第3話『最初の入居者さん』


「我は魔王ウルスナ。異世界シェアハウスというのはここか」


 突然やってきた仮面の人は、低い声でそう言った。


「そ、そそそうですけど……」


『魔王』という単語に、わたしは震え上がる。


 これまで読んできた創作物に登場する魔王は総じて悪役だった。このおどろおどろしい見た目からして、目の前の人物も恐ろしい存在に違いない。


「ゴン吉さん、とんでもない人を連れてきてくれましたね……」


「うにゃっ」


 わたしが小声で言うと、ゴン吉さんは誇らしげな声で鳴いた。


 褒められたと思っているのかな。


「……ふむ。どうやら怖がらせてしまっているようだな。この仮面のせいか」


 その時、目の前の魔王さんが仮面を外す。


 仮面の下から現れたのは、女のわたしでも見惚れてしまうほどに美しい女性だった。


 ウェーブのかかった見事な赤髪は肩ほどまでの長さがあり、その瞳は左右で色が違う。


 少し尖った左右の耳に違和感あるくらいで、その容姿は人間と大差なかった。


「そ、それで、魔王さんがうちに何の用ですか?」


「ああ、街の掲示板に張られていたチラシを見てきたのだが、ここに住まわせてはもらえないだろうか」


 先ほどまでとは違い、完全な女性の声だった。


 仮面を被っていたので声がくぐもり、男性のように聞こえていたのかもしれない。


「……入居希望の方ですね。こちらへどうぞ」


 どうして魔王さんが街の掲示板を見ているのか、気になる点は多々あったけど……せっかくやってきた入居希望者だ。わたしは考えるのをやめた。



 それから魔王さんを共有部分のリビングへと案内し、そこで入居手続きを始める。


 ゴン吉さんはお客さんが珍しいのか、魔王さんの周囲をウロウロと歩き回っていた。


 ちなみに、シェアハウスの経営に必要な書類や手順については、おばあちゃんの『シェアハウス管理ノート』に全てまとめられている。


 この通りにやれば、素人のわたしでも問題なく手続きができるのだ。


「えーっと、まずは、身分証明書の提示をお願いします」


「身分証明書? そんなものはないが」


 ……いきなり問題が発生した。


 よく考えれば、魔王さんが身分証明書なんて持っているはずがない。持っていたら持っていたで、逆に怖い。


 それこそ冒険者ギルドとかある世界なら、ギルドカード的なものが証明書になるかもしれないけど。


「その、魔王の証みたいなものはないんですか?」


「この胸元の刻印が魔王の証だが」


 言いながら、彼女は鎧を脱いで胸元を見せてくる。そこには赤黒い謎のマークがあった。


 ……よくわからないけど、これを証明書の代わりにしよう。


 わたしはそう考えて、そのマークをスマホで撮影しておく。


「あとは、こちらに住所をお願いします」


「住所とは、魔王城の所在地でいいのか?」


「は、はい。もうそれでいいです」


 その直後、アルタール大陸中央部 ルルカ山脈南……なんて、聞いたこともない地名が書き記されていく。


 虚偽の住所を書かれたところでわたしにはわからないし、もう書類は形だけでもいいかな。


 そう開き直ることにして、次にシェアハウスのルールを説明していく。


「プライバシーがあるので、個室の掃除は自分でしてください。共有部分の掃除や、食事作りは当番制です。たとえ魔王さんだとしても、このルールには従ってもらいます」


「掃除や料理は得意だ。任せておけ」


 わたしの言葉に、魔王さんは自信満々にうなずいた。


 料理ができる魔王さん……なんか、想像できないんだけど。


「そしてもうひとつ、大事なルールがあります」


 一呼吸おいたあと、わたしは指を立てる。


 このシェアハウスにおいて、何より大事な決まり。それを伝えないといけない。


「ここに住む人は、皆家族です。今後、どんな人がやってこようとも、仲良くしてください」


