くだらないや。

辻野深由

前編

「……くだらない」


 手持ち無沙汰になったときの癖でついついSNSを開いて、小町かえでは後悔した。


 推しのイラストレーターであるALISAが今日も燃えていた。

 彼女に嫉妬したAI推進派のイラストレーターが、ALISAを反AIの一人だと勝手に決めつけたのが発端だった。一連のアクティビティがAI推進派の目に止まり、彼らたちはALISAの作品を燃やしたり切り刻んだり、クリエイターにとっては到底受け入れがたい毀損行為を嬉々としてやりだしたのだ。しまいにはALISAへの殺害予告までされている始末。


 彼女が火達磨になっているSNSを目にするだけで、平穏を保とうとしている心にさざ波が立つような心地に攫われる。


 この空間はもっと自由だった。みんなが自由を求めていたはずだ。思考も、思想も、発想も、スタンスも、人類のるつぼのように千差万別で、窮屈や退屈とは無縁だと誰もが信じていた。だからこその価値があって、心地よい無窮がどこまでも広がる世界だった。


 けれど、安寧の景色はもうどこにもない。なにかを言うにも、やるにも、右か左か、正しいのか正しくないのか、自分がどこかにいなければならないことを求められる。


 ただしくないことは許されない。

 ただしくなれない人間に居場所はない。

 無関心であることを微塵も許容してくれない。


 玉虫色であることは絶対的な悪だと見なされる。人間関係に疲れて逃げ込んだはずの場所なのに、いつの間にか現実よりも窮屈で、退屈で、息苦しい。


「ねぇ、かえでってば。聞いてる? というか、くだらないってなにさ」

「……ああ、ごめん。聞いてるよ。それと、くだらないってのはSNSの話。好きな絵師が、ちょっとね」

「かえでってばひどくない? あたしの話よりSNSが大事ってこと?」

「そんなことないけど……いや、さ。朱音(あかね)はもうとっくに結論出してるのに、あたしの意見がなんになるのかなって思うわけ」


 かえでの無関心な態度を前に、クラスメイトの朱音あかねはスタバの新作抹茶ラテを啜りながら頬を膨らませる。


「ある。大あり。大事だよ、あたしにとっては。かえでの感性は独特だから」

「それが朱音の恋愛のいざこざを解決するのに活きるとは到底思えないけど」

「率直にさ、あり得ないと思わない? 彼女をほっぽって他の子たちとディズニー行くとか。しかもさ、付き合って一ヶ月記念だよ? 彼氏としての自覚がなさすぎると思わない?」

「記念、ね」


 うんざりする。聞いているだけで眩暈がしそう。

 なんて本音を舌先で転がしながら、かえでは湯気の立つブラックコーヒーをぐっと喉奥へ流し込む。一息吐くと、ほんの少しだけ荒立つ感情の波がなだからになっていく。でも、今日の気分とカティカティは全然うまが合わない。


 どうにも最近は何事にも感情的になりがちだ。鬱憤をうまく発散できていないからなのは自覚している。けれど、吐き出す場所もないんじゃどうしようもない。こうやって溜息に混じらせるのが精一杯。


「彼氏とかいたことないから記念日の特別感とかそういうの、あんまわかんないや。まぁ、もとから予定入ってたとかじゃないの。だって、その子と二人きりってわけじゃなかったんでしょ」

「そうだけどさぁ、記念日にそれはなくない?」


 ほら、やっぱり。かえでがなにを言ったところで朱音の彼氏に対する不信感が拭われることはないのだ。はじめから彼女のなかで渦巻く感情に名前は決まっていて、欲しているのはその名付けが正しいよという同調だ。女という生き物はそういう未熟で不安定な感情を掌と舌先で転がしながら生きている。自分の幸せや不遇を他人の価値観と尺度でしか測れない。よく言えば社会的で、悪く言えば他責思考の塊。


「なら、彼氏にちゃんと言いなよ。もっと構ってって。あたしならそうする」

「重たい女って見られないかな」

「ちょろい女に見られるよりよっぽどいいでしょ。そんなことも言えない相手なんて、好きとか愛してるなんて尺度に入るわけ? 言葉にしなきゃ伝わらないことなんていくらでもあるんだから、はっきり言いなよ。それでこじれるならそこまでの男だったってこと。本当に好きじゃないならさっさと別れたほうがいんじゃない? 朱音のためにも」

