第3章:忘れたくない声 

苦しい夢には終わりがない。


何をしていても、ぼんやりと思い出す。

スマホから消せない番号。


二度と繋がらない彼女への。


ある夜、本当にふと思い立った。

送れない、送れなかった言葉。


どこにも昇華できていないで、ここに残っている言葉。

俺はノートを取り出した。


しかし、ノートを開いたままかなりの時間手が止まっていた。


言葉が出てこないわけじゃない。

むしろ、言いたいことは山ほどあった。


けれど、それを文字にしてしまったら、

全部が“過去”になってしまいそうで――怖かった。


 


真尋がいない。

それは、もう変えられない事実だった。


でも、どうしてもあの夜のことだけは、

心のどこかで“やり直せるはずだった”と思ってしまう。


 


あの電話に出ていれば。

たったそれだけのことで、すべてが変わったかもしれない。


 


真尋の番号は、スマホにちゃんと登録されていた。


着信があったとき、俺はその名前を見ていた。

それなのに――わざと出なかった。


 


喧嘩のあとだった。


正確に言えば、ちょっとしたすれ違い。


でも、俺の返事が遅くて、彼女を不安にさせたのは事実だった。


なのに俺は、ちゃんと謝ることすらできなかった。


 


“どうせ明日会えるし”

“寝てから考えよう”


――そんなふうに、自分を正当化して。


 


真尋は、その夜、事故に遭った。


彼女からの「最後の声」は、

俺の指先ひとつで、断たれてしまった。


 


それを想うたびに、胸の奥がきしむ。


手のひらが、今も少し震える。


 


“あのとき出ていれば”という後悔は、

現実に何も意味を持たないのに、

毎晩のように胸を締めつけてくる。


 


それでも――書こうと思った。


書くことでしか、前に進めない気がした。


彼女の言葉を、彼女の声を、もう聴くことはできない。

それならば。

俺が俺の言葉で、ノートに刻むしかなかった。


 


「ごめん、真尋」

「本当は、電話に出たかった」

「でも……出られなかった」


 


この手で、“終わり”を作ってしまった罪。


それが、俺の悲しみの正体だ。


そしてそれは、きっと俺だけの罰。


 


ページの隅に、小さく彼女の名前を書く。


何度も、何度も、消せない筆跡で。


 


もう一度、彼女の声が聞きたかった。


あの優しいトーンも、怒ったときのぶっきらぼうな言い方も、

全部、全部、忘れたくなかった。


 


だから俺は、書く。

忘れたくない声を書く。

悔いて、謝って、それでも君を残す。


 


それがきっと――今の俺にできる、唯一のことだった。

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