2.震える指先

警察が来て、隼人は一時的に引き離された。

美咲は警察の人に「しばらく身を隠したほうがいい」と言われ、

バイト先の先輩・さくらに連絡を取った。


「ホテル、取ったから。すぐおいで。」


電話の向こうのさくらの声は、思った以上に優しかった。



ホテルの部屋に入った瞬間、

美咲は膝から崩れ落ちた。


(……もう、無理……。)


震える指でスマホを握りしめ、再びさくらに電話をかける。


「……さくら……私……。」


『美咲!? 着いた!? 大丈夫!?』


「……うん……。

……でも、もう……限界……かも……。」


『なに言ってんの!? よく頑張ったじゃん!

むしろなんで今まで我慢してたの!?』


「……私が悪かったのかなって……。」


『は? 殴られて悪い女なんかいるわけないでしょ!

悪いのは完全に向こう!』


美咲は、泣きながら電話越しの声を聞いていた。


『聞きな。

泣いて、泣ききったら、

明日ちゃんと顔上げんの。

泣け、今のうちに全部泣け。

そしたら私がそばにいるから。』


「……うん……ありがと……。」



一方そのころ、

拓也は店の閉店作業をしていた。


「マスター、皿終わりましたー!」


奥からバイトの悠斗が顔を出す。


「ああ、ありがと。」


「……それにしてもマスター、

最近ちょっとぼーっとしてません?」


「そうか?」


「絶対そうっすよ。

なんか……恋とかしちゃった?」


「はぁ!? 馬鹿言え!」


「いやでも、マジで。

だって歳とか関係ないですって。

うちのサークルの先輩、教授と付き合ってるし。」


「……それはそれで問題だろ。」


「マスターってさ、

実は隠れモテ枠じゃないっすか?」


「……くだらねぇ。

さっさと片付けろー。」


「へーい。」


悠斗は笑って、厨房に戻った。

拓也は苦笑し、(……でも……)と一瞬思った。


(もし俺に、そんな資格があるなら……。)



そしてもう一方では、

居酒屋の座敷で隼人が顔を赤くしていた。


「……くそ……。」


ジョッキを叩きつけるように机に置き、

隣の健吾が眉をひそめる。


「……隼人、お前なぁ……。」


「健吾さん……最近、あいつ……。

連絡よこさねぇし、夜遅いし、

絶対、男いる。」


「証拠あんのかよ。」


「ない……。

けど、分かる。」


健吾はため息をつき、

「お前な、飲みすぎんなって。」

と肩を叩く。


だが隼人の目は完全に座っていた。


「……守ってやんなきゃ……。

誰にも渡さねぇ……。」


健吾が慌てて止めようとしたとき、

隼人はスマホを取り出し、

美咲の写真を睨みつけて薄く笑った。


「……全部、俺のもんだ……。」



夜、ホテルのベッドに横たわった美咲は、

目を閉じ、声なき叫びを心の中で繰り返していた。


(……助けて……。

誰でもいい、誰か……。)


無意識に、

あの夜、エレベーターで見かけた拓也の、

静かな目と声が思い浮かんだ。


(……優しかったな……。)



上の階の部屋で、拓也はソファに座り、

缶ビールを手にぼんやりとしていた。


(……あの子、大丈夫だろうか……。)


関わるべきじゃない。

でも心の奥が、ザワザワして仕方ない。


悠斗がふざけ半分で言った「恋」という言葉が、

脳裏にこびりついて離れなかった。


(……俺なんかが、何を考えてんだ……。)


でもその一方で、

もし、次にあの子と会えたら――

そう思わずにはいられなかった。



そして夜の街の片隅で、

隼人は健吾に肩を抱えられながら、

ふらふらと歩いていた。


「おい、隼人、帰るぞ!

もう飲みすぎだって!」


「……なぁ、健吾さん……。」


「は?」


「……誰だよ……助けたやつ……。」


健吾は一瞬、ゾクリとした。


「……おい、隼人。

やめとけ。

本気で、やめとけ。」


「……俺、絶対許さねぇ……。」


夜風に吹かれる隼人の横顔は、

完全に獣のような目をしていた。

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