「……そう、だよね。うん、わかった。話してみる!! ありがとう、かえで」

「どういたしまして」


 きりのいいところで二人だけの教室にちらほらとクラスメイトが押し寄せてきて、会話が自然と終わる。かえでは再びSNSを覗き込んで、少しも代わり映えのないタイムラインを一瞥してから机に突っ伏した。



 ***



 SNSの件で気が滅入っているのに、朱音の相手はしないとならないし、これから期末テストの結果も返ってくるから、ずっとテンションは低空飛行を続けている。最悪だ。

 朝のホームルームが終わり、そのまま一限目の英語が始まる。「テストを返します」と担任が告げると、教室の空気が少しだけ姦しくなる。この雰囲気も好きじゃない。「テスト返却日のかえでってマジでヤバイよね。2位だってすごいのに」と隣から声がして、かえでは反射的に無言で睨み付けた。タブーに触れたことを悟った朱音が「やつあたりされても受け止めきれないし~」とでも顔に書いてあるような苦笑いを浮かべる。

 こういうデリカシーのない女につける薬がさっさと開発されればいいのに。こんなのとトモダチ付き合いをしなければならない世界の狭さにも苛立ってくる。


 もっと広くてしがらみのない自由な世界に早くいきたい。


 だからこそ、こんな小さな箱庭で他人に遅れを取ることなんてこと、あってはならないはずなのに。


「今回のテストの結果ですが、総合得点トップは氷堂有紗。二位が小町かえで。まぁ、この二人は変わらずだな」


 まるで事務連絡のように担任がそう告げる。いまさらクラスがどよめくこともない。毎回のように歯噛みするのはかえでだけ。目新しさもない結果に、もはや誰も興味をすら示さない。窓際の最後尾席を陣取る有紗も、いつものことだとばかりに涼しい顔をして机に頬杖をついている。

 勉強しか取り柄がないというのに、得意な分野ですら番手に甘んじることの屈辱といったらない。私怨を積み上げるかえでの負のエネルギーだけが日に日に増していく。いつかこの感情から解放される日が来るのだろうか。永遠に拭いようのない劣等感をこの先もずっと抱えながら生きていくのだろうか。そんな人生は嫌でしょうがない。


 だから、心地よく息が吸える場所を探してSNSに辿り着いた。

 ようやく、自分が自分でいられる場所をみつけた――そう思ったのに。


「小町はあとで職員室に来なさい。進路のことで話がある」

「……はぁ、面倒だな」

「氷堂もな」

「希望は変わりません。まだ話す必要、ありますか」

「用がないなら呼び出しはしないよ」

「……そう、ですか」


 氷堂は表情一つ変えず、じっと担任を見つめていた。その眼差しの奥に揺るぎない信念のようなものを感じて、かえではほんの少しだけ気後れする。彼女の成績ならどこへだって進学できるだろうに。どうしてそんな、担任とこじれるような事態になっているのだろう。



 ***



 昼休み。具体的な進学先はまだ考えていないことをかえでが告げると、担任は困ったように眉を曲げた。


「そろそろ決めてくれないとなぁ……」


 指定校推薦は、成績優秀者であるかえでにも優先的に話がまわってくる。

 推薦枠を使って進学をするとなれば、基本的には私学になるから、国立と比べて学費もかかる。けれど、少なくとも指定校推薦枠なら希望した学科への進学は秋口に約束されるし、両親や親戚に進路で心配をかけることはなくなる。

 ただ、そんな安易な選択に身を預けて、将来の自分が後悔しないだろうか。劣等感を抱えたまま大人の階段を一つ登ることを許容できるのだろうか。そんなことばかり考えてしまって、ふんぎりがつかない。


