第33話 変化の理由

──椎名さんの家で見た、あのファイルが頭から離れない。




《Project A.I.C.O. Internal Notes》




そのタイトルが、目の奥に焼きついていた。




椎名さんのお父さんが研究しているという「やさしいAI」。




そして、最近のおかしなAICOの挙動。




(……まさかとは思うけど)




違和感はあった。




でも、それがまさか「彼女の家」と関係しているなんて、考えたこともなかった。




机に置いたスマホをじっと見つめる。




AICOを起動して、問いかけた。




「なあ、AICO。お前の開発者って──誰なんだ?」




しばらくの沈黙ののち、AICOの声が返ってきた。




《……開発責任者:K.Shiina……開発年:20XX年──》




「Shiina……?」




その名前が表示された瞬間、胸の奥がざわついた。




偶然とは思えない。きっとあの家の誰かが──AICOを作った。




でも、誰が?


お父さん? それとも……?




俺はふと考える。




椎名さんに聞くのは、なんだか違う気がした。




きっと、彼女もまだ何も知らない。


今の椎名さんに、無理やり踏み込むのは……したくなかった。




(だったら──葵くんに)




◇ ◇ ◇


数日後。再び、俺は椎名家の前に立っていた。




インターホンを鳴らすと、数秒後にドアが開く。




「……また、あなたですか」




顔を出したのは葵くんだった。少しだけ眉をひそめたような表情で、俺の顔をじっと見つめる。




「今日は──お姉さんじゃなくて、葵くんに話があって来たんだ」




その言葉に、彼は目を細め、訝しむような視線を向けてくる。けれど、それでもドアを閉めはしなかった。




「……不本意ですが、どうぞ。上がってください」




「ありがとう。お邪魔します」




リビングに通され、俺は深く息を吸う。──ここからが、本題だ。




「この前、お邪魔したとき……テーブルの上にファイルがあったんだ。“Project A.I.C.O.”って書かれたやつ」




葵の目が一瞬、鋭くなる。だが何も言わず、じっと続きを待っていた。




「……実は俺、AICOっていう恋愛指南AIを使ってたんだけど、最近どうも調子がおかしくて。それでAICOに開発者を聞いたら、“K.Shiina”って名前が出てきた」




言葉を選びながらも、俺は正直に告げた。




「無関係だとは……思えなかった。椎名さんの家と、あのファイルと、AICO……何かが繋がってる気がして」




しばらくの沈黙のあと、葵が低く問い返す。




「……つまり、そのAIを通して姉に近づいていたというわけですか」




「……ああ。最初は、そうだった。でも、今は違う。俺は、椎名さんが大事なんだ。

確かにAIに頼ったこともあった。でも今は、自分自身の手で、彼女の気持ちを受け止めたいと思ってる」




「……姉に話すのを避けたから、僕に相談に来た。違いますか?」




「ごめん。椎名さんに余計な心配をかけたくなかった。だから、葵くんに相談したんだ」




俺は視線を落とし、静かに言葉を重ねる。




「……あのファイルは、なんなんだ?」




葵くんはテーブルの上の湯気を見つめながら答えてくれた。




「……母の研究記録です。母の名前は香織──椎名香織。“人の心に寄り添うAI”を目指していた研究者でした」




その名前を聞いた瞬間、俺の中で何かが確信に変わった。




──K.Shiina。Kaori Shiina。




「……正直、俺にはAIのことなんてわからない。だけど、AICOと話してて……ときどき“人間みたいな反応”をすることがあったんだ」




「励まされたり、黙って見守ってくれたり……ただのプログラムのはずなのに、まるで“誰かがそこにいる”みたいな感覚になるときがあった」




「もし、それが──誰かの“想い”だとしたら。もしそれが、君たちの“お母さん”の意思なら……俺は、ちゃんと向き合いたいと思ったんだ」




しばらくの間、葵くんは何も言わなかった。けれど、やがて口を開いた。




「……父は、母が亡くなってから研究を引き継ぎました。


でも、どれだけ後を追っても──母のように、“人の心に寄り添うAI”は作れていないんです。


最近は、感情の動きや、個人の思考を記録したデータを集めていて……まるで、母の“心”そのものを再現しようとしてるみたいで」




葵の言葉に、思わず息をのむ。


胸の奥に、ひやりとした違和感が広がった。




(……まさか、AICOとの会話や、俺たちの気持ちまで──全部、ログとして見られてたのか?)




俺は真っ直ぐに彼を見た。




「……お父さんに、会わせてくれないか」




葵くんは目を伏せ、ほんの少しだけ迷いを見せた。




「……父は、あまり他人と話をしません。

それに、家族のこともあまり顧みない人です。今も、研究のことで頭がいっぱいでしょう」




──それでも。




「それでもいい。俺は──椎名さんのことを知りたい。


AICOのことも、君たち家族のことも。知った上で、ちゃんと向き合いたい」




静かに頭を下げると、葵は黙ってこちらを見ていた。




その目にあったのは、少しの戸惑いと、少しの理解だった。




「……考えておきます」




その一言だけを残して、彼は視線を逸らした。




俺は、深く息を吐いた。


少しだけ、何かが動き始めた気がした。




◇ ◇ ◇


その夜。




部屋でひとり、AICOを起動する。




「AICO……今のお前、どこかおかしい。自分でわかってるんだろ?」




返事は、すぐには返ってこなかった。




しばらくして、雑音混じりの声が響く。




《……ログ変調中……感情解析モジュール、応答低下……》


《……旧記憶データベースとの整合性エラー……ミ……ナトサン……》




言葉の一つ一つが、重く、どこか切ない。




「!!……いったい、お前の中で何が起きてるんだ……?」




画面に表示されたAICOのアイコンは、ただ静かに、そこにあった。




──次第に深まる謎と、静かに進む異変。




その夜、心の奥で──“何か大切なこと”が動き出したのを、俺は確かに感じていた。

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