ダンジョンという名の墓場
二六イサカ
第1話 少年の帰還
「俺、冒険者になるから」
(また言ってる)ザサリナはそう思いつつ、呆れたようにヤーノを眺めた。少年は泥と傷だらけの素足を、寒さの残る春の小川に浸している。
(寒い癖に痩せ我慢して)
「ヤーノじゃ無理」とザサリナ。「あたしにだって勝てないくせに」
「勝てるよ!」少年は言い返す。「俺には一流冒険者の血が流れてんだ。今にうんと背が伸びて、筋肉もムキムキになる。調子に乗れるのも今の内だぞ」
「あっそ」少女は興味なさげに答えると、握り拳を作って「ふん!」と相手の肩を殴った。「痛えっ!」ヤーノは悲鳴を上げて飛び退く。
「いきなり何すんだよ!」
「今に背が伸びて筋肉がつくって言ったのに、嘘吐き」
「そんな秒で伸びるかよ! お、お前ホントなんなんだよ!」
(馬鹿なヤーノ)ぎゃあぎゃあ騒ぐ少年をザサリナは睨み付ける。この男は口を開けば冒険者冒険者冒険者。根無し草で、その日暮らしの冒険者のどこがいいんだ。
元々は墓地だか要塞だか知らないダンジョンになんか潜って何が楽しい? 魔物どころか、村の子犬にだってビビるくせに。せっかくお父さんが良い土地を残してくれたのに。お母さんにもずっと反対されてるくせに。それにそれに──。
(あたしがいるのに…)
◇
ヤーノの父は冒険者だった。
彼は何年かダンジョンに潜った後で故郷へと戻り、少々神経質だが気立の良い娘と結婚して、肥えた土地を買う事が出来た。
冒険者時代の不摂生が祟ったのか、ヤーノがまだ小さい頃に父親は病に臥した。枕元に立つ愛しい我が子に、父親は進んで冒険者時代の話を聞かせた。
仄暗い酒場で仲間と出会った話、初めて苔むしたダンジョンへと潜った時の話、物言わぬ髑髏が突如として起き上がった話、ドラゴンのブレスが鼻先を掠った話…。
今の自分ではなく、冒険者時代の自分を記憶に留めてくれるよう父親は息子に願った。事実、ヤーノの夢に出てくる父親は常にダンジョンの中で魔物と戦っていて、決して青ざめた顔でベッドに横たわってなどいなかった。
17歳になった時、ヤーノは亡き父親の幻影を追い掛けて村を出る決意をした。母親を含め、周りの大人達は引き留めた。
だがヤーノは頑固だった。泣き喚く母の姿を持ってしても、少年の決意を翻すことはできなかった。
出発の前の晩、いつものように小川の傍にある木陰でザサリナとヤーノは待ち合わせた。月の光が明るく、お互いの表情がよく見えるのが2人共気恥ずかしかった。
「ここまでバカだって思わなかった」とザサリナ。「俺の言葉、信じてなかったのか?」とヤーノ。
「だってアンタ、嘘吐きだし」
「そんなことない、ちゃんとお前よりデカくなったぞ。最近はやってないけど、殴り合ったって勝てる。…多分」
「アタシに勝てないんだったら、ダンジョンなんて絶対に無理」
「は? 勝てるって言ってんだろ。いくらお前が木こりの娘だからって、もう負ける気しな──」
相手が言い終わるより早く、ザサリナは殴り掛かった。ヤーノは身を微かにずらし、空を切った少女の腕を片手で掴む。相手の首根っこを掴もうとするが、ザサリナは咄嗟に身を屈めて避けた。
少女が空いている方の手で脇腹を殴ってくると、たまらずヤーノは手を離す。だが相手が体勢を立て直さない内に、少年はザサリナに向かって猛牛のように突進した。
相手の腹部に頭頂部を突き立てたまま腰へと腕を回し、そのまま押し倒す。倒されながらも、ザサリナは猛然と少年に拳をお見舞いした。
馬乗りになりながら、ヤーノはなんとか相手の両腕を押さえた。しばらく力比べをして、ようやくザサリナは静かになった。
「俺の勝ちだ!」ヤーノはそう叫ぶと、よろよろとザサリナから離れる。身体の節々が痛かったが、少年はなんとか顔に出さないよう堪えた。
「こんな、いつの間に…」そう呟きながらザサリナは立ち上がった。月明かりの下で、2人は互いに背を向けて息を整える。
「喧嘩相手はお前だけじゃない。言ったろ、俺は嘘吐きじゃない。宣言通り、ちゃんとお前に勝った」
「あっそ、さっさと何処へでも行けばいい」
