第5話 こんな距離にまだ慣れなくて
アリセアが午前中は演習だと知っていたから、訓練後もユーグストはそのまま外で待っていた。
だが、少し離れた場所で、フォートがアリセアの腕を掴んでいるのが見えた瞬間、胸の奥がざわりと揺れる。
それが支えるための動作だったと理解していても──どこか、落ち着かなかった。
ユーグストは手綱を引きながら馬を歩ませ、そっとアリセアに声をかけた。
「教室に戻ってる途中にごめん、ちょうど姿が見えたから」
声はできるだけ穏やかに。
彼女に会いたかったのは本当だ。
「きっと、心配で、様子を見に来て下さったのですよね?ありがとうございます」
彼女は少し目を伏せ、照れたように微笑む。
(……本当に、無理していないだろうか)
彼女の小さな体が自分の腕の中にすっぽりと収まっていて、自然と手綱を握る手に力が入る。
彼女の頬にも赤みが見えた。
(意識しているのは私だけじゃないんだな)
ふっと笑みがこぼれそうになり、それを悟られぬように口元を引き締めた。
アリセアは、すぐ近くで彼の声が聞こえるこの状況に、まだ胸が高鳴って慣れない。
お昼は殆どの生徒が食堂に集まるので、演習場付近の校庭は、人が閑散としているのだけが救いだ。
アリセアのクラスメイト達もあまりおらず、ホッとした。
(からかってくる方なんていないだろうけど、やっぱり恥ずかしいものね)
そう考えていると。
「心配でもあったけど、単に私が会いたかったからね」
「え……?」
思わず、彼の顔を見上げてしまった。
(あ、すぐ目の前に……)
近くで見つめ合う状況に、アリセアの唇に震えがはしる。
ユーグストの眼差しに、ほんのり甘さが加わっている気がして。
「えっ、……と」
なにか気の利いた言葉を話したかったが、間の抜けた声しか絞りだせなかった。
すると私の返事に、ふっと笑う声が耳元のすぐ近くで聞こえる。
笑われてしまった。
(……とても恥ずかしい)
馬をしばらく走らせ、2人は奥まった静かなところに移動した。
丁度先程の演習施設の裏手にあたる場所かな?
小さな花壇とベンチもある。
「少し、降りて話そうか」
演習が二限に渡ってあった為、今からちょうどお昼だ。しばらくは時間がある。
「あ……」
私とユーグが馬からおりると、自然と馬が、元来た道の方に引き返してしまった。
「大丈夫なのですか?」
「あぁ、あの子たち馬は頭がいいから、例えば戦で主が落ちたとしても、馬単体で、自力で帰れるように訓練されているんだ。この学園の距離なら心配ないよ」
「なるほど」
そんなに頭がいいなんて。
確かにここは学園で安全だし、さほど馬屋から離れていない。
近くのベンチに腰掛けた私たち。
ここなら誰も来ないとユーグはほんの少しだけ悪い顔をした。
普段は優しい表情の彼だけど、こんな顔もするんだ。
意外な一面が垣間見れて、心がぽかぽかした。
「疲れただろう、これを渡したくて」
「これは、いちご味の体力回復ポーション?」
わ、と声を思わず上げる。
「復帰したてでかなり疲労しただろうから、特別に貰ってきたんだ、アリセアにあげるよ」
アリセアは絶句した。
「とても有難いのですが、このポーション、かなりレアですよね?」
「そう、やっぱり驚くよね?」
「それはもう」
私の勢いに、ユーグは目を細めて笑う。
「そんなに驚いてくれるなんて、持ってきた甲斐があったかな」
「これが……王宮専属医師のソード様が作られたというレアアイテム」
「あぁ」
普段私たちが飲む体力回復ポーションは、野草味で、美味しさの、欠片もない。
良薬口に苦し。
その名の通りの代物である。
ただ、この数年は、野草味以外の、美味しさに特化した味付きタイプの回復ポーションが、気まぐれな周期で出回っていた。
手の中の透明な瓶には透明な液体が入っている。
正面のタグシールには、苺のイラストも描かれデザインも可愛い。
味付きポーションを開発したのは、異世界からきたと言われる家系でお生まれになった子孫、王宮専属医師の一人。
なんでも異世界の技術が組み込まれているとか。
自分に深く関わっていない方への記憶はあった。
でもそのお陰でこのポーションがどれほど貴重なものかわかった。
「貴重なものを、ありがとうございました」
ユーグ殿下の、お心遣いがじーんと心に響く。
丁寧にお礼を伝えた。
「アリセアの素直な気持ちが聞けるのは、嬉しいな」
そっと頭をひと撫でされた私は硬直した。
優しい瞳を向けてきた殿下は、ゆっくりと私の髪に手を滑らす。
本当にうれしそう。
「あの、私、そんなに変わってますか?」
恐る恐る口を開く。
「……まぁね?」
「聞くのが怖いのですが、殿下さえ良ければ改めて教えてください。以前の私はどんな感じだったのでしょうか」
「うーん、そうだね、……一言で言えば」
「いえば?」
ごくりと唾を飲み込み、続きを待つ。
そんな私を見て殿下はくすりと笑った。
少し前のめりすぎたかもしれない。
姿勢を正す。
「真面目な子だよ」
「え?」
思っていたのと違う答えが返ってきた。
「てっきり、言葉が冷たいとか、わがままだと……言われるかと思いました」
復帰前の、あの他者に対するツンツン言葉の指導の日々を思い出す。
「アリセアは決してわがままじゃない。むしろ、根っこは今の君と同じ真面目だし、優しい子だよ。ちょっとだけ言葉が……冷たく聞こえるだけで」
「ちょっとだけ?」
………本当に?
