死体確認なんて出来なかったからな、使用人と一緒にまとめて死んだと思ってたよ」
アルは答えた。
「俺は使用人と屋敷を逃れて、何とか王都を脱出したよ、レイチェルと一緒にな」
宰相は目を丸くした。
「ほほう、レイチェル女史もこの王都出身であったか、そして、当時の事件の後に王都から出られたのか」
レイチェルは答えた。
「その事は後で言ってやるよ、まずは、何故、当時、大量虐殺が行われたか、それは、エレサ先生、いや、ここに長い間潜入していた協会の女性薬師であり、同じ師の仲で兄と慕っていたオトキオ大師、つまり、当時、消えた兄弟子のオトキオ大師を調べようと、この国を隠れて調べ上げた結果、宰相の屋敷からこの書物が見つかった」
レイチェルは、手に古くなった手書きの本を宰相に見せて言った。
「宰相、これは、オトキオ大師の家から盗んだのか」
宰相は答えた。
「それを持っていたのか、エレサ先生はあのオトキオの知り合いの薬師だったのか、先生は大変だったね、偽物のアルム王子の寝室にも通い、私の邸宅にも泊まって、まさに体を張って、オトキオの失踪を調べておったか、それを考えると気の毒に思う、長い間、この王都で一緒に居ただけに同情するよ」
レイチェルは話を続けた。
「それは、ひとまず置いといて、アルやケントにこれを説明するが、これは、オトキオ大師がこの大陸の至る所に残っている古代魔術師の遺跡や痕跡を調査し、協会の図書で調べて書き留めた、古代魔術の研究書だよ、オトキオ大師の直筆のね」
アルは驚き、ケントは目を丸くして言った。
「そんな素晴らしい書物があったのか、一度見てみたい、しかし、なぜ、宰相の部屋にその書物が見つかったのだ」
レイチェルは話を続けた。
「エレサ先生が宰相の邸宅を調べると、秘密の部屋が見つかり、魔方陣が書かれていて、そこに、この書物があり、他にもいろいろと魔術に使う材料や道具があったと聞いている」
宰相はその言葉に答えた。
「その書物を手に入れたからには、私の邸宅の地下にある魔法部屋も見つけただろうね」
宰相がそう話した後、ケントは答えた。
「魔法部屋や魔方陣?お前、この大陸の人間か?この大陸は魔法禁止な筈、お前は俺と同じ海外から来た魔術師か」
宰相は答えた。
「ほほう、其方、海外から来た魔術師か、そしたら、呪い魔法を扱うジルバートという名前を御存じか」
ケントは答えた。
「知ってるよ、昔、かなり危険な呪いの術が好きで呪いを研究し、度が過ぎて沢山の墓を掘り起こして、大量に遺体を集めて、危険で強力な呪術を試そうとして、学校が見るに見兼ねて自国国家に状況を説明して相談した結果、国外追放となり、魔法学校同士の情報機関によって、各国でお尋ね者になった気の狂った魔術師がいるって」
レイチェルが話を割って入った。
「その魔術師が此奴の正体だ、エレサ先生の持ち出した証拠品を元に協会の方で海外に渡って調べた結果、その魔術師ジルバートなのを調べ上げた」
宰相はレイチェルの言葉に、両手を上げ拍手をしながら言った。
「そこまで調べてるとはね」
レイチェルは話を続けた。
「そして、この宰相がクアニル国に居る以前を調べたら、当時のオトキオ大師と同じ様にこの大陸の古代魔法を調べていた事実が明らかになり、その時にオトキオ大師のことを知ったのでは無いかと協会は推測されてる。そして、オトキオ大師がこのクアニルに来た理由は元々、このクアニル国領内に幾つかある、立ち入り禁止の古代魔術の遺跡に危険は無いか、調査して貰うという話を持ち掛けられたのが切っ掛けらしく、その調査を発案したのが、当時、副宰相であった、ジルト副宰相なのが、協会が調べた結果、判明した」
宰相はまた拍手をして頷いた。
「その通り、よく調べたね」
