4話 勘違いとチョロいオタク


 ロロちゃんの配信が始まる時間。

 それは私にとって、一日の終わりのご褒美みたいなものだ。


 湯上がりの髪をタオルで巻いて、化粧水を軽く叩いて、ラベンダーの香りを部屋に満たす。

 そしてソファに腰を沈め、スマホの画面をスッとタップする。


 ……今日もいた。ロロちゃんが、そこに。


『ロロー! お目にかかれて光栄です!

 はじめましてのあなたも、おかえりなさいのあなたも──

 回るように、巡るように、言葉も気持ちも届きますように。

 ラリロリカル・イエロー担当、回口ロロです♡』


 画面の向こうで、抱えたぬいぐるみの両手を動かしながら彼女が揺れる。

 少し高めのいつも楽しげな声と、絶妙なまつ毛の角度。白く細長い指先まで完璧なアイドル。


 その姿に、私は自然と口元がゆるんでしまう。


(はぁ〜……尊い)


 ロロちゃんは、今夜もロロちゃんだった。


 けれど、今日は少し様子が違った。

 配信が始まって間もなく、彼女はふと遠くを見るような顔になり、つぶやいたのだ。


『ねえ、今日さ。ちょっと素敵な女の人を見かけたんだ』


 その言葉に、私はドキリとした。


(えっ、素敵な……女の人?)


『ライブのあとでね。駅に向かう途中だったと思うんだけど……』


 えっ……えっ? まさか? いやいやいや。

 頭の中で何かがざわつく。待って待って、それロロちゃんの好みの人ってことなの?

 内心焦りながら、でも口は自然と、ストロー付きのペットボトルに吸いついていた。

 やばい。手のひらがじんわり汗ばむ。


『落ち着いたベージュのコートでさ、キレーな黒髪を後ろで一つ結びにしてて。背が高くて、スタイルがすごくよくてさ! でも、なんか寂しそうに歩いててね……』


(えっ……いやいや、スタイルはともかく背が高いのと

その服装って、それって私じゃ──)


 帰り道、私はとぼとぼ歩いていた。

 疲れていたし、誰とも目を合わせず、イヤホンでロロちゃんの歌を聴きながら駅に向かっていた。

 そのとき確かに、すれ違う誰かの視線を感じた……気がする。それがロロちゃんだった……ってコト!?


『その人の背中、なんかすごく印象に残っちゃって。ボクね、声かけようかなってちょっと迷ったんだ〜』


 えええ……マジで私じゃない? これ?

 私、ロロちゃんの好みなの!? まさかの!? まさかの展開くる!??


 うわあああああああ!!!!

 私みたいなダメ人間好きにならないで!!!!

 もう土下座するしかない!!!!


『でね、そのあと』


 ──あっ、あっ、あっ、あ……。


『その人の旦那さんが来てさ。あと、ちっちゃい女の子もいて。家族3人で手を繋いで歩いていったんだよね』


 あっ、あ……あれ?


『なんか、それがまた素敵でさぁ〜。ほっこりしちゃって。やっぱり家庭っていいなぁって思っちゃった。ご飯を一緒に作ったりするのかな?』


 ──えええええええええ!?!?!?!?!?!?!?!?


 私、独身!!!! 一人暮らし!!!! 旦那さんどころか彼氏さんもいないし!!! 帰宅後はコンビニ弁当で終了!!!!


 違う。違った。

 完全に他人だった。


 その瞬間、ソファの上で膝から崩れ落ちるように、私は項垂れた。恥ずかしすぎる。


(……あぶない……あぶなかった……)


 ちょっと本気で舞い上がるところだった。

 「もしかして私!?」とか思い上がってた自分、正座させたい。してるけど。

 というか水かけたい。顔面に。


 スマホの画面では、ロロちゃんが笑っていた。

 “幸せそうな家庭って、いいよね〜”なんて、花嫁に憧れる乙女みたいに目を細めながら話している。


 すると、コメント欄がわっと湧いた。


【俺と家族になろう】

【じゃあ俺が旦那役します】

【娘は僕が産みます】

【お前らコメ欄で結婚すんなw】

【俺たちの娘の名前どうする?】

【レレちゃんかルルちゃんで】


「いや顔も知らない相手と結婚して子供まで!?」


 思わず笑いながらスマホに向かって声が出た。

 ロロちゃんもちょうど画面のコメントを読み上げて、ツッコミを入れていた。


『え〜!? 相手の顔も知らないのに子どもまで!? 展開早くない!?』


 私と同じ反応に、さらに笑ってしまう。

 なんか、こういうときのツッコミが被ると、嬉しくなっちゃうな。オタク、チョロすぎ。


(……はぁ〜……)


 ほんとに好きなんだよなあ。


 画面越しのロロちゃんは、今日も誰かを好きになって、誰かに優しくなって、誰かのことを見てくれている。


 それが私じゃなくても。

 私はこの画面の向こうにいる誰かとして、今日も推していたい。

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