殿下は優しいから、私を前にして言葉を濁してくれてるのかもしれない。
話半分に聞いておくべきか……。
そんな疑いの眼差しを送る私の様子を見て、ユーグは苦笑しながら、分かりやすく伝えるためにどう言おうか悩んでいる様子だった。
「たとえば、そうだね、多分私が記憶がある君の頭にこうして同じように触れたとして」
言いながらユーグは先程と同じように私の頭にそっと手をのせ、滑らせる。
「はい」
「きっと彼女はこう言うだろうね。『ちょっとユーグ、そういうのはやめて』ってね。で、そのまま席を立ってどこかへ行ってしまうと思う」
「あ、なるほど」
確かに一度はビックリしたけれど、今の私は特に疑問も抱かず、受け入れていた。
そして――
私たちの距離は、想像していたよりもずっと近かったのだと、初めて気づく。
(ユーグと今はまだ、遠慮のないタメ口で話せる自信はないな……)
婚約者ではあるけれど、私の中では彼は王族なんだ、と、ある意味一線を引いてしまっていた。
過去の私は、殿下に対してどう思っていたのだろう。
「でもそれは、こんな事を言ったら怒られるかもしれないが、彼女はただ恥ずかしがっているだけだと思うんだ。まぁこれは私個人の願望も入ってるけどね」
「あ…」
言われてみれば、そうかもしれない、とアリセアも感じる。
きっと照れ隠しもあったのではないだろうか。
本音では嬉しさや楽しさを感じても、それをうまく表現する事が出来なかっただけかも。
こんなに穏やかで素敵なユーグスト殿下なら、
以前の私も、例え恋愛の好きじゃなくても、人間的に好ましいと思うはず。
(だから記憶をなくしても、私は彼を受け入れてたのかもしれないな)
「そういえば、ヤールがね。あれは市井で流行っている言葉、『ツンデレ』ってやつじゃないですか、って言ってたよ」
「ツン……デレ?」
ツンに……デレ? なんのことだろう。
とりあえず、デレの意味を誰かに聞きたい。
「真面目で努力家で……アリセアは私は努力家ではないって否定するかもしれないけど、いつも彼女は、暇さえあれば魔法塔や図書館にいて常に勉強しているようだ…った」
言いながら、彼はハッと何かに気がついたかのように言葉を閉ざす。
「アリセア」
「あ、はい!」
「今日の放課後学園に残っていて。迎えに行く」
「あ、分かりました!」
「とりあえずポーション飲んで、お昼からも頑張ってね」
「ありがとうございます」
ユーグは軽やかに立ち上がると、どこからともなく現れた赤髪の男性――
ヤールと一緒に校舎へと姿を消した。
気づかなかった……影から見ていたのかしら。
あの方には、以前いろいろと指導してもらった。
「あ、私も行かないと」
でもその前に。
ポーションを開封する。
きゅぽん。
蓋を外す時の良い音。
香りは甘い苺だ。
美味しそう、「頂きます」
1人でひっそりと呟き、
ごくごくと飲むと、口の中に広がる甘いフレーバー。
「美味しい……」
体力が一気に回復するのがわかった。
先程の演習の疲れで出ていた倦怠感もすでになく。
効き目が早い。
さすが、王宮専属医師さま。
午後からも頑張れそう。
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