第36話 心を試されている
ここ一週間、ユーグストは、授業が終わるとすぐに。
実習室に行き、学園の図書館や、七不思議について改めて調べていた。
窓の外は茜色となり、間もなく夜になるーー。
校庭の建造物の崩れ、音楽室のピアノが流れる怪異。
厩にいる馬たちが意味もなく嘶く。
図書館の本がバラバラに……。
……その他にも。
……噴水の件は、仮の七不思議としておこう。
合間には、この学園の歴史も洗い直す。
初代学園長は、……オルフェルト・ミレナス。
就任当初は……26歳。かなり若い。
その10年後の36歳で、没、か。
現代魔法体系の祖:精霊との協調による魔力制御理論を確立。
それが今の魔法技術の向上にもなったと言われている。
……魔法技術について、あらゆるセンスがあった方だと聞いていた。
学園が設立されて、100年経とうが、それは変わらない。
「殿下、最近調べ物に集中しすぎて、コンを詰めすぎてませんか?」
そういうヤールは、壁に浅く寄りかかりながら、真剣な表情で手に持っていた歴史書をパラパラとめくる。
それでも、活字は頭に入っていくらしい。
……いわゆる速読だ。
「いや……今は少しでも多くの情報を知りたい」
ふっと、無意識に短くため息をついた。
身体は確かに休息が欲しがっているようだが。
……今は少しでも知識を蓄えて、それが彼女の手助けになれば。
その思いで、護衛のヤールの言う通り、一心不乱になっている自覚はある。
「命令していただいたら、俺も手伝いますけどね」
ヤールの真摯な眼差しは、どこかアリセアを彷彿とさせる。
彼も、助力を惜しまないで、手を貸してくれる1人だ。
いつも、冷静な彼の言葉に、僅かに温度が感じられた。
彼もまた、アリセアを……心配しているのだろう。
「ありがとう。だが、自分の目で確かめたいのもあってね」
「……そうですか」
とはいえ、ヤールには多くのことをすでに調べてもらっている。
1人の力ではこんな短期間に七不思議の全容が見えてこなかった。
目の前の紙には、ヤールが、調べてきた七不思議の概要が簡単にまとめられていた。
ユーグストは、喉の乾きを覚え、ティーカップに手を伸ばす。
「ところで……これは俺の勘なんですが」
ヤールが、静かに言葉を継いだ。
「アリセア嬢と、何かありました?」
――不意を突かれた。
「ごほっ……」
飲み物を口に含んだ絶妙なタイミング。
思い切り喉に引っかかった。
「や、ヤール……っ」
どうせ笑ってるのだろうと思い、顔をあげると、意外にも真剣な眼差しで。
ただ、静かにこちらを見つめていた。
そうだった。
彼はアリセアの…………。
「いや、何も……」
そう言って、ユーグストは伏し目がちに、そう答えた。
「……左様ですか」
ヤールも、それを聞いて、静かに視線を逸らす。
絶対に、信じてないだろうに、決して俺たちの領域には土足で踏み込んでこない。
沈黙を貫く彼。
彼もまた信頼出来る仲間である。
幼い頃から俺たち3人はつかず離れず付き合ってきたのだ。
それに……。
思考が奥底までいきそうになるのを、意図して浮上させる。
今は。とにかく情報だ。
図書館でもなんでも、活用しなくては。
そこまで考えて、ふとユーグストは思いだしていた。
アリセアと図書館に行った時、精霊の本が机の上に置かれていて……。
精霊、か。
精霊といえば、先日もアリセアが精霊の夢を見ていたなと、ユーグは1人つぶやく。
闇雲に探すより、いくつか焦点を絞って……。
例えばこの学園と精霊に関する記述がないか、改めて確認する必要があるな。
ヤールに、指示を出し、彼が退室するのを待って、ユーグストはため息をついた。
**********
午前二時の鐘が鳴る。
アリセアが眠る部屋の窓のカーテンが、夜風にふわりと揺れていた。
温もりのあるベッドから、自身だけ、そっと抜け出す。
いつも、気を張っているだろう彼女の、あどけない寝顔に、自然に頬が緩む。
この華奢なからだで、一体どれほどの重圧と闘っているのか……。
ー今日も頑張ったアリセアに、どうか祝福をー
そっと額にキスを送ると、彼女の肩まで、布団をかけてやる。
少し離れた窓辺にある、小さなランプに灯りをともし、椅子に座って精霊について書かれた歴史書のページをめくる。
静かな部屋で、彼女の寝息と、ページをめくる音だけが響く。
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。
『アリセア嬢と、何かありました?』
今頃になって、夕刻の、ヤールの声が頭に響く。
アリセアと何かあったかなんて。
まさか、彼女と婚姻前に身体を繋げたなんて……言えるはずがない。
これは……私の弱さだ。
2人で、不確かな想いを確かめるように、触れ合っている。
魔力暴走で、彼女を失いたくない……その不安、恐れ。
アリセアは、フォートを選ぶのではないかという、焦り。
愛している。
その気持ちがあるのは大前提だが……アリセアの気持ちを、まだはっきりと聞けていないのに。
……甘えているのは、きっと俺の方だ。
そんな時だった。
「好き……」
彼女の寝言が、空気を震わせた。
その言葉に、一瞬で思考の海から、現実に戻る。
アリセアは寝返りを打ち、誰かを求めるようにシーツに手を伸ばす。
「アリセア……」
今、自分の表情が、どうなっているかなんて、そんな事も分からない。
ただ、その温もりに惹かれるように、彼女の側へと戻り、その手を取る。
「今のは……俺の事だった?」
願いを込めて呟いた。
そうすると、彼女は眠りながらも、ふわっと微笑んでくれ。
もしそうだったら嬉しい……反面。
それと同時にあの黒髪の彼の顔がよぎる。
フォート、……いとも容易くアリセアの心の真ん中に入ってくる人物。
……今、この瞬間も、まるで誰かに心を試されているかのようだ。
「君が……幸せな道を行けるように、応援したいんだ」
彼女を尊重したい。
それは本心だ。
頭では分かっていても……。
心が追いつかない時がある。
彼女は、こんな関係になっても、戸惑いながらも俺から離れずにいてくれる。
今まで、言葉で明確に「好き」と言われたことは、まだない。
それなのに、こうした、ふとした行動の一つひとつが、まるで俺を好きだと語っているようで……。
その曖昧さに、胸が締めつけられるほど愛しさがこみ上げる。
彼女が俺の腕の中にいる間は、照れながらも安心したように笑って。
俺も、彼女が確かに自分の傍にいるという実感が沸いて……安堵する。
何度繋がっても愛しさが溢れる。
フォートには「彼女にも意思がある」なんて言ったが、
誰にも……渡したくないのは俺も同じで。
俺も……所詮は、ただの男だった。
彼女の気持ちを置き去りにしていないか不安で……
たまに自分の勝手さに自己嫌悪も、覚える。
だけど……。
「ん……ユーグ」
ハッとユーグストは彼女の顔を見つめる。
先程の言葉に続いての後だと……。
「結構胸に響くな……」
泣き笑いのような、酷い顔をしてないだろうか。
「アリセア……俺は、君を待つ」
今日は、もう調べ物はやめにしよう。
アリセアのそばにいたい。
『ユーグ、そばにいてくれませんか』
彼女がいつも俺を求めてくれる限り。
せめて、許されている間は、隣にいてもいいだろうか。
俺は、そんなことを思いながら、寄り添った彼女の温もりを感じた。
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