第8話『森に出るのは、魔獣だけじゃない』

その日、森に“違和感”があった。


 風が止まっていた。

 鳥が鳴かない。

 枝葉が、妙に揺れていた。


「……ルフナ」


「はいっ、師匠!」


「今日は外に出るな」


 村上湊の直感だった。職人の第六感。火が不安定なときと似ている。


 だが、ルフナは元気にハンマーを担いでこう言った。


「だいじょーぶです!猪くらいなら気合で投げられますし!」


「……猪、じゃない気がする」


 



 


 それは、午後の薪拾いの最中だった。


 ルフナは小屋から少し離れた小道で、木の根元に落ちた枝を拾っていた。


 そのとき。


 ――パキ。


 枝が踏まれる音。


 振り向くと、森の影から黒ずくめの男が三人、にじり寄ってきていた。


「お嬢ちゃん、こんなところで何してんのかな?」


「荷物、重たそうだねぇ。代わりに持ってあげようか?」


「可愛い子がこんなとこにいるなんて、物騒だよぉ……」


 典型的なダメな大人のテンプレ発言が連続。

 そしてそれが、**ガチで物騒な“盗賊系”**だということも、すぐにわかった。


(チッ、やっぱ来たかぁ……)


 ルフナは小柄だが、肝が据わっている。

 そのまま背中のハンマーを構え、低く構えた。


「これ以上近づいたら、ぶん殴りますよ?」


「こっわ~。じゃあまず、ぶん殴られてから考えようか?」


 盗賊の一人がナイフを抜く。


 ――その時だった。


 


 風が、吹いた。


 黒い影が、森の枝から滑り落ちるように舞い降りる。


 気づけば、一人の女がそこにいた。


 漆黒のローブ。長身で鋭い眼差し。肌は白く、髪は夜の色。


 そして――尖った耳。


 ダークエルフ。


「……それ以上、動けば斬る」


 その声は低く、よく通る。

 音の質すら変わるような、空気を断つ緊張。


 盗賊たちは笑った。明らかに見た目だけで判断していた。


「なんだよ、今度はエルフのババアか? こっちも好みじゃねぇが、金目のもんは――」


 ――ザシュッ。


 一瞬。


 黒衣の女が振るった剣が、盗賊のナイフを真横からへし折った。


 続けざまに、足元の土を裂いて線を描く。


 その線を踏んだ者は、一歩も動けなくなった。


「……これ以上、動けば“骨”から斬る」


「ヒィッ!?」


「ま、待て! 俺たちはただ……!」


「“ただの盗賊”を名乗るなら、始末するまでだ」


 女が剣を構える。構えが完成する“前”に、敵は全員逃げ出した。


 



 


 残されたのは、ハンマーを握りしめたルフナと、黒衣のダークエルフ女。


「……あ、あのっ……」


 ルフナが声をかけようとすると、女はゆっくりとこちらを向いた。


「君が、“あの匠”の弟子か」


「え、あ、はいっ!」


「……そうか。なら、ちょうど良かった」


 そう言って、女は腰に差された一本の黒刀に目を向ける。


「その刀……この手で、一度振ってみたかったのだ」


「えっ、えええええ!?!?」


 



 


 その数分後。


 ルフナが湊を呼びに小屋へ走り戻った。


「師匠ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


「……またかよ」


「大変です! 変な人が出てきました! 剣で地面を斬りました!ていうか空気も斬ってました!!」


「……剣で空気を……?」


 嫌な予感がした。


 



 


 戻ってみると、そこにはやはり黒衣のダークエルフが立っていた。


 距離を取りながら、湊は訊く。


「……誰?」


「名は、メルゼリア=ダークブレイド。」


 その名に、ルフナが小さく震える。


「えっ……“漆黒の破断姫(ダークスラッシュ・プリンセス)”のメルゼリア……!? あの……王国最強だったって噂の……!?」


 確かに、名前だけなら聞いたことがある。


 かつて、王国騎士団の筆頭として名を馳せ、**“千の剣をへし折った女”**の異名を持つダークエルフ戦士。


 今は姿を消し、“森に隠遁している”という伝説が残っていた。


 その本人が、なぜかここに。


「……君の打った刀。その一振りを、森で拾った者がいた」


(あ、それ盗まれたやつ)


「一度でいい。その斬れ味……この手で確かめたかった」


 メルゼリアは、そう言って、湊の鍛えた黒刀を静かに構える。


 その姿は、まさに――剣を知り、剣を極めた者の構えだった。


 



 


 その場でメルゼリアは、湊の刀を使い、空中に試し斬りを放った。


 ――風が裂けた。


 ただ、それだけ。


 音も、光も、演出もない。


 ただ、空気が「違う場所に行った」ような、不自然な感覚だけが残った。


「……やはり、“打ち手”が違うな」


 そう言って、彼女は刀を湯に戻し、恭しく差し出す。


「この刀を守りたい。そのためなら、私の剣を使ってくれ」


「……は?」


「私は、“用心棒”としてここに住む。異論がなければな」


 圧倒的な剣士が、勝手に居候宣言をしてきた。


 そして、次の瞬間には、ルフナと共同で小屋の横にテントを張りはじめていた。


「師匠!まさかのダークエルフさんが住み込みです!!」


「……静かに暮らしたいだけなのに」


 湊の心の中で、また一歩“静寂”が遠ざかっていった――。

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