番外 15年後
母が逝った。
91歳 大往生である。
義理ではあるが、父の慟哭を初めて見た。 肩を震わせ、声にならない嗚咽を漏らすその背中は、僕が知る豪放で、どこか皮肉屋の「寿吉政夫」とはかけ離れていた。僕も言葉を失い、ただじっと、父の背中を見つめていた。しばしの慟哭に、僕は無言で応えることしかできなかった。
余りのことに、実子である僕が悲しめない程であった。
やがて父の震えが収まり、深く息を吐き出す音が聞こえた。しばらくの沈黙の後、父は、その背中が少し小さくなったように見えながらも、担当の医師に深々と頭を下げた。その動作は、まるで憑き物が落ちたかのように静かで、普段の喧騒とはかけ離れたものだった。
葬儀は、父らしくなく「通常通り、何もおかしくなく粛々と」進められた。まるで、彼が事前に全ての段取りを完璧に整えていたかのように、滞りなく初七日を終えた。その日、父は僕を呼び寄せ、まっすぐな瞳で言った。
「一人にさせてくれ。お前は自分のなすべきことをしろ」
その言葉には、僕への配慮と、父なりの決意が込められているように感じられた。そして、おそらくそこには、僕には計り知れない、父と母の間だけに存在する深い絆と、その喪失からくる痛みが隠されているのだろうと思った。
翌日からの義父は、いつもの愉快な優しいおじいちゃんに戻っていた。
粛々と手続きを義父は済ませたようで、2~3の連絡と郵便で終わる。
長い休みに尋ねる、愉快で楽しい実家、ただ母がいない、に戻った。
三回忌の打ち合わせの最中に「ホームに入るぞ。手配は全部終わった。後はお前の署名捺印だけだ」「入居日が決まれば住所とか連絡する」と突然告げられた。
母の実家と墓にも近い老人ホームを義父は手配していた。
義父が長年過ごした市内の自宅の近くでもなく、故郷でもない。
「お前の都合がここの方がいいだろうが」
18歳まで母と祖父母と一緒に暮らした家は義父が立て替えたとはいえ、僕の実家、少年時代を過ごした町である。たしかに都合は良いかもしれない。
年の数度、偶にはまだ結婚していない子供と連れ立って、今はもう誰も住んでいない実家に泊り、義父を見舞った。
長い休みにあたりの観光をして回り、実家を自由に使わせてもらったが父の机を使う事だけはきつく禁止されていた。
「あの机な。初めて独立自営する時に俺の親、会わせたことないけど、が作ってくれたんだ。大工さんだったから。以来60年使ってる。引き出しとか使いにくいんだけどな。親に物を貰うもんじゃないぞ、捨てるに捨てれない。」と笑う。
椅子はさすがに60年物ではない メッシュのハイバック OKAMURA製だ。
「一番最初はホームセンターの一番安い事務椅子。次にひじ掛けの無いやつ、仕事が大きくなるにつれひじ掛け付、ハイバック メッシュと来て今だ。革張りとかいらない。」
大工だったというお爺さんは僕が養子に入って、数年で亡くなった。参列しようかというと
「いい いい 向こうもお前誰なんだ?と言うわ」と言われ父の家系とは付き合いが無い。
仕事で知り合った同じ苗字の人がいるのだが、遠戚か何かかと父に聞くと
「ほう そんな人もいるんだ。遠戚かもしれないな」というに留まった。
父は親族のことを話す時、とても機嫌がいい。自慢なのだと思う。
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