「そして、宰相の部屋に見つかったオトキオ大師の書物で全て解った、此奴が失踪事件を起こした理由は、オトキオ大師の研究結果が記された本を手に入れるためだと」
「その通りだ」
「それで、国王が当時可愛がってた、遅く生まれた幼い王子に毒を盛って毒殺し、その犯人を特級薬師しか手に入らない希少な毒だからと、オトキオ大師に罪を着せて捕らえて殺害して、ついでに王太子の屋敷に乗り込み、王太子の家族と使用人の全てを殺害して、後継者争いで内部の派閥の者にみんな殺されたと国王に報告して、遺体をこの中に隠して全て行方不明にして失踪事件にした。それらの理由は皆、此奴がオトキオ大師から研究書を奪うためにやったのだ、アルの家族が殺されたのも、これが理由だ」
アルは宰相を睨んで、形相を変えて言葉を吐いた。
「お前が俺の両親を殺したのか」
宰相は答えた。
「いや、当時の話だけどね、消す予定だったのはハリム王太子だけで、王女と子供や王太子の屋敷に仕えていた者は捕まえて保護する計画だったんだよ、当時の俺の考えは王女の子供、つまり、お前を生かして王の後継者にするつもりだったんだ。幼い子には状況が解らんし、お前を殺すと王女まで殺さないと面倒になるから、そこまでやりたくなかった。偽物を王子にするより本物のが、遥かにリスクは少ないのも解るだろ。でもな、俺の部下がヘマをして、使用人の子供を王女の子供と間違えて連れて来たのを、後から気付いたんだよ。それで、その使用人の子を後継者に仕立て上げようと作戦変更して、偽の子供とバレないように母の王女と屋敷の中の者を全て始末したよ、俺の部下が失敗したせいでお前の母である王女まで殺害した。すまんな、アルム王子」
アルは宰相を再び睨みつけ、腰の剣を手に懸け、構えた。
「ほほう、俺とやるのか、そろそろ、お喋りは終わりかな、では、そのオトキオ大師の書物を読み、この大陸の古代魔術を研究した成果を出すかな。出口は俺の後ろだよ」
宰相の周りに黒い炎のような陽炎が溢れ出た。
「レイチェルよ、恩に着るよ、ここで全員殺して出て行けば、ここにいる高官や衛兵を犯人に仕立て上げて、俺だけ命からがら逃げ延びた事にして、この蔵の扉を閉めたら良い、外にいる者は宰相である俺を信じて、しかも、この蔵の扉は二度と開かない。俺は今まで通り、この国の宰相として生きて、その後、国王も生きてたら暗殺する。この蔵に入る前からお前達を全員、殺すつもりだったよ、アルム王子が誰であってもね」
「あわわわわわ」
使用人が声を震わせ、地面を這いながら遠ざかろうとした。
宰相は使用人に向かって手を伸ばすと、その手から黒い炎が飛び出して、その汚れた炎が使用人を襲い掛かった。
しかし、誰かが間に入り、両手を前に出し、手のひらの前に現れた白い壁によって、黒い炎は止まった。
「証人を殺されると困るよ。お前は運が悪かったな、あんたの好きにはさせないよ。今日だけは魔法を使ってもいいって言われた理由が今解ったよ。ここで何もせず、ボーッと突っ立てたら、レイチェル師から叱られて破門されそうだからね」
ケントは使用人の前に立ち、術を使った白い壁で、宰相の黒い炎を遮った。
「皆さーん、アルも俺の後ろに急いで来い、死にたくなかったら急いで来い」
ケントは両手を前に出し、宰相を見つめた。宰相は睨み返して叫んだ。
「お前、俺に勝つつもりか、どう足掻いても、ここに居る奴は二度とここから出られないよ。いいだろ、遊んでやるよ、お互いに魔法で戦うなんか何十年振りだろうね、楽しませてくれよ」
突然、宰相に向かって、横から本が飛んで来た、宰相は叫んだ。
「何を無駄な事をする、誰だ」
その先はレイチェルが立っていた。
「宰相、俺の話はまだ終わっていないぞ、お前のやった悪事は、まだ全て話していない、それに、私の事も言っていない、ここを去る前に聞きたくはないか」
宰相はレイチェルを見て面倒そうに言った。
