第16話 馬鹿の恩返し

「誰かが、見てるからね」


 そんなことを、ことあるごとに言う人だった。


 その日のお昼の12時半頃、一緒にオムライスを食べている時も、そんな話になった。


「良いことをしたら感謝されるし、悪いことしたら軽蔑される」


「……誰に?」


 幼い私にとっては、揚げ足取りのつもりだった。 

 神様とか言い出したらそんなの存在しないと論破してやろうとする、性格の悪いガキ。


 まぁ、実際はいたわけだけど。

 しかも、自分の信者をエコ贔屓して、私なんかに5つの命を与えた愚かな神が。


「みんなだよ」


 みんな。


 それは、ずいぶんと不確かな存在だった。

 みんなこうしているから、お前もそうしろと学校の先生に何度も言われていたから、嫌いな言葉でもある。


「他人はアンタなんかに興味ないから気にするな。なんて無責任なことは言えない。むしろ、妙なことをしている人を許せないって性質を持っている。だから、悪いことをしたら<みんな>から叩かれる」


「……」


 悪いこと。

 私の母は、おそらく悪いことをした。


 その結果、芸能界で甘やかされて過ごした彼女は、外に出ることすら困難な生活を送っている。


「でも、良いことをしても誰も褒めてくれないよ。だって、香苗さんは私達を助けてくれているのに、世間は全然褒めてくれないじゃない」


 子供食堂が、香苗さんを始めとしたママ友による民間組織であることを知って、私は驚愕した。


 てっきり、国とまではいかないが県や市から支援があるものだと思っていた。


 しかし、実際はそこまで裕福ではない国民による慈善団体だったわけだ。


 本来ならお金をもらって当たり前のことをこの人達はボランティアでしているのだ。どういう人生を送ればそんな優しくなれるのか心底不思議だ。


「世間なんかに褒められなくても、あなた達が少しでも元気になってくれればそれで良いの」


「……」


「ちょ、ちょっと。化け物を見るような目で見ないでよ。ここは、私達の精神に感銘を受けて<私、将来は香苗さんみたいな人になる!>って言う流れじゃない?」


 苦笑を浮かべながら、そう言う香苗さん。


「え。嫌だ。香苗さんには感謝してるけど、香苗さんみたいには生きたくない。私は、もっと効率の良い生き方をしたい」


「ま、まさかボランティア活動が反面教師の役割を担ってしまうなんて」


 こんな失礼なガキに、しっかりツッコンでくれるなんて、本当に早苗さんは優しい。


 でも、この時の私の考えは、今でもあまり変わっていない。


 いつも寝不足でタダ働きをしている彼女を見ていて、楽しそうにはどうしても思えなかったのだ。


 例えば、ウチの母はかつては売れっ子女優だった。

 そう。女優だ。


 医者じゃない人が、カメラやお客さんの前で自分は医者だと言いはる仕事だ。


 要するに、なり切るのが巧い人が大成する職業。

 簡単なことではないことくらいは分かる。でも、未だに思ってしまうのだ。


「だから何?」と。


 演技が上手で、感動させたところで、何になるの?


 私も映画やドラマを観て感動したことがある。でも、感動したからって現実は何も変わらない。


 感動して涙が出ても、お腹は膨れない。

 だったら、子供食堂を開いた香苗さんの方が評価されるべきだと思うのだ。


 だって、人は食べないと死ぬから。


「……」


「み、美優ちゃん? どうかした? 何か怒ってるみたいだけど」


 そう言われて初めて、自分は怒っていると自覚した。


 そうか。私はこの世の中のシステムが気に食わないのか。


 まだ、マスコミという芸能人を攻撃して金をもらえる仕事を知らない、幼い真島美優は第2の母親と言っても差し支えない人に言う。


「香苗さん。私が大人になったらこの食堂に大金を寄付するから、期待しててね」


 ガキの戯言だ。私だったら軽く流す。

 でも、香苗さんは嬉しい表情で、深々と頭を下げてくれた。


「ありがとう。美優ちゃんが大人になったら頼りにしちゃうかも」

\



 その14年後。


 有名なアイドルのスクープを撮って、初めて大金を手に入れた私は香苗さんに寄付させてほしいと電話で伝えた。


[……ごめんね。そのお金は受け取れない]


「……なんで?」


[分からないんだね]


 香苗さんはそう言って、通話を切った。

 それ以降、連絡はしていない。

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