【第三章 緩やかな日常】3

「おー、いいぞ七海! その調子だ!」

「ごめ、今、話しかけないで……集中出来ない……」

「……あー」

 二子澤の声に返事をしながらも、七海は目を閉じて、全神経を研ぎ澄ましていた。宙に浮く感覚はまだ不安定で、足元に力を込めようとすると、逆にバランスを崩しそうになる。

 ぷるぷると震え必死に耐えるその様子を見た二子澤は、産まれたての小鹿みたいと苦笑いを浮かべていた。

「……七海さん。意外とぶきっちょさんだ」

 六城がぽつりと呟いていたが、七海には聞こえていなかった。

 


 七海たちはそれぞれ動きやすい恰好かっこうで、ベポリスの指定する場所まで居合わせていた。そこは空き地だった。

 空き地には、黒と黄色のトラロープが張ってある。『人払いは済んでるから気軽に入るベポ』とかメッセージがあったが、いざその中に入るとなると流石に緊張していた。これ、本当に合法なんだよね?

 砂地とコンクリートブロックぐらいしかないその空き地は、多少手狭だが、大きな魔法でも使わない限り、動くのに十分なスペースがあった。

「揃ったベポね! ではさっそく魔法修行──と行きたいところベポが。まずは雫九に、魔法とは何ぞやを説明するベポ」

「うん……色々遅すぎる気もするけどね」

「まぁまぁ、使わずして覚えることも出来ないし、魔物戦闘は一番の練習台……言い方がマズかったのは謝るから来ないでベポ! 八夜!」

 六城が無言で迫っていき、ベポリスが慌てて距離を取る。

「……は、初めにおさらいするベポ。魔法はイメージ。自分の中で想像出来る、これぞってものがそのまま、武器になると考えていいベポ。例えば、五火は炎がベースベポね?」

「おう! わかりやすく強そうだからな! でかい一発ぶちかますのが気持ちいいんだ!」

「五火の魔法は、火球を飛ばしたり、それこそ豪快の炎の渦を巻き起こすことだって出来る。それもこれも、五火のイメージに起因するベポ」

 例えばこんな風に! とベポリスが、黒い煙を纏わせながら、見本とばかりに炎を浮かばせる。宙に浮くその炎は形を変化させ、小さな炎の塊になっていく。七海は感心したようにその炎を見つめていた。

「……ってかアンタも魔法使えるんだったね……忘れそうになるけど」

「そして、八夜は少し独特ベポが、シールドベポ。亀の甲羅のような盾で、守ることが特徴になってるベポ」

「……それに。亀ってね、噛む力結構強いんだよ。近寄ったら、がぶ」

「へ、へぇ……」

 にこやかに言う六城の顔に、七海は少しだけ怖いと感じていた。しかし、それが彼女の持つ芯の強さかもしれない、とも感じていた。

「要するに、守るだけじゃないってこと。逆に相手をシールドに閉じ込めたり、そのシールドを展開して攻撃に転じたり。考え方次第だよ」

「なるほど……」

 七海は顎に手を当て、頷く。ホント、いろんな考え方が出来るんだな、魔法って。

「雫九はその点、かなりリアリストだったベポ。弓を具現化して、形にしていた。ならその弓を、魔法を、どんなふうに使いたいベポ?」

「……」

 どんな風に。その問いにすぐに答えられず、七海は視線を落とした。

「……すぐに答えが決まらなくても結構ベポ。いつか必ず、それはキミだけのものになる。少しずつ考えていくベポ」

「……そんな感じでいいの?」

「まぁ個人的なことを言うなら、ぱぱっと決めてもらってバトルシミュレーションもしていきたいベポが、今日はそれよりも大事な訓練を中心にやっていくベポ」

「?」


「空を、飛ぶ魔法の、訓練ベポ」


「……!」

 ──空を飛ぶ。あの飛行機雲に、私が並ぶ。

 その光景を頭に浮かべ、思わず心が震えた。あんな風になれるなら、私ももっと、自由になれるかな、そんな思いが胸を駆け巡った。

「空を飛べれば、いざ魔物が現れても上空からひとっとび! すぐに駆け付けられるベポ! やり方も簡単! まず自分が飛んでるイメージを想像するベポ! 手を広げて、風になるように!」