「言われなくても行くよ」
ヤーノはザサリナを振り返る。この10年で自分の身体が大きく変わったように、ザサリナの容貌も劇的に変化した。
灰色を帯びた金の短髪は肩まで伸び、身体の輪郭は凹凸のメリハリが付くようになった。同年代の女子に比べて遥かに筋肉質ではあったが、ヤーノはそこに秀逸な彫刻品のような美しさを感じていた。
「俺は約束を守る男なんだよな…」言いながら、ヤーノはきまりが悪そうに目を逸らす。「だからその、帰って来たらさ…、一緒の家に住めないかな?」
ザサリナは目を見開く。サイクロプスのような大きな眼に刺すように見られて、ヤーノは思わず恐怖に目を瞑った。
「お、怒るなって! 自惚れてたよ、もしかしたらイケるかもって思ったんだ。ごめん、忘れてくれ…」
「まだ何も言ってない」低い声でザサリナは答える。「別に怒ってない、ただ呆れてるだけ。だって意味分からないし」
「つまりその、ちゃんと言うなら結婚的な…」
「ヤーノってホントにバカ。身体が大きくなっても、中身は子供のまんま」
「い、言い過ぎだろ。悪かった、もういい。忘れてくれ、俺はもう寝るから──」
「あんまりは待てない」
「えっ?」
「あんまりは待てないって言ってる、精々10年」
「じゅ、10年も? てか、それってつまり…」
「アタシが結婚してあげないと、ヤーノなんてずっとぼっちだろうし」ザサリナはそう言うと、手首に付けていた組紐のブレスレットを外した。
「預けとく。次会う時までちゃんと持ってたら、してあげてもいい」
ヤーノは震える両手を差し出すと、生まれて初めて母親以外の異性から貰った贈り物を受け取った。「言ってみるもんだな…」少年は口の中で呟く。
既に夜も更け、明日に備えて床に入る時間が迫っていた。ヤーノはぎこちない足取りで「じゃ、じゃあそういう事で」と場を去ろうとする。
「…それだけ?」
ザサリナの言葉にヤーノは立ち止まり、後ろを振り返った。ザサリナは目を瞑って立っている。青年は場の空気を咄嗟に察し、慌ててザサリナに近づいた。
ヤーノはザサリナの肩を包むように掴み、相手の顔を覗き込んだ。
(ホントに可愛いな、俺の恋人…)
地域一帯の男児共が恐れた、オーク並みの怪力を持つ少女がこんな風に育つなんて。
額に汗を光らせながら、ヤーノは自分の顔を相手のそれに近づけた。あと少し、あと少しで唇と唇とが触れるというまさにその時、少年は不意に動きを止めた。
「ごめん、ザサリナ。やっぱ恥ずかしい…」
ザサリナがヤーノの頬を平手打ちして、その日はお開きとなった。
◇
1週間程経ってヤーノから手紙が届いた。
村から最も近いダンジョンのある街、メグシィルに到着したらしい。手紙には初めて眼にする数々への興奮と、早くも心に湧き上がる郷愁が冗談混じりに書かれていた。
定期的にヤーノの手紙が届く度、子供達は集まって村長の読み聞かせを聞いた。
初めてパーティを組んだことや、初めてダンジョンに潜ったこと。初めて魔物を倒したこに、異教徒達が崇めていた邪神像を見たことや、初めて宝物らしい宝物を見つけたこと…。
ザサリナは必ず、少し離れた場所でその読み聞かせを聞いた。音読していたのは村長だったが、胸を弾ませた嬉しそうな少年の声が少女には確かに聞こえていた。
少しして、手紙が届かなくなった。子供達は落胆して大人達は心配したが、深刻に考える者は少なかった。
何故なら最後に届いた手紙の中で、最高ランクのパーティへの加入が決まった事が書いてあったからだ。
『最高ランクのパーティ』がどんなものか村人には分からなかったが、興奮の余り震えるヤーノの文字から、さぞ名誉な事なのだろうと見当はついた。
少年はきっとそんな凄い集団の中で、手紙を書く暇もないくらい忙しいに違いない。
数週間が経ち、何の前触れもなくヤーノは村に帰ってきた。村の誰1人として、少年の帰還に気づいた者はいなかった。
何故ならヤーノは、片手で持てるほどの小さな箱に入って帰ってきたから。
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