3章 自室での精査

 小学生の時に買ってもらい、高校生まで使っていた学習デスクは、今や物置と化していた。積み重ねられた雑誌や埃を払いのけ、座り慣れていたはずの椅子に腰を下ろす。受験勉強で何時間も座り続けたはずの古いデスクは、今やひどく使いにくく感じる。ため息とともに蛍光灯の明かりの下、母から渡された封筒の束を広げた。

 そこには、税理士が作成したであろう確定申告書と、それに付随する不動産所得の収支内訳書が何年分か収められていた。私はサラリーマンで年末調整はするものの、確定申告書や収支内訳書は生まれて初めて見る。経費精算などの知識はあるものの、税の申告や決算書などは門外漢だ。見慣れない専門用語や数字の羅列に、早くも頭が混乱し始めた。

 まず昨年の収支内訳書に目をやる。収入金額、家賃か。多少の変動はあるものの、毎年、年間100万円を超える金額が計上されている。それは確かに羨ましい数字だ。しかし、父の現役時代の羽振りの良さや、昔から裕福だという周囲の評判から想像していたものとは、正直なところ乖離があると感じた。3年前でも空室が目立っていたのか。

 続いて記載のあるのは経費の欄。租税公課に損害保険、これは火災保険か……何でこんなに火災保険が高いんだ?こんなにするものなの?修繕費、この年はそうでもない。消耗品って何?……金額の羅列で合計すると結構な額になる。収入金額から経費を引いて、最後の所得金額が利益ということになるのだろう。ふむ、無いよりは全然いい。しかし、これまで想像していた実家の経済状況とは、あまりにもかけ離れている。

 気を取り直して申告内容確認票を取り出す。ここの収入不動産の所の数字が先ほどの数字。そのまま下がって公的年金等、父さん結構な年金貰ってたんじゃん。その合計がこれか。別に問題なく見える。けど、そのすぐ下に恐ろしい数字が見えるけど…控除か。経費だったらどうしよかと思ったよ。社会保険料と。労災・雇用保険?なわけ無いからこれは健康保険料だろう、なんでこんなに高いのよ、国保は高いとは聞いていたけどこれほどとは… 後は基礎控除で課税額になっていくと。え、税金払わなきゃいけないの?高齢で年金生活+家賃でもそこそこの税金がかかるのか。

 私が漠然と「空室が多い」と思っていたのは、最近になってからのことだろうか。過去の書類を遡ると、10年くらい前までは満室で、安定した家賃収入があったことが見て取れる。父が退職したばかりの頃は、それなりの収益を上げていたようだ。

 しかし、年を追うごとに空室が増え、それに伴い収入が減少している。そして、時折、大きな金額が計上されている項目があった。おそらく修繕費だろう。母が「修理費」と言っていたものがこれか。年に一度や二度ではないが、数年に一度、それまでの利益を吹き飛ばすほどの出費があった。それらの年を除けば、たしかに黒字ではあるものの、大きな蓄えになっているようには見えない。

 しかし、父の過去の預金通帳の残高が順調に減っているのを見る限り、赤字ではなさそうだが、わずかな黒字か、あるいは収支トントンといったところだろう。父の退職金も潤沢にあり、アパートも満室であれば年齢を考えれば充分な所得と言えたはずだ。父が抱えていたであろうストレスの根源は、単なる損得勘定だけではないのかもしれないと、私は漠然と感じ始めた。

 父の羽振りが良かったのは、退職金など一時的なものに頼っていたのかもしれない。そして、アパートの空室問題や、時折発生する高額な修繕費、果たして伯父の言う父が抱えていたであろう大きなストレスだったのだろうか。

 しかし、今後、その頃のような所得を得ることは難しいだろう。父の死んだ今、年金も減る。一度まじめに収支計画を立てた方がよさそうだ。それは多分伯父の言葉どおり不動産の売却・現金化が最も有効な手段であると導き出されるのかもしれないが、上手く立ち回れば収益化も可能かもしれない。不動産屋にもう一度相談するべきかもな。

「廣! お風呂入ってよ お母さん先はいるよ!」

母の呼ぶ声が聞こえる。スマホで検索しながらの、慣れない作業で時間がたつのが早かったようだ。

しかし、高校生の時のように風呂の催促されるとは思わなかった。

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