 ベポリスは空中で静止し、小さな手足をぴんと張っていた。

「……やれるかな」

 そう小さく零す七海に、二人は問題ないと肩を叩いた。

「それじゃ本格的に魔法修行、開始するベポ~!」


「「おー!」」

「お、おー……!」



 そして、今に至る。

「うわっ!」

 空中で静止を続ける中、遂にバランスを崩し尻餅をつく。

「あちゃー、でも惜しかったぞ!」

「うーん……」

 お尻をさすりながら、二子澤のフォローに苦々しく返事する。

「いいか? もう一回言うぞ? ふわっでシュバッ! だ!」

「わからない……それが本当にわからない」

「それじゃ伝わらないよ。いい? 七海さん。飛行機がどうやって飛ぶのか、その原理を頭に叩き込むの。もしくは風船の要領で」

「六城さんは六城さんで、ちょっと理詰めが過ぎるよ……」

 結論。二人の意見はまったく参考にならなかった。

「難しく考えすぎベポ。ボクみたいにこう、ゆら~ゆら~と浮いてみるベポ~」

 +α。このふよふよ浮いている生物の意見も、まるで意味をなさなかった。

「うーん、何がダメなんだ?」

「……というか、二人ともが、魔法そのものの力で飛んでないからかな……参考にならないのって」

「?」

 七海は二子澤の飛び方について観察する。

 炎が体を支えるように、足元から伸びている。オレンジに染まった衣装に彩られた手からも炎が噴射されることで、バランスが保たれている印象だった。

 続いて六城。シールドが囲うように六城を覆い、そのシールドごと浮いていた。青みがかったコスチュームを纏い、ゆったりとシールドの中でくつろぐような姿勢だった。

 七海は思った。

「……ズルじゃない?」

「って言われても」

 二子澤が肩をすくめ、苦笑いで返す。

 嘆息しつつ、しかし出来るようにならなければ始まらない。七海はもう一度手を前にかざし、力を込める。つむじ風が吹くように落ち葉が舞い上がり、ふわりと宙に浮く感覚が戻る。けれど、まだ不安定だ。

「……雫九は常識にとらわれすぎているかもしれないベポね」

「えっ、なにっ、きゃっ!」

 不意に声をかけられ一気に地面に倒れ込む。

「あーもう、もうちょっとだと思ったのに……!」

「雫九は、人は空を飛べないという大前提が頭にあるベポね」

「え? いや、そりゃそう……」

「それベポ。魔法少女と言えど、魔法だけで何でも出来る訳じゃない。それをイメージで補うから形になるベポ。無からエネルギーは生まれないのと同様に、イメージ出来ないものを無理に引っ張り出すのは、難しいベポね」

「んん?」

「もっと頭を柔らかくするベポ。空を飛ぶにもいろんな手段がある。そのお手本は、二人を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんベポ」

 言われて、七海は改めて彼女たちの様子に目を向ける。炎で支える二子澤、シールドで浮遊する六城──飛ぶ方法は一つじゃない。

 翼でも、風でも、浮力でもいい。単純ながら、そのイメージの違いに、七海は思考の扉が少しずつ開いていく。

 ふと空を見上げると、複数の雲が縦並びに浮かんでいた。電線の上には小鳥が羽を休め、またすぐに飛び去っていく。その中の一羽が宙を蹴るように飛んでいた。

「あっ」

 そして一つ、七海はひらめいた。

「──そっか。別に飛ばなくてもいいんだ」

「え?」

「ベポ?」

 突拍子もない真逆の解答に、その場の全員が困惑していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る