第2話


「よく、一人になりたい時ここに来るんだ」


「ここは……」


 メリクはイズレンにつれられある場所にやって来ていた。

 魔術学院の一番外れにある星見の塔の広いテラスである。

 この普段使われない【星見の塔】の回廊と魔術学院の奥庭が繋がっていることはメリクは知らなかった。


「もう旧館で使われていないからな。秘密の場所なんだ」


 イズレンが笑っている。

 子供の声が聞こえた。

 すぐ見下ろすそこにサンゴール城下町の広場がある。

 子供や、夕暮れを帰路につこうとする人々が忙しく行き交う姿が見える。

 城下町に軒を並べる家々からは煙が立ち上っていた。

 微かに風に香ばしい匂いが混ざっていて、サンゴール城下町の夕暮れをメリクは長い間サンゴール王城から見下ろして育って来たが、それとはまた印象が全く異なるものだった。

「はは……僕こんな近くでサンゴールの城下町を見た事無いよ」

 物珍しそうにテラスに頬杖をついて街を見下ろしているメリクの横顔を見ながらイズレンも笑った。


「その。メリク、ごめんな」


 友がいきなり頭を下げたのでメリクは驚いた。

「え?」

「いや……この数日のこと。何も言わずに行方眩ましたし、……この前も。八つ当たりしたんだ……お前に……――すまん!」


 イズレンがはっきりとそう言った。

 メリクは翡翠の瞳をぱちぱちとさせてから……ふっと表情を和ませる。


 聞こえるか聞こえないかという声で陰口や噂を交わし合う、城や貴族社会の中で育って来たメリクは魔術学院で出会ったこの友の、正直な性格を常々ひどく好ましく思っていた。


「気にしてないよ」

「ありがとう。良かった」

「でもイズレンが八つ当たりなんてすごく珍しいね。……何か……あったの?」

「それが……」

 言いかけてイズレンは険しい顔になり腕を組んだ。そのまま押し黙ってしまったから、メリクは首を振る。

「あ……いいよ。言いたくないなら言わないでいい。二度と聞かないよ」

 そう言ってメリクは再び城下町の方へと視線を戻した。


 しばらく沈黙が落ちる。

 そのうち魔術学院の鐘が聞こえて来た。

 正門が閉じる時刻を報せる鐘だ。

 だが魔術学院の中に寮を持つ彼らには関係のない鐘だった。

 それが何度か鳴り終えた――その時である。



「…………ふられたんだ」



 メリクはイズレンを見た。

「ふら……」

 こういう話題に疎いメリクはそんな話題がまさか突然転がって来るとは思っておらず、最初言葉の意味が分からなかった。

 しかし苦虫を噛み潰したようなイズレンの顔に「あっ」と声を上げて思わず背を伸ばしてしまう。彼が何故この数日姿を消していたのか、ようやく理解したからだ。

「それは……」

「うん……」

「……その、……ご、ごめん」

 友が何を言うのかとじっと待っていた感じのイズレンが、がくっと身体を片側に倒し突っ込んで来る。

「なんでメリクが謝るんだよ」

「あ、そうか……ご、ごめんこういう時何て言えばいいのか」

 しどろもどろになるメリクを見てイズレンはとうとう吹き出した。

「もういいよ」

「ごめん」


 視線を交わし合うとメリクも笑ってしまった。

 魔術師って、毎日毎日難しい勉強して本読みこんでるくせに、こういう時気の利いた言葉も出て来ないんだなあ。

 ひとしきり青年二人はそこで笑い合って、やがてイズレンが手すりに背を預けて話し出した。


「魔術学院に入った三年前から付き合ってたんだけどな」


 メリクはもう聞くだけである。

「同じ魔術学院の生徒なんだけど」

「同じ学生なんだ……」

「ん? なんだ? 変か?」

「あ、いや……全然気づかなかったから」

 お前らしいよとイズレンが笑っている。

「まあそろそろ三年になるし、あ、何ていうか……同郷なんだよなあいつと俺。北部の……それで、昔から知ってて幼馴染み、みたいなもんだったから、恋人っつーより友達っぽかった。だからお前もあんまり気づかなかったんだと思う……」

