第40話 柔らかな光

 チタ高原は、ダイガーツの街から日帰りで行ける距離にある。しかし、その天候は変わりやすく、目的の植物「キリカズラ」は霧が出ている時にしか開花しないという、気まぐれな性質を持っていた。


リンティは情報収集に奔走した。ギルドや街の人々からはチタ高原の情報を、図鑑からはキリカズラの生態を調べ上げる。その結果、キリカズラは霧の発生と密接に関係しており、霧が晴れると幻のように消え失せてしまうことも判明した。


一方、ミルはアルバイト先の「アンワィンドアルペジオ」で予定を調整した。事情を話すと、店主のエーメリーは快くシフトを変更してくれ、本業である冒険者としての活動を応援してくれた。


準備を万端に整え、いよいよ出発の朝を迎える。霧が発生しやすい早朝を狙い、一行は夜明け前に宿を出た。


夜明け前のダイガーツは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。街灯の光が、濡れた石畳をぼんやりと照らすのみだ。ミルはリンティとマムルと共に、眠る街を静かに歩いた。


街を抜け、チタ高原へと続く山道に入る。空にはまだ夜の名残があったが、東の地平線は白み始めていた。


高原に近づくにつれて、肌にまとわりつくような湿気を感じる。やがて、視界は乳白色の霧に包まれた。チタ高原特有の深い霧だ。


「よし、霧が出てるわ! 噂通りなら、キリカズラが咲いているはずよ!」

リンティが期待に声を弾ませる。


高原に足を踏み入れると、周囲は真っ白な霧に覆われ、数歩先も見通せない。灯り苔を取り出し、その仄かな光を頼りにキリカズラを探し始めた。


「どこに咲いてるのかなぁ……?」

マムルが不安げに呟き、霧の中でキョロキョロと首を巡らせる。


キリカズラは霧の中で淡い光を放つという。その光だけが頼りだが、深い霧のせいで探索は難航した。

時折、夜露に濡れた別の植物が光って見え、期待させられるが、いずれも目当ての花ではない。

リンティが魔法による探索を試みるも、キリカズラが持つ特殊な性質のせいか、魔法では感知できなかった。


三人は深い霧の中を、互いの気配を頼りに慎重に進んだ。服はじっとりと湿り、肌寒さが身に染みる。時間だけが、刻一刻と過ぎていった。


やがて、昇り始めた太陽の光が、厚い霧の層を少しずつ溶かしていく。霧が晴れれば、キリカズラは消えてしまう。自然と焦りが募る。


だが、無情にも霧は完全に晴れ渡ってしまった。降り注ぐ陽光の下、高原にはキリカズラの姿などどこにもなかった。


「ああ、ダメだったわね……」

リンティががっかりと肩を落とす。マムルもションボリと俯いた。

「キリカズラ、いなかったねぇ……」


こうして、最初のキリカズラ探しは失敗に終わった。


「まあ、仕方ないわ。高原の天候は気まぐれだって聞いていたし」


リンティはすぐに気を取り直すと、湿った空気を吹き飛ばすように明るく提案した。


「よし! 気分を変えて、朝食にしましょう!」


霧が晴れた高原の清々しい空気の中でとる朝食も、また格別だろう。

三人は開けた場所に腰を下ろし、持参した携帯食料を広げた。宿で作ってもらったハムと野菜と卵のサンドイッチに、甘酸っぱい果物だ。


霧が晴れたチタ高原は、朝の柔らかな光に満ちていた。

遠くまで見渡せる景色は、ダイガーツの街や鉱山とは全く違う、広々とした開放感がある。爽やかな風が吹き抜け、湿った草木の匂いを運んできた。


サンドイッチを頬張りながら、ミルは高原の景色を眺める。

キリカズラは見つけられなかったが、この美しい場所に来られただけでも価値があった、と彼女は思った。


早朝からの活動で疲れていたのだろう。美味しいサンドイッチで満腹になると、ミルとマムルは暖かい日差しに誘われ、心地よい眠気に襲われた。


「ふぁあ…ねむたいねぇ……」


マムルが小さな声で呟き、ミルの膝の上で丸くなる。

ミルもその温もりを感じながら、そっと目を閉じた。疲労と満腹感、そして日の光の心地よさに包まれ、二人はあっという間に寝息を立て始めた。


リンティは、眠ってしまった二人の無邪気な寝顔を見守る。目的は果たせなかったが、この穏やかな光景を見ていると、それだけで来た甲斐があったと思えた。


(キリカズラは見つからなかったけど、この子たちがこうして笑っていてくれれば、それで十分なのかもしれないわね……)


霊薬の素材探しは、また挑戦すればいい。今は、この穏やかな時間を大切にしたい。リンティはそう思いながら、静かに微笑んだ。


目的は果たせなかったものの、チタ高原での朝食は、仲間との絆を確かめるかけがえのない時間となった。

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