第一章 ナンセンスよ、超常よ、推理の神髄よ

第4話  リンフォン。その『熊』よ。産み落とされよ。

     ……………


「ふぅん……。死体が急激に破裂し、死後に体積に見合わぬ出血。ふふ、これで法科学的司法解剖による調査はほとんど無為であることが分かるねぇ」


 法水はこの異常事態に冷徹な分析を述べる。


「なッ……。いや、死体のガスが破裂したのかもしれん。これだって血糊の可能性もある。とにかく俺は法科学を捨てることはしない。プロセスは踏む」


「クックック……。まあそう言う視座もあるべきだとは思うよ。だが私はもっと広範な調査を好む……。さて、差し支えなければ今後の操作のためにも、今まで君がこの部屋に規制テープを張って以降、何をしていたのかを教えてもらおうか、まあ恐らくはこの館にこの時間18時11分まで居残っている数少ない人間を容疑者として捉まえつつ、応援要請等々をしていたのだろう。

 何故なら、外ならぬ君こそがこの事件の『』なのだからねェ」


「何!? 熊城刑事が第一発見者!? 一体何でそんなことが分かるの!」


 支倉の仰天と対照的に、熊城は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、認める。


「何故……。そのことを……!」


「なに、単純な推理と想像だよ。リンフォン、そして熊。これは象徴主義的シンボリズム殺人だ。この部屋に示される具象は全てこのリンフォン、そして熊の象徴へと回帰していく。私は既に犯人の尻尾を捕まえているのだ……」


 死体の出血が止まり、広く、本棚と樫の書き物机、そして邪な雰囲気を生み出し続ける陰鬱な調度品たちで全体的に黒黒としていた執務室は一変、驚くほどに鮮やかな血が滴り、しかしながら悪魔的雰囲気はさらに熟成され発酵していた。

 その部屋の中で熊城は法水へとコトの顛末を話しはじめる……。


「俺はお前たちが解決した先の事件について礼の為に理事長のもとへ訪問した。予定はここに向かう前17時55分頃にに電話を入れて決まったものだ。言うまでもなくその時点で讃詠氏は存命だった」


「……君は一人でこちらに?」


「いや、部下が一緒だ。だが部屋には一人で来た。讃詠氏との面談は署に帰るついでのほんの少しだけの予定だった。お前らのおかげでかなり面識があるからな……。少し挨拶して雑談して帰るくらいの予定だ」


「フム、すると犯人が君の訪問を予期するのは尋常の手段では不可能と」


「……。俺が事件の象徴に組み込まれているとお前は言うが、その論拠は?」


 訝しげな目つきで熊城は法水を見遣る。当の彼女はややウンザリした様子で返答する。


「この『リンフォン』さ」


「……俺はそれを知らん」


 熊城の思ってもみない返答に法水は「フゥン」と唸るように言うと人差し指をくるくる回しながら話しはじめる。


     ―――――


『パズル好きの彼女』、『地獄の門』などとも称されるインターネット怪談さ。掲示板サイトのオカルト板に投稿された話とも聞く。

 投稿者がアンティークショップで説明書付きの正二十面体パズルを買い、パズル好きの彼女がそれを解いていく。

 そのパズルには『RINFORN』の刻印が刻まれており、説明書によると『熊』『鷹』『魚』へと変容するのだという。

 彼女がパズルを数日かけながら『熊』『鷹』へと変容させて最後の『魚』に差し掛かったところ投稿者のケータイに奇妙な着信が来るようになる。『彼方』と示される不明な着信。そして投稿者はさらに奇怪な夢を見る。

 彼女が夢の中で恐ろしい声を発しながら『連れ出して』と叫ぶ夢だ。

 それらを不審がった投稿者は彼女とともに名うての占い師の元へと行くのだが、その占い師は玄関で投稿者たちを見るなり帰るよう断って来る。投稿者が事情を聞くと、『彼女の背後に動物のオブジェのようなものが見える、今すぐ捨てろ』『これ以上はいいたくない』と語る。それでもしつこく話を聞くと占い師はこう語る。

