第26話 初仕事
翌日、ミルとマムルはエーメリーとの約束の時間ぎりぎりまで、宿の部屋で新しい歌を練習した。
楽譜を見ながら、リンティにも手伝ってもらい、何度も繰り返す。マムルの美しい歌声と、それに寄り添うミルの声。まだ完璧ではないが、なんとか人前で歌える形にはなった。
リンティは二人の練習を熱心に聞いてくれた。
「うん、だいぶ良くなってきたわね! 最初は難しそうだったけど、二人とも頑張ったわね!」
「ありがとう、リンティ! なんとか、エーメリーさんに聞かせられるくらいにはなったかな……」
少し自信なさげなミル。マムルも緊張しているようだった。
「大丈夫よ、きっとうまくいくわ! 天才の私が保証するわ!」
リンティの言葉に励まされ、二人は「アンワィンドアルペジオ」へ向かった。
約束の少し前、準備中の店に足を踏み入れる。店内にはまだ客がいなかったが、明かりが灯され、開店に向けて慌ただしい準備が進んでいた。
「エーメリーさん、こんにちは! 練習してきました!」
ミルの声に、エーメリーが奥から姿を見せた。
「いらっしゃい、ミル、マムル。さあ、音合わせしましょうか」
そう言って、エーメリーは二人を小さなステージスペースに案内する。そこには、店の専属ピアニストだという一人の男性が座っていた。
「こちらはステフ。この店の専属ピアニストよ。あなたたちの歌に合わせた伴奏をしてもらうわ」
エーメリーに紹介され、ミルがステフに挨拶する。ステフは優しげな笑顔で応じた。
「ステフです。どうぞよろしく。どんな歌声か、楽しみにしてるよ」
ステフに促され、二人は少し緊張しながら、練習してきた新しい歌を歌い始めた。
二人の歌声を聞きながら、ピアノの伴奏をつける。彼の奏でるピアノは、二人の歌声に寄り添い、より豊かなハーモニーを生み出した。
一曲歌い終えると、ステフが優しく微笑んだ。
「素晴らしい歌声だ。特に、妖精ちゃんの声は、まるで天使のようだね。君の歌声も、素朴だけど温かみがあって、心に響く」
ステフに褒められ、ミルは顔を赤らめた。マムルも嬉しそうに、ミルの髪の中で小さな声で歌を口ずさむ。
エーメリーは二人の歌を聞きながら、静かに頷いていた。
「及第点ね。まだ荒削りだけど、可能性は感じるわ」
その言葉に、安堵が広がった。
「正式に採用します。今日から、この店の歌い手として、私のもとで歌いなさい」
エーメリーは正式採用を告げる。ミルの顔に喜びが広がり、マムルもぱっと明るい顔になった。
「やったぁ!」
「ありがとうございます! エーメリーさん!」
ミルは深々と頭を下げる。
「早速だけど、今日の夕方の営業で、歌ってもらうわ。覚えた二曲ね」
エーメリーは早速、今日の出番を決めた。
「今日の夕方に!?」
ミルは驚きを隠せない。練習したばかりだというのに、もう本番なのだ。
「ええ、『今日から』と言ったはずよ。それに、今のあなたたちには、早くお金が必要でしょう?」
エーメリーは二人の懐事情を察しているようだった。
「それから、その格好では、店の雰囲気に合わないわね」
二人のちぐはぐな格好、つまり孤児院で着ていた服の上に冒険者らしい皮のベストを羽織っただけの姿を指摘した。
「えっと……」
ミルは困惑した。他に気の利いた服など持ち合わせていない。
「貸してあげるわ」
そう言って、エーメリーは店の一室に案内する。
そこには何着かの衣装がかけられていた。その中からエーメリーが選んだのは、お揃いの黒いワンピース風のドレスだった。
「このドレスは、この店で歌う時に着る衣装よ。あなたたちの雰囲気に合うと思うわ」
二人はドレスを見て目を輝かせる。シンプルながらも上品なデザインで、胸元には小さな飾りがついている。
「わあ……きれい……」
マムルも嬉しそうな声を上げた。
「これ、着ていいの?」
「ええ。似合うと思うわ」
二人はドレスに着替える。黒い生地が、二人の可愛らしさを引き立てた。マムルの小さな体にぴったりのサイズがあったことに、ミルは少し驚く。