「なんだ、まだあるのか、手短にしろよ、もう飽きて来たぞ、話を聞くのも」
「そう言うな、終わったら、お前に面白い物見せてやるから、おい、宰相、この王都に居た国王の弟の娘の美人姉妹を知ってるだろ、妹はオトキオ大師の子供を産んだと噂されてる」
「あ、なんだ、それも知ってるのか」
「それだよ、妹は禁止の媚薬を使って、オトキオ大師をその気にして、二人は結ばれた。妹は父の紹介で他国の貴族と結婚する予定だったが、オトキオ大師に惚れてる事実を知ってたお前は、その妹に薬師協会でも使用を禁じられている媚薬を騙して与えて、妹は、お前から貰った禁断の薬を二人で居る時に使い、国王の弟の娘と関係持たせて、オトキオ大師の立場を悪くして、その後、妹はその嫁ぎ先で立場が悪くなって家を出て、クアニル国の近くの森で自害をして、オトキオ大師はクアニル国内で悪い噂が広まったので、エイルランドに帰還する辞令が出たのを知ってから、オトキオ大師を殺害して、大師の自宅を荒らして、魔術研究の資料を全て奪い取った。この事件の始まりは、このジルド宰相が、その妹に禁断の薬を渡した出来事が全ての始まりだったのさ、この事件の全容のね」
宰相は高笑いをしながら言った。
「あはは、そこまで調べたのか、いや、参ったよ、本来ならさ、この国でのオトキオの信用が失ってから、適当な罪を被せて牢獄して、自宅の物を全部没収しようと考えていてね、その王族の姉妹の妹の嫁ぎ先に、薬師と寝た子を産んだと噂を広げて、その女を追い込んでね、そしたらその嫁いだ妹は自害したのさ、その後も、王宮や政府でオトキオと王族の嫁いだ娘との不貞の噂も広げてね、オトキオを追い込んでやったさ、本当なら人を殺すつもりなんて無かったのさ、でもさ、オトキオがエイルランドに帰ると聞いてね、俺は焦ってね、どうにかして、オトキオの家に置いてある魔法に関する物を、移動してしまう前に全部没収して俺の物にしたくてね、思いついたのが、当時、国王が可愛がってた幼い息子を毒殺して、犯人を特級薬師のオトキオに罪を着せて殺して、ついでに王太子も殺して、政府や宮中での派閥争いが激化して、報復で王太子が殺された事にして国王に報告し、これらの嘘の御家騒動を国王にもみ消して貰うように私が説得する計画さ、それが見事に成功したよ、王太子の息子が逃げ延びて生きてた事くらいだな、ミスしたのはね」
レイチェルは顔を引きつり、話を続けた。
「俺の話は終わったぞ、それで、お前は何をするんだっけ」
「お前の弟子の魔法使いと、軽く遊んでやる所だったんだ」
「じゃ、その前に俺と遊ばないか?俺も術を使えるぞ」
「そうなのか、もしかして、お前は、薬師の中でも極一部の魔術を扱える薬師なのか」
「そうだよ、だから、先に俺と勝負しろよ、おい、ケント、そっちに魔法が飛ぶかも知れないから、全力で皆を守れよ」
レイチェルは右手を顔まで上げ、手の平を自身の顔に向けて、目を見開き、薄らいだ微笑みを浮かべた。その姿は何か得体の知れない色気があった。
宰相はレイチェルに言葉を掛けた。
「お前の様な綺麗な娘を殺すのは惜しい。出来れば最後まで残して、死なない程度に痛めつけてからいろいろ楽しみたかったが、仕方ない、遊んでやるか」
宰相は黒い炎を身にまとい、その炎を周りに広げて激しくうごめかせて、レイチェルに問うた。
「これを見ても、まだ俺とやる気か、許しを請うなら今でも遅くないぞ、お前を最後に残してやって、俺に優しくして、一生俺のために尽くすなら、この国で俺と共に生きる事を許してもいいぞ、お前が俺に尽くすならな」
レイチェルも赤黒い炎を体中に纏い、辺り一帯の炎が蛇の群れのように絡まっていた。
宰相は驚いた。
「ほほう、其方もこの大陸の古代魔術を使うのか、しかも今、俺の使っているオトキオ大師の研究書に書かれてた火炎系の魔術に似ておる」
