第1話「体育の授業、俺だけルールが違うんだけど?」

 6月の体育館は、梅雨の湿気でじめじめしていた。

 5時間目の体育の授業。俺の気分は憂鬱そのものだった。


「今日はバスケをやるぞー!」


 体育教師の進藤先生がそう言った瞬間、女子たちの間にざわめきが走る。


「え、早乙女くんの汗、見れるじゃん……!」

「ユニフォームの下からインナー透けるかな」

「てか、汗拭いたタオル触りたくない?」


 ……毎度のことだが、こういう会話が普通に聞こえてくるのがこの学校だ。

 女子たちにとって、男子は「見る」対象であって、同級生とは別カテゴリの存在らしい。


 俺はため息をついて、体操服に着替える。更衣室は別々だから、着替えている間だけは平和だ。


「このクラスは早乙女がいるからな。特別ルールを追加する」


 体育館に戻ると、進藤先生が気だるげに言った。

 特別ルール、か。男が極端に少ないこの世界ではよくあることだ。


「まず、早乙女への接触は一切禁止。ディフェンスの時も近づきすぎちゃダメだ」


 委員長がビシッと手を挙げる。


「先生、それじゃディフェンスの意味がなくないですか」


「ああ。だから早乙女はセンターポジション固定。基本的にゴール下から動いてはいけない」


「どうしてですか」


「早乙女への配慮だ。お前ら、ディフェンスと称して過度にボディタッチでもしそうだからな」


「し、しませんよそんなこと!」


 委員長が慌てて否定すると、他の女子たちも「私たち清楚ですから!」「疑われる筋合いないし!」と次々に抗議の声を上げる。


 でも俺には聞こえていた。さっきの「汗拭いたタオル触りたい」という本音が。


「まあまあ、念のためな。はい、ルールは決定。男子は保護しないといけないんだ」


 進藤先生の一声で、変則バスケが幕を開けた。


 実際にゲームが始まると、予想以上にカオスだった。

 俺はゴール下で突っ立っているだけ。女子たちは俺の半径二メートル以内には近づかず、遠巻きに走り回っている。


 まるで俺が危険物質扱いされているようだった。


「早乙女くん、パス!」


 ボールが飛んでくる。俺はそれを受け取って、適当にシュートを放つ。

 ノーマークなので、当然のように入った。


「きゃー! すごーい!」

「さすが早乙女くん!」

「今のシュート、めっちゃかっこよかった!」


 ただのフリースローなのに、黄色い声援が体育館に響く。


 相手チームの攻撃になっても、俺に近づく人は誰もいない。みんな俺を避けるように動いている。これのどこがバスケなんだ?


 結局、俺はパスが来たらシュートを打つだけの、動かない置物と化していた。


 やがてゲーム終了のホイッスルが鳴った時、俺は心の底からほっとした。


「お疲れさまでした!」


 ゲーム終了後、女子たちは興奮冷めやらぬ様子で俺の周りに集まってきた。


「早乙女くん、シュート決定率すごかったね!」

「あの最後のシュート、めっちゃかっこよかった!」

「今度一緒にバスケしない? 私、教えてもらいたいことがあるの」


 俺は苦笑いを浮かべながら、一歩後ずさる。


「そ、そんな大したことないよ……それじゃ、お疲れさま」


 そう言って逃げるように更衣室に向かった。


 更衣室で制服に着替えながら、俺は溜息をついた。毎回こんな調子だ。体育の授業はもはや体育ではなく、俺を見世物にするイベントと化している。


 着替えを終えて教室に戻る途中、廊下で見慣れた人影を見つけた。


「瑠花?」


 俺のクラスの前でうろうろしている瑠花がいた。


「あ、兄さん! よかった」


 瑠花は俺を見つけると、ほっとした表情を浮かべる。


「どうしたんだ? こんなところで」


「実は今から体育の授業なんですが、着替えを忘れてしまって……」


 瑠花が困ったような顔で説明する。


「体操服? 借りられる人いないのか?」


「はい、他のクラスに友達いないんです。それで、兄さんの体操服をお借りできないかなって思って」


「いいけど、ちょうどさっき体育で使っちゃったからな。汗とか……」


「大丈夫です! 私、兄さんの匂い——」


 瑠花が何かを言いかけて、急に口を押さえた。


「え?」


「な、なんでもないです! 汗なんて全然気にしませんから!」


 瑠花は慌てたように手をぶんぶん振る。


「そうか? 瑠花がいいなら、じゃあ」


「ありがとうございます、兄さん!」


 瑠花は俺から体操服を受け取ると、なぜかそれを胸に抱きしめた。


 その仕草がなんだか可愛らしくて、俺は少しドキッとした。


「そろそろ授業始まるから急げよ」


「はい!」


 瑠花は嬉しそうに微笑むと、小走りで更衣室の方向へ向かっていく。


 その後ろ姿を見送りながら、俺は首をかしげた。

 最近、瑠花と話している時に妙にドキドキすることが増えた気がする。


 昔からこんなだったっけ? それとも俺が変わったのか?


 そんなことを考えながら、俺は教室に戻った。

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