第3話 森と池
アール&コールに戻ると、ミルの腕からするりと抜けた巨大なミケ猫、コールが、アールに向かって歩み寄った。コールの無事な姿を見たアールは、心底ホッとした顔になった。
「おお、コール! 無事だったか! よくやった、ミル!」
アールは豪快に笑い、コールの大きな頭を撫で回した。コールは嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
「リンティの魔法のおかげで、無事助けられました!」とミルが言うと、リンティは胸を張り、得意げにふふんと笑った。
「そうよ、私の魔法がなければ、あんな高い木の上から猫を助けるなんて無理だったんだから。ふふん、やっぱり天才は違うでしょう?」
マムルもミルの肩で嬉しそうに飛び跳ねる。
「コールさん、よかったね! もう高いとこで怖い思いしなくていいよー!」
マムルの愛らしい声に、アールもリンティも目を細めた。
アールは特別に豪華な賄い料理を振る舞ってくれた。
美味しい食事に舌鼓を打ちながら、ミルは初めての依頼達成の喜びを噛み締める。マムルも大好きな魚料理に夢中だ。
食事を終え、一息ついたところで、リンティが切り出した。
「さて、お腹もいっぱいになったことだし、早速私のクエストに行きましょうか!」
ミルは少し緊張した。いよいよ、リンティの「秘密のクエスト」の内容が明かされるのだ。
「あの、リンティ。クエストの内容って、一体……?」
ミルが尋ねると、リンティは不適に笑った。
「ふふふ、教えましょう! 私たちが向かうのは、この街の東にある『黒い森』よ」
「黒い森?」
ミルは思わず聞き返した。その名の通り、木々の葉の色が濃く、常に薄暗いことで知られる森だった。冒険者の間でも、あまり深入りしない方が良いと言われている場所だ。
「え……黒い森って、危なくないの?」
マムルも不安そうにミルの耳元で囁いた。
「そうだよ、リンティ。黒い森って、なんだか怖いって聞いたことあるよ?」
リンティはそんな二人のおどおどした様子を見て、少し意地悪そうに笑った。
「まあまあ、落ち着きなさいな。確かに『黒い森』って聞くと物騒だけど、私たちが向かうのは森の入り口近くのエリアよ。そこは比較的安全で、他の冒険者もよく通るから、ちゃんと道もできているわ」
リンティの説明に、ミルとマムルは少しだけ安心した。
「それで、そこで何をするの? どんな魔物を倒すの?」
ミルが短剣に手をかけようとすると、リンティは首を振った。
「違うわ。今回は戦闘じゃないの。私たちの目的は、ある特別なものを採取することよ。それはね……『頂上蘭』!」
「頂上蘭?」
聞き慣れない名前に、ミルは首を傾げた。
「そう! 頂上蘭。文字通り、高い木のてっぺんにしか咲かない、珍しい花よ」
リンティは得意げに説明を続けた。
「この頂上蘭はね、魔力回復薬を作る時の補助剤になるの。これをほんの少し加えるだけで、市販の薬よりもはるかに効果が高くなるのよ! 私も魔法使いとして、強力な魔力回復薬は必須だから、どうしても手に入れたいと思ってたの!」
「なるほど」とミルは納得した。リンティは魔法使いだから、薬の材料が必要なのだ。
「へぇ……木のてっぺんに咲くんだ」
「そう。だから、さっきのコールみたいに、高いところに登るのが得意な人じゃないと難しいのよね」
リンティはそう言って、ミルのほうを見た。コールの救出で、ミルの高いところへの適性を見抜いていたのだ。
「よし! それじゃあ早速出発しましょう!」
リンティは元気よく立ち上がり、杖を担いだ。ミルもマムルと共に、準備を整えた。冒険者になって初めての本格的なクエストだ。
アールに見送られ、三人は街の東へ向かった。
リンティは慣れた様子で先を歩いた。黒い森の入り口に近づくにつれて、木々の背が高くなり、陽の光が届きにくくなってきた。
森の入り口には、濃い緑色の木々が鬱蒼と茂り、いかにも『黒い森』という不気味な雰囲気を醸し出していた。
「うわあ……なんだか空気がひんやりしてるね……」
ミルは少し身震いをした。初めて足を踏み入れる場所に、期待と共に不安が募った。
マムルもミルの髪の中に隠れ、小さな声で呟いた。
「ほんとだねぇ……なんだか、ゾワゾワするよ……」
リンティはそんな二人の様子を後ろから見て、クスクスと笑った。
「ふふふ、初めての黒い森、どうかしら? ちょっと薄暗いけど、言ったでしょう? この辺りは安全よ。それに、他の冒険者が通ったおかげで、ちゃんと道になってるから安心よ」
リンティはそう言って、二人のおどおどした様子を楽しんでいるようだった。ミルはリンティの言葉を信じて、一歩森の中へ踏み出した。
森の中は、確かに薄暗かったが、リンティの言う通り、木々の間は見通しが良く、地面には踏み固められた道が続いていた。