レイチェルは口を曲げてニヤけた。
「お前の身の程知らずもいい所だな、お前が持ってたオトキオ大師の研究書を見せて貰ったが、あれは、エイルランドにある大師が残した沢山の研究書を手短に簡単にまとめたメモ書きみたいな物だ、あの研究書を見ただけでは、その程度の火炎魔術しか、使えんわな」
宰相は言い返した。
「お前もオトキオ大師の研究書を読んで魔術を使えるようになったのか?そんな簡単に使える代物じゃないぞ、この古代魔術は」
レイチェルはより一層、炎を激しくして、ニヤッとして喋った。
「ああ、小さい頃から読んでいて、一部の古代魔術は使えるようになったよ、エイルランドの協会本部に保管してあった、オトキオ大師が残した書物を読んでね」
宰相は叫んだ。
「なぜ、幼少の頃から、古代魔術の書物を読むことが出来るのだ、協会は極一部の薬師以外、魔術の資料を読む行為を禁止してる筈だ、その事はとっくの昔に知ってるぞ、子供のお前が読める筈はない、なぜ、小さい頃からそれを読めるのだ」
「父の形見だからだ、協会が俺に形見だからと、父が残した書物を全て部屋に置いてくれた。俺の母はオトキオと結ばれて、俺を生んで幼少まで育てて、その後死んでいった。そのオトキオもお前に殺されて、俺は王太子の息子と一緒に馬車に乗り、エイルランドまで運ばれて、協会に預けられて学校に通った。そして残された父の書物を読んで魔術を使えるようになった。父の兄弟が言うには、魔術を扱う能力が生まれ以ってあるらしい」
宰相は驚き、叫んだ。
「そうか、お前はオトキオとデキた王族の姉妹が産んだ子で、父のオトキオの家系は、薬師協会の創設者であり、この大陸の魔族の血筋と言われている。なるほど、生まれ以っての素質がある、この大陸の血を引いた魔術師か、お前はどこまで俺を楽しませてくれる、この土地の古代魔術を扱う、この土地の魔族の末裔の娘か、実に面白い、もう遊びは終わりだ、全力でお前を焼き尽くし、この大陸で俺より魔力が高い奴など居ない事を証明してやる!」
宰相の周りの黒い炎は、この部屋一杯に膨れ上がり、宰相自身から湧き広がり、壁にまで流れていく。
ケントは両手を前に突き出し、必死に魔法の壁を作り、赤と黒のうごめいた炎を防いだ。
「なんだ、この炎は、くそう、この炎の圧力が強すぎて、炎に押されて手が浸かりそうだ、くそう、絶対に負けられん、こんな異国に来てまで、魔術で負けてたまるか!この手が燃えても構わん、くそう」
後ろに居るアルや使用人の周りに、黒い汚れた炎が迫り、後ろで非難してる者は祈る思いで伏せていた。
レイチェルは狂った様に笑いながら叫んだ。
「さっき、お前が言った事をそのまま返してやろう、お前、俺に勝つ気でいるのか?お前、俺に遊んでやるんじゃなかったのか?それで全力だと、ホントは怖気づいてるのか」
レイチェルは赤黒い炎を体中から吹き出して、天井まで焦がして黒い炎を押し出した。宰相の黒い炎は押し返され、レイチェルの赤黒い炎に跳ね返されそうになっている。
レイチェルは宰相を睨みつけながら笑い叫んだ。
「ジルド宰相、これを見て、まだお前はやる気か、今なら遅くは無いぞ、俺に命乞いするなら許してやってもいいぞ、お前を縄で縛って、一生鞭で叩いて、お前を苦しめてやるからな、お前に消された父や母の分まで、お前を苦しめてやるよ」
レイチェルの炎は一層赤黒い炎を強く押し出した。
宰相は目を怒らせ激しく怒鳴った。
「小娘が、天下の大魔術師の魔力を、身を以って味わうが良い、天下を知らない小娘が、己の無知をこの痛みで知れ」
宰相の黒い炎は、体中からガスバーナーのように飛び散り、壁を焦がした。
