2章 伯父 免許

「親父、自動車の免許。姉ちゃんと正彦に言われて返納したんだ。俺は最後まで反対した、親父も嫌がったんだけど二人に押し切られたな。」 「俺は二人に文句言われたよ。『他所にいる癖に反対するな』」とな。他所者なんだ俺。

「普段のちょっとそこまで、誰かの家まで、何かにつけ『ああ自動車が無い。いけない』てのは存外にストレスがかかる。自転車に乗れ、目の前の子供に、お前んちだな、に連れてって貰えばいい。それが通るほどお前の家の免許持ちと心安かったか?」

 免許持ち?誰のこと言ってるのか。祖父が免許返納したことは知っているが、父と伯母が強制したとは知らなかった。そして、その時の祖父の不自由さ、そして父たちの無理解。伯父の言葉は、私の知る「良い親父」像を少しずつ崩していく。父が、祖父をそんな風に追い詰めていたのかと、複雑な思いが込み上げた。

「それでも自転車で畑仕事に出かけて友人と会ってたみたいだが、違うんだな」 「それだけならまだ…夕方からは独りだ、総菜買って食べてたみたいだがそんなことは些細。家の前で自動車の音がする、息子が帰ってきたのかな。他の家から団らんの声、遠くの風呂から聞こえる下手くそな歌。でも独りなんだな。雑踏の中の孤独。これは堪えるぞ。」 「数年でボケたな。俺が毎日電話したくらいじゃだめだったな。他の兄弟は免許取り上げなきゃよかった。と言ってたけど後の祭りだし、そこじゃないよ」

「電話しかしてない俺は、何も言えないけどな」「免許は発端かもしれない、けど、原因じゃない。俺は今でもそう思ってる」

何を言いたくて、私に何をさせたいのか。回りくどい。

「姉ちゃんもそう。大きなストレス。彼女のは24時間365日。それが何年も。言わなくても何を指してるのか、正彦も言ってたんじゃないか。判るだろ」

 言わんとするところは、多分なんとなくわかる。高校生まで歩いても5分の所にいたのだから…。恐らくは金銭問題。父の愚痴を耳に挟んだこともある。私の記憶の中の伯母は、いつも明るく、家族を気遣う人だった。その笑顔の裏に、どれほどの苦悩があったのだろうか。私は、近い人たちが抱えていたであろう、見えない苦しみに、ようやく気づき始めていた。

「結局、うちの家系はストレスに弱いんだ。もっと早くに気が付いて、もっと早くに言っていれば…考えない日はないよ」

「お前、暢気に聞いてるが他人事じゃないんだよ。お前がこれから残されたものを引き継ぐということは、その『正』だけじゃなく、その『負』も背負うってこと、誰がそれを背負うのかわかってるか?」

「!」

母のことを言っている。正も負も……税理士も言ってたけれど、父に負債はないはずだし……。父のストレスのことだろうか。考えもしなかった。だが、伯父の言葉が、なぜか的外れには思えない。では父のストレスとは一体何だったのだろう。そして、なぜ今、私にそれを伝えるのか。


 大仰なソファーと小さなカウンターのロビーまで政夫と真美は廣を見送った。大きく手を上げ、ハンドサインで別れを告げる。

「もしあの時、コロナ禍ではなく、俺も自営業じゃない普通の会社員で地元に居たら、こんな話してたんだろうかな。」

「やっぱり、お前のお父さんじゃない。と言ってたんじゃないですか」

伯父は豪快に笑った。

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