「ふふふ、可愛いわね。これなら、自信を持ってステージに立てるでしょう?」
エーメリーは微笑んだ。お揃いのドレスをまとい、二人は少しだけ自信を持てた気がした。
時間になり、店が開店する。
次々と客が入ってきて、店内は賑わいを増していく。ミルとマムルは事務所で待機する。本番が近づくにつれ、緊張が高まった。
しばらくして、エーメリーに呼ばれる。
「さあ、あなたたちの出番よ。落ち着いて、心を込めて歌いなさい」
エーメリーの言葉に励まされ、二人はステージへ向かった。
ステージは薄暗い店内の奥まったところにあり、客席からは少し見えにくい。客の顔がはっきりとは見えない薄暗さは、視線を気にせず歌に集中できる環境だった。
ステージに立つと、ステフがピアノの前に座っていた。エーメリーが客に向かい、二人のことを軽く紹介する。
「今宵、この店に、新たな歌い手が加わりました。若き歌い手と、その小さな相棒です。どうぞ、耳を傾けてください」
簡単な紹介の後、ステフがピアノの伴奏を始める。練習とは違う生演奏の迫力に、再び緊張が走る。しかし、マムルがミルの耳元で小さな声で歌い出しのメロディを口ずさむ。
ミルは深呼吸をし、マムルと共に歌い出した。
最初は少し声が震えるが、ステフの優しい伴奏に導かれ、徐々に落ち着きを取り戻していく。二人の声が重なり、広場での練習よりもずっと美しいハーモニーになって店内に響き渡る。
歌ったのは、ダイガーツの街を舞台にした、どこか切ない恋の歌と、ドワーフ鉱山の坑夫たちの無事を祈った、力強い歌。どちらも、エーメリーにもらった楽譜にあった曲だ。
歌い終えると、一瞬の静寂の後、店内に控えめな拍手が響いた。大きな喝采ではなかったが、自分たちの歌が確かに客に届いたことを感じさせる、温かい拍手だった。
出番を終え、二人は頭を下げ、ステージを降りる。事務所に戻ると、エーメリーが待っていた。
「よくやったわ。初めてにしては、上出来よ。緊張していたようだけど、歌に集中できていたわね」
エーメリーは二人を労った。その手には、二枚の銀貨があった。
「今日の報酬よ」
銀貨二枚。たった二曲歌っただけで、銀貨二枚ももらえるなんて! 昨日の金策の苦労が嘘のようだ。
「こ、こんなにたくさん!?」
ミルは驚いた。
「ええ。今日の客の反応も悪くなかったわ。最初はこれくらいだけど、これから歌に磨きをかければ、もっと稼げるようになるわよ」
そう言って、エーメリーは報酬をミルに手渡す。
そして、今後のスケジュールについて話が進んだ。
「今日のステージと同じ時間、夕方の営業で歌ってもらうわ。最低で週に一度は出て欲しいけど、あなたの本業である冒険者の活動に合わせる形で構わないわ。都合が良い時に、私に言ってくれればいいわ」
エーメリーはミルが冒険者であることも理解しており、活動に合わせて融通を利かせてくれると言う。
「ありがとうございます! エーメリーさん!」
ミルは感謝で胸がいっぱいになった。これで生活費の心配をせず、冒険者としての活動に集中できる。
「それじゃあ、明日と明後日も歌いに来てくれる?」
エーメリーが尋ねた。
「はい! 歌わせてください!」
ミルは力強く頷いた。
明日の夕方、そして明後日の夕方。二日連続で歌う約束を交わし、「アンワィンドアルペジオ」を出た二人は、胸がいっぱいだった。
初めてのステージ、そして初めて自分たちの力で稼いだお金。それは、冒険者として魔物を倒した時の達成感とはまた違う、温かい喜びだった。
宿への帰り道、ミルの足取りは軽い。マムルも嬉しそうに歌を口ずさんでいる。ドワーフ鉱山での活動資金、そしてライフル改造費。それらを稼ぐための、新たな道が開けたのだ。明日からも、頑張ろう。ミルはそう心に誓った。
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