「痛み?お前の炎はどこにあるのだ?こっちまで届いていないようだが、お前の炎を味わいたいところだが、弱すぎてどこにあるのか見当たらんよ、早くお前の炎をこっちに届けてくれないと、お前の体は俺の炎で燃え尽きてしまうぞ」
レイチェルの目、耳、口からも炎が激しく飛び出し、肌は焼け焦げ、爪からも炎が溢れ出て、鬼のような形相になった。
「この化け物女め、俺は、お前を焼き尽くして、この世界を俺の魔術で制圧してやる。俺の炎はこんな物じゃない、見ておれ、後で後悔するなよ、お前を塵にするまで焼き尽くしてやる」
宰相も目から口から炎が飛び出し、爪と肌が炎で溶けて行き、毛という毛は全て燃え尽くし、衣服は全て燃えて無くなった。
レイチェルは尚も叫んだ。
「届いてない、届いてない、どこにあるのだ、お前の炎は、俺の声が聞えるだろ?お前の炎はここには全く届いていない、お前は、オトキオの研究書をちゃんと読んだか、なんだその未熟な炎は、天下の呪いの魔術師とは口だけか?天下の魔術はこんな物か、早く俺を燃え尽くして塵にしろよ」
この蔵の部屋中、異様な炎で一杯になり、まるで鍛冶屋の炉の中に居る風景となった。ケントの両手は肘まで燃えだし、鼻が炎に付きそうになってるが、それでも構えを解こうとせず、二人の炎に耐え抜き、叫んだ。
「おい!ジルバート!俺も生きているぞ、この部屋に居る人全員生きてるぞ、それが天下の魔術師の炎か、恥かく前にここから逃げたらどうだ、お前の炎は誰も燃やされてないぞ」
ケントまで狂い叫んだ。魔術師はなんて狂った奴ばかりなのだと、ケントの背中で耐えながら、アルは思った。
宰相は力の限り叫んだ。
「お前ら、冥途の土産に見るが良い、伝説となる、この世のいかなる物も燃え尽くすこの業火を!まだだ、まだ、まだだ、もっと燃やしてやる、お前らの存在が、全て消えて無くなるまで燃やし続けてやる!」
宰相の体が揺らめき出して、細くなり、皮膚は飛び散り、骨は剥き出しになり、顔の皮膚も燃えて消えて行き、歯は千切れて、頭蓋骨から黒い炎が飛び散り、皮膚と肉は全て消え去り、骨は地面に全て落ちて、黒い炎は薄くなり、やがて消えて行った。
部屋中にあった炎は薄くなり、霧の様に漂った存在になり、やがて、全ての炎は消え去って、蔵の中は黒い焦げだらけになった。
ケントは焼けただれた両腕を降ろし、座り込んで叫んだ。
「もういやだ、もう御免だ、こんな事は二度とやりたく無い、生まれて初めて思った、三度の飯より好きな魔法を、もう見たく無いってね」
使用人と高官はガタガタ震えて、うずくまり、ジッとしたまま顔を上げようとは一切せず、小刻みに震え続けた。アルは座り込み、呆然としていたが、ふと思いついた。
「あ、レイチェルは?レイチェルはどうなった?」
アルは立ち上がり、ふら付きながら落ちているランタンを拾い上げて、レイチェルを捜し出した。燃え盛っている炎の中、アルもレイチェルの叫び声を聴いていたので、その方角に向かい、辺りを探した。
「アル、・・・アル」
傍にある瓦礫の下から声がしたので、瓦礫を掻き出して、声がする場所を捜した。
瓦礫の奥の方に手を伸ばして探ると、柔らかい棒が手に当たり、それを掴んだ、この感触は女の人の腕だ、その腕の周りにある瓦礫を必死に掻き出した。すると、瓦礫の中から黒い焼け焦げた女の姿が出て来た、レイチェルだ。
「レイチェル、大丈夫か」
「アル、・・・アルか、・・・ちょっと、やり過ぎた・・・動けない」
アルはレイチェルの黒い体を引き出した。
「いたいよ、アル」
アルはレイチェルを両腕で抱き上げ、瓦礫が少ないケントの近くにレイチェルを寝かせて、アルは声を掛けた。
「レイチェル、今から外に出て、地下の広間で待機してる人に助けを呼ぶからな、ここでしばらく休んでろ」
レイチェルは弱ってる体なのに力を振り絞って、アルの服を何とか引っ張って言った。
「待って」
アルは黒焦げのレイチェルに振り返って言った。
