第35話『鏡の剣、語りかける──“あなたは、誰を想っていますか”』

夜が深まると、小屋の工房にはいつもの喧騒が消え、炎の爆ぜる音だけが耳を打った。


 湊は炉の前に立ち、黙々と火の調整をしていた。


 昼間は、ユリアナを巡っての“ヒロインズの戦争”が勃発。クラリスとユリアナが互いの距離感を牽制し合い、ルフナは茶々を入れ、メルゼリアは無言でそれを煽るというカオスな一日だった。


 ──だが今は、静かだった。


「……さて、今夜こそ、ちゃんと向き合わなきゃな」


 湊は、工房の奥に安置された一本の剣へと歩み寄った。


 “鏡の魔剣”。


 それは王都からの依頼で持ち込まれた、透明な刀身を持つ特異な剣だ。触れた者の記憶や想念を映し出し、過去に囚われた心を揺さぶる――その性質から、“呪い”と評されることもある剣。


 湊は静かに手袋を外した。


「前に触れた時は……」


 ──少女の泣き声、血に染まった床、誰かを庇う白いドレスの姿。あれは、ユリアナの記憶だったに違いない。


 彼女の中に、癒えぬ傷がある。だからこそ、剣は“問いかける”のだ。


 湊は躊躇いなく剣に触れた。


 その瞬間、世界が反転する。


 


 ――視界が白に包まれたかと思うと、次に現れたのは、王都のような石造りの中庭だった。


 湊はそこに“立って”いた。だが、それは彼自身の身体ではない。記憶の中の誰かの視点で、過去を“見ている”。


「ユリアナ、足の運びが甘いわ。もっと重心を低く、腰を回して」


「う、うん……お姉様……!」


 視界の先で、二人の少女が剣を振っている。一人は長身で、凛とした表情をした銀髪の女性。もう一人は、幼いユリアナだった。


「あなたは強くなりたいのでしょう? ならば“想い”を剣に込めなさい。いい? 剣は心だわ。心の揺れが、剣の軌道を濁らせる」


 少女は頷きながら、涙をこらえるような瞳で姉を見つめていた。


「でも……私、怖いの……。お姉様みたいに強くなれるか、不安で……」


「不安でも、前を向いて。それが、私たちエリュシオンの血を引く者の使命よ」


 場面が変わる。


 同じ中庭。だが空は曇り、風が冷たい。


 ユリアナが走っている。どこかへ。何かから逃げるように。


 その後を追うように、悲鳴が響いた。


 「ユリアナ、戻りなさい!」


 だが少女は止まらなかった。


 ──次の瞬間、場面が切り替わった。


 血の香り。壊れたドレス。倒れた姉の身体。


「どうして……! どうして、私じゃなく……!」


 幼いユリアナが、膝をつき、壊れた剣を抱いて泣いていた。


 その剣が──“鏡の魔剣”だった。


 


 湊の意識が、現実に戻る。


「……っ、はぁ……っ、はぁ……」


 額には冷や汗。呼吸は浅く、胸がひりつくように痛い。


 剣に宿っていたのは、ユリアナの“後悔”だった。そして、その奥にある“愛情”の記憶。


 湊の心に、低く、澄んだ声が響いた。


 ──“あなたは、誰を想っていますか?”


「……!」


 声は、剣の中からだった。


 幻影のような“想念”が、湊の内面に問いを投げかけてくる。


 “お前にとって、打つ理由とは何か”


 “その槌は、誰のために振るわれているのか”


 “剣を鍛えるたび、お前は“誰”を想っているのか”


 湊は、言葉に詰まった。


 鍛冶師として、技術の研鑽に努めるのは当然だ。だが、それだけではない。振るう槌のひと打ちひと打ちに、“誰か”の顔が浮かぶ。


 クラリス。ルフナ。ミルミ。メルゼリア。──そして、今夜、剣にすがるように涙を落としたユリアナの姿。


 だが、それは“すべて”ではない。


(俺は……誰のために、この剣を打ちたい?)


 湊は、剣から手を離した。


 静寂が戻る。だが、彼の心にはまだ“答え”が出ていなかった。


 


 その夜。


 湊は外に出た。夜風に当たりながら、焚き火の前でじっと座っていた。


「悩み事?」


 ユリアナが、薄い外套を羽織って隣に座る。


「……鏡の魔剣が、問いかけてきたんだ。“お前は、誰を想って剣を打つのか”って」


 湊の言葉に、ユリアナは小さく笑った。


「私も、あの剣に問われたの。……“あなたは、誰のために生きていますか”って」


 それはまるで、姉を失った“あの日”の延長にあるような、深く沈んだ問いだった。


「私は、お姉様の代わりになりたかった。あの人の強さを、気高さを、再現できれば──少しは罪を償えると思った。でも……結局、私は“私”になれなかった」


 湊は、黙って耳を傾ける。


 ユリアナの銀髪が月光に照らされて、冷たく、儚く光る。


「でも、あなたが剣を打つ姿を見ていて……思ったの。私はもう、“鏡”の中にいるべきじゃない。私は私自身として、ここにいたい」


 その声は震えていたが、剣の芯のように確かだった。


 湊は、そっと薪をくべた。


「──明日、もう一度、打つよ。今度は、“あんたの未来”を映す剣を作る。その剣が、あんたを縛るものじゃなく、あんた自身を守るものになるように」


 ユリアナの瞳が、焚き火の炎のように揺れた。


 言葉はなかった。


 ただ、その目が、すべてを語っていた。


 


 ──こうして、“鏡の魔剣”の修復は、単なる技術ではなく、心の再生として、始まろうとしていた。

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