第28話 何のこと

「……なんだよ、恋歌もいたのか。なら最初からそう言ってくれって」


 秋人はそう言うと、すぐに私から目線を逸らしてくる。そしてそのまま、しばらく席には座ろうとはしなかった。

 ……そうだよね。私なんかと一緒にいるのは、嫌に決まってるよね。


「いいから、ほらっ。秋人くんも、とりあえず座って?」


「……はあ。ま、瀬名がそう言うなら、わかったよ」


 秋人は息をつきながら、当たり前みたいに瀬名の隣に座った。

 ……前までは、いつも私の隣が秋人の席だったのに。

 きっと、もう……二度と、私の隣には座ってくれないんだろうな。そう思うと、胸がぎゅっと苦しくなる。


「で、瀬名。わざわざ何の用だよ。昨日のことなら、もう謝ったはずだろ」


「秋人くんに用があるのは、あたしじゃないの。そうだよね、恋歌?」


「っ……う、うん」


 秋人の視線が動いて、私のほうを見る。

 だけど……いつもより、秋人の視線が冷たいような気がして。

 それが苦しくて、私はつい彼から目を逸らしてしまう。


「……なんだよ、用って」


 声が低い。怒ってる、のかな。

 そうだよね。あんなこと言っちゃったんだもん、怒るに決まってるよね。

 でも、だからこそ、私は秋人に謝らないと。


「あの……っ、私、は……っ」


 声が震える。うまく、言葉が出てこない。

 どうしよう。ここで泣き出したら、きっと、もっと秋人に嫌われる。幼稚なやつだって軽蔑される。そうなるのは、すごく嫌だ。

 だけど……喉もとまで出かかった声は、何度やっても、すぐに引っ込んでしまう。


「……言いたいことがあるなら、早く言ってほしいんだが」

 

「あっ……う、うん。えっと、そのっ……」


「恋歌。落ち着いて、ね?」


 瀬名に優しくなだめられる。

 ……そうだ。大事な親友が、私のためにこんなに気を遣ってくれてるんだ。なのに私は、いつまでもうじうじして。こんなの、瀬名にも失礼だよね。

 息を、深く吸う。どきどきと脈打つ心臓を、ちょっとだけ落ち着かせる。

 そして、私は――、


「秋人……昨日は、ごめんなさい……っ!!」


 ――やっと、言えた。

 秋人に向けて、頭をできるだけ深く頭を下げる。

 だけど。

 これだけじゃ全然、足りてない。


「私、あんなこと言うつもり、本当になくて……っ、あのときは、勘違いしちゃったの。秋人が鈴北さんと一緒にいたのを見て、もしかして、仮病を使われてたんじゃないか、って思って……っ」


 どうにか私は、必死に口を動かし続ける。

 彼の顔は見えない。いや……怖くて、見ることができなかった。どんな目を向けてきているのかを考えると、不安に押しつぶされそうになるから。


「でも……秋人がそんな嘘つくようなひとじゃないって、ちょっと考えればわかることだった。なのに私は、秋人の話も聞かずに、あんなふうに傷つけて……本当に、ごめんなさい……っ」


「…………恋歌。とりあえず、顔を上げてくれ」


 秋人の声。

 言われるがままに、私は秋人のほうに目を向ける。


 すると、秋人は――とっても、優しい顔をしていた。

 私の大好きな、いつもの、無愛想ながらに穏やかな微笑み。


「俺のほうこそ、昨日はごめん。勘違いさせるようなことしたのは俺だし、ああ言われたことだって、べつに最初から怒ってないよ」


「……そう、なの……?」


「うん。むしろ、恋歌には感謝してるくらいだ」


「――――え、?」


 淡々と。

 秋人は、言葉を続けてくる。


「恋歌、ありがとな。――お前の本音を、俺に聞かせてくれて」


 ……どういう、こと?

 本音って……なんの、こと?


「じつは俺、ちょっと前に盗み聞きしちゃったんだよ。恋歌、部活の友達かなんかに言ってたろ? 秋人のことなんか大嫌いだ、ってさ」


「……っ! ちがっ、あれは……っ!」


「でも昨日は、そのことを正直に伝えてくれた。だから――恋歌、もう安心してくれ。今後は恋歌の手を焼かせるつもりはないし、二度と話しかけたりもしない。俺はひとりで頑張ってみるから、恋歌ももう俺のことは気にしないでくれ。そっちのほうが、お互いに気楽だろ?」


 早く……早く、言わないと。

 あれは違うんだって。本音なんかじゃないんだって、秋人に伝えないと。


 でも……でも、どうして?

 どうして秋人は、そんな嬉しそうな顔をしてるの……?

 そんな嬉しそうな声で、私のことを遠ざけようとするの……?

 そう考えはじめてしまってからは、もう、全部がダメになっちゃって。


「ま、そういうわけだから。……悪いな、瀬名。幼なじみだからって、いつまでも今まで通りってわけにはいかないんだ」


「……秋人くんは、本当にそれでいいの?」


「まあな。あんなにはっきり大嫌いだって言われたら、さすがに無視はできない。お互いに距離を置くのが、たぶんベストな判断なんだ」


「でも……それじゃ、恋歌が……っ」


「その恋歌のために、俺は言ってるんだよ」


 秋人の声が、さらに低くなった。

 びくり、と。瀬名が、その肩を震わせてしまう。


「……そっか。ごめんね、秋人くん。あたし、余計なことばっかりしちゃってるね……っ」


「いや……、俺のほうこそ、ごめん。でもさ、わかってくれ――俺だって、もう、これ以上は傷つきたくないんだよ」


 秋人が、席を立った。

 ――待ってよ、私の話も聞いてよ。

 ――私は、距離を置くなんて嫌だよ。

 早く言わなきゃ、って思った。

 だけど、思っただけで、やっぱり声にはなってくれなくて。


「最後に……恋歌。こんなダメ人間が幼なじみで、本当にごめん。今まで俺のせいで、ずっと嫌な思いをさせ続けてきたよな」


「っ……わた、し……っ」


「でも、それも今日で終わりにするから。――じゃあな、


 待って――たったそれだけのコトバすら、声にできなくて。

 遠くなっていく彼の姿を、ただ、じっと見つめ続けて。

 やがて、私は……という彼の言葉の意味を、ぎゅっと噛みしめた。


 ……ねえ。教えてよ、秋人。

 終わりにするって、何のこと……?


 秋人は――私たちの、何を終わりにしたの……?

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