「何だよ、何がしたいんだよ」
レイチェルはつぶやいた。
「お前の親を暴いた、お前の旅の約束、守った、お前は、自由だ、好きにしろ、旅は終わりだ・・・頑張ったな・・・」
アルは涙を流した。
「何を言ってる、そんな苦しい状態で、言うセリフじゃないだろ」
レイチェルはつぶやき続けた。
「もう、約束は、守ったぞ、自由だ、王子に・・・なれ」
レイチェルは必至にアルの腕を引っ張ろうとしていた。
「黙れ!俺はまだお前の弟子だ、まだ終わっていない、だから待て、おいケント、頼む」
アルはレイチェルをケントに預けて、助けを呼ぼうと扉を開け、石の階段を駆け上がった。
ケントはレイチェルの傍についた、レイチェルは、笑いながらつぶやいた。
「あの・・・あの、バカまじゅつ師、燃え、やがった、じぶんで、燃え、やがった、ざまぁ、みろ」
ケントは全身黒焦げで横たわり、笑いながらそんなセリフを言うレイチェルに呆れかえった。
その後の王都
門番の検問をパスして、クアニル王都の門を通り抜けた荷馬車は、最初は静かに動いていたが、門からは見えない場所を過ぎた途端に、男は馬を手綱で叩き、馬は力を尽くして激しく、全力で走った。
「おい、小僧、追手が来るかも知れんから飛ばすぞ、我慢しろよ」
馬車は山道、あぜ道を突き抜け、上下に激しく揺れた。馬車の中から小さい声がする。
「お母さん・・・お母さん」
馬車の中には、二人の子供が居て、一人は泣き出しそうな声でお母さんを呼び、もう一人の子はその子を必死で抱きしめ、激しく揺れる馬車の中、頭や腰に木箱をぶつけながら、泣きそうな子を必死で庇った。その子は泣きそうな子に優しく言った。
「君のお母さんは僕のお母さんと一緒に居るよ、仲良く居るから安心して」
泣きそうな子は静かになった。
「大きくなったら絶対会えるよ、もし、会えなかったら、二人でお母さんに会いに行こう、俺が絶対、お前を連れて行って、お母さんに会わせてやるから、だから、安心して」
そして、私は泣きそうな顔をやめて、その子の顔をじっと見つめた。激しく揺れる馬車の中をずっと抱きしめて、庇ってくれているその子をじっと見た。
部屋の扉の音が突然鳴った。その後、扉が開いて、そこから声が聞こえた。
「おい、レイチェル、気分はどうだ、お前、体中包帯だらけでミイラみたいだな」
ロバートが部屋に入って来た。
ここはレイチェルの寝室、英雄の蔵の中で、自分の魔法で黒焦げになった後、地下の広間に残っていた人達でレイチェルは運ばれて、応急処置をして自宅の屋敷に運ばれ、その後、ロバートの治療で大事には至らなかったが、全身包帯が巻かれて、ベッドの中で寝たきり状態だった。
あの後の王都の状況を軽く説明していく。まず姿を消した国王だが実を言うと、王は行方不明になったのでは無く、全ては計画通りで、夜明け前に王宮に潜んだロバートとエレサ先生になっている妹弟子のヤヤに手伝って貰い、別の部屋に移動しただけだった。勿論、偽の診断書で持ち込まれた毒薬は飲んでおらず、その後、英雄の蔵が開いた後の騒ぎを聞いてから姿を現し、地下の広間に急いで向かって、パニックになってる者達を再び集めて、王自ら姿を消した事情を皆の前で軽く説明した。
地下の間の騒ぎが合ってから翌日、国王は地下の間に集めた者をもう一度集めて、国王自身が英雄の蔵の中で起こった出来事を大事にならないように、都合よく脚色した内容で説明した。英雄の蔵には何も証拠が無かったが、以前からの薬師協会による事件の調査で既に判明されていた、宰相が事件の黒幕と協力していたという調査内容を、蔵の中でレイチェルが公表して、彼女がその調査内容で宰相を問い詰めた所、宰相がいきなり、二人の衛兵を殺害した後、レイチェルを捕まえて蔵の中にいる者全てを下がるように指示をして、その後、宰相自身とレイチェルにランタンの油を被せて、火を付けて巻き込み自殺を計ろうとしたが、レイチェルは周りの人が急いで火を消したため、何とか命拾いしたが、宰相は放置され焼死して、蔵の中は火事になったと説明した。これはレイチェルを含めた、蔵の中に居た者の証言を集めてまとめた話である事も説明した。手紙で指示した中に入った者は全て、国王が信頼できる者をリストアップしたので口は堅く、蔵の中での証言も口裏を合わせた。無論、国王からの直々の説明なので、異論を唱える者は誰一人居なかった。
