第30話『それでも、お前に刀を預けたい』

 夜明けの霧が、森の小屋を包んでいた。静寂に満ちたその空気のなか、まだ誰も目を覚ましていない。だが、鍛冶場の奥では──ひとつの命が、ひと振りの刀となるべく形を成し始めていた。


 村上湊の槌音が響く。赤く熱せられた鋼が、その音に応えて跳ねるように輝き、火花を散らしていた。


 そして──


「……完成、だ」


 湊は火床の前で、汗まみれの額をぬぐった。その視線の先、冷却水に沈めたのは銀と紅が織りなす美しい刃──クラリス・ヴァンベルクのために鍛え上げられた鋼血のラグナ


 鍛錬中、彼女の動きや癖、そして抱えていた痛みを考慮し、重心と反りを細かく調整した特注の一振り。


「クラリス……あとは、君がどう向き合うかだ」


 静かに呟いたとき、扉がゆっくりと開かれた。


 そこに立っていたのは、鎧ではなく、淡い布の部屋着を身にまとったクラリスだった。銀髪は少し乱れ、だが瞳は真っ直ぐ、湊を捉えている。


「起きていたのか?」


「……目が覚めて、気配がした。あなたの……鍛える気配が」


 その声に、湊は少しだけ微笑を返す。


「……来るとわかっていたさ。これは、君のための剣だからな」


 クラリスの瞳が揺れる。


 彼女はゆっくりと湊のそばまで歩み寄り、鍛冶場の中心に置かれた布の上に静かに剣を置いた。


 湊が無言で頷くと、クラリスは膝をつき、両手でその刀をそっと持ち上げる。


「……これは、私の《再出発》だ」


「“鋼血のラグナ”──君のすべてを支える一振りになれば、俺も鍛えた甲斐がある」


 そう言った湊の声には、確かな覚悟が宿っていた。


 クラリスはその剣を見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「私は、強くなりたかった。王家の盾として、誰よりも──でも、あの夜、私は敗れて……守れなくて……」


 その声音には微かな震えがあった。


「……でも、あなたに出会って、わかった。強さって、剣の腕だけじゃない。信じられる“誰か”が、そばにいること。それが、こんなにも……」


 そこまで言ったとき、クラリスははっとして口をつぐんだ。


 だが、湊はその続きを聞くようなことはしなかった。


 かわりに、湊は静かに立ち上がり、手ぬぐいで彼女の額の汗を拭った。


「俺は刀を打つことしかできない。でも、その刀が君の心を守るなら、それで十分だ」


「……本当に……本当に、あなたに預けてもいいのか」


「何度でも言うさ。俺は、どこにも行かない」


 その言葉が、クラリスの心に深く染み込んだ。


 しばらく沈黙が流れたあと、クラリスは小さく息を吐き、湊に向き直った。


「私は……村上湊、あなたのもとに残ります。王都には戻らない。ここに残り、この刃と共に、あなたの鍛える未来を見届けたい」


「……いいのか?」


「“選んだ”の。私の意志で、私自身の居場所を」


 それは、彼女なりの信義の宣言だった。


 その瞬間、鍛冶場の奥で誰かのくしゃみが聞こえた。


「へっくしゅ! あ〜もう……なんでこんな朝っぱらから……って、はあああああ!?!?」


 布団から飛び出してきたのはルフナだった。寝巻きのまま髪は爆発している。


「ちょっとちょっとちょっと!! なに!? え、クラリス!? なんでその顔!? その距離感なに!? まさか、また……やった!?」


「お前の発想は毎度ぶっ飛んでるな……」


 続いて、湊の背後からメルゼリアが登場。寝起きとは思えない無表情で、だが明らかに無言の圧を放っている。


「……どれほどの関係になったのか、詳細を求める」


「説明義務はある。なにせ私は“警備”担当だからな」


「寝込みを襲う前提で話すのやめてくれ!!」


 最後に、まだ布団の中からちらっと顔を覗かせたのは魔法剣士レイア。


「んー……クラリスの部屋に忍び込むなら、もっと静かにやってよね……」


「誰も忍び込んでないし、何もしてねえ!」


 だが、その混乱の中でも、クラリスはまったく動じなかった。むしろその瞳はどこか満ち足りていて、確かな覚悟がそこにあった。


「私の剣は、村上湊のもの。……それが、私の決めた道です」


 その言葉に、ルフナが顔を真っ赤にして吠える。


「こ、こここここここのぉぉぉ!! カッコつけやがってぇぇ!!」


「朝から騒がしいな……胃薬……胃薬……」


 湊はこめかみを押さえながら、小屋の中で増え続ける“女の気配”に小さくため息をつく。


 こうして、村上湊の鍛冶屋スローライフ──否、ハーレムスローライフは、ついに正式に“四人体制”へと突入したのであった。


 その日、小屋の空には澄んだ風が吹き抜けた。


 ──そしてその風の先には、まだ知らぬ新たな波乱の気配が、ほんの微かに混じっていた。


 だが、それはまだ少しだけ先の話。


 


 いまはただ、湊の手の中で輝く一本の剣が、これからの“誰かの人生”を支えるために、静かに光を放っていた。

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