その翡翠き彷徨い【第31話 虚飾の杖】
七海ポルカ
第1話
「メリク、ここに立って。胸章私がつけてあげるわ」
「あ、はい。ありがとうございます」
慣れない制服のボタンを留めていたメリクは言われた通り鏡の側に立つ。
するとアミアがサンゴール王国の国紋が入った真新しく輝く金章を胸につけてくれた。
「うん。いいわね、似合うわ。とても素敵よメリク」
アミアが目を細めてメリクの晴れ姿を見つめている。
こういうのを親の気持ちというのか分からないが、メリクとアミアが会ったのはもう十年以上も前になる。
彼女は言葉に出さず自分の心の内で初めて会った時のメリクを思い出していた。
滅びかけていた辺境の村の教会で、一人倒れていた少年。
忘れることは出来ない。
あの時のメリクは、あの襲撃の匂いが残る場所から救い出さねば、とても一人で生きていくことが出来ないほど幼かった。何の力も無い少年だった。
それが今はどうだろう。
エデン全域で見ても権威あるサンゴール王立魔術学院に十五歳の若さで入学し、その最高学府と名高い魔術学院の成績も非常に優秀だ。
アミアはあの日からメリクを自分の子供同様に見守って来たつもりだ。
だがサンゴール王宮に連れて来たことで、きっとそれまで故郷で平穏に暮らしていたメリクの日常を、一転させてしまったという自覚はあった。
メリクは幼い頃から何か騒ぎを起こしたり、手を煩わせたりする所の無い少年だった。王宮にも、知らない間に慣れてくれた。
だが、メリクを幼い頃から見ているアミアは彼が苦労無くそうなってくれたとは思っていなかった。
親友であるオルハとは、男の子は大きくなるにつれて自然と元気よくなるものだと話しているのだが、メリクは思えば、幼い頃が一番無邪気だったかもしれない。
サンゴール城に来たばかりの頃……そう、丁度リュティスに会わせた頃である。
今からは考えられなくなってしまったのが残念だが、メリクはそれまでは随分人見知りをしていたのに、何故かリュティスだけは初対面から好きだったらしく、彼に懐いて、リュティスの姿を見つけると、子犬のように駆け出してリュティスの側にぴたりとついて歩き回っていた。
その頃のメリクは、リュティスの顔をしきりに見上げながら、いつもにこにことして楽しそうだった。
自分の胸についた金章の紋を、少し目を伏せて見ているメリクを鏡越しに見たアミアは気づかれないよう微かに息をついた。
リュティスとメリク。
……不思議な二人だ。
アミアは魔術のことは一切分からないが、リュティスの【
それでメリクが離れれば、もっと別の未来があったのだろう。
だがメリクはそういうリュティスを恐れて、恐れつつも決して彼から心を遠ざけなかった。
側で見てるから感じるのかもしれないが、アミアが見た所この二人の間にはどうやらどちらかが強い力を持ち合うような所があるようで、メリクの力が強い時は、何故か師弟関係に結びついたり、リュティスがメリクを自ら教えていたりする。
しかしリュティスの力が強い時はリュティスがメリクを遠ざけ、関係など結んでいられるかと、メリクが小さい手で懸命に結んだ絆を、いとも簡単に断ち切ってしまうのだ。
リュティスとメリクの関係はつまりその連続でここまで来たと言えるだろう。
魔術の師弟となり、他の誰かに比べればよほど距離は近しい。
……だがいつ見てもリュティスとメリクの間はゼロだった。
何も無い、まるで出会った時のままのように。
リュティスという男は昔から何も変わらない。
そうなったのも様々な外的要因があるから仕方ないと言えば仕方ないのだが、アミアの夫であるグインエルの弟は、昔から考え方が後ろ向きで他者を受け入れず、拒絶していた。
自分のことだって本当は嫌いでたまらないのだろうと思う。
他の人間とアミアが違うのは、ただアミアがグインエルの妻である、その一点に尽きる。
アミアもグインエルの弟でなければ、リュティスのような男とはこれほど長く付き合う気には到底なれない。
不変の存在であるリュティスと生きる為には、相手の方が変化しなければならない。
それは当然の道理だ。
結果――メリクの日常から、少しずつ無邪気な笑顔が消えて行った。
それでも変に内向的になったり、暗くなったりしないところが最もメリクらしいと言えばメリクらしいのだが。
もちろんリュティスにも感謝はしている。
自分が教えてやれない魔術の知識をメリクに教えてくれたことに関しては。
今の晴れ姿を見ればそのことはしっかりと胸に響いて来るが……。
どうなのだろう。
自分はメリクとリュティス、どちらにも我慢を強いて来たのだろうか。
「十六歳で宮廷魔術師か……もう少し遊ばせてあげたかった気もするけどね……」
アミアがそんな風に呟くと、鏡の中で顔を上げたメリクが小さく微笑んだ。
その顔は、そんなことは気にすることは無いのだと、アミアに向けて言っているような表情だった。
その顔を見て、アミアもこの晴れの日に相応しくない感傷は止めにする。
「明日から早速大礼拝堂で務めるんだったわね」