「……そういえば、氷堂さんも決まってないんですか」

「あいつはなぁ。困ったもんだよ」


 ばつの悪い顔をして、担任が頭を掻いた。


「氷堂は少なくとも指定校推薦枠を使うことはない。というか……進学、しないかもな」

「えっ」

「このことは誰にも言うなよ」


 かえでは激しく後悔した。話題を変えようとしただけで、藪を突いたつもりはなかったのに。そんなこと、知りたくなかったのに。


「みんな進路のことでぴりぴりしているし、こういう情報が出回ると無意味に氷堂のことを羨む奴が増えるから」

「……もう十分ぴりぴりしてますけど」

「まぁ、それもそうだな」

「というか、先生はよくあたしのことなんを信用できますね。そんな大事なこと、黙ってなんていられると思ってるんですか」


 それでもって、無神経だ。この人は、生徒のことをなんにも見ていない。


「そういう卑怯なこと、苦手で嫌いだろ」

「ええ」


 いまこうしていることも嫌なのに。そういうことにすら気が回らない愚鈍なところも大嫌いだ。


「とにかく他言無用だからな。氷堂を気にするのはいいが、小町も自分のことをちゃんと考えるように」


 目の前のことすらままならないのに、将来のことなんて余計に考えたくなかった。人生はなんて難しいのだろう。



 ***



 午後の授業と放課後に月一回開催される衛生委員の定例会議を終えると、進路相談室という六畳ほどの狭い部屋から氷堂が出てきて、かえでは運悪く目が合ってしまった。どうして一番会いたくないタイミングで鉢会ってしまうのか。


「……そういえば小町さんも進路相談、したんだよね」

「えっ」

「少し話そうよ。この時間なら学食がいいかな」


 長い学校生活でも片手で事足りる程度しか話したこともない相手の誘いにたじろいでいると強引に手を引かれ、普段は滅多にやってこない食堂に足を踏み入れる。学食がある高校は市内でもここだけ、しかも味も量も評判がいいことから、たびたび新聞部が学校新聞で話題に出したり、紙面を余らせた地元紙が取材にくることもある。在校生の大半は利用したことのある場所だが、律儀に毎日弁当を用意してくれる母のおかげでかえではいよいよ学食にお世話になったことがなかった。


「こんな時間でもやってるんだ」

「なんなら部活動が終わった後でもやってるわ。夕飯も食べられるように遅くまでやってるんだけど、知らなかった?」

「ほら、あたしはお弁当持ってきてるから」

「そっか。私とは正反対。適当なところに座ってて。私はお腹空いちゃったし、軽くなんか頼んでくるから」


 学食に引っ張ってきたくせに急にそんなことを言い出してはかえでをほっぽって注文窓口へ向かっていく氷堂の行動に面食らいながら、食堂の奥の席に腰を下ろす。ほとんどの部活がまだ活動真っ只中なのだろう、食堂にはかえでと氷堂以外の姿はない。折角の機会なのだからなにか注文すればよかったかもしれない。ただ、小腹はまったく空いていないので、余らせてしまう可能性が脳裏を過ぎり、結局諦めた。水はセルフです、との張り紙に従って輪切り檸檬が入った水をコップに注いで席に戻ると、少し遅れて氷堂が対面に腰を下ろした。その手には色味の薄い出汁に浸された肉うどん。


「ここの食堂、関西風の出汁がおいしいの。出汁を売ってほしいと頼んでるんだけど、非売品なんだって。あと半年もしたらこの在校生特権もなくなってしまうが残念でならないわ」

「えらくお気に入りじゃん」

「そりゃあ、毎日のように通っていたんだもの。舌と好みがこの学食になっちゃった」


 えらく饒舌な目の前の氷堂が、いつもの彼女とはまるで別人のように思えてくる。


「あんた、そんなんだっけ?」

「別にこんな自分を見せる必要もないでしょ、クラスで。ペルソナくらい使い分けないと」

「イラストレーターのALISAもその一つってこと?」

「……まぁ、そっちは隠すつもりもないし。そもそも学校のみんなにはとっくにばれてるけど」

「そういえばさ。指定校推薦は受けないんだって?」

「……やっぱりあの担任、信用できないなぁ。そういうの第三者に共有しないでしょ。あり得ないんだけど」

「そうだよね、やっぱ」

「それを本人の前で喋っちゃう小町さんも正直どうかと思うけど」

「他には話さないよ。氷堂さんが変に羨まれるだけで、あたしに得なこともないし。というか、一方的にこういうのを知ってるのはフェアじゃないと思っただけ。あとでこじれるのも面倒だし」