木々の幹には、冒険者たちが目印としてつけたと思われる傷や印がいくつか見られた。不気味な雰囲気はあるものの、すぐに危険が潜んでいるような場所ではなさそうだった。
「ふう……よかった、本当に道があるんだね」
ミルは少し肩の力を抜いた。マムルも少しだけ顔を出し、辺りをキョロキョロと見回した。
「うんうん、これなら大丈夫そうかなぁ」
リンティはそんな二人の様子を見て、満足そうに頷いた。
「そうでしょ? 天才の私が間違えるわけないじゃない。さあ、頂上蘭のエリアはもう少し先よ。どんどん行きましょう!」
三人は森の道を歩き続けた。鳥の声はあまり聞こえず、代わりにどこか遠くで得体の知れない動物の鳴き声が響いているような気がした。
ミルとマムルは、その度に少し身をすくめたが、リンティは涼しい顔をしていた。
しばらく歩いたところで、リンティが立ち止まった。
「よし、ここで少し休憩しましょうか」
リンティが指差したのは、道のすぐ脇にある小さな泉のような場所だった。
木々の根元から清らかな水が湧き出ており、小さな池を作っていた。水面は透き通っていて、底の小石までくっきりと見えた。
「わあ、きれいな水!」
ミルは駆け寄り、水面に映る自分の顔を見た。疲れた顔が映っていた。マムルも興味深そうに水面を覗き込んだ。
「ほんとだ! キラキラしてる!」
リンティは池のほとりに座り、持っていた水筒に水を汲んだ。
「この水は、森の中でも特に清らかだって言われてるの。飲むと体が軽くなる気がするわ」
ミルとマムルも水筒を取り出し、池の水を汲んで飲んだ。
確かに、水は冷たく、喉を潤すと体が内側からシャッキリするような感覚があった。
休憩している間、リンティはマムルをじっと見つめていた。
マムルはリンティの視線に気づき、少し恥ずかしそうに身を寄せた。
「ねえ、マムルは妖精なのよね?」
「うん、そうだよ」
マムルはミルの肩から顔を出し、リンティに答えた。マムルの声は、鈴のように澄んでいた。
「妖精って、不思議よねぇ。ごく稀に、人間に好意を寄せたり、寄り添ったりすることがあるって聞くけど……」
リンティはそう言って、マムルとミルの間にある親密な雰囲気に目を向けた。
「妖精に好かれた人間は、『妖精の加護』を得られるって言い伝えがあるのよ。ご存知?」
ミルは首を横に振った。そんな話は聞いたことがない。マムルも「なにそれ?」という顔をしていた。
「『フェアリーライト』って呼ばれるのよ。妖精の光。妖精に好かれている人間は、このフェアリーライトのおかげで、細やかな幸運に恵まれるんだって。例えば、ちょっとした怪我をしそうになっても、間一髪で避けられたり、探しているものが見つかりやすかったり、美味しいものが手に入ったり……本当に小さなことなんだけど、確実に幸運に傾くって言われているの」
リンティは穏やかな口調で語った。いつもは高飛車なリンティが、真剣な顔で話す妖精の話に、ミルは聞き入った。
「妖精の加護……フェアリーライト……」
「そう。妖精自身も、自分に加護を与える力があるって自覚してないことが多いらしいわ。ただ、好きな人に寄り添ってるだけなのに、その人には自然と良いことが起こる……まるで、加護を受けているみたいに」
リンティはそう言って、再びマムルを見た。
「ねぇ、マムル。もしかして、あなたには、そういう力が自然に備わってるんじゃない? ミルと一緒にいると、ミルにはいいことが起こる、とか?」
マムルはキョトンとした顔をした。
「え、そうなの? うーん……よく分からないなぁ。ミルと一緒にいるのは楽しいけど……いいこと、かなぁ? ミルはよく転ぶし、忘れ物もするし……」
マムルは一生懸命考えようとするが、ピンとこないようだった。
確かに、ミルの天真爛漫さは、必ずしも幸運体質には見えないかもしれない。しかし、マムルがいつもミルの傍らにいることは、ミルにとって何よりも大きな幸運なのだと、ミルは心の中で思った。
「ま、まあ、自覚がないものなのかもしれないわね」
リンティは肩をすくめた。フェアリーライトという言葉に、マムルはまだ馴染みがないようだった。
「でも、妖精の加護ね……なんだか素敵な響きだね」
ミルはマムルを優しく撫でた。マムルは気持ちよさそうに目を細めた。
休憩を終え、三人は再び森の中を進み始めた。フェアリーライトの話を聞いて、ミルはマムルの存在を改めて愛おしく感じた。不気味な森の雰囲気も、マムルとリンティと一緒なら、少しも怖くなかった。むしろ、これから始まる「頂上蘭」探しの冒険に、胸が高鳴っていた。
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