第5話 館は魔の印。では部屋は?
……………
「この部屋の全て……。だと!?」
熊城の驚きもよそに、法水は講釈を続ける。血に濡れた園に舞う彼女は、部屋に置かれた
「この二体の
これは最も連想が容易かつ、この『リンフォン』に近しい存在と言える。何故ならばこの『RINFONE』、怪談にもあるように『INFERNO《インフェルノ》』のアナグラムだからねえ。まあ、綴り的に英語であるため、キリスト教的要素は薄いように思えるが、このパズルが示す『熊』『鷹』『魚』のうち、最後に示される『魚』がキリストを示すだとかの謂れもある。
その謂れになぞらえるというのならばこの
その答えは単純だ。二体の悪魔。二体の死を呼ぶ存在……。あるいは堕天使。
それは『旧約聖書・列王記』に現れる預言者・エリシャの逸話にある二体の『熊』だ。山羊頭の悪魔が熊というのはナンセンスという見方もあるだろう。
だが、バフォメットの具象が山羊というのは旧時代の人間が山羊の火に惹かれる性質やその瞳の異常性を恐怖し、そして何より『
そして同時に悪魔は度々言ってきたように『堕天使』でもある。
『
さあ、これでわかるだろう?
列王記に語られる預言者・エリシャの話……。エリシャが訪れた村にて、子供たちがエリシャの頭を指さし、『禿げ頭』と揶揄して笑った。エリシャは怒り、神の名によってその子供を呪う。その直後、村には二体の熊が現れその子供たちのうち四十二人を無残にも食い殺したという話。
正に天の御使いが禁忌たる殺人を預言者のために行う恐るべき寓話とも解釈できるこれは、
法水はまた次に、西洋騎兵具足を指して語る。
「そしてこの騎兵具足はこの
否定的文言を挟もうとする熊城に発言権を与えず、すかさず法水は次なる物品を指し示す。
「さあ、次、こちらはアジアより西、ギリシア・ローマの伝承。アルテミスの弓矢。ああ、この弓矢と共に示されるこの星座の
何を隠そう、これこそ大熊座の由来。
恋多きデウスに見初められた
さあこの
法水の指さす先にある
だが唯一、中央に堂々と坐する北斗七星の部分だけが滴る血が避けていくように示されている。
果たしてこのような偶然があるのだろうか、血にべっとりと濡れている大きなタペストリーの中心、最も血に濡れやすいであろう部分が唯一無事にその具象を示しているということが、ここ以外にお目に書かれるというのだろうか?
支倉は法水が導き出す、怪奇深淵の神話に魅入られ、その世界へと取り込まれている。そして熊城もその拒絶虚しく、奇々怪々、魑魅魍魎の跳梁跋扈する
「そしてこの本棚の品々……。酒瓶と大蒜、生姜! その酒瓶を検めてみたまえ、熊城君。匂いを確認するだけでいい」
熊城は指図する法水に言われるがまま、血潮に塗れた酒瓶の封を開き、手で仰いで匂いを確かめた。
「酒……。いや、それだけではない……! 酢か? 何だってこんなところに」
「大蒜に生姜は魔術秘薬の元としても知られ漢方でも扱われる代物さ。だがその酒と酢を混ぜたものはむしろ『料理』に扱われる。そしてその小物類、それもよーく改めてくれ、恐らくは孟子、あるいは中国の古い料理書が出てくるだろう」
熊城は棚の奥を見る。そこに並ぶ本は確かに中国古典。論語などの並びの中に孟子そして場違いな『料理書』それは周の八大珍味を紹介する古典書籍であり、美品として購入した骨董品と思われた。
「周の八代珍味。その中でもこの大蒜、生姜、酒酢を使うものは何を隠そう『熊掌』だ。孟子の好物としても知られる……。と、まあ、洋の東西を問わずあらゆる品々が全て『熊』の象徴を示しているのだよ。わかるかい? この部屋は既にこの『リンフォン・熊』の術中なのだ……。すべての因果がここに集約されている」
法水の語りによって部屋の
その仮説が今ではひどく現実味あるものとして、支倉と熊城の脳裏に深く刻まれていたのだった。
支倉はしかし、この仮説を信奉するに至ってある一つの疑念が浮かんだ。
「麟音、この仮説に拠ればこの部屋はその『リンフォン』によって支配されているということだけれど、さっきの死体の出血はどう説明すればいいの?」
法水は調子を変えずに、しかし思慮深い瞳を落としながら語る。
「そう、ようやく問題の最先端……。つまりは現在の時間軸に至ったワケだ。そこなんだよ。私の仮説が更に改定されて行くべき現象。あの
まあそれはそれとして、奈々芽クン。今の君の発言、私はそれを修正する必要があるね」
法水の指摘に支倉は驚きを見せる。
「え? 一体どこを……」
「君は『このリンフォン』を指して、この部屋を支配していると言った。それは私の思うところではない。私の仮説では、部屋はリンフォンによって支配されているが、このリンフォンではない……。これは、リンフォンの具象の一つに過ぎないんだ」
「では他にも!?」
「ああ、その通り。この手元にあるリンフォンは、『熊』の形態しか示さない。そして、私が少し
――それは果たしてリンフォンと呼べるのか……。ククク。これはこの事件の『鍵』かもしれないね、ホンモノとニセモノ。真実と虚偽……!」
支倉は法水のその意味深な言葉に更なる質問を口にしようとする。だが、運命はその事件の鍵への導を拒絶した。
部屋の中へ見知らぬ者の声が飛び込んできたのだ。
「熊城さん! 言われた通り館に残っていた被疑者六人を隣の部屋へお連れしました!」
「六人!? たったそれだけか? この館全体で!?」
熊城は驚きと共に訊き返す。部屋の入口に立つ彼の部下は部屋の惨状と二人の少女を見て驚きを隠せなかったが上司の言葉にすぐに答えを返す。
「は、はいっ。この館自体が一階の理化学室や音楽室等々教室と二階の図書室以外、ほとんどが倉庫や骨董品展示室、理事長一家の私室となっておりまして、管理人室や職員室、事務局は別館です。この時間帯に館に残る人は少なく……。丁度、いるはずの者も出払っており……」
その報告を聞き、法水は目の色を変えて言う。
「まさにここでも『犯人』の魔の手による因果操作が行われていると考えられるねぇ! 実に興味深い!」
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