「当然だ。私は寛容なことで有名な魔王なのだ」


 魔王さんはそう言って、笑みを浮かべる。


 わたしはそれを確認したあと、書類に署名をもらう。これで契約は完了だ。


「以上で手続きはおしまいです。ようこそ。シェアハウス『つむぎ荘』へ」


「ああ、こちらこそよろしく頼む」


 わたしは笑顔で言って、魔王さんと握手を交わす。


 色々気になる点はあるけれど、最初の入居者さんだ。まずは一歩前進、といったところだろう。


 ◇


 それから建物内の設備について説明したあと、魔王さんを居室へと案内する。


「ここが魔王さんのお部屋になります。備え付けのベッドに机、収納棚などもありますから、自由に使ってください。各個室にエアコンも付いています」


「室温を調節する魔道具か。人間は変わったものを生み出すものだ」


 天井付近に設置された白く細長い箱を見上げながら、魔王さんは感心顔をする。


 正確には魔道具ではないのだけど、エアコンの仕組みを説明しろと言われても無理なので、何も言わずにおいた。


「ところで、魔王さんって魔王城に住んでるんじゃないんですか? なんでわざわざうちを選んだんです?」


「ご覧あれ」


 少し気になって、わたしが質問を投げかけると、魔王さんは窓の外を指差す。


 かなり遠くに、瓦礫がれきの山が見えた。


「あれが魔王城だ。つい先日、勇者の攻撃によって破壊されてしまった」


「……ということは、お城が復興するまでの仮住まいとして、うちを使いたいと」


「そういうことになる。まったく勇者め。今回はやりすぎだぞ」


 窓の外を見ながら、魔王さんがため息まじりに言う。


 いくら相手が勇者さんとはいえ、自分の住んでいる家を壊されたらため息も出るよね。


「……うにゃあ」


 その時、ゴン吉さんが魔王さんの目の前にある窓枠へ飛び乗る。


 まるで自分の存在を誇示するかのようだった。


「……さっきから気になっていたのだが、この謎の生き物は何だ」


 ゴン吉さんの姿を見た魔王さんは、彼を指差しながら尋ねてくる。


「ゴン吉さんは猫ですよ。知らないんですか?」


「知らんな……」


 魔王さんは首をかしげる。リシェルさんも似たような反応だったし、この世界には猫がいないのかな。


「それにしても、ずいぶんとモフモフだな。触ったらさぞ気持ちよさそう……」


 魔王さんが手を伸ばしかけたその時、ゴン吉さんがクシュンッ、とくしゃみをした。


「おおおっ」


 その瞬間、彼女は飛ぶように後ずさった。


 ……ビビってる。魔王さんが。


「あの……噛みついたりはしませんので、どうぞ触ってください。ゴン吉さんも、いいですよね?」


「うにゃっ」


 わたしが尋ねると、元気な返事が聞こえた。


 それからゴン吉さんは床に降り、魔王さんの足にすり寄っていく。


「こ、これは……なんともいえぬ感触だな」


 魔王さんはそう言って、おそるおそるゴン吉さんの背を撫でる。


 次に魔王さんがベッドに腰を下ろすと、ゴン吉さんはその膝の上に飛び乗った。


「にゃあ」


「おお……何だこの可愛い生き物は」


 どこかで聞いたことのある台詞を口にしつつも、魔王さんの表情は緩みっぱなし。


 そこに魔族の王たる風格は微塵もなく、純粋な猫好きの女性がいるだけだった。


「……もしや、ここにいればこのゴン吉さんとやらを触りたい放題なのか?」


「そ、そうですね。一応看板猫ですし、ゴン吉さんが疲れすぎない程度なら……」


「……シェアハウス。いい場所だな」


 わたしが若干引きながら答えると、魔王さんは満面の笑みで言った。


 ……なんにしても、最初の入居者さんは無事決まった。


 この調子で人を増やしていかないと。


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