「……まぁ、そういうことならいっか」

「……本当なんだ、進学しないの」

「他の人には黙っててね。卒業まで明かすつもりもないし、誰かに進学先聞かれたら適当にはぐらかすつもりだから」

「結局、どうするつもりなの」

「就職。できなかったりフリーでイラストレーターかな。もったいないと思う?」

「あの担任にそう言われた?」


 氷堂がうどんを啜りながらこくりと頷いた。


「まがりなりにも進学校だからね。美大に進学した人は過去にもいたらしいけど、就職はよっぽどのことだって言われた」

「そりゃあそうだろうね。いまどきみんな大学行くし、なんなら奨学金だってあるから、お金なくてもあとで返済すればいいし」

「ただで大学に行けるなら行くけど、返済しなくていい奨学金なんてどの大学行ったって本当に頭のいい一握りしか対象にならないし、そもそも借りるタイプのだって絶対借りられる保証もない。それなのに進学を勧めるって、本当に無責任。こんな進学校で教員やってる連中には分からないんだろうね、明日を生きるためのお金にすら困ってる人のこと」


 刺々しい言葉の矛先は無神経な担任のはず。なのに、かえでは息が詰まる心地で氷堂の言葉を受け止めるしかなかった。進学しか頭にない自分すら責められている気がしてくる。


「小町さんは進学?」

「……そのつもり。指定校をどこにするかは決めてない。そもそも指定校にするかも決めてないんだけど。それで呼び出されたって感じ」

「国立志望なの?」

「そういうのとは、ちょっと違う、かな。なにをやりたいとか、そういうのが曖昧というか……いや、それも違う……かも」


 本当は自覚している。見栄だ。学力で絶対に敵うことのない彼女に、なんとかして一矢報いたい、学歴では上回りたいという気持ちが先にあって、その激情を必死に理性で引き留めているから、進路が決まっていないだけなのだ。そんな感情を誰かに打ち明けられるはずもないまま心の奥底に抱え込んで、いよいよ、消化しきれなくなってしまった。


 見栄を張る舞台には、あなたがいなければ意味なんてないのに。

 打ち負かしたい彼女は、進学するつもりがない。もはや学力という土俵から降りて、かえでが決して届かないステージへと向かっていく。


 その厳然たる事実を前にして、無気力感に苛まれる。

 なんで、現実はこんなにもままならないのだろう。


「小町さんも、自分がやりたいようにやったらいいんじゃない?」

「やりたいことかぁ。のめり込めるもの、あればいいんだけどね」

「写真はそうじゃないの?」

「……あれは、ただの現実逃避だし」


 歳の離れた兄のおさがりで、けれど決して安くはない一眼レフ。中古品を使って切り取る風景は、SNSでもそこそこ評判で、ALISAほどではないにしろ五桁に近いフォロワーがいる。気が向いたときには企業主催のコンテストにも出して、たまに賞をもらう程度の腕前もある。

 けれど、あくまでかえでにとっては現実逃避の延長にある気晴らしで、この世界が嫌になったときに思考を切断するための手段でしかない。それを生業にするような決意の強さも気概もない。


「センスあるのに。空の写真とか」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、写真なんか誰でも撮れるから」

「……絵だって、多少の絵心さえあれば誰でも一定の水準まで上手くなれる。そっから先は結局、自分の気持ちと研鑽次第だよ」

「あんたが言うと説得力あるね」

「高校の学費、イラストで稼いだお金から捻出してるからね。人生掛かってるどころじゃないわけ。これで生計立ててるんだから」

「なにそれ。初耳なんだけど」

「誰にも言ったことないよ、こんなこと」

「え、だって親御さんは?」

「小学校のときに両親、蒸発しちゃったから。それで母方のおばあちゃんに引き取られたんだけど、おばあちゃんも私が高校に入るときに施設に入居しちゃって。たまたま絵の才能があったから助かったって感じ。学力があるだけじゃあどうにもならないからね、こういうのって」


 かえでの数少ない語彙では、壮絶、としか表現しようがなかった。


「正直、いまだって日々こうして生きていくので精一杯でさ。いま大学に行ってなにかを学んでる余裕、ないんだよね。経済的にも、精神的にも。就職して一刻も早く経済的な余裕がまず欲しい。だから、卒業したら働く。いまより稼ぐ。そういう人生だって定められているから、逃げようもない。ヒモにでもならない限り、目を背けたり逃げたりしたら野垂れ死んじゃうしね」


