第8話『森に出るのは、魔獣だけじゃない』
その日、森に“違和感”があった。
風が止まっていた。
鳥が鳴かない。
枝葉が、妙に揺れていた。
「……ルフナ」
「はいっ、師匠!」
「今日は外に出るな」
村上湊の直感だった。職人の第六感。火が不安定なときと似ている。
だが、ルフナは元気にハンマーを担いでこう言った。
「だいじょーぶです!猪くらいなら気合で投げられますし!」
「……猪、じゃない気がする」
◇
それは、午後の薪拾いの最中だった。
ルフナは小屋から少し離れた小道で、木の根元に落ちた枝を拾っていた。
そのとき。
――パキ。
枝が踏まれる音。
振り向くと、森の影から黒ずくめの男が三人、にじり寄ってきていた。
「お嬢ちゃん、こんなところで何してんのかな?」
「荷物、重たそうだねぇ。代わりに持ってあげようか?」
「可愛い子がこんなとこにいるなんて、物騒だよぉ……」
典型的なダメな大人のテンプレ発言が連続。
そしてそれが、**ガチで物騒な“盗賊系”**だということも、すぐにわかった。
(チッ、やっぱ来たかぁ……)
ルフナは小柄だが、肝が据わっている。
そのまま背中のハンマーを構え、低く構えた。
「これ以上近づいたら、ぶん殴りますよ?」
「こっわ~。じゃあまず、ぶん殴られてから考えようか?」
盗賊の一人がナイフを抜く。
――その時だった。
風が、吹いた。
黒い影が、森の枝から滑り落ちるように舞い降りる。
気づけば、一人の女がそこにいた。
漆黒のローブ。長身で鋭い眼差し。肌は白く、髪は夜の色。
そして――尖った耳。
ダークエルフ。
「……それ以上、動けば斬る」
その声は低く、よく通る。
音の質すら変わるような、空気を断つ緊張。
盗賊たちは笑った。明らかに見た目だけで判断していた。
「なんだよ、今度はエルフのババアか? こっちも好みじゃねぇが、金目のもんは――」
――ザシュッ。
一瞬。
黒衣の女が振るった剣が、盗賊のナイフを真横からへし折った。
続けざまに、足元の土を裂いて線を描く。
その線を踏んだ者は、一歩も動けなくなった。
「……これ以上、動けば“骨”から斬る」
「ヒィッ!?」
「ま、待て! 俺たちはただ……!」
「“ただの盗賊”を名乗るなら、始末するまでだ」
女が剣を構える。構えが完成する“前”に、敵は全員逃げ出した。
◇
残されたのは、ハンマーを握りしめたルフナと、黒衣のダークエルフ女。
「……あ、あのっ……」
ルフナが声をかけようとすると、女はゆっくりとこちらを向いた。
「君が、“あの匠”の弟子か」
「え、あ、はいっ!」
「……そうか。なら、ちょうど良かった」
そう言って、女は腰に差された一本の黒刀に目を向ける。
「その刀……この手で、一度振ってみたかったのだ」
「えっ、えええええ!?!?」
◇
その数分後。
ルフナが湊を呼びに小屋へ走り戻った。
「師匠ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
「……またかよ」
「大変です! 変な人が出てきました! 剣で地面を斬りました!ていうか空気も斬ってました!!」
「……剣で空気を……?」
嫌な予感がした。
◇
戻ってみると、そこにはやはり黒衣のダークエルフが立っていた。
距離を取りながら、湊は訊く。
「……誰?」
「名は、メルゼリア=ダークブレイド。」
その名に、ルフナが小さく震える。
「えっ……“漆黒の破断姫(ダークスラッシュ・プリンセス)”のメルゼリア……!? あの……王国最強だったって噂の……!?」
確かに、名前だけなら聞いたことがある。
かつて、王国騎士団の筆頭として名を馳せ、**“千の剣をへし折った女”**の異名を持つダークエルフ戦士。
今は姿を消し、“森に隠遁している”という伝説が残っていた。
その本人が、なぜかここに。
「……君の打った刀。その一振りを、森で拾った者がいた」
(あ、それ盗まれたやつ)
「一度でいい。その斬れ味……この手で確かめたかった」
メルゼリアは、そう言って、湊の鍛えた黒刀を静かに構える。
その姿は、まさに――剣を知り、剣を極めた者の構えだった。
◇
その場でメルゼリアは、湊の刀を使い、空中に試し斬りを放った。
――風が裂けた。
ただ、それだけ。
音も、光も、演出もない。
ただ、空気が「違う場所に行った」ような、不自然な感覚だけが残った。
「……やはり、“打ち手”が違うな」
そう言って、彼女は刀を湯に戻し、恭しく差し出す。
「この刀を守りたい。そのためなら、私の剣を使ってくれ」
「……は?」
「私は、“用心棒”としてここに住む。異論がなければな」
圧倒的な剣士が、勝手に居候宣言をしてきた。
そして、次の瞬間には、ルフナと共同で小屋の横にテントを張りはじめていた。
「師匠!まさかのダークエルフさんが住み込みです!!」
「……静かに暮らしたいだけなのに」
湊の心の中で、また一歩“静寂”が遠ざかっていった――。
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