さて、宰相によって担がれた偽王子はと言うと、もう王子を装う事が出来ないので、軟禁状態となり、玉座に座る事もなく、以前の様に身勝手な振る舞いは出来なくなり、この偽王子を今後どうするかは保留している。宰相に甘やかされて育てられたので、逃げる度胸も無いだろうが、家政婦であった母も当時の事件で失い、身寄りも無く、彼も宰相の悪行の犠牲者であるのは国王も承知なので、処罰する気は無いみたいだ。
ロバートは現在、レイチェルの治療を行い、妹弟子のヤヤでありエレサ先生は元々、副宰相候補にも名前が挙げられた程の地位と信頼があるので、宰相が居なくなり、少し混乱しているクアニルの国政を手伝っている。二人とも隠密任務をする必要が無くなったが、この王都内で薬師である正体を、今更明かす事が出来ない身で、本来の薬師の仕事を、この王都内に居る内は行えないので、折を見てここを去り、別の任務に就く予定みたいだ。
さて、レイチェルが全身包帯を巻いて部屋のベッドで寝ている所に、ロバートがやって来た話に戻そうか、ロバートは続けてレイチェルに話し掛けた。
「お前が体張ってくれたおかげで、英雄の蔵の中での過去の出来事も無かった事になって、穏便に事件は解決したぞ、国王もクアニルの国家も大事には至らず、協会も優秀な薬師をこの王都に派遣する準備もして、クアニルとの遺恨も無くなり、全てはお前と潜伏活動して来た俺達が考えた計画通りに事が運んだよ、恩に着るよ。俺も隠密活動から開放されて、本来の薬師の任務に就く事が出来る。妹弟子はまた、別の諜報活動をやるつもりだけどね、あいつも変わってるよ」
レイチェルは寝たまま、ロバートに話し掛けた。
「そうか、最後は危なかったけど、事件も丸く収まって、この国も大事にならなくてよかった。最悪、俺とケントが奴の魔法に耐え切れなかったらと思うと、冷や冷やするよ」
「確かにな、お前らも無茶するよな。結果、宰相が自滅して燃え尽きて、三人無事で良かったよ、あっ、それから、アルの事はどうするんだよ。あいつ、国王の孫であり、国王の後継者にするため、本来のアルム王子として迎い入れるので王宮に来るようにと、国王が何度も使いを寄越して要請してるのに、レイチェルが元気になるまで家を離れませんと言って、使いの者を追い払ってるぞ。それで俺はまだ王子ではなく、レイチェルの弟子だからと言って、婦人学校の先生と、お前が診察した人達の巡回看護をして頑張っていてな、それで国王が心配してて困っているんだよ。お前が早く元気に成ってアルに言い聞かせないと、いい加減、国王が激怒するぞ、あいつには困ったものだ」
レイチェルは窓の外の青空を見て返事をした。
「そうか、あいつはまだ俺を心配してるのか、馬車の中でもずっと心配してたからな」
レイチェルは青空を見ながら、母から離れ、商団『ソルト』のソフィアに預けられ、夜中にアルと一緒に馬車に詰められて激しく揺れる馬車で、アルはずっと幼いレイチェルを庇い、レイチェルはずっとアルの服にしがみついていた、あの馬車の中を思い出していた。
完
草木が語る お伽話 ヒゲめん @hige_zula
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