第37話 リュセル
教室の放課後。
昼休みにアリセアと話しをした時。
彼女が巻き込むことは出来ないと言うから、俺のやり方で勝手にすると宣言したら。
それからというもの彼女からの視線が、たびたび憂いを帯びた目で見られているのを感じていた。
(あー……逆に心配かけてるか……)
とはいえ、フォートにも、どうすることも出来ない。
「フォート、もう帰るの?」
アリセアの、じっと、下から見あげられるその眼差しに、フォートの胸がぎゅっと縮んだ。
「あぁ、また明日な」
「うん……今日は話せてよかったよ。また明日ね」
名残惜しそうにこちらを見上げながらも、アリセアはふと視線を伏せた。
まだ何か言いたそうな気配を残して。
俺も、これ以上ここにいたら、またアリセアに余計なことを言ってしまいそうで背を向けた。
ー俺を選べよー
なんて、な。
******
「はぁ……」
フォートのため息が、静まりかえった部屋に滲むように溶けた。
部屋の中は静まりかえり、夕暮れの光がカーテンの隙間から淡く差し込んでいる。
その温かな色の中、ふと視界の端に、懐かしい背表紙が映った。
――アリセアから借りた本。
随分前のことだ。
やべ……返してなかったっけ。
そう思ったが、今の彼女に返しても、きっと忘れてしまっているだろう。
眉を寄せて考える、戸惑う姿がありありと、思い浮かぶようだ。
「アリセア……」
その名を呼んだ時、不意に脳裏に蘇るのは、
首筋に浮かんだ、かすかな鬱血痕。
そして、彼女の周りの、淡い光の粒子。
その光は金糸のように揺らめきながら、耳元で小さく囁くような音を立てている。
おそらく……言葉にできない精霊の“祝福”そのもの。
今日、学校に復帰して早々。
それを見た時、"聞いた時”初めて、フォートは彼女の中に、
微量の“誰かの魔力”が流れていることを悟った。
誰か、なんて。
それを見たら、触れなくともわかる。
ユーグスト・アルゼイン
アストリア帝国の第2王子。
その実力は俺でも知っている。
過去、王立古代魔法研究員としても席を置き、それまで信じられていた基礎魔法理論を見事にひっくり返しーー
また、農村の復興や、財政改革、さらには福祉政策に力を入れている。
その功績を……鼻にかける訳でも無く、
ただ静かに、たんたんと。
彼が、歩く道に、爪あとを残していく。
外交に長けている兄の皇太子の方が注目が集まりやすいが、内助の功のように、ユーグスト殿下の信頼も、民から厚い。
それは、表では語られない"内の強さ"があるからだ。
「……そりゃ、勝てるわけねぇよな」
まるで、信頼度も違うだろう。
彼女の祝福は……精霊に愛されているーーそう称されているユーグストからの寵愛を受けたせいなのだろうか。
正直、彼女の事は、思っていた以上に、かなりのショックを与えた。
でも同時に、彼ならば仕方がないと思う自分もいて。
それが彼女の意思ならば、見守りたいとも思った。
ただ、それが自分があの時、ユーグスト殿下にあれこれ言ったせいだとしたら——。
(……責任、あるかもな)
彼女が誰かにすがるような心でいるのだとしたら。
あの、アリセアの表情が、それを示しているようだった。
彼女もまた、不安定な心の揺れをしているようだった。
(……なるべくして、なった関係かもしれない)
ただ、ユーグスト殿下の独りよがりで彼女を……で、なければいいのが。
けれど。
「どんな貴方でも、フォートはフォートだよね」なんて。
アリセアが笑ってくれたから。
その瞬間、"全ての自分”まで肯定してくれたようで。
過去の、大切だった“あの人”の面影が、アリセアに重なった。
そうしたら、例えどんな彼女でも。
笑ってくれていたらいいと、初めて気がついた。
「……他の案件もあるし、そろそろ俺も同時に動かないとな」
そう言って、わざと軽口で、言葉に出してみた。
『そろそろヤツを見つけよ』
