あとがき:毛から始まる“自分との和解”

このエッセイの冒頭で、私はこのようなことを書いた。

「将来介護されるとき、陰毛が邪魔で文句を言われることを想像すると、脱毛せずにはいられなかった(という趣旨)」と。


そんな動機で始めたVIO脱毛は、

思っていたよりずっと静かに、深く、私の人生にしみ込んでいった。


かつての私は、毛のせいで不自由だった。

肌を見せることにびくびくして、服を選ぶときも消極的だった。

人前で腕をまくるとき、足首が見えるとき、ずっと自分の体に「ごめん」と思っていた。


あの頃の私は、自分のことを許していなかった。


毛深い私を、醜いと思っていた。

「女性らしくない」「だらしない」「恥ずかしい」――

そんな呪いを、知らず知らずに自分にかけていた。


でも、医療脱毛という選択を通して、私はようやく「自分の体」に目を向けた。

毛をなくすという作業は、自分の輪郭を再発見する旅だった。

ムダ毛のない肌を見て「きれいだな」と思えたとき、

私は、自分の体を初めて褒めていたのかもしれない。


それは、他人の視線を気にしなくなったというだけではない。

「自分がどう思うか」が、人生の主語になっていったということだった。


脱毛を通して私は知った。

美容とは、誰かに見せるためのものではなく、

自分と仲直りするためのツールにもなるのだということを。


そう思えるようになったとき、ようやく私は

「この体で生きてきた自分」に、心からありがとうと言えた。


毛深かったこと。

それを恥じてきたこと。

毛さえなければいいのにと思っていたこと。

長いあいだ、暗い気持ちでいたこと。


そのすべてを、今では笑って話せる。

それだけでも、私の人生はちょっとだけ軽やかになった気がする。


下の毛から始まった、美の旅。

気づけば私は、毛を越えて、自分自身と向き合う旅をしていた。


もしあなたが今、毛のことに悩んでいるなら、

それはきっと、ただの“美容”ではなく、

あなた自身との新しい関係のはじまりかもしれません。


どうか、あなたの旅も、やさしいものでありますように。

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下の毛から始まった、美の旅ー39歳からの自己肯定美容医療記 濁少納言 @iketenai

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