Masquerade
5話 色恋営業
あの日、ライブが終わっても生半先生は来なかった。
チェキ会にも、物販にも。
待ってる間に何度も入口を見たけど、あの姿は最後まで現れ あの日、ライブが終わっても生半先生は来なかった。
チェキ会にも、物販にも。
待ってる間に何度も入口を見たけど、あの姿は最後まで現れなかった。
(……やっぱり幻覚を見たんだ。好きすぎて……)
髪を一つに束ねて、ベージュのコートを着たキャリア系の美人。あんな人が、地下アイドルのライブなんかに来るわけない。
一般的に言えば、それはアングラの空間。女子トイレすら混みすぎてパニック寸前になるような現場。
生半先生みたいなちゃんとした大人が、そんな場所にいるなんて、きっとありえない。
それに──
(もし、アイドルとしてのボクを見られたら……)
ただでさえ、嘘だらけのボクの人生だ。
ステージで笑ってる自分と、授業中に息をひそめてる自分。
その落差を知られたら、きっと付き合うなんて“現実的に無理”って思われるに決まってる。
絶対にバレるわけにはいかない。
「ロロたん、難しい顔してるね~?」
ふいに背後から声をかけられて、ボクはぴくっと肩を上げた。
振り向くと、厚底ブーツをコツコツ鳴らしながら近づいてくる女の子──原中漠(はらなか・ばく)。
このあいだ、ペアワークで一緒になってから、何度か話すようになった。
髪は姫カットに金色のインナーカラー、尻尾みたいに長いツインテール。
いわゆる地雷系だけど、声も話し方もやわらかくて、思っていたよりずっと優しい。
「あ、ごめん。原中さん。ちょっと考え事してて……」
「えー。ばくちゃんって呼んで♥」
唐突な“なれなれしさ”に少し戸惑う。けど、この子は最初からこの距離感だった気もする。
「えっ? 漠さん……?」
「はい、やり直し♥」
軽やかな声に、首をすくめる。あっという間に主導権を握られている。
「ばくちゃん……?」
「あはっ♥ 困ってるお顔可愛すぎ♥」
目をきらきらさせて喜んでくれるその様子に、なんとなく胸の奥がくすぐったくなる。
「もう、ばくちゃんて呼ぶからね」
「拗ねた表情も可愛い~♥ いいな〜ばくちゃんもロロたんみたいに可愛くなりたい!」
笑いながらツインテールを揺らすばくちゃんは、本当に楽しそうだった。ちょっと調子に乗りすぎな気もするけど、悪気はなさそうで憎めない。
「……ばくちゃんだってすごく可愛いのに」
自然と、そんな言葉が口からこぼれていた。
「ほんと〜? 他の人に何言われてもなんとも思わないけど、ロロたんに褒めてもらえるとすっごく嬉しい! なんでかな〜?」
ふわっと笑って、彼女は顔をずいと近づけてくる。
この子、やっぱり距離が近い。
そして実際、とても可愛い。
無意識なのか意図的なのか、小首をかしげながら上目遣いで覗き込まれると、男としてさすがに意識してしまう。
(ちょっ……こ、これは……)
あまり顔を近づけられると、体温が上がる。変な汗が出てくる……。
そして、ボクはアイドルをやっているからこそ分かる。ばくちゃんが言ったのは、ファン個人を相手に絶対言っちゃいけないセリフだ。“あなただけ“という旨の発言は色恋営業と云われてもおかしくない。色恋営業はさまざまな問題を引き起こす……。
しかしながら、内心ではお前が言うなと自分にツッコミを入れていた。個人相手にはやっていなくても、不特定多数に向けた配信やライブステージ上ではほぼ毎回そういう煽りをしてるんだから、説得力がまるでない。
「なんでだろうね〜? でもやっぱりね〜、可愛い子に言われると全然違うんだよね! ロロたん、アイドル顔負けだもん♥」
──その言葉に、背筋がびくりと跳ねた。
アイドル。
……いま、言ったよね? アイドルって。
(バレてる!? いや、大丈夫……大丈夫、冷静になれ……)
今のボクはメガネの地味子になりきれているはず。髪だってウルフカットの“ロロ”とは違って普通のボブカットだし、金髪ではなく重たい黒髪だ。
いやでも、もしかして……?
ボクの脳内に警報が鳴り響く。
アイドルにスカウトされて、よく分からないまま本名で活動し始めたの、ほんと失敗だったなあ……。ボクの名前を組み込んだグループ名を付けられたから、今さら変えることも出来ない。詰んでる。
「そ、そーかなー? ボク、そういうの興味ないから……」
「ほんとー? アイドル目指そうよ! ロロたんなら天下取れるよ!」
「えっ、あ、あはは……」
実は地下でそこそこやってるよ!
なんて言えるはずもなく、変な汗が噴き出す。
「そ、そうだ! ボク、次の授業あるんだった!」
それは嘘じゃない。教養科目の『現代倫理と社会』──つまり、生半先生の授業がある。
「またね!」
小走りで駆け出しながら、ボクは胸の奥をぎゅうぎゅうに締めつける感覚を抱えていた。
(バレそうで怖かった……。けど、生半先生に会えるのはやっぱり楽しみ……!)
焦りとときめきが混ざって、ボクの心臓はドクドク鳴り続けていた。
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