秘密の幼なじみ

第1話 王子様は、私の隣に住んでいる

「桐谷先輩、今日の試合もすごかったです! 本当に尊敬してます!」


「ありがとうございます。応援、嬉しかったですよ」


夕焼けに染まる体育館の前。バスケ部のエースにしてキャプテン、桐谷悠真先輩は、今日も完璧な笑顔で後輩の女子に応えていた。


その姿を、私は少し離れた場所から見つめる。


スラリとした背丈、額にかかる汗を無造作に拭う仕草。柔らかな声に、誰もが心を奪われるのも当然だ。


「……相変わらず、人気だなぁ」


私は誰にも聞こえないくらいの小さな声でつぶやいて、視線をそらす。


その視線の先には、自転車が2台並んでいた。今日も一緒に帰るつもりだけど、今のこの状況では、さすがに近づくことはできない。


付き合ってるなんて、誰にも知られちゃいけない。


だって、悠真は学園の王子様。私なんかが隣にいると知れたら、どれだけ波紋が広がるか……想像するだけで、怖くなる。


「……あ、綾乃」


ふと、彼と目が合った。


その瞬間、彼の表情がふわりと和らぐ。さっきまでの“完璧な笑顔”じゃなくて、私だけが知っている、素の顔。


「先に自転車のとこ、行ってて」


彼はそう言って、後輩たちに軽く頭を下げると、足早にこちらに向かってきた。


「待たせた」


「ううん、別に。人気者さん、今日もお疲れ」


「……なんか、ちょっと拗ねてる?」


「別に。拗ねてないし」


頬を膨らませる私に、悠真はくすっと笑って、私の頭を軽く撫でた。


「はいはい、綾乃はかわいいです」


「……ばか。外で言うな」


頬が一気に熱くなる。


いつもはふざけてばかりの彼だけど、こういうところがずるい。だから、好きになってしまったのだ。


いや、好き“になってしまった”じゃない。


私はもう、とっくにこの人に夢中だ。



家は、隣同士。


部屋の窓からは、悠真の部屋が見える。小さいころから一緒に遊んで、一緒に成長してきた。幼なじみとして。


そして今は、恋人同士として。


でも、それはあくまでも“家の中だけ”の話。


「ただいまー……って、わ」


「綾乃、もう来てたの?」


悠真の家に入ると、彼は制服のシャツを脱いで、ソファに寝転がっていた。まるで家主のようにリラックスしているその姿に、私はちょっと呆れつつも、内心は嬉しくて仕方ない。


「先に来て、ご飯作ってたの。今日はカレー」


「お、やった。綾乃のカレー、めっちゃ好き」


「でしょ。私の愛がたっぷりだからね」


そう言いながら、私はキッチンへと戻る。エプロン姿のまま、ルウを煮込みながら、横目で彼の様子を盗み見た。


悠真は、目を細めて私の姿を追っている。外で見せるクールで完璧な姿とは違う、甘えたがりの彼がそこにいた。


「……なあ、綾乃」


「ん?」


「明日さ、また試合なんだけど。終わったら、一緒に出かけない?」


「いいけど……どうしたの、急に?」


「なんか、最近ずっと我慢させてる気がして」


彼の声が少しだけ低くなった。普段なら絶対に見せない、弱さのにじむトーン。


私は鍋の火を止めて、エプロンを外しながら、彼の隣に座る。


「我慢なんかしてないよ。私、悠真が好きだから」


その言葉に、彼はゆっくりと微笑んだ。


「俺も、綾乃が好き。……大好き」


その笑顔は、世界で私だけが知っている特別な笑顔だった。


でも、それでも。


その関係が永遠だなんて、保証はない。


明日、何が起こるかなんてわからない。


そして私は、このとき、まだ知らなかった。


この静かな日常が、あの子の一言で、大きく揺れ始めることになるなんて。


「綾乃、私ね――桐谷先輩、好きになっちゃったかも」

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