その翡翠き彷徨い【第32話 初恋】

七海ポルカ

第1話




 王立アカデミーはサンゴールの王侯貴族の子爵達が通う学院である。



 メリクが去年魔術学院に入学してしまい、ミルグレンが暇を持て余し城を駆け回るようになったので、王家のしきたりでは十歳になってから王立アカデミーに入学するのだが、これでは一年城が保たないと侍女達に泣きつかれて、結局アミアが一年早くミルグレンを王立アカデミーに入学させてしまった。

 入った当初は物珍しく面白かったが、一月もすればミルグレンは環境にも慣れて早々に学校生活に飽きてしまったのである。もともと彼女は普通の尺度より飽きっぽい所がある。


(つまらないなあ……)


 女王アミアカルバの愛娘として、ここでは教師も学生達もミルグレンに特別な待遇を与えた。

 恵まれた人間が不平を言うのが悪いといわれるのは心外だが、ミルグレンは甘えたがりではあるが、特別扱いされるのは元来あまり好きではない。

 ミルグレンに会うたびに鼻にかかったような声で近づいて来る者達は、皆ミルグレンではなく母のアミアカルバを見ているのだから。

 ミルグレンに笑いかけながらも彼らの目はどこか慎重でいつも緊張している。


 権力への怯え。


(まあ気持ちは分かるけどね)


 女の子はともかくとして問題は男である。


 王立アカデミーに通う少年達は誰も彼もが良家育ちで行動力が無い。

 アミアの娘として奔放に育てられたミルグレンの方が、体力的にも勝っているくらいだった。

 これみよがしに「王女様」なんて言って来る人もいる。

 女王の権威に媚びようと、毎日夜会に来てくれるよう、自分の気持ちなんか少しも無い手紙を当たり前のような顔で手渡して来るのは神経を疑う所だ。


 夜会なんか何が楽しいんだろう。


 城の夜会は大人しかいない。

 そこは洗練された紳士と淑女の社交界で、年頃のミルグレンは確かに城の夜会は好きだ。

 だが貴族の夜会は虚飾だということを、九歳の少女であるミルグレンはすでに知っていた。

 母であるアミアがいつもそう言っていたからだ。

 人の噂ばかりが話され、あの家がどうだとかあの人がどうだとか、そんなことばかり話すのである。

 貴族の少年達は誰も彼もひょろひょろしていて頼りがいが全く無い。体力も根性も無ければ 知識も無いのである。


(それに比べて……)


 ミルグレンは学院の庭園でベンチに座り何やら話している少年達を見下ろした。


 ……メリクを思い出していた。


(メリク様は何でも出来た)


 物静かな人だと周りは言うけれど、一緒に育って来たミルグレンの彼に対する印象は周囲とはちょっと異なる。

 メリクは確かに物静かだがミルグレンが困っている時にはいつだって、どこにだって来てくれた。感情の起伏が激しく一度臍を曲げて泣き出すとそういうミルグレンには誰も近づけなくなり、侍女などみんな怯えてどうすればいいのだという顔で、遠巻きに眺めているだけになるのだが、そんな時でもメリクだけが何も変わらず近づいて来て大丈夫だよと声を掛けて頭を撫でてくれるのだ。



「メリクさま……」



 昔から真面目だったけど、いつも一生懸命だった。

 誰もが恐れるリュティスにだって辛辣にされながらも、決して心を折る事無く魔術という難解な学問に携わって来たのだ。

 だからメリクは同年代の少年が知らないようなことでも何でも知っていた。

 魔術のことだけではない、植物のこと、サンゴールの歴史のこと、薬学のこと、その他の勉強のこと……ミルグレンが尋ねると何でも教えてくれた。


 教育係の女官など聞いても無いことをあれこれ上から言って来るので、ミルグレンは勉強の時間は嫌で嫌でしょうがないのだが、メリクに何かを教えてもらう時は楽しくて飽きることは無かった。

 王立アカデミーに入ってから、尚更ミルグレンはメリクがいかに秀でていたかを改めて知ったのだ。

 城ではメリク以外の子供に会う機会など皆無だったから、改めて驚いたことなのだが。


 メリクのいない日常がこんなにつまらないものなんて知らなかった。


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