その2


(わっ、因縁つけられる!)

 亜寿海は首を竦めて次の言葉を待った。


「中村だよな。家こっち?」

 案外気さくに話しかけてきた。一体どうなっているのか。


「いや。僕、模試の成績が悪くて――」

(何を言っているんだ、僕は)


 亜寿海は慌てて口を押さえて周りを見回した。しかし、電車から降りた人々はもう四方に散らばって、すでにそこらには居ない。

 溜め息を吐いて手を離した途端、また、言葉が転がり出た。


「もう家に帰りたくなくて、何もかも嫌になって、死んでもいいと――」

「大丈夫か? 中村」

 武智が同情した顔で見下ろしている。


(武智にこんなこと言うなんて、大丈夫じゃない……)

 亜寿海は脱力してその場にしゃがみ込んだ。


「ウチに来いよ」

 頭上から武智の声が思わぬ提案をしてきて顔を上げる。

「俺んち。今、誰もいないんだ」

 頭に紫やピンクの粉を乗っけたままで武智が言う。

「何で?」

「親父が単身赴任している最中に、お袋が男作って出て行ってさ」

 武智の方がとんでもない事を言い出した。


 何となく武智の言葉に同情したのか、同病相哀れんだのか、とにかくその時は武智を一人にしてはいけないような気がして、亜寿海は頷いた。

 一緒に先ほど降りた坂道を登って、寺の側も通って、少し登った先に武智の家はあった。


 広い庭を抜けた向こうに母屋があって、武智の家は手前に建っている二階建ての家だった。鍵を開けて玄関に入る。

 明かりを点けた部屋の中は案外片付いている。


「ばあちゃんが時々掃除をしてくれるんだ」

 台所のテーブルの上にはトレイが置いてあり、冷めた夕飯が一人前乗っていた。


 武智は夕飯の布きんを取って、チラリと献立を見た。

「俺、腹減ってないけど、お前食う?」

 言われて亜寿海はお腹が空いていたのを思い出す。

「武智は?」

「俺もう仲間と食った」


 トレイを亜寿海のほうに押しやって、食卓の椅子に腰を下ろす。亜寿海はその前に座ってメニューを見た。煮魚に酢の物、それにお澄ましと漬物という、病院の献立とたいして変わらない物が並んでいる。

 食事に関しては、特に好き嫌いのない亜寿海は「いただきます」と箸を取った。目の前で武智が亜寿海の食べる様子を面白そうに見ている。居心地が悪くなって質問をした。


「仲間って?」

「あ、知らないの?」

 武智が拗ねたように言う。

「俺ら、バンドやってんだけど。学園祭でも演奏したし、割と有名かと思っていた」

「僕は図書館にいたから……」

 そう、亜寿海はこれまでわき目も降らずに勉強してきた。それなのに――。

 亜寿海の眼鏡の中の目が潤んできて、武智は瞳をぱちぱちと瞬かせる。



「ご馳走さま」

 箸を置くと武智が立ち上がって食器を片付けようとする。慌てて亜寿海も立ち上がって「僕がやる」と申し出た。しかし、武智はいつもの事だからとさっさと片してしまう。


「俺の歌を聞かせてやるよ」

 食器を洗って濡れた手を拭って武智が言う。

「うん」


 正直バンドにはあまり興味などなかったが、武智の晩飯を食べた手前頷いた。

 二階の部屋に案内されて、武智がクラシックギターを引っ張り出す。二人並んでベッドに背を預け、ボロンとギターをかき鳴らした。


「バンドって、そういうのやっているの?」

 亜寿海が聞くと、違うと武智は否定した。

「ロックだ。俺はドラム。これは親父の」

「ふうん…」


 金色に染められたシャギーの入った髪。長い足を包む細身のジーンズ。間近に、フィンガーノイズまで聞こえる距離で。


「女神よ――」

 武智が歌い出す。少し掠れたハスキーボイス。優しく囁くように、やがて朗々と声を張り上げて。


(いい声だな。武智って不良かと思っていたけど、全然違う。こんな事でもなかったら、知らないままだっただろうな)


 ぼうっと見惚れていたら、歌い終わった武智が亜寿海を振り向いた。ばっちり目が合ってしまう。

 案外、綺麗な瞳をしていると思った。顔がどんどん近付いてくる。そして、そのままファーストキスをしてしまったのだ。


「目ぐらい閉じたら?」

 勝手にキスをしたくせに武智が文句を言う。

「う……。でも、何で?」

 何で武智はキスをするのだろう。まだ顔が近い。


 武智の手が伸びて亜寿海の眼鏡を外した。また顔が近付いてくる。ギターを置いて本格的にキスをしてきた。

 頭の中でピンクや紫の粉が弾けて、もやもやとした雲になった。雲はキラキラと光りながら頭の中をぐるぐる回る。


 どうなっているのか思考能力が段々低下してきて、その代わり下半身が熱くなった。これは、動物の本能の方が強くなってきたということか。


 どういう訳か武智は立ち上がって、服を脱ぎ始める。亜寿海も身体がむずむずしてきて立ち上がった。お互い服を脱ぎ捨てて、裸の身体で絡み合ってベッドにダイブする。


 しかし、決してそれは男に掘られたいと思っている訳ではなくて――。

 なのに武智の方が体力も力も上背もあって、当然のように亜寿海に乗っかってくる。

 抵抗する気が失せてヤラれるままなのは、歩き回って疲れている所為だろう。きっと。


 大きなものを捩じ込まれて、痛いと思うよりイイと思うのは、頭の中でぐるぐる回っているピンクや紫の雲の所為だ。

 何がなにやら訳がわからないままに亜寿海は武智にしがみついて声を上げた。

 

 エッチというものは、非常に体力を消耗するものだと、その時はじめて知った。

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