第19話『お前にだけ、柔らかくなりたかったから』

 夜の鍛冶屋は、炉の火も落ち、ひんやりとした空気が漂っていた。だが、鍛冶の音が止んでも、湊の耳にはいつまでも「カン……カン……」という幻聴のような音が残っている。


(今日も……打ったな……)


 布団に横になったまま、天井を見上げて独り言をつぶやく。


(あの女騎士の剣、思った以上に手間だった……。まあ、良い手応えだったけど)


 そう、湊は今日、正式な依頼である“聖騎士団の魔封剣”の鍛え直しを完遂していた。

 特注の冷却マスクとやらが逆効果だった騒ぎはあったが、技術面では申し分ない出来栄え。


 ……それだけのはずだった。


 が、その夜。


「湊ぁ~~……どこ~~……? あたしの師匠ぉぉ……」


 泥酔した声が、遠くから近づいてくる。


 ガチャリ。


 木の戸が乱暴に開かれ、ルフナがふらふらと入ってきた。


「おーい……おぉい……湊ぁ……どこ行ったのさ……」


「いや、いるけど……。寝てるんだけど」


「ねるなーっ! うぅ……ねないで……」


 完全に酔っていた。

 いや、明らかに潰れていた。


「誰だよ、ルフナに酒渡した奴……」


 思わず起き上がって呟く。


「ひとりで祝杯してたのぉ……。だってぇ……今日の師匠、めちゃくちゃ格好良かったから……」


 顔を真っ赤にして、ルフナはふらつきながら近づいてきた。


「こら、酔ってるなら水飲んで寝ろ。お前の部屋行け」


「やだ……やなの。今日は、師匠の隣がいいの……」


 そのまま、ぽすん、と湊の肩にもたれかかるルフナ。


 石像のように固まる湊。


(は?)


「ふふ……あったかいね、師匠……。ふふ……」


(やばい。距離感がおかしい。密着っていうか、体温が近い。柔らかい。おい……これ、やばいって)


 汗が出る。心拍が跳ねる。理性が、ひゅんと飛ぶ。


「……ルフナ、お前、明日覚えてたら土下座な」


「……ん? なんかいった?」


「いや、なんでもない。もう寝ろ」


 そう言っても、ルフナは頑として離れなかった。


「……だってさ。あたし……師匠には……柔らかくなりたかったんだもん……」


「…………は?」


 突然の、意味深発言。


「みんなには、さ。強くて、負けないドワーフでいたい。でも……師匠には……、ちょっとくらい、甘えても……いい、よね……?」


 その言葉を最後に、ルフナはすぅすぅと寝息を立てはじめた。


(……なにそれ。ずるいだろ、それ……)


 湊は静かにうつむいた。

 照れではない。動揺でもない。


 ただひとつ――


「…………泡、出た」


 意識の限界だった。


 そのまま、湊は白目を剥いて、そっと崩れ落ちた。



 翌朝。


「おはよーございまーす! あたしなんか昨日、寝落ちしちゃってましたー!」


 ルフナは元気いっぱいだった。

 が、その隣で、タオルケットにくるまって項垂れる陰キャの姿がひとつ。


「………………………。」


「どうしたんですか、師匠?」


「……寝違えた。あと色々と、魂が疲れた」


 女の子に甘えられ、密着され、挙句に柔らかさを感じさせられ、理性が落ちた夜。


 “令和の村正”は、異世界の鍛冶屋でもやはり、女難である。


(――俺、ただ静かに暮らしたいだけなんだけどな)


 だがその願いは、もう森の風と共に、どこかへ消えていた。

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