その4


 亜寿海が熱心に勧めると、実はと武智が身を乗り出す。

 武智の憧れているバンドがいる大学に行きたいらしい。そこだったら偏差値はそんなに高くない。


「そんな動機で行ってもいいんだろうか」

 武智が不安な顔をする。大学の勉強にはまるで興味がないようだ。でも。

「志望動機なんて何でもいいじゃん。諦めないでやってみようよ」

 武智は亜寿海の顔をしばらく見ていたが、やがて嬉しそうに笑った。


「俺のこと誰も気にかけてないで、俺も心配かけちゃいけないと思っていたけど、ずっと一人ぽっちのような気がしてた」

 少し顔が歪んだ。

「そんな事ないよ。みんな武智のことが好きだよ、きっと」

「ありがと」

(ああ、そうか。ありがとうの言葉って優しいんだな)



 武智は父親に相談したらしい。嬉しそうな顔をして受験してもいいと言ったと亜寿海に報告してきた。

 武智は亜寿海と一緒にセンター試験に出願した。


 その日、学校からの帰り道。

「頑張ろうな」

 亜寿海が言うと武智はにっこり笑って頷く。

「俺、いいコト思いついた」

「何?」

「内緒」

 見上げた武智の頭の上。


(あれ? ない!)


 いつもの見慣れたものがないのだ。通りのショーウィンドーに映る亜寿海の頭にもない。ピンクや紫のふわふわキラキラが。

(何処に行ったんだよ!)


「じゃあな」

 駅に着くと武智は軽く手を振って帰っていった。ごく普通の友人同士のようだ。武智の頭の上にはもうアレがない。


 呆然としていると後ろから声をかけられた。

「こんにちは。また会ったわね」

 振り向くとあのオネエサンだ。黒い長い髪。黒いワンピースを着て、ちょっと瞳が釣り上がり気味の美人。


「あなたは一体」

「私は魔女よ」

 魔女――!?

「あのタマゴは!?」

「腐女子のタマゴ」

「腐女子?」

「そう、ホモが好きな女の子」

 魔女はそう言ってにっこりと笑う。


(ホモ!?)


 そうか、それで亜寿海と武智は男同士で恋をしてしまったのか。そして、魔女はとんでもない事を言ってくれたのだ。

「タマゴの有効期限は一ヶ月なの」

 一ヶ月。武智との恋も一ヶ月!?

「期限が切れたらどうなるんだよ!」

「正気に戻るわ」

「そんな~~~!!!」

「楽しかったわ。ありがとう。これはお礼」

 手に持っていたバラの花束を押し付ける。人を玩具にして、人の気持ちを弄んで魔女はいなくなった。



  ◇◇


 亜寿海の頭に、魔女がおーほほほ…と高笑いをしながら、箒に乗って去ってゆく光景が浮かんで消える。

 実際もう亜寿海の目の前に魔女はいなかった。後には駅の雑踏にぽつんと一人取り残された亜寿海がいるだけ。

「気をつけろ!」

 誰かが突っ立っている亜寿海にぶつかって、やっと我に返った。


 その日から、武智は亜寿海を家に誘うことはなくなった。魔女のおかげで違う方向に行っていた二人の関係は、正常な方向に修正されたのだ。

 亜寿海の頭の上にも、武智の頭の上にもピンクや紫のきらきら光る雲はもう見えない。


 腐女子の魔女の呪いにかかって、男同士で熱に浮かされたように恋をした。しかしタマゴの有効期限は一ヶ月。それが過ぎれば正気に戻る。


 きっと武智は正気に戻って、あの熱に浮かされたようなひと時を、悪い夢でも見ていたと思ったに違いない。それともすっかり忘れ去ってしまったか。

 それでも武智は友達として亜寿海と接してくれる。


 でも、魔女にタマゴをもらった亜寿海は、熱に浮かされていた間のことをはっきりと覚えていて、心がとても痛い。武智が側にいると心が苦しい。


 キンキラキンの髪は少し伸びて、黒い自毛が見える。背の高い細身の体。息がかかるほど側で聞いたハスキーボイスの囁くような歌声。少しすねたような横顔。


 今も一緒に図書館で勉強しているのに、武智は亜寿海との間に距離を置いて、向かいの椅子に腰掛けた。


「お前って頭がいいよな」

 模試の間違った箇所をやり直していた武智がふと顔を上げて言う。

「何でこんな俺に付き合ってくれるんだ」

「武智……」

「あ──、もう分かんねえよ。イライラする」

 言葉通りに武智は模試の問題用紙をぐしゃっと丸める。


 まだ受験勉強を始めたばかりの武智の成績がよいわけがない。勉強だって、どこから手をつけたらいいのか分からないだろうし。でも焦らなくても大丈夫なんだ。


 しかし亜寿海はどうやって武智にそれを説明していいのか分からなくて、言葉に詰まってしまう。


 ちょうどそこに武智のバンド仲間が来た。

「何やってんの? 武智」

「勉強? 無理無理」

「俺たちと一緒にやろうぜ」

 バンドの仲間が誘う。

 不安げに見守る亜寿海と武智の目が合った。


「そーだな」

 武智はプイッと目を逸らせて立ち上がると、そのまま亜寿海に背を向けて、仲間と一緒にとっとと図書室を出て行った。

  

 武智は忘れてしまったのだ。それでもタマゴの魔法の名残で、友達として付き合ってくれていたけれど、亜寿海みたいな勉強以外とりえのない奴なんかすぐに飽きるだろう。そして大学を合格したら、亜寿海のことも忘れてしまうだろう。


 武智は、あの魔法にかかったひと時を忘れてしまったから。


(でも僕は覚えている。間近にいた武智を。その温もりを。覚えている……)

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