Impostor
3話 生半果乃子の脱げない仮面
今日は、最高だった……。
神セトリだったし、MCのときの小首かしげが反則だったし、あのターンのとき、こっち見たよね!? ね!!?
……見たよね?
私、たぶん目が合っちゃったと思う。
合っちゃったと思った瞬間──しゃがんじゃったんだけど。
いや、ほんと無理。
“推しに認識されたら死ぬ”って言葉、今なら意味がわかる。
あの子の配信を最初に見つけたのは、ちょうど一年前くらいだった。
チャンネル登録者数がゼロで、新規の人が出たり入ったりする程度の頃、たまたまタイムラインに流れてきた「新人地下アイドルのゆる雑談」みたいな枠。
背景も声も初々しくて、「あ、これ途中で辞めちゃう子かも」なんて思った。けど、すぐにわかった。
(この子、すごいかも)
言葉の選び方も、リアクションも、なにより、画面越しに“ちゃんと人を見てる”感じがした。当時観ていたのは私一人しかいなかったのに、それをしっかりと意識していた。私は、最初の登録者になった。
それから、毎晩のように配信を見た。
コメントも控えめに送って、グッズもネットで買って──気づけば“古参”になってた。
そんなロロちゃんが、ステージの上で踊っていた。
初めてライブに来て、初めて目の前で見たあの子は、想像よりずっとキラキラしていて、あまりに完成されていて……まぶしすぎた。
天使っていうより、ちょっと意地悪な妖精みたいな。
笑顔の奥で、何かとんでもない秘密を抱えてるような。
でもそれすら、全部ひっくるめて眩しかった。
私は物陰にしゃがんで、顔を手で覆ったまま、ステージを見上げていた。
周りのオタクたちがサイリウムを振ってるのに、私はひとり、そこから目を離せなかった。
ああ……好きだなあ、って思った。
この人の光が、なんでこんなに自分に突き刺さってくるのか、よくわからないけど。
でも、そのライブが終わって、客電がついて、現実が戻ってきたとき。
私は、しょんぼりと立ち上がった。
(……はぁ)
いつもの癖で、身だしなみを整える。
髪を撫で、スマホの画面を確認し、学生が見ても不審に思わないような表情を作る。
それが染みついてる自分が、ちょっと怖い。
(チェキ会……は、無理ね。顔合わせたら死んじゃうし……それに明日は一限あるし、早めに準備しないと)
無意識のうちに、そう呟いたけれど──
胸のどこかが、それに突っかかっていた。
……私は“教師”じゃない。
大学教員? ううん、ちがう。
たしかに教壇には立ってる。講義もしてるし、シラバスも書いたし、学生からの評価だっていい。
でもそれは、全部……嘘。
私は、教師になりそこねた女だ。
教職課程は順調だった。だけど、家族の急病と、どうにもならない経済的事情が重なって、一年生の後半になってあっけなく退学。復学するあてなんかなかった。
……あとになって知った。奨学金の緊急採用とか、延納の制度とか、私みたいなケースを救済する仕組みが、ちゃんとあったって。
でも、そんなの誰も教えてくれなかったし、私も誰にも相談できなかった。そんな余裕も、勇気もなかった。
結局、私は“知らなかった”だけで、夢を手放したんだ。
借金を考えなかったわけじゃない。だけど、私には信用も保証人もなくて、奨学金は打ち切られ、ローンも断られた。
怪しげな業者のパンフレットは手にしたけど、番号を押す勇気は出なかった。たぶん、あの時点でもう、未来を信じる余裕が残ってなかったんだと思う。
それからは数ヶ月、派遣バイトをしていた。そして、たまたま大学の清掃員として呼ばれた。
そこで私は、なぜか講義をすることになった……。
本当は、新しく非常勤講師の誰かが来るはずだった。けれど、待てども待てども誰も来なかったそうだ。
そこに、私が清掃員として出勤したわけだ。私服だったのに、“いかにもデキそうな女”に見えたらしい。だから、「やっと来た! もう授業始まっちゃうよ!」と焦る先生が私の背中をぐいぐいと押した。
そう。来るはずだった非常勤講師と間違われて、私は勢いのまま講義室へ連れていかれた。
冗談みたいな話。でも、私は講義をしてしまった。
それが偶然にも大学一年の頃に必死に勉強した内容だったから、なんとなく……喋れてしまった。
それが妙にウケてしまった。SNSでは「生半先生めっちゃ若くて美人でわかりやすい」とバズり、講義アンケートでも高評価を得たことを職員に伝えられた。
そして数日後……職員の人から言われた。
「すみません、生半先生、こちらの不手際で履歴書が見当たらなくて……再提出してもらっていいですか?」
意味がわからなかった。私は履歴書を提出した覚えがない。本来の雇われた人ではないし、“先生”でもなかった。
……でも。空気に流されるようにして、自分の情報を年齢だけ偽って用紙に書き込み、提出してしまった。
しかし、何も咎められることはなかった。むしろ私は、「正式な非常勤講師」として扱われはじめた。
最初は、すぐバレると思っていた。その覚悟はしていた。でも、バレなかった。誰も疑わなかった。
講義を続けるうちに、拍手や質問が私の存在を肯定してくれるように思えてしまった。
……でも、怖い。本来、来るはずだった非常勤講師の人がひょっこり顔を出すんじゃないか、と思うと気が気じゃない。一年が経った今も、その人は現れないけれども……。
だけど、いつか全部、壊れる気がする。誰かがどこかで見てるんじゃないか、そんな気がしてならない。
それでも私は、明日も教壇に立ってしまう。
……そう、私は、無免許だ。学位もない。あるのは、偽った履歴書と、押し通せてしまった環境だけ。私は、教師ですらない。ありていに言って──ただの犯罪者なのだ。
(……はぁ……)
あの子は、堂々とステージに立って、笑ってる。ロロちゃんは、何百人もの目をまっすぐ受け止めて、自分の“好き”を全力で届けている。
それに比べて、私は……。
……いや、比べちゃダメだ。
あの子はアイドルで、私はただの大人で、オタクで、嘘つきの犯罪者で、あの子の前に立つ資格なんて──。
ううん、ちがう。そうじゃない。
推すのに資格なんて、いらないじゃない。
(また行こう、ライブ)
思わず、心の中でそう決めていた。
次はもっと後ろの席にしよう。
ちゃんとサイリウムも振ろう。
そして今度こそ──目が合っても、しゃがまずに済むように。
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