りんごの木がある酒場(4/4)

 ランドは男たち全員が追いかけてきていることを確かめる。


 コインは裏、リリィを連れて逃げるつもりで弾いていた。


 だが、アゼリアがかばってくれた瞬間に表が『リリィを連れて逃げる』になった。


 昨日の三人の腕は分かっている。不確定要素はリーダー格の男ともう一人だ。


 走りすぎて必要以上に体力を失うことは得策ではない。酒場から十分に離れていることを確認してから道を外れて森に入る。


 五人同時に相手をすることはできない。


 大木の裏に入って男たちの視界から外れた刹那に剣を抜く。逃げるのはここまでだ。


 先頭を走る男を木の陰から斬り上げる。


 慌てて剣を抜こうとする二人目を袈裟に斬る。


 残り三人。


「てめぇ!」


「慌てるな、囲め!」


 死角をとられぬよう背後を大木に預けてランドは構え息を整える。


 考える時間を与えるな。


 ヴァルター・オークの言葉が頭に響く。


 ランドは身を沈め、昨日のいた男の一人に斬りかかる。リーダー格の男が反応し踏み込むのを見て一瞬だが判断に迷いが出た。


 三人目を斬り伏せた勢いそのまま、リーダー格の男の剣を跳ね上げる。


(浅い)


 跳ね上げた剣が頭に向かって振り下ろされる。本能に逆らって目を見開いて凝視する。もう一人の男が遅れて踏み込んできているのを視界に入れる。


 ランドは、目の前に掲げたろうそくをヴァルター・オークに斬られるその瞬間、目をつぶらないようにする鍛錬を繰り返した。


 すべては視ることから始まる。


 これが一番最初に教わったことだった。


 大地を蹴る。体を捻り剣を避ける。避けきれずに男の剣が肩をかすめた。


 突き立てた剣で男の脇腹を貫いて裂く。最後の男の一閃を半歩下がってやり過ごし逆袈裟に斬る。


 五人斬った。


 麻袋の紐が解け、ハイドランジア王国の宝剣の鞘があらわになった。


 全神経を集中して周囲の気配を探る。勝利の瞬間が一番無防備になるからだ。


 ゆっくり十数えてからランドは膝をついた。


 忘れていた呼吸を始めると全身から汗が噴き出し、肩の痛みも遅れてやってくる。


「……何者だ……貴様……」


 リーダー格の男が消え入りそうな声で言った。


 何も言わずにランドは立ち上がる。


 国を失った王はいったい何者になるのだろう?


「生きて帰れたらボスに伝えとけ。俺をやるつもりならもう三人はよこすべきだったなってな」


 男が何を言っているんだという顔をしたことで、これ以上の増援がないことを確信した。


 麻袋に宝剣を収める。


 一番近くに落ちている剣を拾い上げ、男たちを見下ろした。


「たすけて……くれ」


 風が吹き、木々がざわめいた。


 辺りに気を配りながら、現状に至った経緯を思い返す。


 昨日の夜、半端な覚悟で男たちを追い払った。


 すぐに出発するつもりだった。だから報復される可能性を考えていなかった。


 アゼリアの未来を考えていなかった。


(力ある者の行動には責任が伴う。善悪は関係なく行動の結果に対する責任が問われる)


 ハイドランジア王――父の言葉が重みを持ってのしかかる。


 覚悟の程を見せてもらうと本気で向かってきたヴァルター・オークを斬った感触が甦る。


 りんごの木と酒場、アゼリアのことを考える。


 そして、悪夢にうなされ、こっそり寝床にもぐりこんでくる少女のことを考える。


 風が止み、男たちのうめき声が四つ聞こえた。


 無音ではないのに、なぜか静かだと感じた。


 ランドは順番に、息のある男たちの喉を突き刺していった。


 ●


「消毒の方が斬られたときより堪えるな」


 アゼリアは鍛えられ引き締まった肉体にどきどきしながらランドの肩の包帯を巻き終える。


 傷は幸いにも浅く、縫うほどではなかった。


「用心棒、引き受けてないのにどうして助けてくれたの?」


「助けた? おっかなくなって逃げたんだけど?」


 自嘲するようにランドは言った。


 傷口に触らないように気を付けながらランドの胴を抱きしめる。


「……ありがとう」


 振り払われることはなかったが、それ以上踏み込めない高い壁のようなものを感じた。


 ランドが戻ってきて、真っすぐリリィのもとに向かう背中を見た時に感じたものと同じものだった。


 だから伝えるのはこの一度限りだ。


 この想いが届かなければ、きっと諦められる。


「あのね」


「ん?」


「用心棒の件と、もう一つ伝えたいことがあるんだけど」


 アゼリアは想いの丈を全力でぶつけることにした。


 ●


「世話になったな」


「うん」


 少し目を腫らせているアゼリアが元気よく答えた。


「これ持って行って。お腹すいたら食べてね」


 アゼリアがりんごを一つ差し出した。


「おう、助かる」


「リーちゃんも気を付けてね」


「ええ」


 昨日のランドとのやり取りを盗み見してしまった罪悪感で、アゼリアの目を正面から見ることができなかった。


「バイバーイ」とアゼリアが二人を見送る。


 貰ったりんごを手のひらで転がしながらランドが言った。


「ああいう酒場がある国に住みたいな」


「そうね」


「木って別の場所に移せたりするかな?」


 ランドの質問の意図が分からない。


 答えを期待している様子はないのでこちらも問いを投げてみた。


「用心棒でしばらく留まっても良かったんじゃない?」


 昨日の夜、アゼリアの話を断った時、ランドは理由を言わなかった。アゼリアも理由を訊かなかった。


 ランドは最後にりんごの木と手を振るアゼリアを脳裏に焼き付けるように眺めてから歩き始める。


「背負えるものには限度があるのさ。今の俺にはこれ以上は無理だね」


「何を背負ってるの?」とは怖くて聞けなかった。


 アゼリアくらい勇気があれば聞けるだろうか。


 リリィはもう一度振り返る。


 アゼリアの振る腕が大きくなった。見えなくなるまで見送るつもりのようだ。


 りんごの木にぶらさがる果実が風にあおられ、弾むように揺れていた。

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