「はい。宮廷魔術師としての心得をみっちり叩き込むんだとか」
「一月?」
「はい」
「近場とはいえやっぱり寂しいわねぇ。まあ一月後には王宮に戻って来るんだけど」
「そうですね」
「今更心得なんて教え込まないでも、メリクは誰よりもサンゴールのことを思っていつだって行動して来てくれたわよ。……王宮にいることで、心無い言葉が貴方の耳に入ることもいっぱいあったと思う。でも貴方はいつも王宮に混乱を生まないよう考えて過ごしてくれていた。感謝しているの」
「そんな言葉で傷つくような歳ではもうありませんから……どうか気になさらないで下さい。女王陛下」
メリクは優しい声で答える。
「……本当に……貴方って昔から何一つこっちの手も煩わせないで。何でも一人でこなしてしまうから」
アミアは笑っていた。
「出来が良すぎるっていうのも困りもなのね」
「……?」
「リュティスもそうなのよ。もっと一人で生きられないような可愛げがあったらこっちも助けてあげられたのに、何でも出来ちゃうもんだから人の助けとか必要としないでしょ。それであの歳になるまで人に甘えるとか、優しくされるとか、そういうのを経験しないままあんなことになってしまった」
「あ、あんなことになってしまったって……」
アミアの言い方にメリクは何と言えばいいのかという顔だ。
「メリクも、私がなにーも言ってないのに、いつの間にかちゃんと一人で、国の力になる方へと歩き出してたし」
「そんなことは……僕のことでは、沢山ご迷惑をかけました」
アミアはメリクの鼻をつまむ。
「迷惑とか言わないの! もう! もっと手伝わせてよね」
メリクが鼻をさすっていると、アミアは部屋の入り口の扉が少し開いていて、そこからじいっとこっちを見ていることに気づいた。
「もうメリクの準備終わったから入って来ていいわよ、ミルグレン」
ぱっと表情が明るくなり、ミルグレンが飛び込んで来る。
彼女はメリクの真っ白な宮廷魔術師の正装姿に感動しているらしい。
宮廷魔術師の制服は深緋だが、公式神儀の際には神官服に合わせて白い服を着るのだ。 白地に宮廷魔術師団の紋章である炎の紋様が朱色の糸で繊細に縫い取られている。
ミルグレンはメリクの白い衣装の袖をぎゅっと握って夢を見るような表情で彼を見上げていた。
「メリクさま素敵です……王子様みたい……」
「あらら。またミリーを虜にしてしまったわね、メリク」
「いえあの……」
「一月も会えないなんてレイン寂しいです……」
大きな鳶色の瞳が本気で潤んでいて、また彼女が泣き出しそうになっていたのでメリクが慌ててミルグレンの頭を撫でてやる。
「大丈夫だよレイン。宮廷魔術師になっても魔術学院にいるんだから。ほらそこの窓からだって見えるくらい近いよ」
「本当に本当に会いに来てくれますか?」
「週末は王城で皆で夕食食べるって約束決めたじゃないのミルグレン。いい加減そうやって我が儘言ってメリクを困らせるのは止めなさい」
「うわああん! だってだって本当に寂しいんだもんー!」
癇癪を起こしかけたミルグレンの手をメリクは取った。
「大丈夫。そんな週末だけって決めないで、時間があれば王城にも顔を出すよ。それにミルグレンが呼んだら必ず会いに行ってあげる」
「……ほんとう……?」
メリクがミルグレンの髪を優しく撫でてくれる。
「うん。約束する」
「……わかった。メリク様は私に絶対嘘つかないもん。我慢する」
「あららそんなこと言っていいのメリク~? 絶対この子のことだからことあるごとに貴方のこと呼び出すわよ~」
「そんなことしないもん! 分かってるもん! メリク様は大切な勉強する為に魔術学院に行くんだもん! 我が儘で呼び出したりしないもん!」
しおらしく涙目になっていたのはどこへやら、ぷんぷんと怒り出したミルグレンにメリクもつい笑ってしまう。
……宮廷魔術師団に入ることや魔術学院に行くことは、自分の為にどうしても妥協が出来なかったけど、自分を慕ってくれているミルグレンが待っててくれるのなら、可能な限り今度は彼女の元には顔を出してやりたいという気持ちは本当だった。
しばらく三人はその部屋で色々なことを笑いながら話していた。
やがて扉が鳴る。
「失礼いたします、メリク様。式の準備が整いました。女王陛下もどうぞお出ましを」
「分かったわ」
呼びに来た兵士に答える。
「メリクさま、レインも見てるからね!」
「リュティスにも貴方の晴れ姿見せたかったわね」
アミアが最後に言った。
リュティスはエルバト大神殿の方に公務で長期訪問していて、メリクの宮廷魔術師団の入団試験も、それに合格したことも、彼の耳には入らない時期に全て行われていた。
……自分が宮廷魔術師になることを、リュティスは少しくらい良かったと思ってくれるのだろうか?
「では、先に失礼いたします」
メリクはアミアに対して深く一礼すると、部屋を出て行った。
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