 陽が段々と沈んであたりは藍色に変わりつつあった。

「でも俺は好きだったからさ。この前告白したんだ。一度きっちりけじめ付けようと思って」

 イズレンはもごもごと言いながら癖のある焦茶色の髪を掻いている。

 それは彼が照れを隠している時の癖で、そうするだけでメリクは彼がその人のことを、本当に好きなんだということが分かった。


「そしたら、断られた。断られると思ってなかったからマジでへこんだよ」

「ごめん。同室で僕が気を遣わせちゃってたんだ」


 誰だって一人になりたい時はあるものである。

「いや、いいんだ。お前は何も悪くない。ただ、その時に言われたことがさあ……」

 はあ~……とイズレンが深く息をついている。

 いつだって元気が信条のイズレンをここまで落ち込ませるとは。すごい女学生もいたものである。

 そう考えて。


(……いや)


 でも、分かる。

 何を言われたかなんて、きっと大した違いは無い。

(本当に、大好きな相手から拒絶されたらそれがどんな言葉であったって……)

 メリクの脳裏に自分を見つけると冷たい顔で見下ろし、少しの親しみもこちらに許さず、突き放して来る第二王子の姿が浮かんだ。

 

 あの唇から投げられるのはまさに氷の言葉のみだ。

 何度胸を抉られたか分からないほどである。


 何となく、友がそういう思いをしたのだろうということを理解したメリクはがっくりと落とした友の肩を慰めるようにそっと叩いた。

「ごめん、ありがとう」

「ううん」

 イズレンはもう一度息をついてから、口を開く。


「宮廷魔術師くらいになる男じゃないと、

 付き合っても自分の自慢にならないって言われたんだよ」


「……。」

 メリクは口を開けたまま絶句した。

「そうだよ! その顔だ! その顔になるだろ!」

 イズレンは思い出したのか、頭を抱えて喚いている。


「っていうか今更何が自慢だよ! 

 俺が成績悪いことなんか三年前から分かってただろうが! 

 それにあいつこともあろうに最後にこう言いやがったんだぜ⁉

『どうせ付き合うならサダルメリク・オーシェの方がいい』って!」


 そんなところで自分の名前が使われているとは思ってもみなかったメリクは、更にそのまま呆然としてしまう。


「どーいう神経してんだあの女あああああああーーー!」


 イズレンが夕暮れのサンゴール城下町に向って吠えている。


「なんつーか、あいつのこと好きだった俺の三年間なんだったんだ? とか思ってさ。だって分かるだろ! あれがあいつの本心なら、あいつはそういうことを常々思いながら表面上は可憐に笑いながら俺と楽しく話してたってことなんだぜ! 怖ッ! つーか女って怖!」


