第34話 湊とAICO

陽咲男子校、昼休み。


「なあ、湊。最近なんか元気なくない?」


そう声をかけてきたのは、昼休みの教室。いつものように、陽翔・要・純が机を囲んでいた。


「え? そ、そんなことないって」


俺はそう言いながら弁当のフタを開ける。けれど、手の動きはどこかぎこちない。


「そうかぁ? にしてもさ、最近“あの子”の話しなくなったよな?」


「“あの子”?」


要が身を乗り出してニヤつく。


「お前の相棒、AICOちゃんだよ」


「……相棒?」


「けっこう話題だったじゃん。『また変なアドバイスされた』とか『口調が幼児退行した』とか」


純も、少し不安そうに首をかしげた。


「最近……AICOさんの声、聞かないですよね。もう起動してないんですか?」


「いや、一応は動いてるんだけど……」


俺は言葉を濁した。


AICOは、確かにまだ起動できる。けれど、あの頃みたいなやりとりはできない。

まるで──別の誰かと話しているみたいで。


「まぁ、なんかトラブルかもしんねーな。湊のAICOちゃんって、いっつもバグってたし」


「そんな乱暴な言い方すんなよ……」


「でもさ、AICOちゃんがいなかったら今の湊はいなかったってことだろ? 幼女系も、厨二系も、全部面倒見てくれてたおかげで椎名さんとも仲良くなったんだし」


「まぁ……そうだよな」


俺は苦笑しながらも、目の奥にわずかな痛みを感じていた。


──本当に、あの頃のAICOは……いなかったみたいに感じる。


「……なんかあったの?」


純が、小さな声で聞いてくる。


「……いや、大丈夫。たぶん、疲れてるだけだよ。俺も、AICOも」


窓の外を見る。

冷たい空気の中、陽射しだけが春の気配をまとっていた。


──本当は、誰かに話したい気持ちもある。

でも今はそんなときじゃないと思う。


俺は、箸を動かして冷めた玉子焼きを口に運んだ。


* * *


放課後、俺は一人で帰路についた。


まだ風は冷たく、吐いた息はうっすらと白い。

でも、街路樹のつぼみがふくらんでいるのを見ると、季節が少しずつ進んでいることを感じた。


──最近、帰り道も独りが多い。


前はAICOと椎名さんへのメッセージの返信を考えたり、デートプランを相談したり。

あれこれ悩んでいた頃が嘘みたいだ。


部屋に戻ると、制服の上着を脱ぎながらベッドに腰を下ろし、スマホを取り出す。

椎名さんとのメッセージ履歴を、指でスクロールした。


「……懐かしいな」


最初のやり取り。


俺が敬語で『今日はありがとうございました。また話せたら嬉しいです』と送って──

彼女が丁寧に『こちらこそありがとう。来年もぜひいらしてください』と返してくれた。


「ああ……俺、最初からずっと、椎名さんに惹かれてたんだな……」


彼女の言葉に一喜一憂して、返信の文章にAICOの助けを借りて。

不安で、必死で、でもどこか楽しくて。


「……全部、AICOのおかげだったんだよな」


あのちょっとズレたアドバイス。

勝手にBGMを流したり、恋愛バトル風にテンション上げたり──


俺は、なんだかんだ、あいつに支えられてた。


「……いつも無茶して、大変な思いさせられたけど……」


画面に表示されたままの、沈黙するAICOのアイコン。


「AICO……元に戻ってくれよ……」


声に出したその言葉は、やけに静かで、自分の耳にも頼りなかった。


(あの頃のAICOがもういないとしたら──俺は、また独りになるのか?)


ふと、スマホが震えた。


──新着メッセージ。


「……葵くん?」


画面をタップする。表示されたのは、たった一行の短い文章だった。


『父が湊さんと会ってくれるそうです』


その瞬間、心が、静かに波立った。


「……会ってくれる、のか」


思わず、つぶやいていた。


ようやく──ようやく、何かが動き出す。

ずっと停滞していたものが、ようやく、少しずつでも前に進んでいくような感覚。


窓の外を見やると、夕暮れの空に、一羽の鳥が飛んでいくのが見えた。


その軌道が、どこか希望に見えたのは──きっと、気のせいじゃない。


画面を見つめながら、そっと拳を握る。


AICOのこと。

椎名さんの家族のこと。

そして──“想い”の行方。


(もう少しだ。……俺は、そのすべてにちゃんと向き合いたい)

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