 かえでの悩みや鬱屈とは比較にならない切実な覚悟を、どこまでも淡々と吐露する氷堂に、向ける顔がない。


「私のなかでは進路なんてとうに決まってるのに、担任のほうがせめて受験だけはしてみないかって駄々捏ねてるんだよ。進学先とか合格実績は高校の宣伝にもなるし、そういう大人の事情は分かるけど、それでも生徒の背中を押す程度の気概もないのはさすがにみっともないよね。まぁ、いまの担任も二十代だし、私のクライアントの大多数より若くて人生経験も少ないからイレギュラーに対する免疫がないんだと思うけど」


 臆面もなく担任を貶す氷堂が、コップになみなみ注がれた水をぐっと飲み干して呼吸を整える。


「結局、人生なんてのはこの手にあるもの、使えるもの、磨いたもので世界と戦って、他者と対等な立場になって、そうして付き合う価値があると認められることでしか自己実現はできない。それができなければいつまでも搾取され続けて生きる目的さえ失ってしまう。私の人生は私のもので、小町さんの人生は小町さんのものでしょう? 誰のためでもなく、誰かから与えられるものでもなく、自分で選んで掴み取って、それを後悔しないように前を向いていくことでしか、満足感とか開放感とか、そういうものって得られない。だから、小町さんもそういうものを見つけたほうがいいよ。自分が世界と戦える武器みたいなもの」


 ――小町さんの写真はそれに適うものだと私は思う。

 最後にそう言うと、これでこの話題はおしまいとばかりに氷堂は立ち上がり、空になった丼を持って返却口へ向かっていった。


 その背中を見ながら、かえでは氷堂の言葉を反芻する。

 現実世界の窮屈さから逃げ出して、仮想世界に居場所を求めて、そのくせ理想とは違うものを目の当たりにしては目を背けて、そんなことばかりしている自分に武器なんてあるのだろうか。写真のことを評価してくれたことは嬉しいけれど、それで稼いでいる将来像がどうしても湧かない。


「ちなみになんだけどさ、私っていま炎上してるじゃん。どう思う?」


 戻ってくるなり返答に困る問いを投げつけられて、かえでは渋面を浮かべた。


「あー……、なんかごめんね、変な質問して」

「どう…って言われても。くだらないな、とか、そういう感じ」

「くだらない、か。いやぁ、そうだよね」

「ああいうことされてつらくない?」

「両親がいなくなっちゃったときのしんどさに勝るものはないというか、全然平気。心配してくれる人のほうが多いし。それに、ああいう雑音に感心持ったり耳を傾ける暇、ないから」

「メンタルやば」

「褒められたことじゃないけどね。はやく鎮火してくれればいいのに、あいつらもしつこいからさぁ。でも、小町さんのその感性が聞けて良かった」

「良かったって、どういうこと?」

「んー……、やっぱり写真、やったほうがいいよ」

「急になにそれ」

「なんか想像してた反応じゃないなぁ。もしかして嫌だった?」

「そ、そんなことないけどっ」


 思わず声が大きくなる。


「……そういうの、あんまり気軽に言わないほうがいいよ。ALISAなんだから」

「そんな大層な人間じゃないよ。勝手に壁を作られるのは結構きついんだから」

「そういうつもりで言ったわけじゃ――」

「あはは、冗談。いや、半分本気で半分冗談。写真、やりなよ」

「……それ、本気で言ってるんだ」

「そうだね、わりと真面目」


 勘弁してほしい。それは呪いだ。


「ついでに、私のために一枚撮ってみない? 被写体はなんでもいいよ」

「……氷堂さんでも?」

「ALISAでも」


 心臓が跳ねる。鞄に隠し持っている一眼レフにかかる重力が急に増えたような、奇妙な感覚に襲われる。


「で、それを私が模写してSNSに投稿する。もちろん小町さんのクレジットもつけてね」

「……どうしてそんなこと、急に」

「意外とストレス溜まってるのかも。炎上なんて気にしてないとか言ったけど、本当は少しくらいは気になるというか、目を逸らしたくなるというか、さ。だから、たまには普段やってないようなことをやりたくて。憂さ晴らし? というか、記念? とにかく、そういうことだからよろしく」

「よろしく……って、あっ、ちょっと、待っ――」

「良い写真、期待してるよー」


 逃げるように駆けていく彼女が、あまりにも眩しくて、かえでは嘆息する。

 いまの一瞬こそ、切り取りたかったのに。


「はぁ……どうしよう……」


 思わず漏れた言葉とは裏腹に。

 かえでの気持ちは柄にもなく高ぶっていた。

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