『あれは凝縮された極小サイズの地獄です!!地獄の門です、捨てなさい!!帰りなさい!!』

 そう叫んだ占い師は料金も取らず二人を締め出した。

 二人は帰るとすぐにリンフォンを説明書と共にガムテープで巻き、ゴミとして捨てた。それ以来奇妙な現象はなくなったという。

 後日、投稿者の彼女があることに気づいた。

『『RINFONE』の綴り。これを並べ替えると『INFERNO(地獄)』とも読める』と


     ―――――


「……。なんとも、ナンセンスと言うか……」


 熊城は初めて聴くネット怪談にやや困惑しながら言う。


「不条理ホラーといった具合かな。まぁ怪談なんてそんなものさ」


 法水の所感の直後、熊城は首を振って言葉を返す。


「その話から俺がこの事件に組み込まれていることをどうやって示すというのだ? まさか俺の名前に『熊』が入っているからとでも言う気か!」


「察しが良いね。その通り。そしてそれは単なる偶然ではないんだよ。なぜなら君以外にも、殺人が発生したこの部屋には『熊』の象徴が具象として執拗なまでに散りばめられているのだからね」


「何ぃ!? 具象! それは一体どれのことを言っている!?」


 その言葉を聞いて、困惑する熊城。

 それを横目に支倉は部屋を見回す。

 鮮血に塗られた部屋にある物品は、2体のバフォメットの彫像や古めかしい西洋騎兵具足、弓矢をつがえるアルテミス像、彩色されたアイヌ刀、本棚に並ぶ瓶と大蒜、生姜などの小物類、占星術の象徴めいた北天の星座を示すタペストリー――しかしそれは血液によって、星座の多くを失陥している。――、妖女ニンフが描かれる編細工の鞄など、一見すると熊にまつわるようなものは見られなかった。


――この中で熊に関連する物品がどれほどあるというの? あるとしていったいどんな論理を展開し、犯人への足掛かりとしようというの?


 支倉はその深い疑問の答えがすぐに法水によって示されることを悟り、好奇の視線を送る。


 法水は手を広げ、ふわりとスカートの裾を揺らして身体をくるり一回転させて仰々しく述べた。


「この部屋の物品、すべてさ! すべてが『熊』の象徴を指し示すとともに、ある一つの儀式を見立て、遂行せしめているのだよ、本来神聖なる聖別とも呼ぶべき、アイヌの人々による『イヨマンテ』を!」


「なに、イヨマンテ!?」


 そう言った支倉はすぐに先ほど見回した部屋の中に存在する『アイヌ刀エムㇱ』を見る。それは現在においてこの部屋を支配する謎の魔力により存在感を変質させていた。

 法水はこの部屋を構成する物品を指して一つ一つの儀式における立ち位置を示してゆく。


「イヨマンテの儀式において、まず対象となる野生生物、多くの場合は熊に酒を与え酔わせる。そして儀式の祭壇に呼び込むんだ。祭壇には『鎧』、『弓矢』、『シントコ』と呼ばれる外居ほかい……。つまりは本州から調度した器容れ、そして『宝刀エムㇱ』が飾られる。ここにある物品は丁度それを示しているということさ」


 支倉は次々と示される説明により漫然と配置されていた物品が呪術的具象となり一つの象徴で繋がる面妖なる体験をその身に感じた。それは神話の解体と全く逆の事象。つまりは神話の構築と言うべき現象であった。

 しかし、実務家・熊城が待ったをかける。


「確かに筋は通っている。だがそれだけだ。そもそも西洋調度品の中に紛れるアイヌ文化財を見て全てをそれと繋げることはナンセンスとも言える。幾らその見立てが良く当てはまるとは言え全てが熊の象徴を指すとは言い難い」


「フゥン……。確かに論拠の建付けが弱い、そう言えるかも知れない……。この理論だけでこの部屋の象徴である『熊』をかたるのなら、ね……!」


 法水は振り返り、熊城にくるくると回していた指先を向ける。それは恐るべき実際性への死の宣告である。


「何ぃ!?」


 動揺を隠せない熊城。その隣で支倉が好奇心から法水へ訊く。


「じゃあまだ何か理論があるというの?!」


 待ってましたと言わんばかりの法水は笑い、声を血の滲む部屋へと響かせる。


「勿論! この物品一つ一つが全て異なる理論により象徴『熊』を示しているのだ!」


 部屋を包んでいた呪術的陰影はより濃さを増して、血濡れた物品の怪しげな煌めきを烈しいものとする。

 この部屋には確かに神話が、今続々と産み落とされようとしているのだ。

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