ーー彼の言葉が、脳裏に甦る。
本格的に行動開始しなければ。
「さてと、……
リュセル」
フォートが、その名を呼んだだけで、空間から光の輪が出現した。
空間を切り開くようにして、影が出て……。
その影が、光り輝き……姿を現した。
それは、羽のある小さな白い鳥ーー手のひらサイズに収まる小ささである。
「お前っ、……またその姿か!」
フォートが、苦笑を漏らす。
神妙だった空気が、ふっと崩れた。
忘れていた。
こいつ、こういうやつだった。
『主さま~! ね、この姿、案外かわいいって言われるんですよ?』
リュセルは楽しげに羽ばたきながら、部屋の中をくるくる飛び回る。
「はいはい……」
フォートは肩をすくめて、軽く息をついた。
「……まあ、目立たねぇなら、丁度いいけどな」
小鳥の姿なら、視認しづらく、見られたとしても害はない。
あれを探すには、ちょうどいい。
『何か御用ですか』
リュセルが小鳥の姿で首を傾げる。
「あいつを探して欲しい……」
『あいつって……』
「アリセアのそばにいた………精霊のことだ」
そう言って、フォートは、リュセルの頭を、人指し指で触れる。
今までの記憶の断片をリュセルにみせるためだ。
『はいはいはい、あ~図書館にいた精霊ですね……。はい、はい、……え、あらら。主も報われないですね』
「いったん、黙れ」
気の抜ける返答に、額を押さえそうになる。
アリセアのそばに居ながらも、こいつで探す方が余程安全で効率が良い。
まず彼女が何に巻き込まれているか確認してからでも、彼の件は遅くはないはず。
例えリュセルが見つかろうと、その姿なら問題がなさそうだ。
『精霊の探索は、主さまの方が見つけるのが早いのでは?』
「俺は俺でやることがある」
『承知しました~では、今からでも行ってまいります』
「頼む」
リュセルの姿がポンッと光の粒子となって消えた。
静けさだけが残る部屋に、やっと、フォートは安堵のため息をついた。
ふと、窓の外を見ると、すっかり漆黒の空となっていた……。
アリセアのまわりで、何かが動いているならーー見逃すわけにはいかない。
「……何が見えても、すぐに動けるようにしとかないとな」
学園そのものを網で覆うような境界術。
誰にも気づかれず、内側の異変だけを拾う“目”が必要だ。
フォートは静かに床に立ち、瞼を閉じる。
次の瞬間――その瞳が開かれたとき、
彼の足元に青い魔法陣が、音もなく展開された。
一言の詠唱もない。
ただ静かに、淡々と。
青く輝くその術式は、ゆるやかに、しかし確かに回転を続ける。
通常ならば、魔法は詠唱がなければ発動しない。
だが、彼は当然のように、その光景を受け入れていた。
そしてためらいなく。
自分の親指を
………口で噛みきった。
淡く光るその魔法陣に、血を1滴……垂らす。
その瞬間、今度は陣が青紫色に輝きだし、フォートは足元から照らされーー。
「っ……!!」
頭が揺れ、……視界が滲んだ。
「想像以上に……きついな……」
膨大な魔力が、一瞬で吸われていく。
気を緩めれば倒れてしまいそうになる。
それでも——
せっかく発動したんだ。
無駄にしねぇ。
フォートは、視線を下に向け、目を細めて見据えた。
「学園ごと……張ってやる」
魔法陣が一気に広がり、青紫の光が床を這い、壁を走る。
まるで学園そのものを網で覆うように編み込まれていく。
透明な……誰も気が付けない“彼の境界”になるように。
「はっ……これで覆ったはずだ」
それでも、魔力が完全に回復するのに暫くかかるかもしれない。
フォートは、息をついた。
冷や汗が、頬を伝い、肩で息をする。
例えアリセアがあいつを選んでも……。
「俺は……俺のやり方で」
彼女を……。
フォートの呟きは、夜の闇に……溶けていった。
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