「う、う~ん……」

 何も言えなかった。

「……ホント、ヘコむ……」

 がっくりとイズレンは肩を落としている。


 メリクは黙っていたのだが、でも友達なら普通、多分こういう時には声を掛けてあげるべきなんだろうと思い色々と考えてしまった。

 まったく、スラスラ魔術式が解けてもこんな時に気の利いた慰め一つ、すぐに出してやれないのだからそんな自分も歯がゆい所だ。


「……何も言えないんだけど……。

 ……でも、多分……その子は、

 イズレンのこと全部は分かってないんじゃないかな……。

 いや、僕だってまだ知らないこと多いけど……。

 でも、イズレンの友達も、

 ……僕も、そんなことでイズレンの側にいたくないとは思わないもの」


 ようやくそれだけを絞り出した。

「イズレンは本当にいい人だよ。

 だから、イズレンが好きだと思うなら、

 きっと相手だってイズレンのこと好きになるって僕は思う」

「……。」

「うまく、言えないんだけど……その」

 イズレンがゆっくりと顔を上げた。

 その顔を見ると、イズレンは小さく笑んでいた。



「…………ありがとな、メリク」



 彼が笑ってくれたから、ちょっとホッとする。

「ううん。元気、出してね」

「おう! ありがとうな。いや、聞いてもらって元気出たよ」

 メリクは微笑む。

「よし! このまま今日はうまいモンでも食べに行こうぜー!」

「え……でも」

「こんな時でも学食でなんてのは萎えるからな! 元気の為にはまず食べねば……今日は付き合えよメリク! 友達なら絶対だ!」

「分かった、付き合うよ」

 イズレンは普段外に出て来ないメリクが頷いたのを見て飛び上がって喜び、仲間を呼んで騒いでやるんだと、もう元気いっぱいになっている。


 ただこれはいつもの彼の立ち直りの早さではなく、さきほど肩を落としていた彼の姿は間違いなく、今だかつて見た事無いほどに重大な失意に落ち込んでいたことを示していた。

 しかしこのイズレン・ウィルナートという青年はいつだって長く、自分を絶望の中には置かない。そういう性格をしていた。

 

 魂の明るさだ。


 自分の失敗も失意も受け止め、素直に謝り向き直ることが出来る。

 こういうのを他人が見ていると愛さずにはいられない人間というのだろう。メリクはそう考えていた。


 その日仲間内で城下町の店で大いに盛り上がり、壁を乗り越えて魔術学院の寮に戻った頃にはすでに空は白み始めていた。

 幸い翌日は祝日で講義は無いため、とりあえず眠ろうということになった。


 イズレンは帰って来るとそのままベッドに沈み込んで寝に入ってしまった。

 メリクはよろよろしながらも寝支度を整えてからベッドへと戻った。

 それからふと毛布もかけず、くかーと熟睡に入っている友を見つけ彼に毛布を掛けてやると、自分もすぐにベッドの中に潜り込んだのだった。


 翌日、当然のことながらメリクが目を覚ましたのはいつもより遅めだった。

 昼も近い。それでも数時間しか眠れていない。


 しかし今日は祝日でサンゴールは城に戻って夕食をアミア達と取る日だった。

 そろそろ支度を始めないといけない。

 ギリギリ夕食に間に合った所で、この日を楽しみに待ちわびてくれているミルグレン的にはそれでは間に合ったことにはならないのだ。ゆっくり話もきいてやりたかった。

 全ての支度を整えるとメリクは毛布を顔に被ったまま下半身は全然毛布に隠れておらず、複雑な体勢で眠っているイズレンを覗き込んだ。


「イズレン、イズレン」


 何度かゆすると彼はよくやくもぞもぞと顔を出した。

「ん……メリク……おはよ……」

「おはよう。もう昼だけど……ごめん、今日は城に戻るから、出るね」

「おー。分かった。行って来い行って来い」

「うん」

 頷いてから、メリクは脇に抱えていたノートの束を差し出し、イズレンの机に置いた。

「それからイズレン、これ」

「ん~……?」

 寝ぼけ眼のイズレンがもう一度身を起こす。

「なんだそれ……?」

「休んでた間のノートなんだけど、良かったら使って」


 言った途端、イズレンの目が開いた。

 それからノートの束をパラパラと見てから、この数日間自分が欠席していた講義の内容が記入されているノートに感激し、その頃には彼はもう目は覚めていたようで、突然メリクの身体に抱きついて来た。


「メリクーーーっ! 

 ありがとうありがとう! 助かるぜーっ! 

 お前って奴はなんていい奴なんだ! ありがとう!」

「わわわかった、分かったから」

「俺は決めたぞ! 俺はお前の生涯の友だ! この世の全てがお前の敵になっても俺はずっとお前の友達だぜメリク!」

「大袈裟だってば」

 落ち着いてよ、とイズレンの肩を叩いたが友はベッドから抜け出し部屋の扉を開いて一礼する。


「行ってらっしゃい我が生涯の友よ!」


 芝居がかったその様子にとうとうメリクは吹き出してしまった。

「……ホント面白い人だよね」

「気をつけて行って来いよー!」

 イズレンは寝癖を立てた頭のまま手を振っている。それに応えてからメリクは魔術学院を後にした。

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